第38話




 ぼくらは蒲田課長の指示で睡眠薬を飲んで強制的に六時間睡眠を取ってから新島署を出発した。ぼくとしては警察官人生のなかで、いつか航空隊のヘリにのってみたいと思っていたのだけれども今回は目立つという話で使われなかった。普通に車両にのっての移動である。

 一九三〇。陽が落ちて東京の空が闇に包まれている。今日も首都高には血流みたいに車が流れていて電車には人間が沢山のっている。いまだ世界は平和のうちにあった。けれども現在の平和が崩れるかもしれない、といったことに気がついている人間は、だいぶ少なかった。新島署の面々、首相官邸、警視庁幹部、防衛省幹部、そして関係各省の幹部以下担当職員、それくらいだ。

 いまのままなにごとも知らなくていい世界が続けばいいが――と口にしたのは課長だった。そして、ぼくらがシティ東京から本土にわたってきて市ヶ谷に入れば空気が変わった。日常の空気から戦時下の緊迫が流れている。ゲートは二倍の警衛で、ものものしく警備され〇式戦車が警衛後部で砲門をしずかに黒く光らせていた。

 ぼくの頭蓋骨には今日の計画のあらゆる側面が記憶され、いまも更新されている。ペラペラめくる資料は、なん重にも吟味され過失されたシナリオに基づいて計画されたものだったからだ。

 まずAプラン、ぼくらが小山善を確保する。そしてワクチンソフトを入手する。Aⅱプラン、小山善の確保には成功したがワクチンソフトの確保には失敗した場合、電波塔通信設備を破壊する。つぎにBプラン、ぼくらが小山善の確保に失敗する。自衛隊の狙撃と兵器使用で小山善を殺害し電波塔の通信能力を破壊する。

 計画の根幹となるのは、だいたい上記の二つだ。しかも枝葉の部分は、さらに詳細で経路のひとつひとつを取っても三パターンの行路が確立されているものだから覚えるのが大変だった。いくつかのルートには当然、小山からの抵抗が予測されたので抵抗が少ないはずのルートを選ぶのも重要だった。

 二〇〇〇。時刻整合。駐屯地内で最終ブリーフィング。それぞれ作戦に係る自衛隊の部隊と連携を確認し、ぼくたちを援護するヘリボーンの連中とも顔を合わせた。隊長は須藤一尉、以下ヘリコプター三機、十二名。また警察側から支援に回るのは署長と蒲田課長だった。

 署長や課長は、ぼくらの無線通信をサポートする立場になる。

 符号は本部が〇〇(マルマル)、蔵本さんが〇一(マルヒト)、ぼくが〇二(マルフタ)だ。そして空中で待機する部隊は〇三(マルサン)である。基本的に体内のナノマシン通信でおこなうが通信不能の事態にはECM対策をほどこした無線機で交信する手はずになっていた。

 二〇三〇。九八式小銃とレミントン、防弾ベストを受け取って市ヶ谷駐屯地の地下へ下る。ぼくもしらなかったが市ヶ谷駐屯地では旧軍大本営地下壕があった付近に政府要人避難壕が構築されているのだ。そして東京各所から防衛省施設へ集合できる通路が確立されている。ぼくにとっては国家の裏の顔をみたみたいで面白かったのだけれども、せっかくの話題ができたのに以上の事実は完全に機密になるらしく、外部にもらさないための誓約書を書かされることになった。

 二〇三五。地下通路。地下通路は暗くジメジメしたところだと思っていたのだが、有事時の司令部を兼ねているので頑丈な壁面や強力な空気洗浄機のおかげで内部は乾燥していた。各所には報道用のプレス室、戦闘指揮所、戦術情報処理施設などのものものしい施設が置かれている。さながら映画の世界って感じだ。そして、ぼくらは、そんな光景を横眼にしながら、ぼくらは装甲車にのった。署長や課長とお別れの時間である。いまからは随伴の自衛官と冷たい小銃と蔵本さんが味方だ。

 二〇五六。東京シティスカイ下部へ到着して降車した。

『マルヒト こちらマルマル 感明送れ』そんな無線が聞えてくる。なんだか新鮮だねといって蔵本さんが、「マルマル マルヒト 感よし 感送れ」と返していた。ぼくにも感度を求める無線がきて同じく返した。

