一章 仮初の日常

第3話 シリアスと日常の落差をお楽しみください!

 二二九四年、宇宙航行技術の目覚しい発展により人類は太陽系から躍進し、その繁栄の歴史を他星系まで広げていた。

 これから切り開いていく世界は途方も無く広く、孤独な荒野だ。人々は未知なる宇宙に希望と不安を抱えながらも、人類が住める惑星の発見という根源的な期待を抱き、惑星開拓の夢に心を躍らせた。そして数十年の時を経て植民惑星の数が二桁になろうかという頃、新興惑星である抗議活動が始まった。

 地球政府に搾取される宇宙移民によるデモだ。最初に送り込まれた一団は、故郷を追われた難民やアンドロイドに職を奪われた者が中心だった。

 それが新天地に降りてみれば、地球以上に過酷な状況が待っていたのだ。

 入植するにあたって居住地で揉め、当面の産業として始めた農業でもAIが運営と管理をする体制に不満の声が上がった。だがやはりもっとも反感を買ったのは、重税だろう。

 開拓されたばかりの殺風景な土地に住む彼らが、都会並みの多額な税金を払わされ、その税金が自分たちを半ば突き放す形で植民惑星に送った地球に住む人々にいいように使われているとあっては、デモを通り越して暴動まで起きていた。

 この事態に際し、宇宙移民と治安維持の観点から組織された国連宇宙軍(UNGF)は、数々の作戦を実行した。

 それは主に、暴徒の鎮圧やこの騒ぎに乗じて動き出した反政府組織への牽制という、スケールが宇宙規模まで大きくなってもやることは今までと変わらないものだった。


 しかし、どうにもならない問題が発生した。

 風土病の流行だ。

 突如として蔓延したこの病は、植民惑星への入植者やそこで生まれ育った人々をひとり残らず蝕み、防護服で守られたUNGFの隊員たちですら感染させた。

 そのせいで多くの人々が間接的に死んでいった。

 感染経路も分からなければ有効な治療法もないこの病の特徴として、自我の崩壊と瞳孔が黄色く光りだすというものがあった。感染者の意識は次第に薄れ、映画に出るようなゾンビへと変貌し、彼らを恐れた市民や隊員の手によって始末された。これだけ聞くと奇病にもほどがあるが、最初期に犠牲になった患者を解剖したところ、脳内に虫に似た形状のウイルスが発見された。そして詳しく調べたところ摘出された個体は単なるウイルスではなく、人のDNAを変異させるまったく新しい生命体だった。

 この事実にUNGF上層部は対策チームの派遣を決定した。


 二三九七年、移民計画が始まって百年が過ぎたその日。風土病の対策チームを乗せた船が攻撃を受けた。奇妙なことに攻撃を放ってきた場所は、市民を収容していた隔離病棟だった。

 救うはずだった人々は次のステージに進化したとばかりに醜悪な姿に変貌し、彼らと救援に来たチームとの戦闘が始まった。

 初めは優勢だった戦いだったが、本来の姿に変貌した彼らに人類は徐々に追い詰められていく。その姿は、分厚いキチン質に覆われ、アーマースーツを着たエイリアン。

 彼らには人類以上の知性があり、UNGFは彼らの子供たちを虐殺した仇敵と認識されてしまう。国連もこのエイリアンをVICS(ヴィシス/VIral mechanization Creature which is Strengthened after a stage)と呼称し、人類に危害をもたらすこのウイルス性寄生生物に対して持てる限りの戦力を投入した。

 こうして、当初風土病と思われたファーストコンタクトは最悪の形で始まり、VICSとの戦争が始まった。


 だがUNGFのとった数々の戦略はことごとく失敗し、次々と植民惑星を彼らの都合のいい養殖場に変えられてしまい、二四一四年にはついに太陽系まで人類滅亡の触手が迫ってきていた。

 火星へと戦場を変えてもVICSの侵攻は止まらず、とうとうもっとも人口の多い南アジア中央部に降りてきた。

 それから数年でインドをはじめとする南アジアを占領し、北は中国、南はアフリカ大陸へと進軍を始めた。これまでの戦いを教訓に組織されたATRAD隊員たちが前線を支えるも、新種のウイルスが蔓延するように静かに、だが確実に人類を蝕んでいくVICS。多種多様に姿を変えるエイリアンに翻弄されたが、最初の接触から三十年経った頃、敵が見逃した月面から人類の反撃が始まる。

 VICSからしてみれば、大気のない食えない星でもUNGFにとっては軌道防衛の要である月面基地。そこから新たに作られた防衛ステーションを軸に、敵の侵攻を停滞させることに成功した。

 

 そして二四二〇年現在――

 窓の外に広がっているのはいつもと変わらない日常だった。

 近代都市と歴史ある街並みが混在する観光地。日本でもっとも戦場に近いとはいえ、沖縄の澄んだ空の下に広がる、電子の海を形作るビル群と昔ながらの瓦屋根は相対的に美しく映えていた。

