王の使者

 その日は春にしては冷たい風の吹く日だった。花冷えの曇天の下、二頭の馬と騎乗する二人の人物が丘陵の斜面を降ってまっすぐに魔女の家までやってきた。

 次の作付けに備えるため朝から鍬を振るって畑を耕していたユリアンは、騎乗する人物のうち一人が見知った顔であることに気づき、手を振って大声で呼びかけた。


「ジーノ!」


「ユリアン!」


 相手も負けず劣らずの声で叫び返すと、身軽に馬を飛び降りて友達の元まで一直線に駆け出し、飛びついてきた。

 熱い抱擁の後しっかりと握手を交わした二人は嬉しそうに話し出した。


「久しぶりじゃないか、ユリアン。またずいぶん背が伸びたんじゃないか?」


「まあね。でも悔しいな。まだジーノのほうが少し高い」


「そりゃ年上だからな。しかしその調子ならお前もまだ伸びるさ」


「そう願ってるよ。ところでジーノ、今日はどうしたの。去年から王都で従士をやってるんだろ? 帰省って感じでもないけど……」


 そう言ってユリアンはジーノの後方で今も馬に騎乗したままのもう一人の人物へ視線を送った。身なりからして明らかに騎士階級。つまりは貴族だ。


 ジーノが従士をしているのは、そもそもは父親の伝手のおかげだ。ジーノの父親も若い頃王宮の騎士団に所属する騎士に仕える従士の一人だったのだが、とある戦争で膝に受けた矢傷が原因で従士を辞め、故郷に戻って羊飼いの仕事を継いだのだった。

 そして今ジーノが仕えている騎士の先代というのが、ジーノの父親が仕えていた主なのだ。

 元々ジーノは体格もよかったし、要領も悪くない。慣れない王都暮らしもそこそこうまくやっているとユリアンは伝え聞いていた。


「ああ、それなんだが。魔女は家にいるか?」


 ユリアンの問いかけに対し、ジーノはどこか言葉を濁すようにする。

 それをいぶかしく思いつつ、ユリアンは素直に頷いた。


「会いたいなら案内するよ。といっても魔女はもうジーノたちに気づいてるはずだけど」


「おいおい、また魔法か?」


 ジーノは相変わらず魔法を信じていない。だが、彼の口ぶりには昔のような勢いがなかった。


「信じないのはきみの勝手さ。それで、お連れも一緒に?」


「ああ。実を言うとおれはただの道案内なんでな。話はおれの主であるジャコモ様がする」


「分かった。ついておいでよ」


 ユリアンがジーノたちを家の中へ連れて入った時、すでに魔女は腕組みに仁王立ちで彼らを待ち構えていた。しかもその表情は荒れ狂う嵐のように険しい。

 不可解な魔女の態度に怯みつつ、ユリアンは彼女にジーノの主を紹介した。

 暗い栗色の髪に瞳。何より特徴的なのは飛び抜けたその鷲鼻で、そのせいで彼の印象には人というより猛禽のような猛々しさがあった。

 魔女はジャコモという若い鷲鼻の騎士と相対しても険しい表情を崩そうとはしなかった。


「そなたがこの地に住む魔女か。聞いた話と違ってまだほんの娘ではないか」


 さすがは貴族というべきか、初対面から非好意的な魔女を前にしてもジャコモは内心の動揺を上手く覆い隠し、平静を装っていた。

 だが、そのいかにも貴族らしい尊大な口ぶりは魔女の癇に障ったらしく、ますます険しくなる彼女の表情を見たユリアンは、鷲鼻の騎士が今にもヒキガエルに変えられてしまうんじゃないかとハラハラしていた。


