第39話
ぼくがライフルを構えたまま近づいても小山は動じなかった。ぼくが明確な殺意をもって小山に迫っても小山は至って普通の様子だった。どうやらみてくれのみをみれば朝方とは立場が正反対に入れ替わったって感じらしい。
だが小山は平静でいる。あのとき、ぼくの内心はバクバクで、どうしようかと冷や汗ダラダラだったことを考えたら、いくぶんか小山の方が数段上なのは間違いないみたいだ。
「きみがココにくることができたということは、わたしの問いに対して答えをみつけることができたらしい」
ぼくにとって重要な日の二日目ってことだ、そう返せば小山は薄っすら口角を上げた。
「ココからでは、ぼくたちが生きてきた世界が作り物みたいにみえる。そう感じないか?」
ぼくをみながら小山が口にした。
「ぼくたちは、みんな作り物だ。誰かに作られ自分で形を変えて生きている。ぼくたち人間はオリジナルではなくて遺伝子情報から自らの知識まで他人から借りてきたカリモノだ」
そして、ぼくがいえば小山は、たしかにたしかに、とつぶやいていた。まるで自分の教え子が成長し自分と同じ景色をみることができるようになったのを感慨深く感じているみたいに。
「だからこそ本質的に、ぼくらはAIと変わらない。彼ら彼女らがビックデータから学習し自己や知識を深めていく過程は、ぼくら人間にもいえることだ。そして彼ら彼女らが学習した知識を使ってものごとを作っていくことも、ぼくら人間にもいえることだ。なら人間が人間たる所以……いや人間のみに許されたAIにはない固有の動作とは、なんだと思う?」
いまのぼくからすれば、そんな問いに答えられるほど精神状態は余裕じゃなかった。
「ぼくはね、選択することだと思う。同じ質量の情報や未来が複数あって、その中から最善のものを決定して選べることだと思う。AIの行動基準みたいに、はじめから決まっていて自明なものとして行動するのではなく、不確定的なものごとを画定的にできる作業こそが人間に許された唯一の機能だと思うんだ」
「今回の事件を起こしたのも、そんな選択の結果だったといことか?」
ぼくがいえば、「ぼくには選択可能だったからね」と小山の白々しい表情が返ってきた。
「自分の存在を証明するためにAIを殺して、その理由が選択可能だったからやったってのはおかしいし狂ってる。お前は、それを自覚するべきだ」
ただ、そんな言葉を受けて、くつくつと小山はわらいはじめる。
「いやいやいや。少しおかしくてね。たしかに、ぼくは狂ってる。変だしおかしい。だけれども、ぼくらが生きる社会も、だいぶ変だ。お互い様っていうべきなんじゃないかな」
小山の返答に、「AIが社会に溶け込んでいることか?」とぼくが怪訝になれば小山は言葉をつないだ。
「いやAIが社会に溶け込むことは異常じゃない。むしろ自然な状態だ。だが、ぼくがおかしいといっているのは溶け込んだAIに対し人間が自分たちと同じ人間として寸分の違和感すら覚えていないところだよ」
「ぼくたちは自分たちに有益なものを社会のなかに組み込むことができる。人間が同じ人間を模倣して作ったものを人間としてみなすことも、ぼくら人間の社会性のあらわれだ」
ぼくがいえば、からからとおもしろおかしい授業をしているみたいに小山は横に首をふって答えた。
「きみのいった通りだ。ぼくら人間は自分のために他人を自分たちの社会へいれることができる。しかしAIが社会に溶け込む現象とAIを自分たちと同じものだと認識することは、まったく異なるということだ。きみはAIを違う人間だと思ったことはあるかい?」
ぼくは小山の問いに答えることができなかった。
「まったくないだろう。人間じゃないものが人間と同じ顔して人間と同じ生活をしているのは普通に考えればおかしい。普通なら人間でないものが人間社会に溶け込む場合、人間でないことを強調するがAIは人間であることを強調し、そして人間も受け入れてしまった。その様子は、とてもおかしい」
「お前の意見は普通じゃない。お前が孤独な人間だから感じていることだ」
ぼくがいえば小山は、「ぼくたちの社会で孤独でない人間なんていないさ」と返してきた。
「きみは、おかしいと思ったことがないのかい? どうして社会のなかで孤独に苦しむ人間がいないのかって。どうして、ぼくは孤独なのかって。どうして大半の人間は孤独を感じないのかって。なぜなら、みな孤独でない状態を経験したことがないからさ。みんな孤独だからさ」
