第37話
翌――ではない。今朝〇九〇〇、ぼくと蔵本さんも揃って緒方係長との打ち合わせという名のブリーフィングがはじまった。三階の小さな会議室である。会議室には署長と蒲田課長、そして警務課長や副署長、銃器対策課の敷根課長、横田係長、さらに見知らぬ民間人や数人の陸上自衛官まで同伴している。
どうやら、ぼくがココにいるってことは課長や署長、もっと上の立場にいる警察官、利害関係者も含めて、ぼくらが計画している作戦に同意したってことで間違いないのである。
――本当に決裁が取れているか不安なところであるが、新島署のみの独断専行でもないらしい――
それから会議室で使われているのは昔ながらのホワイトボートに紙である。小山が警視庁のネットワークに潜っていたとなれば当然、監視下にあるとみて間違いない、という前提に立っているらしく会議室近くにあるセンサー類をビニールテープで覆ってコードをひきちぎって防諜対策をおこなった挙句である。
ホワイトボードには作戦の注意事項が絵図と共に記載されていた。ぼくらが東京シティスカイへ侵入する簡単な経路、妨害が予測される地点が記されている。またぼくらの手もとには電波塔、いわゆる東京シティスカイの詳細な図面がならべられていた。配線・配管図面、各種エントランス、通路、種類別に分類され紙束となって一冊にまとめられているものだから一種のマニュアルみたいに思えてくる。緒方係長は、それに従って説明していた。
「東京シティスカイにおいて強風警報が発令され全職員が避難した後、小山がIRシステムに検知された。電波塔の展望台でだ。現在のところ小山善は、おそらく最上部、東京シティスカイの展望台で待ち構えているものと推定されているが今回は奇襲という作戦の都合上、正面から押し入るといった手法は使えない。電波塔建設の際、重機搬入に使用された地下通路をもちい侵入する」
つぎのページへ、と緒方係長の指示が飛んだ。
「IRシステムの監視網を欺瞞するため地下通路への侵入は政府要人避難計画に従っておこなわれる。内閣府が策定した資料を参照する。政府要人を護送するために極秘裏に建設された通路が東京シティスカイ地下通路まで伸長していることを利用し蔵本巡査部長、坂上巡査長は市ヶ谷駐屯地から通路に侵入、陸上自衛隊協力のもとで電波塔を目指す流れになる。なにか質問は?」
「市ヶ谷から電波塔までの移動手段は?」
「通信中継も兼ねた軽装甲車をもちいる。地下通路からは徒歩で移動になるので、そのつもりで」と緒方係長が答えれば、「了解」と蔵本さんが、だいぶイヤそうな内心でいるのがわかった。
「銃器対策課からは具体的な侵入計画を指示する。まず地下通路は五百メートルの距離がある。そこを徒歩で移動した後、東京シティスカイ深部から搬入エレベーターによって地上に上昇、中層部へ侵入する。中層部からは当然、エレベーターのコントロールは掌握されているものと考えられるので非常階段をつかって上層部に侵入する。非常階段から展望台へいたる経路は暗記するように」
ぼくらからすれば不可能に近い計画を横井係長が話している。
「第一の目標は東京シティスカイの送信能力停止、第二の目標は小山善の確保だ。当然ながら途中、小山からの妨害が予想されるので火器の携帯を許可。状況に応じて使用しろ」
ぼくらの後方で課長が補足してくる。その言葉を聞きながら、ぼくと蔵本さんの間で緊張が走った気がした。
われわれからもひと言、と追加で言葉を挟んだのは、ぼくらの前列で控えていた陸上自衛隊だった。登壇したのは凛とした女性の隊員で、しわひとつない整った制服を着用し長い髪を後ろで結んでいる。階級章は二等陸佐で胸には略章が沢山あった。そして正面にくれば顏には見覚えがあった。緒方係長の奥さんだ。
「防衛省統合幕僚総監部運用第一課CI室から参りました。緒方武雄と申します。わたくしから今回の作戦概要について補足いたします。今回の作戦は警視庁を統幕J3の代理として実施する方針に決定しました。現在時から新島署は統幕の指揮に服していただきます」
「どうして、そのようなことに?」
緒方係長の奥さん――緒方二佐は蔵本さんが質問すれば秘密もなくスラスラと答えた。
「統合幕僚本部でも小山善への諜報活動を実施し動向を掌握してきました。しかし、われわれには犯罪者の逮捕権限がありません。そこで今回はテロリズムに対する防止作戦として自衛隊・警察の合同運用を実施することに決定したからです。現在、連続発生中の立てこもり事件にも部隊を派遣しております」
緒方二佐がいえば課長が後ろから、『立てこもり事件にも小山善が関与している疑いがあるということで警察と自衛隊の連携運用が重要だと上が判断したからだ』と耳打ちしてくる。
