第10話 ギルドマスター

 コツコツと靴音を鳴らして赤髪の女性が階段を下りる。優雅な佇まいに余裕を感じられる堂々とした歩みは、冒険者ギルド内の空気を絶対零度の冷気で凍らせた。誰もが、彼女の一挙手一投足を見守っている。


 当然、声を掛けられた男もその男とモメていた僕もその例外ではない。むしろ、彼女に近いぶん、周りの冒険者ぼうけんしゃ以上の緊張感を味わっていた。


 ギルドマスターと呼ばれた女性は、一階の中央、僕と男からやく五メートルほど離れた位置で止まる。細められたルビー色の瞳が、男と僕を交互に射貫いつらぬいた。しばらく無言でジッと見つめてから、ぽつりと言葉を零す。


「……それで? もう一度聞くけど……ギルドの中でなにを騒いでいたのかしら? 詳しく説明してくださる?」


 蛇に睨まれたカエルのごとく、先ほどまであれだけ威勢のよかった男は、ギルドマスターからの圧に怯えてかすかに声を震わせた。


「な、なにもしてねぇよ……。ちょっとそこの新人に、冒険者としての立ち振る舞いを、だな……」


 バツが悪そうにそう言って視線を逸らす。だが、反対にギルドマスターはくすりと小さく笑った。


「へぇ……ノルド、あなたってそんなに優しい人間だったかしら? 私の記憶によると、よく新人冒険者をいじめてたような……ね?」


「は、はあ? なに言ってんだギルマスッ。そんな根も葉もない噂はやめてくれ! 俺ぁ、このとおりいつだって健全で優しい……」


「——黙りなさい」


 ぴしゃり、と男の言い訳を突っぱねる。ギルドマスターの鈴の音みたいな一言で、さらに冒険者ギルド内の気温がわずかに下がったような気がする。


 じろりと鋭さを増した視線を見て、男の顔色まで悪くなる。だが、そんなことは気にせずギルドマスターの女性は続けた。


「私にウソや言い訳が通用すると思って? 他でもない元・ランク2冒険者もなめられたものね……実に不愉快だわ」


「ち、ちがっ————」


 必死にノルドと呼ばれた男はギルドマスターの言葉を否定しようとするが、すればするほど彼女の怒りの炎に油を注いでいる。底冷えするような低い声に、被害者であるはずの僕まで背筋が震えた。


「何度も同じことを言わせないで。黙りなさい、と私は言ったはずよ? これ以上、怒らせたくないのなら黙って私の言葉に従いなさい。これまでの規則違反にたび重なる暴力と暴言の数々……酔った拍子に女性へのセクハラ、器物破算もろもろ……この手でくびり殺してもいいくらいだわ」


「ひぃっ!?」


 とうとうギルドマスターの殺気? に耐えられなくなったノルドは、情けない悲鳴を漏らして脱兎のごとくその場から走り出した。転びそうになりながらも振り返ることなく扉をくぐって外に出る。ばたん、という扉が閉じる音を聞くと、自らの額に右手を添えて盛大にギルドマスターがため息を零した。


 それを合図に、僕を遠巻きに囲んでいた冒険者たちが散っていく。それぞれ、雑談を再開したり酒を飲み出す。


 あとに残された僕とソフィアは、どうしたものかと困惑していると、顔を上げたギルドマスターと視線が重なった。なにを思ったのか、彼女はそのままこちらまで歩み寄ってくる。


 だいたい一メートルほどの距離で再び足を止めて、今度は穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。


「こんにちは、新人冒険者くん。せっかく冒険者ギルドに登録しに来てくれたのに、いきなりノルドに絡まれるなんて災難だったわね……。なにかあったらお姉さんが相談に乗ってあげるから、これから冒険者として頑張ってほしいわ」


 ——ホッ。よかった。怒ってさえいなければ優しい人っぽい。


 ただ、近くで見て気付いたが……彼女、ギルドマスターの耳が僕やソフィアのそれよりだいぶ長かった。髪は長いのに、その隙間から出てくるくらいに長い。


 記憶の端で引っかかりを覚えるものの、その答えを得るまでには至らなかったので意識を現実に戻す。


 ノルドって冒険者の時と同じく、僕はできるかぎり人当たりのいい感じの声で返事を返した。


「ありがとうございます、ギルドマスター。わざわざギルドマスターに助けていただけたので、明日から頑張って活動したいと思います。本日は本当にありがとうございました」


 最後にぺこりと頭を下げれば完璧だ。やりきった感を出して頭を上げる。


「ふふ、期待してるわ。どれどれ……」


「?」


 急にギルドマスターの視線が鋭くなる。そこに怒りや不満の感情は見えないが、不思議と嫌な感覚が全身を巡った。例えるなら小さな違和感。その正体を掴む間もなく、しかしなぜかギルドマスターの表情が驚愕で染まる。やや後ろに仰け反って彼女は叫んだ。




「う、嘘ッ!? 私の鑑定が……」




 そこまで言ってハッとなにかを思い出したのか、顔色を戻して彼女は笑う。ぶっちゃけ誤魔化しきれていないとは思うが、彼女がなにに対して驚いたのかわからない僕には、ギルドマスターの呟きの意味すら理解できていなかった。


 首を傾げる僕に、


「あ、挨拶も済んだことだし、それじゃあ私は行くわね! 早く戻って仕事の続きをしないといけないからっ」


 まるで逃げるようにギルドマスターは手を振って階段をあがって行ってしまう。その姿が完全に二階へ消えると、隣に並ぶソフィアへ声をかけた。


「ねぇ……ソフィア」


「はい」


「ギルドマスター……なんだったのかな?」


「さ、さあ……私にもよくわかりませんでした……。でも、助けていただいたので喜んでおきましょう!」


 両手を握り締めてホッと笑うソフィア。それを見たら小さな疑問なんてどうでもよくなった。くすりと僕も笑って、


「たしかにそうだね」


 と短く答える。




 そのタイミングで、受付のほうから女性の声が聞こえた。冒険者カードと薬草の査定が終わったらしい。

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