『緒方です。あなた方の行動は本部で追跡しています。しかし、われわれが行動を把握しているとはいえ報告をおこたることはないよう厳守してください。では作戦開始します』

 そうした言葉で、ぼくらの作戦がはじまった。

 二一〇〇。現在、東京シティスカイ下部。ぼくたちがいまいる地下通路は半径二十五メートルの巨大なカマボコ上のトンネルになっている。シティ東京の建造時にココを電波塔建設資材が通ったと思えば、なんだか不思議な気持ちになってくる。いや、ぼくらもいまから電波塔に昇るのだから同じかもしれないけれども、まさに両手に銃と弾丸をもった建設資材って訳だ。

 装甲車の援護はない。まっくらな地下通路を暗視装置で闇をかき分けながら進むほかない。ぼくらが目指しているのはB24ハッチだ。そこは地下通路から地上に出るハッチのなかで、もっとも広く途中に遮蔽物が一番多い通路で横田隊長イチオシの進入路だった。

 ――といっても痛烈な抵抗が予測されるので、ぼくらで対処できるかはわからないのだけれども――

 いまのところ小山からの抵抗らしい抵抗はないから順調に地下通路を進んだ。だだっ広い通路をしずかに進んでいる。そして装甲車からわかれて、だいたい六分くらい経ったところでB24ハッチがみえてきた。二十トントラックを搬入できる巨大トビラがあって隣には人間が出入りするドアがある。ぼくらの目標はそこだ。

 電子ロックを解除、IRシステムでドアの反対側をクリアリング(どれくらい信用できるかはわからないけれども訓練通りに)してドアをひらいた。その瞬間、耳を貫くパンとはじける音が聞えて周囲が閃光に包まれた。音響閃光弾(いわゆるフラッシュバン)を食らったな、とわかったのは数コンマ秒あとで、当然、暗視装置が完全に焼き付いてしまっていた。

 やられたと思った。殺傷能力のある手榴弾だったら死んでいたはずだ。だから、ぼくたちは小山に、まんまとしてやられてことを悟って地団駄を心のなかで踏むほかなかった。

 ついでに素子が切れて白い画面が写るのみで役に立たない機材は捨てるほかない。だから、ぼくはポケットからフラッシュライトを取り出して周囲を観察した。どうやら蔵本さんも暗視装置を外しているから同じ状況らしい。

「覚悟はできているのかってことね。だいぶ、わたしたちの行動は読まれているみたい」

 蔵本さんはいって散弾銃を構えた。ぼくが前衛、蔵本さんが後衛の隊列でいくらしい。

 まるで小学生の文化祭でやったお化け屋敷の出しものだと思った。ぼくらが客側で小山が店側だ。

 自分の面白いと思ったことを自分の面白いと思った場所で実行できる。自分のしたいときに自分のしたいことができる。そんな感じだ。ぼくからしてみれば面白半分で命をあつかうのは、いささか迷惑ってのが感想だったのだが、だからこそ、ぼくらは慎重にならざるを得なかったし、もしかしたら、それが小山の策略なのかもしれないと思わずにいられなかった。

 だから警戒して、ぼくらはB24ハッチを迂回しB35ハッチから上部に上がった。なぜならB24のルートは、あからさまにし過ぎていたからで、現在のルートは上から撃ちおろされない螺旋階段があったからだ。さらに地上に出るドアは遠隔操作が可能だったからである。

 そして、ぼくらは安全をたしかめてから地上に出た。電波塔の裏方――である。そこからでは搬入エレベーターまで五十メートル移動しなければならない。目標のエレベーターまでは、けっこう近くみえるが意外に距離がある。だからリスクを抱えて走らなければならない。まずは、ぼくだった。はじめの遮蔽物まで十メートル、小銃を構えながら出てクリアリングしながら走って到着した。安全確保。そして蔵本さんが背後についた。肩を叩いてくる。つぎの遮蔽物までは二十メートル、今回は上部に渡り廊下があるから警戒が必要だ、と思いながら、ぼくは遮蔽物を出た。

 ダッシュで走って、なかごろまで進んだとき上の廊下に数体、アンドロイド(リモートで操作された義体かもしれない)の頭がみえた。銃の姿も確認できる。だから、やっぱ一筋縄じゃいかんかとギョッとしながら、ぼくは銃を構えたのだけれども、訓練はウソをつかなくて単発で射撃し無力化することができた。蔵本さんも発砲している。ぼくたちの側面にいた機体が吹き飛んでいったのが横目にみえた。

