第3話 長編をかける人との違いについて
令和五年四月九日。
さて、本日は長編をかけるか否かについて。
私、ろくろわにとって長編作品を書くことは、トライアスロンを完走してくださいと言われるのと同程度に難しいことだと気がつきました。
では、ここから何故ろくろわが長編を書けないかの自己分析を行っていきます。
まず二話目でちらっと書きましたが、ろくろわが小説を書いたのは、高校生の頃の何話と今年一月からカクヨムで書いた数ヵ月の経験値です。基本的な小説におけるルールも分からず、皆様の近況ノートで見かけたプロット(初めて知りました)と言う言葉なども分かりませんでした。
つまり、ろくろわが話を書く時には設計図が無かったのです。
ろくろわが話を書く際、
◎終わり、着地を思い付く。
◎そこに向け書き出し、内容を足していく。
この二つが軸となっており、基本は足し算で話を書いていきます。
しかし足し算だけでは限界がすぐ来ます。余計な足し算はまさに蛇足となります。
目指すところは引き算です。
(勿論、小説を書き始めて日が浅い方でも長編をかける方もおりますし、プロットを書かない方もいるので上記=長編をかけ無い人ではありません)
そしてもう一つ、今のろくろわには出来ないなぁと思っている事があります。
それが、場面転換と時間の経過の描写です。
これこそがろくろわが長編を書けない一番なのかと思っております。
さて、では場面転換と時間経過が書けないとはどういう事なのか。
簡単に説明致しますと、私の話は「ある人物」の「一風景」である事が多いです。なのでその「ある人物」が行動できる範囲(ろくろわが想像できる範囲)でしか物語を進められません。行動できる範囲とは部屋の中であったり、帰路であったり、店の中であったりです。
それ以上に話を進めようとしたり、ある人物を動かそうとするとRPG(ロールプレイングゲーム)の町の探索で見えない壁に拒まれるのと同じように、景色はあるのに先に進めないのと同じような状態になります。
また時間経過は数時間程度のものが多いです。これはろくろわの書く話が、その時の心情を書き留めることが多いので心情の移ろいを長時間で表現できないからです。
長編となると作品の多くは、作中様々な場面転換があり一日で終わる事は無く、様々な人の心情や行動があって話が進んでいきます。
ろくろわの話ではこれが出来ません。
だからこそ、二千字~三千字程度で完結し描写する事を意識しております。
「鍵で空かない扉」
https://kakuyomu.jp/works/16817330653491977981
「目蓋の裏に泳ぐ魚」
https://kakuyomu.jp/works/16817330652846583999
これらの話も先に着地点を決め、足し算していくが場面転換の少ない話になります。
これ等の要素がろくろわの長編を書けるか否かに関わってくる所ではないかと考えております。
ならこのまま、ろくろわが長編を書けないのかと言うとそうではありません。
出だしで書いたように長編作品をかけと言うことはトライアスロンの完走してくださいと同程度に難しいことではあるが、挑戦して時間をかけ達成していけると思っております。
順位は関係ありません。
なので皆様の考える長編を書けるか否かは如何でしょうか?
そして創作していく設計図は如何でしょうか?
本日の話はここまで。
ありがとうございました。
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