古の契約

 魔女たちは出発して三日目の朝に王都テスカーリの門を潜った。

 竜の襲撃という事件のせいで街は不気味なほど静まり返っている。


「住民は避難させてあるのね?」


 人気のない大通りを進みながら、魔女がジャコモへ質問した。


「うむ。城の兵士たちの護衛で近くのジェンティーレ砦にな」


「でも一見するところ、街への被害は見受けられないわね。それどころか物音ひとつしない」


 馬上から周囲を見渡す魔女の目には、整然とした王都の街並みが広がっている。竜の破壊がどれほどすさまじいか身をもって知っている彼女にしてみれば、街の様子は奇異に感じられた。


「どうも竜は夜になるとどこかのねぐらで身を休めるみたいなんだ。で、昼頃になるとまたやってきて、なぜか城だけを攻撃してくるんだよ」


 横合いからジーノが口を挟んだ。

 魔女が訝しげに目を細める。


「すると今日はまだ竜は動き出してないのかしら。でもなぜ城だけを?」


 ジーノは分からないという風に肩を竦めた。

 しかし、ジャコモにとっては竜の目的などどうでもいいようだった。問題は自らが仕える王家が危険にさらされているという一点なのだ。


「忌々しい竜めが。我が王家に仇なそうとは」


 城がすぐ間近に迫って怒りと焦燥に突き動かされたのか、猛々しい鷲鼻にしわを寄せたジャコモは急に馬を駆けさせて続く二人に呼び掛けた。


「急ぐぞ。こうしている間にもまた竜めが襲ってくるかもしれん」


「お待ちください、ジャコモ様!」


 驚いたジーノも自らの馬に拍車をかける。魔女はまだ考え込む表情を浮かべていたが、二人に取り残されまいと愛馬のグレカーレを走らせた。


 城門がすぐ間近に迫ると、城全体に厳戒態勢が敷かれていることが見て取れた。

 王城は壁面から突出した塔が等間隔に並ぶカーテンウォール式城郭を備えている。

 城壁の上部にクロスボウを手にした多数の兵士と騎士たちが配置されているのが、地上から近づいた魔女たちにも確認することができた。

 ジャコモは迷うことなく城門の正面まで馬を進めると、そこを守る騎士の一人に馬上から挨拶した。


「ジェルマーニ卿」


「これはカッジャーノ卿。どうやら使命を果たされたようですな」


「うむ。後ろのご婦人が契約の守護者殿である。すぐにでも陛下にお目通りを願いたいのだが、陛下はまだ城内にいらっしゃるのであろうか」


「我々の忠告にもお耳をお貸しにならず、いまだ踏みとどまっておられるよ」


「陛下は勇敢であらせられる」


 ジャコモが鷲鼻を振りかざして高らかに述べた。が、ジェルマーニ卿のほうはあいまいに肩を竦めただけだった。


「いずれにせよ、貴殿は陛下の命を最後まで果たされるがよい。今跳ね橋を下ろすからしばし待たれよ」


 ジェルマーニ卿が仕掛けを動かすよう部下の兵たちに指示を飛ばす。彼に感謝を告げたジャコモ一行は下ろされた橋を渡って城内に入った。


 ジーノの話通り、城内は街中とは異なって破壊の後がそこかしこに見受けられた。崩壊した塔や建物も多く、地面には焦げたような跡はそこかしこに残っている。

 そうした光景を眺めながら一行は城壁に囲まれた広々とした中庭を横切り、厩番へ馬を預けてから王の住まう天守塔へ入った。


 天守塔で一行を出迎え案内役を申し出た侍従たちは、王との謁見前に一行の入浴と着替えを要求し、急ぐジャコモとひと悶着を起こした。

 が、結局は旅で汚れた身のままでは不敬に当たるとの警告を考慮したことと、魔女本人が身を清めることを望んだために侍従の方針に従うこととなった。


 彼らはそれぞれ世話係をつけられて湯船の中で体の隅々まで綺麗にされ、髪も丹念に梳かされた。魔女の世話についた小間使いの娘たちはその素晴らしい黒髪に驚嘆し、彼女が上等な織物でできた純白のドレスを身に着けた時にはほとんど崇拝の表情を浮かべていた。

 先に身なりを整えていたジャコモとジーノ主従と合流した魔女は、彼らの称賛を軽く受け流して、満足げな表情を浮かべた気取り屋の侍従の後について謁見の広間へ足を踏み入れた。