「作戦の都合上、新島署の部隊を主とする予定ですが小山善の確保が不可能であればヘリボーンから狙撃をおこないます。第一目的は小山善の殺害、第二的は送信端子の破壊です」
ぼくの耳に入ってきた緒方二佐の言葉は冷酷なまでに現実的だった。だから、ぼくは自衛官の国防意識に不快感を覚えたのだけれども犯人逮捕が最優先の警察組織とは異なる価値観があることを認識させられた。
「行動開始は本日二一〇〇、市ヶ谷駐屯地において二〇〇〇の時刻整合を実施予定。ですから一九三〇までに準備を整えておいてください。では、わたくしからの説明は以上です」
「では各自わかれ」という緒方係長の言葉で会議は終了した。
ひな壇では緒方係長と緒方二佐が、どうしてこうなったのかしら、と苦笑い混じりで話していて、ぼくの隣では蔵本さんが紙束をまとめていて、そして課長が署長と細部を詰めているのがみえた。みんな自分の任務に集中しているみたいにみえる。浮足立っているのは、ぼくのみだ。
だから蔵本さんに肩を叩かれて心配されることになったし課長から難しい表情をされてしまった。だから案外、ぼくに対する周囲の期待はバカにならないと思ったのだが、よくみてみれば期待ではなくて警察官が持つ自衛隊の介入を最小限に抑えたいといった無意識のあらわれだったらしい。
だから、ぼくは組織間の抗争に巻き込まれた哀れな子羊ってことになるしミスったら死ぬまで警察OBで話題になるので、どうやら予想以上に重大な役目らしく、むしろ逆に緊張してきた。どうしたらいいっスかね? と蔵本さんに目線で訊ねてみたら、どうにかなるんじゃない? と返してくるので蔵本さんは、ぜんぜんあてになるはずがなかったのだった。
「坂上くん。ちょっといいかい?」
そうやって緒方係長から呼び止められたのは会議室の出口でだった。蔵本さんは、ぼくを置いてスタスタいってしまっているものだから、なんでしょうか? と答えるほかない。
「妻が、きみと話をしたいそうだ」といってくる。だから、ぼくはビッとして作戦上の話かと身構えたのだが、
「ご両親のご葬儀で、お会いしましたね。わたくしのことは覚えていらっしゃいますか?」
そんなことをいってくるのだ。だから、ぼくは完全に予想外のできごとに一瞬、固まってしまったのだが(といっても記憶になかったのは間違いなくて、「すみません」と更に固まることになってしまった訳だが)、
「あのころは大変なことがあったので、お気にならさらず。しかし大きくなられましたね」
と、そう加えてくるものだったから、ぼくはふたたび恐縮してカチコチになるほかなかったのだ。
「いえ、こちらこそ――」だから、そう口にするので背一杯でいたのだけれども、「わたくしは、お父様にお世話になりました。今回は恩返しのつもりです」と返ってくるので、どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
「全力を尽くします」とだけ返せば、「お互いに最善を目指しましょう」といってくるものだから、ぼくは、「はい」と口にするほかなく、緒方二佐は署長と数名の部下を連れて会議室を出ていった。そして、
「警務課から装備を受領しておいてくれ。申請書は出してあるから、いくだけでいい」
そう課長が最後の指示を出してから緒方係長と一緒に刑事課に戻っていく。ぼくは了解して蔵本さんを呼ぶべく廊下を走ったのだった。
「小山のプログラム、防衛省でも破られていないみたいですね」
だから追いついて、そうやっていえば蔵本さんは、「そうでなきゃ困る」と足を止めた。
「わたしたちが苦労しているのに外からすっぱ抜かれてハイ解決なんていわれたら、今までの苦労が水の泡になる。自衛隊に手柄を持っていかれるくらいなら小山のテロが成功した方がマシ」
本当は、もっと毒つきたいのかもしれないが、それでも自分のなかにある感情を押し殺して口にする蔵本さんは、どこぞ復讐に燃える鬼みたいにみえた。ただ蔵本さんはが不機嫌なのは今まで事件にたずさわってきた挙句、小山から自分の傷口に塩を塗られた腹いせなのだ。たぶん子どもみたいにムクれているのだ。
だから、ぼくがあきれながら、「事件が解決するならいいじゃないっスか」といえば、「わたしはイヤ」と返ってきて、「わがままいわんでください」と肩をすくめるほかなかった。
「だいたい情報を掴んでいたのなら知らせるべきじゃない? あんなに大変だったのにひとこともないのだからムカつく」
そして、そんな風に怒り心頭である蔵本さんを連れながら警務課に足を運べば、「まっていた」といわれ奥から木箱が出てくる。だから、ぼくらは視線を合わせることになった。
「自動小銃と散弾銃が、それぞれ一丁ずつ。弾は弾倉三個分。手榴弾は一発。余分があれば後で返却してください」
ぼくらの目の前に出てきたのは自衛隊で使っている九八式小銃と銃器対策課で使っているボルトアクションの散弾銃、レミントンM九〇〇だった。弾は、けっこう多めって感じ。