「礼儀を知らないようね、坊や」


 明らかに自分より若い外見の魔女から坊や呼ばわりされ、ジャコモが不快げに眉をひそめた。


「そなたの態度も王の使者を出迎えるにふさわしいものではないようだが?」


「礼儀知らずはお互いさまというわけね。けっこう。ではこのままお引き取りいただこうかしら」


「そういうわけには行かない。わたしには王より託された使命がある」


 どちらも一歩も引く様子がない。ユリアンとジーノは気まずそうに部屋の隅から様子を見守っていた。


「わたしには関係ないわ」


「いいや、あるのだ。王はそなたに契約の履行を求めている。すなわち王国の守護者として」


 意味が分からないユリアンとジーノが困惑して魔女を見つめる。魔女は数拍置いて小さくため息を吐き出した。


「また古い話を持ち出してきたわね。だけどあいにく、その契約なら二百年も前に無効になっているわ。さっきも言った通り、わたしには関係ない」


 二百年前という言葉にユリアンたちはますます混乱する。

 が、ジャコモと魔女は構わずやり取りを続けた。


「王家の記録では契約は生きたままだ。遠い先祖が交わした契約だからといって、子孫のそなたが無視できるというものではない」


「先祖、ね」


 ジャコモは魔女が何百年も生きてきた不老不死の存在であることを知らない。数百年前に王家と契約を交わした人物が、今目の前にいる魔女本人であるとは思いも寄らないだろう。

 むろん魔女もジャコモの勘違いを正したりはしなかったが、先祖という言葉をどこか皮肉げに口にした。


「守護者の地位を引き継いだそなたには、王国の危機に際して役目を果たす義務がある。その義務と引き換えに、パルヴィス丘陵とタッツィオの森を含む広大な領地を与えられているのだから」


「領地のほとんどはとうの昔に手放しているわ。今わたしの手元にあるのはこの家と周辺のささやかな土地だけ。王が主張する義務の対価になどならないわ」


「いかに理屈をこねようと事実は変わらん。そなたは我々と共に王都に赴き、義務を果たすのだ」


 堂々巡りのやり取りを繰り広げながら魔女とジャコモが睨み合う。

 そこへ我慢できなくなったユリアンが割って入った。


「待ってください。あなたのおっしゃる義務というのはそこまでして果たさなければならないものなんですか? そもそも王国の危機っていうのは?」


「あなたは黙っていなさい、ユリアン」


 魔女が鋭くユリアンを注意したが、ジャコモのほうは少年の横やりに乗る形ですかさず言った。


「うむ、よくぞ聞いてくれた、少年よ。実は現在王都は竜による襲撃を受けているのだ」


「まさか!」


 ユリアンが喘ぐように驚きを露わにした。

 一方、魔女は紙のように白くなった顔を強張らせている。


「そのまさかというわけだ。勇猛なる騎士団の奮戦でどうにか街への被害は抑えているが、それと引き換えに城には無視できない被害が出てしまっている」


「陛下はご無事なのですか?」


「幸い今はまだ。だが竜との戦いが長引けば最悪の事態も考えられる。現代の我々にとっては竜など伝説の中に住む生物だ。竜殺しの技はすでに失われて久しく、戦い方の分からぬ我々はいたずらに血を流している。そこで王は窮余の策として古い契約の守護者を頼ることにしたのだ。上代の知恵と魔法を今に伝えるこの地の魔女をな」


 ジャコモが使者に選ばれたのは、従士であるジーノがこの近隣の村出身で魔女を直接見知っていたからだ。今この瞬間も竜と戦い傷ついている仲間たちと王家のためにも、ジャコモはどうあっても王都へ魔女を連れて行かねばならないという使命感に突き動かされている。

 騎士の言葉を聞いたユリアンはジーノへ視線を向けた。

 幼い頃からの友達は今では騎士の従士の身。つまりこの場で魔女が説得に応じようが応じまいが、ジャコモが竜との戦いに参加するなら、ジーノもまたそれに従うということだ。


「魔女……」


 懇願するようなユリアンの視線を努めて無視し、魔女は白い顔のまま言った。


「さっきも言った通りよ。王家が滅ぼうが何人騎士が竜に食い殺されようが、わたしには関係ないわ」


 絶句するユリアンの様子を感じ取りながら、魔女は深い諦めと共に言葉を続けた。


「だけど、そこにいるジーノはユリアンの大切な友達なの。ぼんくらな主のせいで従士のジーノまで竜に殺されたりして、ユリアンを悲しませるわけには行かないわ」


「おお、では」


「王都へ行きましょう。ただし、竜相手にどこまで役に立てるかは保証しないわよ」


 魔女は警告したが、鷲鼻の騎士は彼女の承諾の言葉以外には関心を払おうとはしなかった。魔女を連れて行くというのはあくまでも王の命令であって、当人はさほど彼女を当てにしていないのかもしれない。