 国王コジモ・ボッカチーニは小太りで栗色の口ひげを蓄えた、冴えない風体の中年男であった。

 薄くなり始めた頭頂に黄金の王冠を載せ、謁見の広間の最奥に置かれた玉座にいささか疲弊した様子で腰かけている。

 玉座があるのは広間の床より高くなった檀上だ。その足元まで近づいたジャコモたちは、その場で跪いて王に頭を下げた。


「陛下の騎士であるジャコモ・カッジャーノ、勅命を果たし帰還いたしました。これなる婦人が契約に記された王国の守護者、古き魔女の末裔にございます」


「大儀であった、カッジャーノ卿」


 短く、しかし威厳ある声で王は答えた。

 コジモ王は外見の印象を裏切る鋭い眼光で魔女を観察してから、低い声で彼女に語り掛けた。


「すでにカッジャーノからあらましは聞き及んでいよう。現在王国は竜の攻撃に晒されておる。これを退けるためにそなたの力を借り受けたい。見事竜を退けた暁には何なりと報奨を取らせよう」


 顔を上げた魔女は王の眼差しを真正面から受け止めると、躊躇いなく立ち上がった。たしなめる声が周囲から向けられるがそれも無視し、彼女は堂々とした態度で王の言葉に答えた。


「報奨は必要ないわ。その代わり、今度の一件が片付いたらカビの生えた契約は破棄してもらう」


 仮にも一国の王に対して対等な口を利く魔女に対し、謁見の間に集う取り巻きの貴族や騎士たちが色めき立つ。が、王は彼らを手ぶりで黙らせると、興味を引かれたように身を乗り出して言った。


「そもそも、そなたはこの契約がどういうものであるかを知っておるのか?」


 何しろ契約が結ばれたのは三百年以上前。ボッカチーニ王家初代の時代にまで遡る。

 コジモ王にしても、城の学者が書庫の奥から古い石板とそれにまつわる伝承を記した羊皮紙の巻物を見つけ出してこなければ、王国を守護する魔女の存在など知ることはなかっただろう。

 しかし、魔女はそっけなく肩を竦めて王の疑問に答えた。


「もちろんよく知っているわ。何しろわたし自身が初代ボッカチーニと結んだものですもの」


「何だと?」


 魔女の言葉の意味を図りかねた王がぽかんとした表情を浮かべた。周囲に居並ぶ諸侯も同様だ。

 そんな周囲の反応をうんざりしたように眺めてから、魔女は言葉を続けた。


「正確には初代国王になったエンツォに泣きつかれたのよ。彼が王になるのを手助けしてあげたのは、わたしにとってはただの成り行きだったのだけどね。向こうは大層恩義を感じたらしくて、広大な領地と侯爵の地位まで寄こしてきたのよ。その代わり、自分や子孫に何かあったらまた助けてほしい、というわけ。領地にも爵位にも興味はなかったのだけど、当時わたしはある理由から教会から身を隠す場所と身分を必要としていて、その意味ではエンツォの申し出は好都合だった。だから契約を結んであげたの」


「ちょっと待ってくれ。その話が本当だとすると、そなたは三百年以上生きておることになるではないか」


「だからそう言っているのよ。さっきから何を聞いているの?」


 ぴしゃりと叱りつけた魔女は、唖然とした表情を浮かべる王に向かって、これ見よがしなため息を吐き出してみせた。


「ともかくそういう経緯があって契約を結んだのは確かよ。ただし、二百年ほど前に第六代国王ベルトルドが、契約を盾に無理難題を吹っかけてきてね。そのせいでわたしはかけがえのないものを失う羽目になった。あの日のことは今でもよく憶えているわ……。いずれにせよわたしはボッカチーニ家に失望し、領地も爵位も返上して契約を破棄したうえで金輪際王家にはかかわらないと申し渡した。どうやら狡猾なベルトルドには約束を守る気がさらさらなかったようだけどね」


 想像だにしない過去の話にコジモだけでなく謁見の間にいる全員が絶句していた。しかし魔女にとっては彼らのそんな反応も煩わしいだけだ。彼女はもう誰にも自分たちに係わってほしくないのだ。


 呪いから逃れることができないなら、せめてユリアンが手元にいる間だけでも二人だけの世界でかりそめの平穏に浸っていたい。

 本来誇り高い魔女がこのようなことを考えること自体、四百年に及ぶ呪いが彼女の心を徹底的に打ちのめしている証拠といえるだろう。

 自分自身でもそれを承知したうえで、魔女は呪いが結びつけたユリアンとの絆にしがみつこうとしていた。


「こうしてここへ来た以上、竜の討伐には力を貸すわ。ただし、今度こそ過去の契約を破棄するのが条件よ。契約を記した石板とそれを伝える羊皮紙をこの場へ持ってきて。石板を破壊し、羊皮紙を焼き払ってもらうわ」