ぼくのなかにある魂や坂上正義という存在の核心を小山はいいながら、じっとみていた。
「死んだ経験は死ぬまでわからない。それと同じだよ。ぼくたちが孤独でなくなったことがなければ孤独という感覚はわからない。なにかを自覚するには、なにかでなかった状態を認識しなければいけない。ぼくや、きみは体験を通して孤独ではないといった感覚を認識することができた」
「みんなが孤独な人間のはずがない。だって、ぼくも――」
といった言葉を制したのは小山だった。たぶん小山にとっては見苦しい抵抗だったのだ。
「普通の人間は孤独だよ。人間と人間との間の結束点がない。きみだって十代のころはAIが用意する行動様式にのっとって行動していたはずだ。それが自明であるとして、それこそが正しいおこないであるとして。自らの意思なく選択することなく行動していたはずだ。だが、きみは途中からAIの行動様式に従うことをやめたね。思い出してごらん。孤独でない状態に気がついた瞬間があったはずだ」
自分で孤独から覚めた瞬間――ぼくの両親からの視線に気がついた瞬間だ。ぼくの両親が人間としてつながっていることをみた瞬間だ。あのとき、ぼくは自らの孤独を自覚したのだ。
「普通の人間が孤独でないなら、どうして孤独でない、と気がつけたのかい? 普通の人間の普通は孤独なんだ。自らの選択をAIにゆだね自らの意思で行動しない人間たちがあれふているからこそ孤独なんだ」
「ぼくは違う――」といえば小山は面白おかしく、「いいや。きみも同じさ」と返してきた。
「孤独とは社会性がないことだ。そして伝統的に人間は集団を築いてきた。それは自己保存のために必要な行為だからであって自らを守るために必要だったからだ。だが人間が人間として自らの意思で行動するのではなく決断を外注するようになった。そして自己を守るために必要だった集団の需要が減少した」
いつもなら小山の言葉を無視して、ぼくは口を挟めたかもしれない。だが今は小山の言葉に圧倒されてしまって、ぼくが口を挟むタイミングをみつけることができなくなっていた。
「きみすらも例外にもれていない。きみがAIから行動を決められることを良しとせずAIを受け入れなくなっても、きみは反AI規範といった規範にのっとって行動しているのだからね。けっきょく人間はAIにしがみついて自ら考えることができなくなってしまった」
だからこそ小山は、ぼくに対して質問をぶつけてきたのだ。ぼくが属する社会と別の社会を守る理由を知りたくなったのだ。
「きみは気がついているね。きみは孤独で同時に孤独じゃない。反社会性を持ちながら社会性を持っている。そんな事実を薄々心の中で感じながらも無視してきた事実を。自分自身が立つべき場所を決めかねているからこそ、きみのなかで相反する正義がスパークを散らしていることを。真綿で首を絞められる感覚を覚えて久しいだろ?」
そんな小山の指摘は当たっていた。
たぶん、ぼくが属する社会とは孤独を意識している社会なのだ。しかし、ぼくらが守っているのは孤独を意識しない社会なのだ。そんな社会で、ぼくは社会の正義として活動しなければならない。ぼくの正義とは相反する、ぼくの苦しみの元凶を守る行動を取らなければならない。そんな社会で生きる苦しみを小山は見抜いていたのだ。だから、ぼくを選んだ。
「孤独は新たな正義を生む。あらそいを生む。なぜなら孤独な人間は周囲が敵になるからだ。利他主義的な人間であれ自らのコミュニティに仲間がいなければ、その方向性は自分に向くからね。だから自分を守る正義が働く。自己保存の行動しかとれなくなる。強い弱いではなく生存のためにね」
「なら自分が生きるためにものを盗んで人を殺しても、窃盗や殺人は正義というのか?」
「盗む側からすれば、そうだ。そして反対に殺人を裁くことも同じく反対の正義にのっとっておこなわれている。きみが守る正義とは、けっきょくのところ自分を守るために自分たちとは相容れない社会性の人間を排斥する本能的機能を綺麗に置きかえた言葉でしかないんだ」
ぼくは今なら小山や蔵本さんからの問いに答えることができたのだ。ぼくが自分の属する社会と別の社会を守る理由、ぼくが警察官になった理由、それを答えることができた。