 ぼくは目的の遮蔽物に滑り込む。上から落ちてきた頭をみれば、やっぱカラだった。義体をリモートで使っているらしい。それでこそ小山で、それこそ小山だった。そして、ぼくは蔵本さん援護のためにみえる義体に対して応射し、みえない義体には遮蔽物ごしに弾丸を叩き込んだ。ぼくらが普段使っているHP弾ではなくてAP――タングステン芯の徹甲弾だから大抵の遮蔽物は貫通できるのだ。

 銃声が止んだタイミングで蔵本さんが滑ってきて背中を叩いた。

「ぼくたちが撃ち倒した義体って、ちゃんと痛みを感じることができるのでしょうか?」

 ぼくがいえば、「そんなはずないでしょ。ちゃんと補助コンピュータの場所を狙って。さもなきゃ止まらないから」そうチューブに弾薬を押し込みながら返してくる。ぼくは遮蔽物を出た。

 だが今回は搬入エレベーターが目の前だったから、ぼくは案全を確保してボタンに触れるだけで良かった。そして、ふり返って蔵本さんの援護に回れば、ぼくのもとにやってくる。搬入エレベーターが到着してドアがひらいた。内部をクリアリング、ぼくは対人地雷等の有無を確認して、のり込んだ。

「全部、リモートの義体でした。アンドロイドは一体も。だから、全部、義体は小山の意思によって動いているってことになります。ぼくらは体よく小山のゲームに巻き込まれたってことですか?」

「はじめから小山のゲームの上だった。対抗できているだけマシ」

 上昇中のエレベーターのなかで蔵本さんがじれったくいっている。散弾銃の弾薬を補充しながら自分の装備の把握にも余念がない。ぼくも残弾が減った弾倉を新しいものにいれかえた。

「いまから中層部にあるコントロールをおさえて小山と上手く交渉できないっスかね?」

「望み薄ね」ぼくがいえば蔵本さんは、そんな風に返してくる。当然対抗策を用意しているはずだからだ。

 そしてエレベーターが終点に到着する。一瞬、体が浮き上がって万有引力から解放された感覚がしたのだが、内臓が定位置に戻ってくるのと同時に地に足ついた判断が求められることになる。なぜならエレベーターのドアがひらいた瞬間、眼前に十数体のリモート義体があらわれたのがみえたからだ。

 ぼくは反射的に引き金を引いて蔵本さんだって驚きながら反撃していた。だが、さすがに弾が足りない。ぼくは弾倉に入った弾を撃ち尽くし、なお前進してくる義体に反撃すべく自前の拳銃を抜いて射撃することになったのだ。

「さながらゾンビパニック」と全ての義体を倒し終わった後、蔵本さんが口にした。散弾銃の弾丸が底をついて拳銃に持ちかえている。小銃の弾倉も残個は一つだ。白兵になったら義体相手じゃ手に余る。ぼくらのみで戦うってシチュエーションを想像すればゾッとした。

 そして、ぼくらは更に何体か義体を倒して中層部を超え非常階段に出た。十分にクリアリングして安全をたしかめてから階段を昇っていく。だが階段を昇りながら、ぼくは違和感に気がついた。それは今、ぼくらが昇っている階段に小山が操るリモートの義体が一体もあらわれなかった違和感である。

 ぼくらを小山が誘い込んで、ぼくらは罠の最深部まできてしまったみたいに。だからなのか、ぼくの迷いにつられて蔵本さんもふらふら足を止めた。まるでみえない力に引っぱれているみたいに無意識の自分に導かれているみたいに――そして、ぼくは思い至る。蔵本さんも、ぼくと同じく違和感を覚えているのだ、と。

「小山は、ぼくたちに、いまのルートを選択させているんじゃ……」

 ぼくがいえば苦い表情だった蔵本さんは、「そう考えさせて別ルートを選択させる気なのかも」と返してくる。疑心暗鬼、猜疑心、小山の考えを読んでいたら自分たちが深みにはまっていく。明確な答えがないのに明確に選択しなければならないのは一種の恐怖だった。

「いま考えるのは良くない。わたしたちが現場に臨んで迷っていたら犯罪者の思うつぼになる。だから警察官として最善の選択を取るべきだと思う。だから課長たちを信じるべき」

 だが、ぼくは蔵本さんとは別のことを考えていた。

「ぼくたちは考えることで不安をなくしているんです」そんな言葉は自分に向けたものだったが、ただ自分に向けたものではなかった。なぜなら、『ぼくたち』とは、ぼくと蔵本さんのことではなかったからだ。ぼくと小山のことだ。小山は――ココで、ぼくらが取る選択肢を観察しているのだ。