「……致し方あるまいな」


「陛下!」


 コジモの言葉に臣下が異議の声を上げた。しかし、コジモは彼らをたしなめ問題の品を持ってくるよう命令を下した。


「石板が届くまでの間に城を襲う竜について聞かせてちょうだい」


「うむ。件の竜は一対の翼と脚を備え、体の大きさは馬の五倍に達する。先端が槍のように尖った尾は一振りで城壁を打ち砕き、無数の牙が生えた口からはすさまじい炎を吐くのだ。空を自在に飛び回りながら暴れ狂う様はまさに伝説に恐れられた竜そのものと言えよう」


 畏怖と怒りに震えながらコジモが竜の外見を説明する。

 それを聞いた魔女は、納得したように頷いてみせた。


「あなたが言う通りの姿をしているなら、それはワイバーンね。亜竜の一種よ。そんなところではないかと思っていたわ」


「亜竜とは、他の竜とは違うのかね」


「どちらも竜属の一種ではあるけど、いわゆる竜は高い知性と強大な力を備えた生物よ。彼らとは心話によって意思疎通を図ることもできるけれど、価値観が違いすぎるせいで大抵はまともな交流ができず、係わった人間に災厄をもたらすわ。一方の亜竜は姿こそ竜に近いけれど、実態はただの動物に過ぎないの。さしたる知性もなく、ただ本能の赴くままに行動するだけの愚かな獣よ」


「なるほど。では我が城を襲っているのはその亜竜の一種であると」


「ワイバーンは愚かではあるけど、よほどのことがない限り決まった獲物を執拗に攻撃するようなことはしないわ。大方心当たりがあるんじゃないのかしら?」


 魔女の言葉を聞いた貴族の一人が激高した声を上げる。


「貴様! 此度の一件が我らに非があるとでも言うつもりか!」


「何かワイバーンの気に障るようなことをしたんでしょう。そうね、もしかしてワイバーンの巣を荒らしたりしたのではないの? 連中は光り物に目がなくて、方々から集めた財宝を寝床に溜め込む習性があるの。ワイバーンが溜め込んだ財宝には、持ち主の臭いが染みついている。たとえどんなに離れていようと、ワイバーンはそれを嗅ぎつけることができるのよ。だから、賢明な人間ならワイバーンの財宝に手を出そうとなんてしないのだけど、欲深い一部の人間が巣から財宝を掠め取って、追ってきたワイバーンに復讐されることは昔から少なからず起きてきたことよ」


 魔女の話を聞いたコジモ王は、思い当たる節があったようで疲れ切ったように玉座にもたれかかった。


「一月ほど前だったかな。北東の森に暮らす猟師から竜らしき生物の目撃情報が寄せられてな。わしはただちに数人の騎士を森へ向かわせた。彼らが竜を見つけることはできなかったのだが、代わりに巨大な動物の寝床らしき洞穴を見つけ、そこに溜め込まれていた財宝を城へ持ち帰ったのだ」


「予想した通りだわ。呆れたものね、コジモ。王ともあろう者が哀れな獣から宝物を横取りするなんて」


「しかし、その竜の宝とてどこかから奪われたものであろう」


 ばつが悪そうにコジモが反論する。だが、魔女は取り合わなかった。


「問題は、財宝に対する竜の執着心の強さよ。これはワイバーンもほかの竜も同じこと。連中は奪われた宝を決して諦めないし、盗人を許すこともしない」


「では、城を守るにはワイバーンを殺すしかないというわけだな」


「そういうことね」


「何はともあれ任せたぞ。王国の未来は今やそなたの肩にかかっておるのだからな」


 すっかり安堵したように語り掛けてくる王の態度に、魔女は片眉を吊り上げた。


「他人事のように言っているけど、もしかしてわたしが腕を一振りしたらワイバーンを消してしまえるとでも考えているんじゃないでしょうね」


「違うのか? そなたは魔女なのであろう?」


 コジモがきょとんとした表情を浮かべる。

 魔法を知らない人間が抱きがちな誤解に対し、魔女はしかめ面で腕を組んでみせた。


「当たり前でしょう。魔法は万能じゃないし、ワイバーンといえども一人で戦えるような存在じゃないわ」


「ということはつまり……」


「騎士団にも働いてもらわなくてはならないわ」


 彼女の言葉を聞き、それまで跪いたまま控えていたジャコモが頭を下げたまま発言した。


「陛下! 我ら騎士団、陛下のためいつでも命を賭して戦う覚悟はできております」


「よかろう。では魔女殿には石板と羊皮紙を破壊し次第、竜を迎え撃ってもらいたい。騎士団は先に準備に取り掛かるのだ」


「はっ!」


 鷲鼻の騎士が命令を受けてすぐさま謁見の間を出ていく。

 従士であるジーノも主の後を追ったが、その前に一瞬だけ魔女のほうへ複雑な視線を向けた。





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