冬風ラプソディ
紫田 夏来
冬風ラプソディ
今日、俺はステージに立つ。
この役は今までに6人の役者が受け継いで演じてきたもので、俺は7代目だ。
ちょうど20年前の今日、俺は妹の付き添いとして、劇場へ出かけた。その日の演目は「ジキル&ハイド」、略して「ジキハイ」と呼ばれ、当時の主演は3代目だった。あの日は、もう桜が散る頃だというのに、裏起毛の上着を着なければならないほど寒かった。まさしく季節は冬のようで、「ジキハイ」の冷たいラストシーンを彷彿とさせた。
役者たちの歌声、オーケストラのハーモニー。すべて初めて体験するもので、俺は、舞台を鑑賞しているというより、「ジキハイ」という名のシャワーを浴びているような感覚に襲われた。気づけば全身に鳥肌が立っていて、寒気すら感じた。普通感動したら暑くなるものだろうと俺は考えていた。しかし、それすら通り越すと、寒くなるらしい。
ルーシーはジキルの耳元で囁いた。
「自分で試してみれば?」
ルーシーにとって、この発言は下ネタ的な意味合いが強いのであろうが、ジキルはその言葉からひらめいた。薬を自分で試そう。ここで、ジキルは歌う。
♪時が来た 今こそ 二度とない 果てしない時が 今こそ 見果てぬ夢 手に入れる時だ
奥深い声。決意を高らかに歌い上げる声。
俺は音楽が嫌いだった、はずだった。
オーケストラと俳優の歌声をいっぺんに浴びることができる機会はめったにない。少なくとも、俺にとってはあの日が初めてだった。ストリングス、金管、木管、打楽器、そして歌声。最高だった。音は力強く俺を打った。一人一人が思いや苦しみを体現していた。
ハイドは、ジキルの悪意の化身ではなく、元気な父を失ってから実験にその身を捧げたことで、人を愛すことができなくなった悲しみの化身のような気がした。とにかく、苦しい場面ばかりだった。
かつて愛したエマとの結婚式という幸せの象徴のような場でも、暴走を始めた。エマの腕の中でかけられた言葉。
「ヘンリー、苦しかったね」
本当なら、エマと幸せになるはずだった。エマと素敵な家庭を築き、研究を役立てて父を救うはずだった。しかし、父を救うために始まった人間の善悪の研究は、皮肉にもその幸せを奪った。俺は、どうしようもない絶望を感じた。エマの優しさに、人間の愛を見出すとともに。
「ジキル&ハイド」は、愛と絶望の物語であったように思う。
季節外れに寒かったあの日の風の音は、「ジキハイ」は、まるで1つの狂詩曲のようだった。俺も、ラプソディを奏でたい。歌いたい。表現したい。
さあ、ついに、俺によるジキルとハイドのお披露目だ。観に来てくださったすべてのお客様を、愛と絶望の物語の中へといざなおう。俺が、ずっとずっと抱いてきた夢が、ついに叶う。
俺は、ライトで照らされたステージに、1歩踏み込んだ。
冬風ラプソディ 紫田 夏来 @Natsuki_Shida
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