第10話 ギルドマスター
コツコツと靴音を鳴らして赤髪の女性が階段を下りる。優雅な佇まいに余裕を感じられる堂々とした歩みは、冒険者ギルド内の空気を絶対零度の冷気で凍らせた。誰もが、彼女の一挙手一投足を見守っている。
当然、声を掛けられた男もその男とモメていた僕もその例外ではない。むしろ、彼女に近いぶん、周りの
ギルドマスターと呼ばれた女性は、一階の中央、僕と男から
「……それで? もう一度聞くけど……ギルドの中でなにを騒いでいたのかしら? 詳しく説明してくださる?」
蛇に睨まれたカエルのごとく、先ほどまであれだけ威勢のよかった男は、ギルドマスターからの圧に怯えてかすかに声を震わせた。
「な、なにもしてねぇよ……。ちょっとそこの新人に、冒険者としての立ち振る舞いを、だな……」
バツが悪そうにそう言って視線を逸らす。だが、反対にギルドマスターはくすりと小さく笑った。
「へぇ……ノルド、あなたってそんなに優しい人間だったかしら? 私の記憶によると、よく新人冒険者をいじめてたような……ね?」
「は、はあ? なに言ってんだギルマスッ。そんな根も葉もない噂はやめてくれ! 俺ぁ、このとおりいつだって健全で優しい……」
「——黙りなさい」
ぴしゃり、と男の言い訳を突っぱねる。ギルドマスターの鈴の音みたいな一言で、さらに冒険者ギルド内の気温がわずかに下がったような気がする。
じろりと鋭さを増した視線を見て、男の顔色まで悪くなる。だが、そんなことは気にせずギルドマスターの女性は続けた。
「私にウソや言い訳が通用すると思って? 他でもない元・ランク2冒険者もなめられたものね……実に不愉快だわ」
「ち、ちがっ————」
必死にノルドと呼ばれた男はギルドマスターの言葉を否定しようとするが、すればするほど彼女の怒りの炎に油を注いでいる。底冷えするような低い声に、被害者であるはずの僕まで背筋が震えた。
「何度も同じことを言わせないで。黙りなさい、と私は言ったはずよ? これ以上、怒らせたくないのなら黙って私の言葉に従いなさい。これまでの規則違反にたび重なる暴力と暴言の数々……酔った拍子に女性へのセクハラ、器物破算もろもろ……この手でくびり殺してもいいくらいだわ」
「ひぃっ!?」
とうとうギルドマスターの殺気? に耐えられなくなったノルドは、情けない悲鳴を漏らして脱兎のごとくその場から走り出した。転びそうになりながらも振り返ることなく扉をくぐって外に出る。ばたん、という扉が閉じる音を聞くと、自らの額に右手を添えて盛大にギルドマスターがため息を零した。
それを合図に、僕を遠巻きに囲んでいた冒険者たちが散っていく。それぞれ、雑談を再開したり酒を飲み出す。
あとに残された僕とソフィアは、どうしたものかと困惑していると、顔を上げたギルドマスターと視線が重なった。なにを思ったのか、彼女はそのままこちらまで歩み寄ってくる。
だいたい一メートルほどの距離で再び足を止めて、今度は穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「こんにちは、新人冒険者くん。せっかく冒険者ギルドに登録しに来てくれたのに、いきなりノルドに絡まれるなんて災難だったわね……。なにかあったらお姉さんが相談に乗ってあげるから、これから冒険者として頑張ってほしいわ」
——ホッ。よかった。怒ってさえいなければ優しい人っぽい。
ただ、近くで見て気付いたが……彼女、ギルドマスターの耳が僕やソフィアのそれよりだいぶ長かった。髪は長いのに、その隙間から出てくるくらいに長い。
記憶の端で引っかかりを覚えるものの、その答えを得るまでには至らなかったので意識を現実に戻す。
ノルドって冒険者の時と同じく、僕はできるかぎり人当たりのいい感じの声で返事を返した。
「ありがとうございます、ギルドマスター。わざわざギルドマスターに助けていただけたので、明日から頑張って活動したいと思います。本日は本当にありがとうございました」
最後にぺこりと頭を下げれば完璧だ。やりきった感を出して頭を上げる。
「ふふ、期待してるわ。どれどれ……」
「?」
急にギルドマスターの視線が鋭くなる。そこに怒りや不満の感情は見えないが、不思議と嫌な感覚が全身を巡った。例えるなら小さな違和感。その正体を掴む間もなく、しかしなぜかギルドマスターの表情が驚愕で染まる。やや後ろに仰け反って彼女は叫んだ。
「う、嘘ッ!? 私の鑑定が……」
そこまで言ってハッとなにかを思い出したのか、顔色を戻して彼女は笑う。ぶっちゃけ誤魔化しきれていないとは思うが、彼女がなにに対して驚いたのかわからない僕には、ギルドマスターの呟きの意味すら理解できていなかった。
首を傾げる僕に、
「あ、挨拶も済んだことだし、それじゃあ私は行くわね! 早く戻って仕事の続きをしないといけないからっ」
まるで逃げるようにギルドマスターは手を振って階段をあがって行ってしまう。その姿が完全に二階へ消えると、隣に並ぶソフィアへ声をかけた。
「ねぇ……ソフィア」
「はい」
「ギルドマスター……なんだったのかな?」
「さ、さあ……私にもよくわかりませんでした……。でも、助けていただいたので喜んでおきましょう!」
両手を握り締めてホッと笑うソフィア。それを見たら小さな疑問なんてどうでもよくなった。くすりと僕も笑って、
「たしかにそうだね」
と短く答える。
そのタイミングで、受付のほうから女性の声が聞こえた。冒険者カードと薬草の査定が終わったらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます