桜と三文芝居

揺井かごめ

清楚だと思っていた先輩が実はそうでもなかった話。

「資料庫まで行くので、シュレッダー掛けする書類あったら回収していきます」

 朝生先輩の声に、僕は席を立った。

 今年は少し早咲きの桜が既に散りかかっている、4月の頭。年度末に終わらなかった書類整理は下っ端に回される。他部署からの膨大な申し送りを時系列順にまとめ、これまた膨大にある似たようなファックス用紙とにらめっこしながら厳選していた僕の頭は、昼休みを前にしてパンク寸前である。ついでに、僕の机の脇に置いた破棄書類用のボックスもパンク寸前である。申し訳ない気持ちでボックスを抱え、朝生先輩の元へ持っていく。

「すみません朝生先輩、結構あるんですが」

「大丈夫。多分、倉敷さんの箱が一番多いから。他はそんなに量無いし、一人で運べるよ」

 まぶしい笑顔でそう返ってくる。大きな瞳に長い睫毛、陶器のような肌、控えめにフリルのついた白いブラウス。

 どこを取っても可愛い。

 野郎の多いこのオフィスで、朝生先輩は天使のような存在だ。実際、セミロングの艶やかな茶髪には、いつも天使の輪ができている。シャンプー何使ってんだろう。

 しかし、朝生先輩は見かけによらず力仕事も得意だ。

「じゃあ、行ってきますね」

 女の細腕で、書類の詰まった段ボールを軽々持ち上げると、先輩は颯爽と事務所を出て行った。

 あの量だと、きっと昼休みに食い込むだろう。任せっきりも申し訳ないし、後で差し入れの珈琲でも持っていこう。


 僕達の勤める小さな会社は、小さいくせに造りが煩雑だ。少しずつ増築したからだろう。

 事務所の中にも小さなシュレッダーはあるが、大型のシュレッダーは、事務室から離れた資料庫に置かれている。そこまで行くには一度外に出なければならず、長期保管の書類しか置かれていない場所なので、職員の出入りは少ない。年に数回入るくらいだ。その貴重な一回を消費して、僕は朝生先輩を訪ねるべく資料庫に向かった。

 外に出た途端、強い風に煽られる。近所の桜並木から、桜吹雪が届けられる。

 ちょっと話が横道に逸れるが――――僕、桜吹雪も好きなんだけど、その後の〈音〉も好きなんだよな。桜の花びらが風に追い立てられて、アスファルトを一斉に転がる、ちりちりちり……って音。漫画なんかでは葉擦れの音みたいな「ザァ……ッ……」みたいな漫符が付けられがちだけれど、僕の中での桜吹雪の音は先述のちりちりちり……なのである。僕以外がこの話をしているところを生まれてこの方聞いたことがないので、春には必ず誰か一人にこの話をするようにしている。

 良い物は共有したいじゃん。ね。

 音を楽しみつつ、転がる桜の花びらを目で追いつつ、僕は資料庫に辿り着いた。資料庫の入り口は開きっぱなしになっていたので、僕はそっと中に入ろうと――――。

「ふふふ」

 ――――入ろうとして、足を止めた。怪しげな笑い声が聞こえてくる。朝生先輩の声だ。

「くるしいねえ。まだ沢山あるんだよ? 頑張ろうね」

 僕は足音を殺し、扉の影に身を潜めた。そこからそっと中を覗くと、膝を抱えてシュレッダーの前にしゃがみ、小分けにした紙束をシュレッダーに次々入れる朝生先輩が見えた。

「ねえ、い~……っぱい、あるねえ。こわいね。でも、逃げられないねえ」

 ねっとりと色っぽい声で言いながら、朝生先輩はシュレッダーに紙を突っ込み続ける。

 えっ、何これ。何の時間? ていうか、本当に朝生先輩? シュレッダーに熱っぽい目を向けて怪しく微笑んでいるけれど、本当に朝生先輩? 頭おかしくなっちゃった?

 珈琲を差し入れるどころじゃない。どころか、開いてはいけない扉になんだか分からないものを差し入れられているような心地がする。まずい。このままではこじ開けられてしまう。

「でも、君は吐けば楽になれていいよねえ。もうすぐパンパンになっちゃうもんね。ちゃあんと吐かせてあげるからね」

 そう言って、朝生先輩はポケットからゴミ袋を取り出して広げた。見れば、紙くず満杯のランプが黄色になっている。あれが赤くなると、ゴミ捨てを促すために機械が一時停止する仕組みだ。

「吐くまで、我慢して、食べようね……? ふふふ」

 朝生先輩の手つきは容赦が無い。次々に書類が放り込まれ、シュレッダーはそれを黙々と飲み込んでいく。

「ね、君は吐けば良いけど、吐けない子もいっ~ぱい居るんだよ? 君は幸せだねえ」

 朝生先輩の声にどぎまぎしながらも、何のことを言っているんだろう、と、僕は耳をそばだてるのを止められない。

「吐けない子はねぇ、これを、ぎっちぎちになるまで詰め込まれて……」

 言葉と共に、一際大きな紙束がシュレッダーに突き入れられる。

 無慈悲だ。

「そうして、溢れるギリギリの、パンパンになった身体を、今度はせまぁい箱に詰められるの。くるしいねぇ。こわいねぇ。この部屋みぃんな、そういう子でいっぱいなんだよ?」

 あ、ファイルのことを言っているのか、と気付く。確かに、僕も先程まで、ファイルに紙をねじ込む作業をやっていた。というか、午後もその作業をする予定でいる。

 どうしたものか。変な気持ちになってしまう未来が見える。

「ねえ……あ」

 ピーッ、ピーッ、とアラートが鳴る。どうやら紙くずが満杯に達したようだ。

「……ふふ、くるしいね?」

 朝生先輩は愉しげにランプを撫で、しばらくアラートを味わった後に、ようやく電源を落とすボタンを押した。

「よくできました。じゃあ、吐いちゃおうね。ああ、こんなにいっぱい溜め込んで……わるいこ」

 心底楽しそうにゴミ袋へ紙くずを移す朝生先輩に背を向け、僕はそっとその場を離れた。


 春は変質者が多くなるという。

 春の陽気に浮かされて、忙しさで気が触れて、シュレッダーに話しかけてしまっても何らおかしくはない。


 いや、おかしいだろ!

 僕、この後どんな顔で仕事すればいいんだよ!

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桜と三文芝居 揺井かごめ @ushirono_syomen

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