第40話




 エピローグ




 あれから三日、小山のいった通りウイルスは発動せず、なにごともなく事件は完全に終結をみせた。ぼくらが追いかけていたのは都市伝説だったのではないか、といった冗談までもが、まことしやかにささやかれていた。

 だが現実社会に変化がなくても、ぼくたちの仕事は山積みだった。なぜなら事件の後処理、未決の処理、裏付け捜査、ぼくの発砲の正当性、そんな多忙な手続きが待っていたからだ。ぼくが選択した社会、ぼくが選んだ正義、そんな正義を守るには、たくさんのプロトコルが必要だ。自分がいる社会を守りながら自分の存在に制限を掛ける。そんな手続きで社会正義を守っている。

 そして冬が明けて春になった。捜査も一段落し新島署刑事課に平和が訪れた。ぼくら事件のない警察署で、ぼうっとしているとき、ぼくのもとへ一枚の封筒が届いた。封筒にエンボスされていたのは日本技研のロゴで署名や住所の記載はなかった。なかみは一枚の紙だった。

 紙には、とあるURLが記されていた。ぼくは、あの事件以来、謎なURLを踏まないように意識していたものだから、ひらこうかひらくまいか迷っていたのだけれども、に十分の逡巡の後、ぼくはアクセスしてURLをひらいた。

 そこにあらわれたのは、とあるプログラムコードだった。たぶん普通の人間ならわからない。複雑で難解で解読不可能なプログラムコードだったのだけれども、ぼくならわかった。なぜなら事件捜査で、なんどもみたコードであったからで要所を暗記するまでみてしまったコードだったからだ。

 あらわれたのはコード一二三一の完成版コードだったのだ。どこから送られてきたのかといえば心当たりがあった。たぶん小山が送ってきたのだ。それも生前の。どうして、そんなことをしたのか、といったことにも心当たりがあった。

 あの事件捜査が一段落して新島署刑事課で遅れた新年会をやったときのことが思い出される。淡島が小山のつくっていたコード一二三一は、いまだ未完成だった、といっていたことだ。

 あのプログラムでは完全にウイルスを発動させることができなかったらしい。できたとしても人間の補助、いわゆる人間が調整しなければ発動しないレベルの完成度だったらしい。不思議な顔をしながらスタンドアローンで勝手にウイルスをバラまけるシロモノじゃなかった、といっていたのを思い出す。

 どうして小山は、ぼくに殺されることを選んだのか。どうして小山は、ぼくに選択させることを選んだのか。いまなら、その答えがわかる気がした。たぶん小山は、ぼくに選択することを託したのだ。なぜならウイルスを発動することで孤独の社会正義を守ろうとした小山にとって唯一かけていたことは、ウイルスを発動しない、という選択肢だったからだ。

 目標に突き進む小山にとってウイルスを発動しない社会を取ることができなかった。だから小山はウイルスを発動しない社会を実現することができた者に選択するチャンスをあたえたのである。

 ぼくは迷っている。ぼくが属する社会を守るべきなのか、ぼくの社会を守るべきなのかといったことを迷っている。なぜなら、ぼくのなかに手段ができてしまったことで、ぼくは自分にとって住みよい環境を構築することができるようになってしまったからである。

 ぼくは誰にも相談していない。

 蔵本さんにも緒方係長にも太田係長にも。誰にも。ノアだったら話すことができるかもしれないけれども、そんなことを話したらわらわれてしまうかもしれない。なぜならノアが一番、ぼくからすれば遠い存在なのであって、ぼくからすれば、もっともわかり合えない間柄なのだからである。

 事件が終わって、ぼくは空っぽになってしまっていた。みなが話す言葉が薄っぺらく聞こえてしまって、ぼくは自分を保つ演技が忙しかった。たぶん本当の自分を知ってしまったからで本当の立ち位置を理解してしまったからなのだ。

 蔵本さんやノアや課長らとは違った位置に立っている自分といった存在を知ってしまったからで、ぼくは完全なる孤独感を覚えてしまったからである。だから正直いって、いまの状況は、ぼくの壮絶なる努力にとって維持されているといっても過言ではなかった。ぼくの自制心である。ぼくが、あのウイルスを発動させない自制心によって保たれている世界なのである。

 だから、どうして生きるのか? といった疑問の答えもみえてくる。ぼくにとって、ぼくが生きる理由とは自分の絶望と戦うことなのだ、と確信することになった。ぼくが自分の絶望と戦っている間は世界が壊れることがない。ぼくが自分の孤独と向き合っている間なら、世界は平和のなかにある。不本意だけれども、そんな方程式が成り立ってしまっているのである。

 でも、ぼくが小山と完全に異なるのは仲間の差だった。ぼくには仲間がいる。蔵本さんや課長や係長や、そしてノアがいる。自らが属さない社会を守るのではなくて、ぼくは自分が属する社会にいる彼らや彼女らを守っていると思うことで――いや自分の属する社会のなかにある小さな自分の社会を守ることで自制心を働かせることができているのだ。だから当分の間は大丈夫だと思う。

 ぼくの空虚を見出した小山にとっては誤算だったはずだ。なぜなら小山にとって仲間といった存在の発想がなかったからだ。だから、ぼくにとっての勝算はある。死してなお目的をはたそうとする小山から、ぼくらの社会を守るための勝算はある。ただ確実なことはわからない。もしかしたら、ぽろっとウイルスを発動させてしまうこともあるかもしれない。

 けれども、たぶん小山がいいたかったのは、そういうことなのだ。ぼくら人間と機械との間には、そう明確な差はない。あるとすれば、そういう衝動性といったことなのだ。ぼくたちが人間であると証明することは、そういった衝動性を持ち続けることなのだといいたかったのだ。だから、そういった面で、ぼくは小山に対して完全に敗北してしまっていることになる。

 だから小山は犯行に走ったし、ぼくは犯行に走れずにいる。ぼくは小山に対して勝ちながら同時に負けているのだから。だから、ぼくは自分の絶望と戦うことにした。ぼくが生きる意味をたしかめ続けることにした。蔵本さんが遠くでノアを呼んでいる声が聞こえてくる。うるさいな、と思ったけれども、ぼくは気にしないことにした。ぼくが気にしないことで社会が守られるならと思えば絶望に満ちた現実を生きることが少し楽になった気がした。


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