 ぼくが、どんな選択をして、どんな行動を取るのかみているはずなんだ。にもかかわらず、ぼくたちに選択を迫っているっていうのは、ぼくらの選択する意思が読みたいからなのだ。ぼくが、なに者なのかということを読みたいからなのだ。だから、ぼくは思い出さずにいられない。

 ――きみにとっての正義とは、いったいなんなんだい――

 ぼくはにわかに小山が発した疑問を思い出さずにいられなかったのだ。たぶん今の状況は小山が、ぼくに対してした質問の答えを出してみろってことなのだ。ぼくが持つ、ぼくのなかにある別の答えや、ぼくの属する社会とぼくが守る社会のズレをみてみようってことなのだ。

 だから、ぼくは考えなければいけないのだ。ぼくが属する社会と守る社会の差――について考える必要があるのだ。おそらく小山善の絶望は孤独で、ぼくの絶望も孤独で、だから、ぼくと小山は同じ社会に属しているってことではない。むしろ、ぼくと蔵本さんの思考回路の差を計らなければならないのだ。

 どうして小山の思考を読めるのかといったことにかんして、ぼくと蔵本さんの間では大きな差がある。ぼくが小山と同じ立場にたってものごとを考えているのに比べて蔵本さんは俯瞰的にものごとを考えているからである。きっと警察官としての使命をもって、そうしているのだと思う。

 ただ、ぼくが着目すべき箇所は、そこなのだ。警察官として小山に近づける蔵本さんとは違って、ぼくは犯罪者として小山に近づいた。その上、たぶん警察官ではなく犯罪者として近づいてきたことを小山は見抜いていたのである。なぜなら、ぼくが本来属する社会は小山と同じ犯罪者の社会なのだから。そして、ぼくが小山の思考を読めるのと同時に小山も、ぼくの思考を読めるのだから。

 そんな小山からすれば、わがもの顔で警察官ズラしている『ぼく』がおかしくてたまらなかったのかもしれない。それこそ、ぼくを試してやりたいくらいには。だから最後のチャンスとして、ぼくが選択する場を与えた。いや小山は必然的に警察官ではなく犯罪者として自分のもとへ肉薄できるチャンスを与えなければならなかった。なぜなら、ぼくが小山のもとへたどり着くことは小山自身が今回の犯罪を計画し実行した理由ともつながっているのだから。

 今回、小山が犯罪を計画した理由は自己の存在証明である。自らは孤独ではなく人間として存在していることの証明に本質がある。そして、ぼくと小山との間には、たしかな人間としての接続点があった。だからこそ小山は、その接続点が本当にあるものなのか、たしかめなければならなかった。

 だから小山は、ぼくを計画のなかに組み込まなければならなかった。ぼくが小山のもとへたどり着くことを証明しなければならなかった。だから、ぼくに選択という試験を課しているのだ。

「いえ今のルートはやめましょう。課長たちが計画したルートじゃダメです。そういうルートは全部、小山に読まれています。ですから、ぼくたちでルートを再構成しましょう」

 ぼくは、そう口にするほかなかった。

「再構成? いまさらルートを変えてもムダだと思う」

「いえ、たぶん今の状況は小山が、ぼくらに選択させているのです。ぼくらが今後、どんな行動を取るのか、現状の空気に応じて自分たちの最善を取れるのか。ぼくらがプログラムされた機械ではなく自ら考えることができる人間として行動できるのかみているはずなんです。だからルートを変更しましょう」

 ぼくがいえば蔵本さんは数秒考えて、「わかった」と返してくる。ココで蔵本さんが首肯してくれなければ行動が取れないので素直に肯定してくれて、だいぶ助かった。

「あなたは、どのルートがいい?」

「警察組織で予定したルートではないルートです。進みやすくバレにくいルートでなく進みにくくバレやすいルートで前進する方が良いと思います。でなければ壮絶な抵抗にあうことになると考えます」

 ぼくの内心に迷いはなかった。ぼくが小山なら同じことをするからだ。

「ならコントロール経由の道しかない。でも、あそこは通路が狭いし直線が続くから……」

 ただ蔵本さんが苦い表情をするのにも理由があった。なぜならコントロール経由のルートでは課長や緒方二佐ですら論外と断定するほどの待ち伏せポイントであって選択することを禁止されたルートだったからだ。

