第16話 乙女チックだね
「お客さん、お茶はどうですか? 温かくて落ち着きますよ」
手加減を覚えた翌日。
僕は、すっかり声をかけてくるようになった宿の従業員カメリアさんの厚意に甘える。
「ありがとうございます。いただきますね」
差し出されたコップを受け取る。
一口なかの液体を喉に流し込むと、カメリアさんは嬉しそうにニヤける。
彼女の茶髪がわずかに揺れて、橙色の瞳がちらちらとしきりにこちらを見ていた。
「先ほども言いましたが、私に敬語はいりませんよ。お客さんは二十でしょう? 十八の年下に敬語なんて使ってたら、きっと他の人になめられますよ!」
「そ、そう言われても……。二歳しか離れてないし……」
僕の中では、あと一歳は離れてないと年下って感じがしない。一年なんてあっという間だしほとんど誤差かもしれないが、彼女はソフィアに比べてどこか大人っぽい。
だからだろう。食堂に足を踏み入れた今朝からずっと、話しかけられても一向に敬語が外せないのは。
だが、一方のカメリアさんはそれが気に食わないらしい。つんと顔を逸らして、一生懸命敬語を外すように話しかけてくる。
「二歳、も! 離れてるんですよっ。十分に人生の先輩です! だから、もっと気さくに話してください。そのほうが、その……私も嬉しいと言いますか、幸せと言いますか……」
もじもじ照れながらそんなことを言われると、僕も勘違いしちゃう……なんて、鈍感系主人公みたいなことは言わない。
さすがにここまで積極的だとわかるよね。彼女は、少なからず僕に好意を持っていると。
これがイケメンチートか……。前世の僕が持っていたら、異世界に転生することなく幸せな人生を歩んでいたのかな?
……いや、それはどうだろう。
僕がこの世界にやって来た経由は不明だ。死因が、自殺やそれに準ずるなにかだと決め付けるのはよくない。
そもそもどうしてそう思ったのだろう?
浮かんだ疑問は、しかし薄暗い霧の中に消えていった。
過去の記憶を探ろうとすると、なにかに阻まれて思い出せない。だから僕は、すぐに諦めてカメリアさんと向き合う。
湯気のたちのぼるコップに口をつけ、熱々の液体をさらにもう一口飲み込んでから答えた。
「わかり……わかったよ。カメリアさ……カメリアがそれを望むなら、僕はこれからなるべく気さくに話しかけることにする。これでいいかい?」
フッとそう言って笑いかけると、カメリアの瞳にハートマークのようなものが浮かんだ——ような気がする。
元気溌剌に、彼女はこくこくと激しく首を縦に振った。
「はい、はい! お願いしますっ。そっちのほうがお客さんはとっても素敵です!」
「あはは……大袈裟だよ。でも、ありがとう。カメリアも元気な様子が魅力的だね。すごく可愛い」
「ぴえっ」
ぴえ……?
小鳥みたいな囀りが聞こえた。
それを発したのが目の前の女性だとわかる。だが、疑問を口にする前に、カメリアの顔がみるみると真っ赤になっていく。
——まるでトマトみたいだな、と思ったのも束の間。ボン、と頭を爆発させて、カメリアはへろへろとその場に倒れた。
ギリギリのところで椅子にもたれかかると、なおも赤くなったままの顔をテーブルの上に置く。
宿屋の従業員が、堂々と客の前でサボっててもいいのかな? 他にお客さんはいないようだしいいのかな?
俯く彼女の頭を、つんつんと人差し指で突く。
すると、少ししてがばりと彼女の顔が勢いよく持ち上がった。朱色の相貌で彼女は叫ぶように言う。
「お客さん、好き! デートしてください!!」
「…………え?」
あまりにも唐突な申し出に、五秒ほど僕の思考はショートした。
……デート? デートって、あのデート? 男女が一緒に外で買い物したり遊んだりするっていう?
たっぷりじっくりその言葉の意味を理解すると、今度は僕のほうまで顔が赤くなる。
哀しいかな。記憶がないからデートした思い出も当然ない。だからいまの僕は、完全に童貞で初心な素人。その手のことに関して、まったく免疫がない。
どうしたものかと悩んだ末に、答えを待つカメリアへなんとか言葉を紡いだ。
「ご、ごめん……予定があるから無理、かな」
それに対してカメリアは、
「……そう、ですよね……。ごめんなさい。いきなり。迷惑でしたよね……」
と、一気に顔色を悪くした。
先ほどまでの元気と可愛らしさが消えて、思わず僕は反射的に言ってしまう。
「め、迷惑じゃない! 嬉しかった、よ?」
「…………本当ですか?」
カメリアの表情にわずかな喜びが戻る。ここで一気に叩き込む!
「ほんとほんと。デートはまた時間がある時にしよう。楽しみに待っててくれると嬉しいな」
「お客さん……!」
玉虫色の回答に、即効でカメリアの哀しみは吹き飛んだ。
椅子から立ち上がりくるくるとその場で回り出す。
そして、「じゃあずっとずっと待ってますね! では、私は仕事があるので戻ります! お客さんも頑張ってください!」と言って、奥の厨房へと引っ込む。
最後まで騒がしい子だなあ、と思いながらも、その賑やかさにくすりと笑みが零れた。
温度の下がったお茶を一息で飲み下すと、僕も僕で椅子から立ち上がって冒険者ギルドへ向かった。
▼
緩い勾配の坂をのぼって冒険者ギルドにやってくる。
相変わらず午前中でも賑わう室内を見渡してから、半分より右に設置された掲示板を覗く。
そこには、多種多様な依頼書がところ狭しと張り出されていた。気に入ったものがあれば、それを剥がして受付へ持っていくらしい。
初心者でもできる簡単な依頼を探してみる。
しかし、僕が依頼書へ視線を滑らせるより先に、背後から聞き馴染みのない女性の声が聞こえた。
「あの、そこのフードの人!」
…………ん? 僕のこと?
気になって振り返ってみると、三メートルほど後ろになめらかな紺色の長い髪を垂らした……。
犬みたいなケモ耳の付いた少女が立っていた。
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