第36話




 蔵本さんらが男子寮まで戻ってきたのは三十分前、異常を感じ取ったのが十五分前で突入してきたのが十分前ということになるらしい。男子寮の階段で座って蔵本さんの話を聞いていたら、なんだか現実感なく感じられる。

 はじめに気がついたのはノアだと聞かされた。ぼくの部屋から異常なデータ送信量が検出されている、といって蔵本さんに示したのが端緒だった。どうやら警視庁のネットワークを使って大量のデータで通信していたらしい。リモートで義体を動かせば当然に必要になる量だといっていた。

 たぶん小山は、その点も含めてみせびらかせていたのだ。本当は誰彼構わず自分の行動をみせびらかしたい小山にとって今回の密会も計画のうちに入っていたのだと思われる。

「ぼくらは小山善に指名されました」と蔵本さんにいったのは課長が到着してからだった。

 そして、ぼくの少ない言葉で課長が理解できたのは残った証拠から状況を推察できたからだった。

 ――いや残された証拠といった方がいいのかもしれない。いつもなら証拠の余地なく完全に細心の注意をはらって追跡材料をつぶす小山にかかわらず、今回に限っては会話の記録を全て残していたからだ――

「まるでこれ見よがしに、か。被疑者に指名されたというのも、あながち間違いじゃない」

 ぼくらの会話記録をみながら、そんなことを課長がいった。ついでに淡島も連れているものだから本当に小山を確保する気で飛んできたらしかった。

「犯人の口にする言葉にウソはないと思います。コード一二三一には、いまだに解明不可能な領域が残されているのですが、そこはAIの倫理回路に直接つながっている箇所なので、おそらく犯人が任意にウイルスを発動させるメカニズムが隠されているはずと思われます」

 淡島が課長に許されて発言していた。ぼくは蔵本さんと目線を合わせるほかなかった。

「被疑者からの熱烈なラブレターだ。ああいわれたら、われわれは従うほかあるまい。明日の二三時まで待機になるな」

 課長がいった。ぼくは、まってください、と進言したが課長の意思は変わらなかった。

「われわれの行動は小山に監視されている。それは紛れもない事実だ。そして、その逆はないことが証明されてしまった。最大限の対策はするが素直に従うほかはないだろうて」

 課長はいいながらメモに、なにか書き込んでいた。

「きみたち二人は、いまから通常業務から離れなさい。一日、休暇をやるから二人で小山善に対する対策を立てるように。あとの者は本部に合流、署長と話して方針を決定する」

 そして下命し周囲が散っていった。だから、ぼくは捜査から外された現実に不満たらたらだったのだけれども、

『緒方君が、さきほど電波塔のウィークポイントを上げてくれた。きみらは署に戻って対策を検討してくれ』というメモ書きをひそかにわたされるものだから蔵本さんと了解するほかなかった。だからではないが課長の密命をおびた帰路の車内は、だいぶ緊張に満ちていた。

「すこし意外なのだけれども小山がわたしたちを指名した理由、あなたは訊かないのね」

 そう蔵本さんがいってきた。ぼくはノアの助手席から外をみながら、「本人に教えてもらいましたから」と返していた。

 蔵本さんだって、わかっているはずだ。ぼくが訊かない理由、ぼくが小山善から指名された原因を知ってしまっている理由――なぜなら、ぼくが小山善と同じ思考回路を持つ人間なのであって蔵本さんも同じ考え方ができる人間だからで、たずねる必要がなかったからだ。だから蔵本さんもわかっていたはずなのに、ぼくにいったのは確かめる必要があったからだ。

 ぼくが、いまあるのは自らと向き合わずに自らに無自覚になって安定した環境にいたからにほかならない。しかし小山善への対応、ぼくの内心、覚悟、そういった自分自身に近い否、ぼくが自分自身と向き合う未来を選択したのだと確かめる必要があったのだ。いまある、ある種の安定を放棄して、ある種の変化を選択することを自分の口に出して確認する必要があったからなのだ。

 なぜなら、ぼくは蔵本さんが蓋をして閉じ込めた記憶を掘り起こした本人だからであって、ぼくも自分に対して無自覚でいることなど蔵本さんも許してはくれなかったからなのだ。だからこそ、ぼくにとっての正義とは、いったいなにか? また自分の守る社会が自分の属する社会とは異なるとは、どういったことなのか? そうやって考えずにはいられない。

 たぶん、ふたつの疑問を解決することで小山善が、ぼくに疑問を発した理由がみえてくるはずなのだ。そして同時に事件の動機がみえてくるはずなのだ。どうして小山善が事件を起こしたのかという疑問が解消されるのだ。

 ぼくにとっての正義――とは、たぶん蔵本さんが口にした、どうして警察官になったのか? という疑問と同義であるに違いない。なぜなら、どうして、ぼくが警察官になったのか? ぼくにとっての正義を守るためだと結論が出ているからだ。

 ぼくにとっての正義とは誰よりも遠く近い公平な点、いわゆる法である。法を守る、とは法から逸脱した存在を摘発する、いわゆる刑法etc. etc. を運用し適用することである。

 だから、ぼくにとって法を守るとは不特定多数の相手に対し順法精神を強要するものなのである。

 そんな風に警察官が掲げる正義とは、だいぶあつかましいものであって、だいたいからしてめんどうくさいものなのだが、しかし、ぼくにとって社会に重要な手順であると思わずにいられない。なぜなら法を執行する、法を守らせることは秩序をもたらして、ひいては社会が安定する材料になるからだ。ただ、ぼくに対し小山が疑問を発したのは、そこなのである。