「いきましょう。そこしかありません」ぼくはいって自分が持つ装備を確認した。まだ戦える残弾はある。白兵にならずに進むことができるほどの装備はある。ギリギリだけれども。だから、ぼくは蔵本さんに決断を迫るほかなかった。

「わかった。いきましょう」蔵本さんが決断した。ぼくはルートの変更を報告する。そして、ぼくらは以後、無線を切って完全に独立愚連隊として行動することになったのである。

「わたしも考えた。小山なら、そうする。だから、あなたの案に賛成した。もしもあぶなくなったらすぐにひき返す。それが条件」

 ぼくが先導する階段で蔵本さんがいってきた。了解してます、と返せば蔵本さんは厳しい表情で睨んでくる。こんなことに巻き込んで、どうしてくれる? と内心で文句を垂れている顔だ。

 そして、ぼくらは、そんな感じに非常階段の中段でルートを外れコントロールにつながる通路に出た。薄暗い通路である。ぼくらが通路に出たのに照明がつかないってことは感知センサーが故障しているのか、外部で小山がコントロールしているのかの二択である。

 前者を取る自信はない。

 だから蔵本さんも通路に出た瞬間、緊張感が一気に増したのだが、なにも起こらないから拍子抜けって感覚がした。ぼくらは通路を進む。ただ通路は白い壁面にグレーのフロアといった配色で、ぼくは眉をしかめることになる。

 電波塔の観光客が入り込む箇所は繊維状の二酸化ケイ素で作られた壁面に覆われているから白さに目がくらむ。繊維状質の二酸化ケイ素は軽くて加工がしやすいから建物の内壁に使われることが良くあるが、すこしの光源で周囲に反射するから暗い場所になれていた目には毒であるのだ。

 だから、けっこう警戒して、ぼくらはコントロールに足を進めることになったのだけれども途中、なにごともなく進行してコントロールの目の前で訝しんでいる蔵本さんとお互いに視線を合わせることになったのだ。

 そして、ぼくらはコントロールに入った。けれども若干、居心地がわるい感覚は拭えない。なぜなら、ぼくが軍人みたいにライフルを構えて電波塔の管制室に突入することになるなんて警察官になる前は想像していなかったし、そんなことは絶対にしたくないと思っていたからなのだが、とはいえ、いざ現実のものになってみれば意外に受け入れられるものである。

 案外、人間って生きものは、なんにでもなれてしまうのかもしれない。

 そして、ぼくらがはいったコントロールルームには三種類の調整室があった。電波塔全体の管理を担当するセンターコントロール、サブコントロール、最後に十三世代移動通信システムのコントロールである。だから、ぼくらは、はじめにセンターコントールを検索して、つぎにサブコントロール、最後にラジオコントロールを順番に検索することになった。慎重に足を進めた。

 はじめの二つは異常なかった。だが最後のラジオコントロール、いわゆる十三世代移動通信システムのコントロールで足を止めることになった。なぜなら調整室の中核、コントロールパネルにわざわざパーソナルコンピュータが置かれていたからで、そして、ぼくらの無線に突如として通信が入ったからだ。

『坂上刑事、蔵本刑事。きみたちが到着してくれてよかったと心から思っている。さて現在、電波塔には重大な危機が生じている。中枢のコントロールをテロリストに奪われ電波放送がジャックされるといった危機だ』

 そして聞こえてきたのは紛れもなく小山の声であった。だから、ぼくは演出過剰のテロリストに眉をひそめることになったのだけれども、どうやら次の試練が待ち構えているらしく、ぼくらは次第に頭が痛くなってくるみたいだった。

『きみたちは、その危機に対処してもらいたい。はじめに、そこにある機材はコンピュータを外部から操作できるもので電波送信のコントロールに接続されている。そして、きみたちがソコから一階層ごと進むたびに電波送信の開始時刻が十分はやめられるように設定されている』

 ぼくは記憶のなかで東京シティスカイの図面をひらいた。電波塔の全高は七八九メートル、全階層は二六三個にわかれている。現在、ぼくらがいるコントロールルームは中層上部の一七五階層ってところだ。展望台までは十階層。現在時刻は二二一六である。ぼくらが一階層進むごとに十分、であるから八階層進めば、電波送信が開始されるってことになる訳だ。

『基本的な対サイバーウイルスの訓練は受けているね。そのコンピュータに入っているのはマクロ型のウイルスだから十分に対処ができると思う。だから一人が残って一人があがってきてほしい。期待しているよ』