 ひとたび外に出れば頬を、腕を、潮風が撫でてまだ四月の柔らかな日差しもほどよく照りつける。実に快適な陽気。郊外に進むと、石垣の続く旧地区はシーサーの厳ついツラを眺められるくらい数百年ずっと同じ風景を保存していた。

 だが今いるマンションの託児所から見えるシーサーはゆらゆらとして実体がない。繁華街の入り口に佇んでいるものだから毎日のように顔を合せないといけなくて、夜になるとその異様さが際立ってぎょっとするはめになる。

 たぶん、この辺りの子供たちが夜うなされるとしたら、あれが原因だと思う。


「微妙に浮いてるし、怖いよな……アレ」


 窓ガラスに肩を押し当て、寄りかかるように頭を預けて藤守(ふじもり)エリックはそう呟いた。ガラスに薄っすら目にかかった前髪が映り込む。陽光に映えて藍色に見えるその癖毛の脇を、同世代の子供たちがばたばたと行き交っていた。

 繁華街口を左に折れ、大通りを少し進んで交差点を挟んだ路地に入ったところにある集合マンション。その複数の棟を繋げるようにしてドーナツ型を作った建物のエントランスを抜け、三階に上がった一室がこの辺りの子育て世代がお世話になっている託児所である。

 そういうわけで室内は子供の声で溢れているため、喧騒はかなりのものだ。

 エリックはこの騒がしさが少し苦手だった。


「みんなと遊ばないのか?」


 澄んだ声に釣られて目を向けてみると、先端が黒猫の形をしたネクタイ付きの白いシャツにショートパンツという格好の少女がいた。エリックの視線を追うようにしてソファーから身を乗り出している。


「さっきから外ばかり見てるが……ここは、ぽかぽかして気持ちいいな」


 あどけないながらも整った顔立ち。そのどこか大人びた印象は、長い黒髪を片側だけ耳にかけているからだろうか。切れ長の目をそっと閉じて陽光を浴びているのも実に令嬢らしい。

 だが猫形のネクタイと相まって窓際でお昼寝する飼い猫よろしく丸まってしまいそうだ。

 このどこか抜けてそうな彼女は、貴船(きふね)トキハ。

 幼馴染みで同じ小学校に通い、さらに住んでいるマンションまで同じだからか、ちょいちょい余計な気を回してくる。学校が休みの日でもこうして託児所で顔を合せていることもあって、今ではすっかり家族同然な付き合いだ。

 ソファーの背もたれかかったトキハの黒髪越しには、小学生らしからぬ熱気が満ちていた。その喧騒に疲れきった表情を向けると、エリックはソファーにどっと身体を預けた。


「あー……今なら眠れそうだ」

「んんぅ……天気もいいしな……」


 どこからかジェット音がヒューンと響いてくる昼下がり。子供たちの騒がしい声もノイズと思えばどうということはない。ちょっと甲高いさざ波みたいなものだ。


「今日は、このままだらだら過ごそうな」

「まぁそれもたまには悪くないが……」


 トキハはそこで一旦黙り、繁華街の方に視線を落とす。エリックも釣られるように首を回し、ああ、と思う。その直後、トキハの指が大通りを示した。

 コツン、と桜色の爪が窓ガラスに当たったその直線上に、テーマパークよろしくゲート脇に沖縄のマスコット(?)が鎮座していた。


「お前、またアレを見てたのか?」

「……まぁな。あいつは俺の危機感を思い出させてくれるシンボルみたいなものなんだ」

「おおげさな。警戒している野良猫みたいなものだろ。興味はあるけど近づけないんだ」

「いいや、猫はお前の方だよ……」


 首から猫形のネクタイをぶら下げている子に言われたくなかった。


「ところで、お前は混ざらないのか?」

「混ざるってあれにか? 勘弁してくれよ……」

「なんでも新しいModというやつを入れたらしい。基本的に普通の人生ゲームと変わらないが経営シミュレーションの要素もあるから、たぶん選択できる職種が増えたんだろうな」


 よっぽどやりたいのだろうか、聞いてもいないのに滔々と語るトキハ。確かにこの手のゲームは大勢でやった方が楽しいし、ここには同世代の子供たちが多い。そりゃプレイするなら理想的な環境だろうけど、正直気が進まない。

 というのも、今目の前で騒いでいるベクトルが普通と違うからだ。

 植え込み脇の台座に映ったシーサーのホログラムから視線を戻すと、ちょうどその予兆が見て取れた。

 周りよりも一段高くなっているプレイスペースの、カラフルなマットの上でボードゲームをしている男子のグループ。その輪の中心には、着飾った女性の広告を載せている店が現れていた。よくよく見るとその広告は口元だとか大胆に見せた背中ばかり映していて普通のモデルよりもやけに刺激が強い。

