第2話 物語を書いてよ、と彼は言った
そう言って笑う彼に、僕は首を傾げた。
それなら、君は何を書けばいいと思うの? そう聞くと、彼は少し困ったように眉を寄せながら、考え込むように黙ってしまった。
そしてしばらくして、思いついたように顔を上げた。
じゃあ、物語を書いてよ。君が君自身に囚われてしまう前に。
白いページの本の最後のページに僕は物語を書いていく。
※※※
今日もいつもと変わらない一日が始まる。
それは、とても不思議な話。
今日ではないいつか、一人の少年がいました。彼はある日、森の奥深くにあるお城へと迷い込んでしまいます。そこは昼間だというのに何故かうっすらと暗く、空気はひん
やりとしていました。
そのお城の中を歩き回ってみると、あちこちの壁や床が血で汚れていることに気付きます。更に、ある部屋には人間だったものが山のように積み重なっているのです。
そしてそこには、一人の少女が立っていました。少女はとても美しく、まるで御伽噺に出てくる魔女のような恰好をしていました。
「あなたはだぁれ?」
そう訊ねてきた彼女に、少年は答えます。
「僕は――」
それから二人は一緒に暮らし始めました。二人の間に言葉はいらず、ただ互いの存在を感じて過ごす日々が続きました。いつの間にか血で汚れた壁や床は真っ白い綺麗な壁や床に、積み重なっていた人間だったものは、かわいいぬいぐるみや人形たちへと変わっていました。
そんなある日のことです。突然、少女の姿が見えなくなってしまいました。
慌てて捜し回るものの見付かりません。不安な気持ちのまま部屋に戻ると、彼女がいた場所に一枚の手紙が落ちているではありませんか。
『ごめんなさい』
たった一言だけ書かれた手紙には、彼女の名前が書かれていませんでした。
「どうして謝るんだろう……」
そんな疑問を抱きながら、少年は一人ぼっちのお城を彷徨います。
けれどいくら探しても、彼女はどこにもいないのです。やがて日も暮れ始め、辺りが暗闇に包まれた頃、少年はあることに気が付きます。
「この部屋の壁……血じゃないのか?」
暗い中でもはっきりと分かるほど真っ赤に染まった壁に恐る恐る触れてみると、べったりとした感触と共に鉄臭い匂いが広がります。
その時、頭の中に声が流れてきました。
『もうすぐ夜が来るよ』
それは少女の声に似ていて、どこか悲しげな声でした。
『早くここから逃げないと食べられてしまうよ?』
そこで気付くのです。壁一面に広がった赤い色の正体は血ではなく、大きな口だと。それが何なのかを理解してしまった瞬間、身体中から嫌な汗が出てきました。
急いでその場を離れようとすると、今度は別の声が聞こえてきます。
『ねぇ、こっちに来て』
『一緒に遊ぼうよ』
『寂しいの……だからお願い』
その声に誘われるようにして部屋の奥へ進んでいくと、そこには、いなくなった少女がいたのです。
「やっと来てくれた!ずっと待ってたんだよ!」
「さあ、遊びましょう?時間はたくさんあるもの」
「あなたはだぁれ?」
少女は無邪気に問いかけます。
「僕は」
いくら思いだそうとしても少年は名前を思い出せません。
それどころか自分が誰なのかすら分からなかったのです。
すると、彼女は不思議そうな顔をしながら言いました。
「おかしいわね。ここにいるということはあなたは私のはずなのに」
「どういうこと?」
「だって私はあなたのことが大好きなんだもの」
「でも、僕は何も覚えていないんだ」
「あらそうだったの。じゃあ私が教えてあげるわね」
そう言うと彼女はゆっくりと語り始めました。
私の名前は『ユメハ』。あなたの名前も『ユメハ』よ。ほら、同じでしょう?それに、姿形も同じはずだけど……。ああ、そうだ。ここには鏡が無いんだったわ。
それともう一つ、ここはお城なんかじゃないわよ。これは私たちの家。まぁ、こんなところに住んでいる人なんて普通はいないと思うけれどね。
「ここが家?」
「えぇ、そうよ」
「じゃあ君はここで何をしているの?」
「私は―――あなたを食べようとしているの」
そう言った彼女の表情はとても暗く、まるで泣いているように見えました。
「どうして……」
「だって、そうしないと生きていけないんだもの。」
「どうして生きている必要があるんだい?」
「だって、このまま放っておいたらいずれ死んでしまうでしょ?そしたら困るもの。せっかく見つけた大切な家族を死なせるわけにはいかないわ。」
「かぞく……?」
「うん、家族だよ。私たちは二人で一つなの。だから絶対に離れちゃダメなんだよ」
「どうして……」
「どうしてだろうね。きっと本能的なものだと思うよ。だから食べなきゃいけないの」
「…………」
「怖いよね。ごめんね。だけど大丈夫だよ。すぐに終わるから」
「やめて……」
「いただきます」
そして、目の前にいたはずの彼女の姿が見えなくなりました。
いや、正確には違う。
僕の視界には彼女の首筋だけが映っているのだ。
「痛くしないから安心してね」
「いやだ……」
「だいじょうぶ。すぐに慣れるから」
「誰か助けて……」
「ごちそうさまでした」
僕は自分の腕を噛んだ。何度も、何度も。痛みを感じなくなるまで。
「あれ?なんで自分を傷つけるの?そんなことをしても無駄なのに……」
彼女の言っていることは本当だ。どれだけ自分を傷付けても意味はない。それでも、他にどうすればいいのか分からない。
「君が、僕を食べるから……」
「そうだね。でも、あなたは私のでもあるんだよ?だからもう終わりにしましょうか」
そして彼女は優しく微笑みながらこう言った。
「さようなら」
彼女は僕の頭を噛み砕いた。
その日から、少年は一人で生きていくことになりました。
けれど、決して孤独ではありません。
なぜなら彼は、もう一人の彼女と共に居るのですから。
『ユメハ』という名の少女と一緒に。
「ねえ、知ってる?」
「なにが?」
「あの話ってさ、本当は最後王子さまがお姫さまに食べられるんだって」
「うそだあ……!」
今日もいつもと変わらない一日が始まる。今日ではないいつか、のお話。
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