第3話 やりすぎじゃない、これ?

「きゃぁああ————!!」


 近くで女性の悲鳴が聞こえてきた。


「ッ……!?」


 半ば反射的に体が動く。半身を引いて視線を横に移した。少ししてからひとりの少女が、木々の隙間をすり抜けてこちらへ向かってくる。キラキラと淡い光を放つ黄金色の髪を激しく振り回し、水面みなものごとき青い瞳には大粒の雫が浮かんでいた。


 一生懸命いっしょうけんめい走る彼女のほうもこちらに気付くと、やや掠れた声で叫んだ。


「た、たすけ——……助けて、ください!!」


 その一言があれば十分だった。後ろから彼女を追いかけてきたと思われる緑色のバケモノを見ても冷静でいられる。人間の子供くらいの背丈のバケモノが、少女に向かって右手の棍棒を振り上げた。即座に真っ直ぐ落とされた棍棒の軌道を確認して、そばまで辿り着いた彼女を抱き寄せる。あとは自分の左腕を盾代わりに横へ突き出せば、バケモノの攻撃から彼女を守ることができる。


 痛みに怯え瞼を閉じた。しかし。


「………………?」


 時間が流れる。五秒、十秒と時間が流れる。いまだ腕には痛みはない。胸元で震えながら泣きじゃくる少女の声だけが聴覚を刺激した。


 おそるおそる瞼をゆっくり開いてみると、なぜか目の前のモンスターは自身の武器と僕の体を交互に見合って困惑していた。頭上に≪?≫が見えるような気がする。思わず僕も困惑した。


 あれ? 攻撃しなかったの?


 どういう理由で攻撃を中断したのかわからないが、これは好機。そう判断した僕が身を屈め抱きしめた少女ごと後ろへ飛ぼうとする前に、正気を取り戻した謎のバケモノがこちらを攻撃するほうがわずかに早い。


 再び僕の腕に棍棒が振り下ろされる。今度は奥歯を噛み締めて瞼を開けたままその攻撃を見届ける。すると。


「いたっ————くない……?」


 棍棒はたしかに僕の腕を正確に捉えていた。細い木製の表面が、布越しに肌にかすかな刺激を与えたのがわかる。けど、それだけだ。あまりにも衝撃と痛みがなかった。


 むしろ、攻撃された箇所を見て「こんなふく着てたっけ?」と今さらながらな疑問が浮かぶくらいだ。ステータスのことに意識を割かれすぎていまの今まですっかり忘れていた。


 ……。


 …………。


 ………………。


 あ、ステータス。そうかステータスだ!


 連鎖的に自分が無事だった原因を思い出す。あの圧倒的なステータスは、やはりこの世界でも圧倒的だったということが証明された。もしくは目の前のバケモノがあまり強くないか、着ている服がよほど頑丈なのか。そこにどんな理由があろうと、恐らく二度もバケモノから攻撃を守ってくれたのなら話は早い。


 キッと鋭く目の前のバケモノを睨むと、軽やかな少女を抱きしめたまま僕は蹴りを放つ。ちょうど相手の背丈的に顔面に当たるが、少しでもダメージを与えられれば戦闘に隙ができる。その隙を活かして逃亡すれば問題ないだろう。




 ————そう、問題ないはずだった。




 僕が自身のステータスの高さをしっかり理解できてさえいれば。




 それを自覚したのは、僕が放った蹴りが緑色のバケモノの顔面を直撃し——そのまま頭部をごっそり吹き飛ばしたあとだった。まるで風船が割れるようにバケモノの首から上が消失する。乾いた音が耳に届き、モンスターの背後に大量の鮮血が飛び散る。


 一瞬にして絶命したバケモノは、脳を失って地面に倒れた。遅れて、胸元で泣いていたはずの少女の「ひぃっ!?」という声が聞こえてくる。僕は彼女を腕の中から解放するなりその場で両手両膝をついた。


 すぐ隣でガクガクと震える彼女を気にする余裕もなく、胃袋からこみ上げてくる最大級の不快感を液体ごと口から放出した。


「おろろろろろろろろろ!!」




 ▼




 B級映画も真っ青なリアルスプラッター事件を引き起こした僕は、体内の胃液が全部出たんじゃないかってくらい吐いたあと、顔面蒼白のまま倒れた。しばらく澄みわたる青空を眺めていると、やや控えめな声で隣から声がかかる。僕が助けた少女の声だった。


「あ、あの…………大丈夫、ですか?」


 声色にはまだ恐怖の色が残っているように感じる。無理もない。泣くほど怖かったバケモノから逃げた先に、そのバケモノを蹴りで粉砕するような新たなバケモノが現れては、恐れるなって言うほうが難しい。というより、いまだ逃げていないのが不思議なくらいだ。


 喉の痛みと消えぬ不快感に耐えながら、よろよろと上体を起こす。さらさらと揺れる前髪に若干のストレスを抱きながらも、それでも僕は努めて冷静に彼女に返事を返した。


「だ、大丈夫……大丈夫。これくらい、よくあること……かも」


 返事になっていなかったが、こちらの気持ちを伝えることくらいはできただろう。その証拠に、僕の顔を見る少女の表情が変化した。怯えから呆然。呆然から……驚愕?


 どうしていきなり驚くんだ? それも、恐怖ではなく疑問の色が多分に含まれているように見える。そしてそれは気のせいではなかった。


 首を傾げる僕に向かって、少女は尋ねるように呟く。




「…………神様?」

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