 そんないかがわしい店の中にデフォルメされた警察官たちが押し寄せた次の瞬間。


「うあーっ、オレのキャバクラが潰れるぅ! ポリ公が、ポリ公のがさ入れがくるぅ!」


 茶髪の少年がコントローラーを放り投げ、バラバラに弾け飛ぶ札束のエフェクトにぐっと手を伸ばした。


「あはははは、未成年働かせるからそうなるんだよ」

「ビジネスは挑戦だぁーとか言って危ない橋渡りすぎなんだよな。ってか、このゲームご丁寧に履歴書まで見せてくれるんだから気付けよ、子供だって」

「一七は立派なレディーだろうが――というかそのくらいでここまでされるかよ……!」


 指差して笑ってくる友達を一蹴し、もっともな意見もかなぐり捨て、高らかに言い含めているが、何か他に心当たりでもあるように考え込んでいる。


「ふっ、まるで俺が法律だって感じの言い草だな」

「おおその手があったな、エリック。学生時代の育成を知力にガン振りして大学は法学部を選択し、ゆくゆくは官僚か議員秘書に。そして政治家ともなれば老後は天下りからの乳下りよぉ。赤ちゃんプレイ耐久コースが待ってるぜ……!」


 聞き慣れない単語にエリックは思わず眉間に皺を寄せた。


「数年前まで赤ちゃんだったガキが何言ってるんだよ……」

「確かに今のオレたちには分からねぇだろうよ。けどな、ストレス社会を生き抜いてきたおっさん連中には必要なんだよ。バブミってやつがよぉ」


 などと言って無駄に顔を陰らせているこいつは、グレック・テックマン。ぱっと見は人懐っこそうな少年、ところにより人生ゲームの職業にいかがわしい店の経営者を選ぶバカ野郎だがそう決め付けるにはまだ早い。グレックはエリックと同い年の九歳なのだ。この歳でここまでネタに走ったその個性は驚嘆に値する。なにせ近所のお母さん連中から、あの子と遊んじゃいけません、と避けられているのだから。


「そんじゃ、一回リセットするぞー」

「いや、借金できたからってそりゃないだろ。ちゃんと最後までやろうぜ」

「あるよなー勝った時は調子いいのに負けたらさっと片付ける奴。あるよなー」

「……何だよ。オレが惨めになぶられるとこがそんなに見たいのかよ」


 とはいえ、大人たちがいくら言い聞かせてもお調子者のグレックの周りには悪友が集まる。そのため彼の周りでは笑いが絶えなかった。


「いいぜ、お前らがお望みならこの三倍カードで一気に追い上げてやるよ」


 グレックがコントローラーを短く数回振ると、ボード上のマス目に止まっている男のホログラムの頭上にサイコロが三つ浮かび、回転し始める。そしてマンガ調にデフォルメされた街並みにそれが転がり、十三という数字を叩き出す。

 サイコロと入れ替わるようにして見るからにみすぼらしいボロを纏った貧乏神が浮かび上がり、そいつを従えたまま趣味の悪いスーツ姿の男がマスを進みだした。


「ぐへへへっ、よしキターッ!」


 ゲスな笑いと共にサラリーマン風の男に追いすがっていく。


「ちょ、お前っ、こっち来んなっ」

「ははーっ! オレをどん底に落としたコイツを貼り付けてやるぜ」


 このノリが小学生にウケているのか、グループの熱気は違う方向にシフトした。

 もうキャバクラとか赤ちゃんプレイだとか、そういういかがわしいものじゃない。自分のキャラに憑りついた貧乏神を擦り付け合う泥仕合だ。妨害カードで相手を貶め、ターンが一巡した最後にあるミニゲームでは、お互いに足を引っ張って数合わせのCPUに出し抜かれる始末。あまりにも白熱しすぎて、キャラ同士が擦れ違うたびに厄介者扱いされているはずの貧乏神を取り合っているようにさえ見えてくる。


「く、くそ……金がねぇ。このままじゃホームレスになっちまう」

「じゃあ事故物件で家賃浮かせればいいんじゃね?」

「お前天才かよ! それじゃこのデリヘル嬢の幽霊が出るっていう海辺のマンションにしようっと」

「大丈夫か、グレック? 霊障でヘルスが下がるんじゃ……」

「上がるの間違いだろ、幽霊でもデリヘルだぞ……んぁ? えーと、注意書きがあるな。ははっ、こりゃいい。もしデリヘル嬢の幽霊が出ても『チェンジで』って言えば消えるらしいぞ」

「チェンジって……別の幽霊を連れて来そうでちょっと怖いな……」

「つーか何でそんなので消えてくれるんだよ」

「あれ? ウケがわりぃなぁ。ひょっとしてお前ら、このネタ分からねぇのか?」


 本来の遊び方に戻ってきていたのだが、ときおり現れる奇抜な単語にそれまで黙って見ていたエリックはとうとう愛想を尽かせてソファーを眺め始めた。


(次回に続く)

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