第5話 いっぱしのレディ

 前世、もしくは過去において≪地球≫という世界の記憶を持つ僕は、ある日、気が付いたら異世界に転生していた。


 右も左も常識さえもわからぬ世界で、それでも神様? に与えられた人生を楽しむべく、まずは人里を探して森の中を彷徨う——つもりだったが、その前にひとりの少女と出会った。


 彼女の名前はソフィア。


 腰まで伸びた長い金色の髪を束ねずに下ろした可愛らしい女の子。爽やかな青空を彷彿とさせる透き通った碧眼は、当初とうしょ浮かべていた恐怖から、最後には尊敬や好意の色へ染まっていった。


 そんな彼女との出会いは今後の異世界生活になにを招くのか。掴んだ希望と人の温かさが薄れぬうちに、僕たちは賑やかに会話を広げながら薬草採取に励んだ。


 そして体感たいかん約三時間ほど。




 ▼




「ふう……結構集まったね。ソフィアは腕がいい」


 額にこびり付いた汗をローブの袖で拭う。


 労働への楽しさから出た賞賛の言葉を受けて、薬草の入った籐かごを持つ金髪の少女ソフィアは、深緑色の汚れを付けながらもにっこりと照れくさそうに笑った。煤色の頬がわずかに朱色に染まる。


「え、えへへ。そんなことありませんよっ。これくらい町に住む孤児なら誰でもできます」


 そう言いながらも、にやけているのがまるわかりだ。ひくひくと口元を震わせて必死に喜ぶのを我慢してるのが可愛い。


「孤児? 孤児がいるんだ、町には」


「? ええ、いますよ。どの町にも一定数の孤児はいます。私だって姉はいますが両親はいないので孤児ですし」


「そ、ソフィアも? それは……ごめん。嫌なことをいたね」


 しまった。空気を悪くしてしまった。そういうデリケートな話題には気をつけるべきだった。反省しないと……。


 しかしソフィアは、僕の失言など気にした様子もなく首を横に振った。


「気にしないでください。両親がいなくなったのはもう何年も前のこと。今さら人に言われてもなんとも思いません。それに、私にはお姉ちゃんがいるだけまだマシです。子供がひとりで生きていくにはこの世界はあまりにも辛すぎる……だから、私は幸せなんです」


「…………そっか。ソフィアは強いね」


「へ? 私、ぜんぜん強くないですよ?」


「肉体的な強さじゃないよ。精神的にものすごく強い。尊敬するよ」


 体と違って心は鍛えにくい。どうしたって無意識に落ちこみ怒り苦しむのが≪心≫だ。本能の部分で人間はそう出来ている。いくら理性で抑えようとしてもままならない。


 だというのに、彼女は僕より若い時点で、自らの境遇を呪っていなかった。素直に受け入れ、ありのままの人生を楽しんでいる。つい先ほどゴブリンに殺されかけたばっかりだというのに。


 それはやはり精神的な強さだ。誇るべき長所だと思う。だが、まだ彼女には早かったのだろう。いまいち僕の言葉を呑み込めていない。籐かごをぶら下げたまま首を傾げている。そんな動作すら可愛くて、彼女には悪いがくすりと笑ってしまった。


「精神的な強さ……精神的な強さ……うーん?」


「ふふ、いまはわからなくていいよ。それより、薬草採取も終わったしそろそろ町に向かわない? いい加減に帰らないと夕暮れになっちゃうよ」


「あ、そうでしたっ。すみません。こんな時間まで付き合わせて……」


「それを願ったのは僕のほうさ。ソフィアはちょっと遠慮しすぎだね。そういうのも美徳だけど、まだ子供なんだから大人に甘えてもいいんだよ」


 急いで前方を歩き出した彼女の背中を追う。幼いながらに器用に凹凸の激しい道をずんずんと進んでいく。


「こ、これでも私は十五歳です! そこまで子供ではありませんよ!」


「見解の相違だねぇ」


 この世界だと十五歳になったらもう大人なのかな? 地球だと十八か二十にならないと成人とは言えなかったが、異世界にその常識は通用しない。ぷんぷんと怒ったソフィアに素直に謝罪する。


「でもごめんよ。そういうことなら今後はソフィアのことは大人として対応しよう。いっぱしのレディってね」


「よくわかりませんが……そこまで嫌がってるわけではありませんよ? あまり気にしないでくださいね?」


「そう? わかった」


 背伸びしたい年頃なのかと思ったら、意外にもそうではないらしい。僕が過保護すぎたかな? 反省反省。


 迷いなく直線を抜けていく彼女を見つめながら、追いかける僕は適当に次の話題を考える。ソフィアのおかげで、薬草採取のあいだにもいろいろとためになることを教えてもらった。町に着く頃には、幼少くらいの常識は身に付くかな?


 …………無理か。




 ▼




 林道を歩くこと一時間。


 薬草採取に使った時間を含めて中空のずっと先、世界を染めあげる太陽の光がオレンジ色に傾いてきた頃、ようやく初期地点の森林エリアを抜けた。


 人間が作り上げたと思える遠くまで伸びる街道を見て、「野宿しないで済んでよかった……」と安堵の息を漏らす。


 さすがに疲労の見えるソフィアが額の汗を拭いながら、はるか前方を指差して言った。


「あれが私が住む町、≪セニヨン≫です」


 彼女の視線と指先を追う。およそ一キロほど先に巨大な壁が見えた。それが町を囲む外壁なんだと自然と理解して、たまらず感想を呟く。


「あれが……この世界で最初の町か」


 色んな意味で感慨深い。まだ異世界に来てから数時間ほどしか経っていないのに。


 いや、数時間も森の中で過ごせばそう思うのも無理はない。再び歩き出したソフィアの横に今度は並んで、胸に飛来した高揚感を抑えながらも夢想する。あそこには、どんな光景が広がっているのか、と。


 そこに憂いの感情はなかった。




 ……しかし、この時の僕はまだ知らない。街中で早々に問題を起こすことになるとは……。

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