 だからこそ、ぼくが、「そのパソコン、ぶっ壊したらいいんじゃないっスか?」と蔵本さんに耳打ちすれば、『コンピュータを無力化すれば、その瞬間に放送が開始される仕組みになっている。だから不用意な行動は取らないように』と釘を刺されるのである。ぼくは肩をすくめるほかなかった。

「どうします?」ぼくが訊けば、「あなたが上にいって。わたしが残るから」と返ってくる。

 ぼくからしたら蔵本さんのなかには明確な答えがあるみたいにみえた。どうやら蔵本さんも、ぼくがココにきた理由や小山から呼ばれた理由を理解したらしい。だから寸分の迷いもなく回答が出てきて、ぼくは首肯したのだ。

「かならず任務を成功させて」といってきた蔵本さんを背にして、ぼくは階段を上がった。

 ぼくは上向きにライフルを構えて階段を昇っていく。何段も何段もある階段を一人で昇っていく。だから、ぼくは小山から、これが人生だ、と聞かされているように錯覚してしまう。

 一歩一歩階段を昇るたびに、ぼくらは最後の最後は一人で生きなければいけないし一人で人生に耐えなければならない。ぼくたち人間は最後の瞬間まで一人でいきなければいけない。ましてや自分のなかに武器をもって、その武器でやっていかなければならない。そんな言葉が聞えてくる。

 けれども、ぼくは、余計なお世話だ、と思えなかった。なぜなら、ぼくだって同じ考えを持っているし同じ感覚でいたからで小山との接点を意識したときから、ぼくのなかに小山の考えが流れてくるみたいに感じられたからだ。

 ぼくと小山が重なった気がする。いや、もともと重なった存在だったものを意識したことで、ようやく自分というものを自覚することができたのだ。ぼくは今まで自分の人生から目をそらしてきた。ぼくという自分の殻がつくられるまで苦しくてつらい人生から逃げなければいかなかったからだ。

 たぶん大半のひとが、そうだと思う。自分の人生を自覚していない。いや自分のことすら自覚していない。なぜなら人生で楽に生きるのに、もっとも邪魔な存在は自らの自我であるからだ。自分の我があれば人とぶつかる。自我があればひとがぶつかってくる。そんな環境から脱するために、ひとは自我をすてるのである。

 けれども小山は逃げるなといっている。自分の正面から自分の人生を受け止めろといっている。ぼくを捕まえたければ、お前も自分の人生の苦難に立ち向かってみろ、といっている。だからこそ、ぼくは自分に対して、いや自分の人生に対し自覚的にならざるを得なかったのだ。

 ぼくは小山と自分との接続点を自覚し小山の人生を自分のなかで再構築しながら展望フロアに出た。東京を一望できる唯一にして無二の場所である。なかにはいれば照明がすべて落ち館内は暗かった。しかし外部から東京の夜景にまぎれて闇夜を逃れてきた光がガラスを通して流れてきていた。

 窓から流れてくるビルの光は若干、緑や青が混じっている。ぼくは、そんな薄暗いフロアを警戒しながら進んだ。さながら最後のステージ前でびくついているゲームの主人公って感じだったが、ぼくからしてみれば、もっとも警戒すべき場所はココしかないと思っていたからで、なぜなら中層部以降、抵抗らしい抵抗がなかったのは、ぼくを殺すならココしかない、とヤマをはっていたからだ。

 だが、そんな心配をする必要は、まるでなかった。

 なぜなら、ぼくが進んでいけば、もっとも最深部、一面がガラスで覆われフロアや天井までも透けているエリアにポツンと座して、ぼくを待っている人間がいたからで、その人間の顔面に貼られている顔が紛れもなく、ぼくらが探している小山善の顔だったからだ。

「よくココまでたどり着いたものだ」

 そして小山は口にする。ぼくを見下ろすでも見上げるでもなく遠くから同じ目線で座っていってくる。その様子は、ぼくからすれば、まるで自分におよぶことができないと思っていた種族が、なんとなんと意外にも自分に追いついてきた、みたいな驚愕と期待を持っているみたいにみえた。

 ぼくは真犯人の前に到着することができたのである。ようやく、といっていい。ぼくらの捜査活動は長く苦しい道だったけれども最終章を迎えたのである。小山善だな、ぼくがいえば、きみは坂上正義だね、と返ってきた。ずっと探していた自分の片割れを発見できた感覚がする。たぶん小山だって同じなのだろう。だから小山は、なにもいわないし、ぼくもなにも口にしなかった。まさしく待ち望んでいた対面が現実のものになったって感じだった。

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