第12話 やらかした奴

 窓辺から差し込む陽の光で目を覚ます。


 たっぷり十秒ほどベージュ色の天井を見つめてから、次いで、ぼんやりとした思考のまま部屋中を見渡す。最後に視線を天井へ戻すと、ようやく僕は自分が異世界に転生し宿の一室に泊まっていることを思い出した。


 やや重い体をぐいっと引っ張って起こす。外から元気な子供の声が聞こえてくる。痒みを訴える目元を軽くこすると、眠気を飛ばすためにおもいきり背筋を縦に伸ばした。形容しがたい気持ちよさと軽いあくびを漏らし、微妙に乱れた掛け布団を剥がす。


 ベッドから降りるなり窓の外の景色を眺めると、清々しいほどの青空の下で多くの人が行き交っていた。ちらりと壁にかけられた時計を見れば時刻は朝の八時。


 僕の体感でいってまだまだ早朝にも関わらず、異世界の住民たちはなんと元気なことか。


 繰り返しあくびを噛み殺して部屋の反対側へと向かう。ベッドから離れた位置にある扉のドアノブを右に捻ると、きぃぃ、という音を立てて扉がひらく。そこから廊下へ出れば、突き当たりの階段をおりて一階の食堂へと足を踏みいれた。


 なんとこの宿は、一階の端に宿泊者用の食堂がある。料金は追加で払わないといけないが、そもそも宿泊費用が安いためかなり助かっている。神様の好意でそれなりのお金はあるが、駆け出し冒険者の僕には何より節約が求められた。調子に乗ってあとから後悔したくない。


 そんなこんなでこの宿を教えてくれた受付の女性に感謝しつつ近くの席に座る。朝のメニューはひとつくらいしかないので従業員さんを待っていると、しかし誰も僕の席には来てくれなかった。


 どうしたんだろう? と辺りを見渡してみると、遠くで従業員の女性がこちらを見ながら固まっていた。


 さらに追加で≪?≫が頭上に浮かぶ。僕の後ろに誰かいるのかな? と思って振り返るが、そこは当然ながら壁である。ただ、視線を移動した際に異変に気付いた。従業員だけじゃない。周りを囲む他の宿泊客までもが、僕を見て固まっている。特に女性からの視線が痛い……って、ああ!?


 そこまで思考が巡るとようやく自分の犯した失態に気付く。ぺたぺたと自分の顔や頭に触ってみればそれは確信へいたり、心の中で盛大に「あぁあああああ!!」と叫んだ。


 慌てて席を立つと、背中にブッ刺さる視線をすべて無視して食堂を出る。二段、三段飛ばして階段を駆け上がり、自室の扉をやや乱暴に開けると、壁際のフックにかけておいたローブを引っ張って纏う。フードまで下ろすとやっと安堵の息が漏れた。


 ——そう。僕は寝起きの姿のまま人前に出てしまった。銀髪に金色の瞳をまじまじと周囲の人間に見せ付けてしまったのだ。


「~~~~~~!」


 急に羞恥心が精神を襲う。なにも恥ずべきことではないのだが、これから一階の食堂に戻ってあの好奇の視線の中に晒されると思うと億劫だった。


 しかし、胃袋は現金なもので、僕の葛藤など無視して盛大な音を鳴らす。痛いくらいに食欲を刺激されれば、居心地の悪さなど二の次に考えてしまうのは……しょうがないことだと思う。


 我ながら言い訳がましい言葉を並べて、いそいそと一階の食堂へ戻った。案の定、入り口から帰ってくる僕を見て、再び視線が殺到する。それらを必死に無視して従業員の女性へ声をかけた。


「あの……すみません」


 呼ばれた従業員の女性……というか少女? は、肌色の瞳をしばし激しく瞬きさせてから、「え? えぇ!?」と遅れて驚いた。それでも仕事はしっかりとこなしてくれるようで、おどおどと不安げな動きで僕の前にやってくる。


「な、なんでしょうか?」


「朝食をお願いします」


「…………あ、朝食、ですか……」


 なぜか残念そうに瞳を伏せる少女。哀しげな声で「畏まりましたあ」と呟いてから去っていく。僕はなにも悪くないのに不思議と申し訳ない気持ちになった。




 ▼




 記憶にある地球の食事に比べて、非常に質素な料理を平らげる。


 質素と言っても量は多いので、すきっ腹にはよく効いた。


 ぱんぱんに詰め込まれた腹をさすりながらも両手を合わせてごちそうさま。わざわざ従業員の少女が持ってきてくれた水を飲みながら、本日の予定を立てる。


 ……と言っても、やるべきことは最初から決まっている。昨日、寝るまえにすでに決めておいた。それは————名付けて、≪手加減の練習≫だ!


 そのまんま? いいんだよ名前なんてなんでも。大事なのは中身だ。


 僕は正直いってかなりステータスが高い。どれくらい高いかというと、軽く蹴りあげただけでゴブリンという魔物を、文字どおり粉々に粉砕できるくらいに筋力数値が高い。まだ試したことはないが、やろうと思えばもっともっと威力を出すこともできるだろう。


 だが、それはまずい。非常にまずい。考えてみれば単純な話だ。そんな人間の姿をしたモンスターがいたら、同種であろうと困惑ないし恐怖を抱くのは当然。実際にソフィアも最初は僕のことを恐れていた。


 だからまずは手加減を覚える。ステータスやレベルというのは、ソフィアに聞いた感じ神さまによる加護らしく、戦闘やそれに準ずる行い以外では適度に調整されるらしいが、僕のステータスはそういう次元をはるかに超えている。下手するといつか日常生活にも支障をきたしかねないような気がして不安しかない。


 なので、登録した翌日から冒険者としての仕事をこなさず外で手加減の練習を覚える。


 「明日から頑張ります!」的なことをギルドマスターの女性に言っておいて悪いが、これがもっとも優先すべきことのはずだ。


 そうと決まれば行動あるのみ。席を立ち、従業員の少女にお礼を告げてから外に出る。朝食代は料理が運ばれる前に払っているので食い逃げじゃない。




 宿の扉をくぐり、異世界生活二日目が始まる。

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