「ぼくたち、つかったことありませんが」
だから、ぼくが苦笑いで答えたら、「今から教える」と横田隊長が奥の部屋から頭をのぞかせるので、ぼくらは、いやなことになった、と二人して内心で頭をかかえることになったのだった。
そして横田隊長が開講した新米刑事のための銃器講座スパルタ熱血ウルトラ促成栽培指導を三時間ほど受講して、だいたい九八式とレミントンを各、百発ほど撃ってから、ぼくらは刑事課のデスクに戻ってきた。両肩がアザになっている。
だから、ぼくは肩肘をいたわって、ぜったい発砲しないと固く誓いながらデスクに装備類を置けば淡島がホログラに向かっているのがみえた。難しいコードを抱えているらしい。
「現在、ワクチンソフトを開発中。ウイルスのコードが破れなくても一回一回、回数を試せば効くワクチンができるからね。ぼくが完成させられたら、たぶん警視総監賞だって目指せる」
そんな冗談を本気でいうのは淡島くらいしかいない。だいぶ期待薄だが希望がない訳じゃないので、たのんだぞ、と肩をすくめていうほかなかったが。淡島はからからとのどでわらっていた。そして頭をかいて視線をあげれば蔵本さんが休憩室に入っていくのがみえた。しかも例の散弾銃を持って――
どうやら武器庫にしまったのを持ち出してきたらしい。おっと、と内心でつぶやいて様子をみにいけば蔵本さんは散弾銃の銃床にノコギリを入れているものだから、ますます怪訝になるほかなかった。
「なにやってるんスか?」ぼくがたずねれば、「ソードオフに、と思って」と返ってくる。
だから、「違法改造です。届出を出してください」と冗談で答えるほかなかったのだが、
「わたしの身長じゃ鉄砲が大きすぎるから切り詰めなきゃ取り回せない。室内で発砲するならストックはいらないし軽くなるし」
蔵本さんから返ってきたのは、そんな言葉だったものだから、ぼくの顔面からジョークが消え去ったのが自分でもわかった。くわえて、ぼくの冗談に取り合わず真剣に刃を入れているものだから、ぼくは蔵本さんが思った以上に追い詰められていることを認識し、その上で本当に本気なのだと思わずにいられなかった。
「銃把の滑り止め貸しましょうか? けっこう反動がふえるので、だいぶマシになります」
だから、ぼくの口調もシリアスになってしまうのだ。そして蔵本さんは首を縦にふった。
「おねがいします。わたし銃が下手だから自信なくて。できるなら少しでもマシにしておきたい」
さらに衝撃だったのは、ひねくれている蔵本さんから素直な言葉が流れてきたことである訳で、ぼくは蔵本さんの尋常ではない様子から現実は厳しいものなのだと認識させられたし楽天的だった内心を入れ替えることになった。
「わたしたちが生きるためには努力がいる。今、わたしが現実で息をしていられるのは最後の最後で掴んだ糸だから。完全に可能性がなくなるまで現実を生きていたい。そのためにやらなきゃいけないことは、ぜったいにやるし手を抜かない気持ちが大事。わかった?」
蔵本さんがいった。ぼくは初めて首肯しなかった。
「ぼくたちが生きる世界は努力しても生きるべきものなのでしょうか?」
ぼくが口にすれば蔵本さんは自分のやっていることをみながら自分のやっていること意味や結果を考えているようにみえた。そして、ぼくの言葉の意味を反芻しているみたいにみえた。
「たしかに人生に耐えるより麻薬におぼれる方が楽だし、ひとを説得するよりも殴った方が楽、そして生きるよりも死ぬ方が楽。なのに、わたしたちは生きている。たいてい、わたしたちは最後に平凡な人生を遂げるのにね」
ぽつぽつと口をひらいた蔵本さんは、ぼくをみて考えを話している。
「わたしたちにハッピーエンドがなくても生きているのは死ねないからじゃない。わたしたちが生きることに意味があるからと思う。そして、その意味を達成する。そんな使命があるから。わたしたちの人生で、なにかの意味をみつけて達成することができるのなら努力しても生きるべきじゃない?」
そんな風に確信をもって蔵本さんはいった。だが、ぼくは蔵本さんの言葉に反応を取れなかった。なぜなら、ぼくにとっての人生とは確証などなく確信をもつことができないシロモノだったからで完全に蔵本さんの言葉を理解することが不可能だったからだ。ぼくの間に沈黙が流れる。
いやノコギリの音が響いて沈黙を中和させてくれていたけれども、ぼくにとっては気まずい沈黙だった。だから、なにか言葉がないか探したのだが、けっきょくみつからず、なにも返すことができなかった。そしてポトッとストックが落ちた。蔵本さんは握って良しと呟いてヤスリをかけはじめた。
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