なぜなら、ぼくが孤独を恐れていたからである。ぼくは孤独に、ある種の恐怖を覚えていたのだ。
なぜなら孤独の根源が両親からの疎外感だったからだ。自分の生存にかんして手綱を握っている人間からの疎外によって生まれたのが孤独であって同時に自己の生存危機といった可能性を示唆していたからだ。ぼくにとっては孤独が自分の死と直結していたからだ。
「ぼくは自分を守るために警察官になった。マジョリティ側の正義として生きることで自分が守れると思ったからだ。お前はマイノリティ側の正義として生きることを選んだんだろ?」
「だんだんとわかってきたみたいだね」ぼくが口にすれば小山は、そうやって返してくる。
ぼくにとって小山が敵であるのと同時に仲間でもある。そして、ぼくは同時に自分の属する社会も自分が属さない社会も敵であることを自覚してしまった。だから、いまのぼくには味方がいない――そんな風に思えてくる。
「だから、ぼくは、きみに選択してほしいんだ。ぼくの目指している世界ときみの目指している世界の違いってやつを実感するためにね。きみが未来を選択するのをみたいんだ」
そして小山はいった。ぼくは、「これから、どうする気だ?」と訊くほかなかったが、
「なにもしない。するのは、きみの方さ。さいわい、ぼくの目的は達成されてしまったからね」と返ってくるものだから怪訝になるほかなかったのだ。
「ぼくの脳幹にプログラムを仕組んだ。二十三時三十分になればウイルスが発動するプログラムをね。ワクチンソフトは、きみ自身さ。プログラムの発動を止めるトリガーは、ぼくの脳幹から出る信号が停止する条件に設定してある。止めるためには、ぼくを殺すほかない条件にね」
そういってから、ぼくの目の前で小山は不敵な表情になる。まるで自分の勝ちを確信しているみたいに自分の思い描いたパズルのピースがハマったみたいに。だからこそ、ぼくは、ようやく自分自身、いわゆる坂上正義という存在が小山にとって重要だったのだと思い至ることになったのだ。
「ぼくは警察官だ。そんなことができるはずないだろ……」
ぼくがいえば小山はからからとのどを鳴らしている。ぼくは握るライフルが重く感じた。
「そんなことはない。きみは、ぜったいに、ぼくを殺すことになる。なぜなら、ぼくは今回も話し過ぎてしまったからね。時間がないんだ。二十三時三十分まで、あと少し。三分と少々。どうだい? 撃てるだろ?」
ぼくたちの意識が交錯している気がした。同じことを考えている感じだ。ぼくは警察官として誠実でいたい。ぼくが異なる正義の社会に属する上で無意識下に意識してきた掟である。だから、ぼくは犯罪者の逮捕――司法の執行のために殉ずるといった警察官の本分に忠実にありたいのだ。
しかし小山は、ぼくに足を踏み外せといっている。ぼくが属する社会から出て、ぼくがいる社会正義を守ることができるか試しているのだ。だから、ぼくは引き金を引くか迷っていた。もし撃たなければ、ぼくが属する社会が崩れる。だが撃てば守られる。ぼくといった存在をたしかめるために、ぼくが自分の社会を守るべく行動できるか小山は確かめているのだ。
「よく狙って撃つんだ。きみが放つ弾丸は、きみ自身の意思で放たれるのだから。きみ自身の意思をもって、ぼくを殺してくれたらいい。そうすれば、ぼくの目的が完璧に果たされるのだから」
そう小山はいって目を閉じた。まるで自分の人生で果たすべきことは終わったみたいにしずかに目を閉じた。だが、ぼくにとっては一大事だ。なにせ今から人一人殺そうってのだから。今まで万単位でする殺人の覚悟を持っていた人間からすれば軽いモノかもしれないが、ぼくからしたら重要な瞬間なのだ。
時刻が刻一刻と進んでいる。ぼくは覚悟を決めた。小山の正中線、その上部を狙って小銃を構えた。照星と照門と小山の頭が重なっているのがみえる。まるで時間に押されるように、この期に及んで、ぼくは自分の意思で小山を殺すことを放棄したみたいに思えてくる。だが、ぼくの意思は明確だった。ぼくの属する社会を守るために、ぼくは、ぼくと違った社会にいる人間を殺すことを選択したのだ。だから、ぼくは息を整えた。そして引き金を引いた。
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