 話がまとまり、魔女は支度を整える間ジャコモとジーノ主従を家から追い出した。

 支度といっても、持っていくものなどほとんどない。王都までの馬で数日の旅路に必要なものを無言で用意する魔女の様子を眺めていたユリアンが、恐る恐る口を開いた。


「ごめんなさい」


「……なぜあなたが謝る必要があるの?」


 静かな問いかけにユリアンは力なくうなだれた。


「だって、ぼくの友達のために魔女は騎士団ですら敵わないような化け物相手に危険を冒す羽目になったんじゃないか」


「そうね」


「だから、ごめん」


「気にしないで。わたしもジーノが死んだりしたら悲しいわ」


 うなだれたユリアンの首筋に手を添え、魔女は彼の額にそっとキスをした。


「いいのよ、ユリアン。本当はこういうことが起きるのは前から分かっていたの」


 驚いたユリアンが顔を上げた。


「魔法で?」


 肩を竦めて魔女ははぐらかす。


「そんなところね。だからあなたもジーノも気に病むことはないのよ」


 魔女の慰めを聞いてもユリアンの心は晴れない。

 ジャコモの話により図らずも魔女に多くの秘密があることを知ったユリアンは、急に彼女が遠い存在になってしまったかのような不安を覚えていた。

 考えてみれば、ユリアンは自らの養い親の過去についてほとんど何も知らないのだ。


「ねえ、ぼくも一緒に――」


「駄目よ」


 不安を抑えきれず、ユリアンは魔女に同行を申し出ようとした。

 が、彼女は断固とした口調で彼の申し出を退けた。


「どうして! ぼくはもう子どもじゃないよ。魔女がぼくを守ってくれるように、ぼくだって魔女を守りたいんだ」


 魔女は喜びと悲しみの入り混じった表情で長々とユリアンを見つめると、彼の頬に手を添えた。


「愛しいユリアン。あなたはわたしが戻ってくるまでこの家で待つのよ。いいわね?」


「でも……」


「約束よ。絶対について来ては駄目」


「……分かったよ」


 悔しそうな表情を浮かべたユリアンは魔女から目を逸らすと部屋から出て行った。

 彼の後姿を見送った魔女は、窓際に置かれた花瓶へ視線を送った。そこにはユリアンが幼い頃に贈ってくれた花束が今も瑞々しく咲き誇っている。

 鮮やかな花びらにそっと手を触れ、魔女は顔を歪めて唇を噛んだ。


 ユリアンはもうじき十六歳の誕生日を迎える。ということはつまり、彼の身に残酷な運命が迫っているということだ。

 今回の一件がその時なのかどうかはまだ分からない。

 しかしいずれにせよ、忌まわしい呪いは彼を決して逃さないだろう。

 これまでもそうだったように。


 支度を整えた魔女は厩から自身の馬を連れ出し、首筋を撫でながら優しく語りかけた。


「よしよし、グレカーレ。いい子ね」


 黒鹿毛の馬は低く嘶くと魔女の肩口に顔を寄せた。


「用意はいいか、魔女殿」


 すでに騎乗したジャコモが馬上から声をかけてくる。


「ええ。行きましょう」


 慣れた動作でグレカーレに乗った魔女は、見送りのために出てきたユリアンを振り返り、口を開きかけて躊躇い、代わりに淡く微笑みかけた。


「気を付けて……」


 ユリアンがまだ不安そうに魔女を見上げた。


「大丈夫よ。一週間ほどで戻るわ」


 やり取りを見守っていたジーノがユリアンに近づいて請け合った。


「魔女に危険が及ばないようおれが目を配っているよ。だからそんな顔するな、ユリアン」


「うん。頼むよ、ジーノ。きみも無理をしないで」


「ああ。任せとけ」


 三人を乗せた馬が丘陵の斜面を登っていく様子を、ユリアンは一人いつまでも見守っていた。


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