 なぜなら、ぼくは社会の秩序を守る存在であるのと同時に、ぼくは社会から外れた存在であることを自覚しているからだ。だから第二の疑問が生きてくる。自分の守る社会と自分が属する社会が異なる、いうことは、おそらく、ぼくが守る社会と属する社会が異なることについて、ぼくが無自覚でいることを指していたのだ。

 だから小山も疑問を隠していたことになる。どうして、ぼくは、そんな無自覚が必要だったのか? と本当なら質問するべきところだったからだ。ただ、その隠蔽は、ぼくの無自覚の自覚を呼び起こすために必要な手順だったのと同時に小山が課した課題で、いわゆる小山自身の思考を本当に共有できる存在なのかといった判断に用いるリトマス紙だったのだ。

 だから、ぼくは第一関門突破ってことで間違いない。

 ならば、どうして、そんな無自覚が必要だったのか? その答えは、ぼく自身が持つ絶望、すなわち孤独に隠されているはずだ。ぼくが、ぼく自身の孤独に絶望になることは小山自身の絶望に敏感になることであって同時に小山善の絶望が孤独であることを意味しているのにほかならないからだ。

 孤独とは集団から外れて感じる感情のことである。ぼくは今まで自らの孤独に対して無自覚だった。ぼくが、ぼくの守る社会と属する社会が異なることを自覚するためには自らの孤独に自覚的になるほかなく、ぼくが孤独を感じていることに気がついている小山は自分自身の思考を共有する相手に対して同じものを要求するはずだったからだ。それが、ぼくの孤独だった。

 だから小山の絶望は孤独ということになる。ぼくの部屋にいた段階では気がつかなかったが小山のプロフィールにも、たしかに孤独の影があった。なぜなら小山の行動が変化したのはサイボーグになった後だったからで、たぶん小山は全身義体に変化したことで自分自身が人間界から隔絶された意識を自覚し孤独を感じたからだと思う。

 今回の犯罪をおこなったのも、そういった原因があったからなのだ。今回の犯罪、そして動機は小山の孤独につながっているのだ。今回みたいな犯罪を計画したにもかかわらず中央の占拠も政治的発言がないのも、すべて小山が自分自身のために犯行をしているからなのだ。

 サイボーグになって小山は自分が人間であることを疑問に思ってしまった。タマシイをもたないAIが近くにいる環境、そしてAIがアンドロイドとして人間にそっくりなみてくれをしている環境、さらに自分自身が人間とは、かけ離れた環境――。

 そんな環境に直面した小山は自分が人間であることに自信を持てなくなってしまったに違いない。そして手っ取り早く自分が人間であることを証明する手段として周囲のAIをぶっ殺す方法を選んだのである。ぼくらの失敗は、そこにあった。今回の犯罪に、なにかの政治的策謀が絡んだテロだと思っていたのは、ぼくら警察の思い過ごしだったのだから。

 だから本件は、たぶん小山自身の孤独感解消のために今回の犯罪をおこなっているのであって、今回の動機は小山が自らを現実感ある感覚として人間である、と感じるための固有の手段にほかならなかったのだ。

「小山善は全身義体になって自分の存在を信じられなくなってしまった。もしかしたら今回の犯罪を通して小山は自分自身が人間として生きていることを証明したかったんじゃないですか?」

 新島署に戻って降車し口にすれば蔵本さんは、迷惑なやつね、といった面持ちになった。

「自分の脳みそをみたことがある人間はいないし自分の魂を触ったことがある人間はいないし。どこからきたのか、どこにいくのか、どこにあるのか、どこにないのか。そんな風に誰もが、みんな自分といった存在に怯えて生きているのに」

 ぼくの前で蔵本さんの口から出た言葉は、たぶん自分のことをいっているのだと思った。

「でも、わたしも同じ意見。あいつを撃ったとき、あいつわらっていた。まるで本当の自分をみつけたみたいに。だから、あなたがいっていることも、あながち正しいのかもしれない」

 蔵本さんの言葉を聞いて、ぼくは冬の冷気にあてられて身震いするほかない。日がのぼらない朝は、しずかに流れているのに警察署の周辺は帰還してきた警察車両や警らで異様な空気になっている。そのなかで本当の真実を知っているのは、ぼくと蔵本さんしかいない。ほとんどの捜査員が小山善の本質を見間違っているのだから。

「なにをすればいいですか?」ぼくは訊いた。

「日が昇るまではサボっていいでしょ。打ち合わせは〇九〇〇からにして。わたしは眠たいから寝る。あなたも少し睡眠を取っておきなさい」と蔵本さんは警察署に入っていく。

『マジっすか?』と内心に衝撃が走ったのが、ぼくだって連日の出動で限界だったし、蔵本さんの意見には魅力があった。

 たぶんノアがいたら、だめです。捜査が優先です、みたいなことをいったかもしれないが、いまはいない。なぜなら対監視策として蒲田課長が連れていってしまったからだ。だから蔵本さんも、だいぶブルーにみえるし優秀な人材を引き抜かれて戦力半減ってところだったから、ふてくされているのかもしれない。

 自分のデスクに戻れば緒方係長が先に戻ってきていた。きみたち今朝は大変だったみたいね、と口にする係長から完成した書類(紙束である。データではない!)をもらって〇九〇〇から打ち合わせの予定を組んでもらえば、ぼくの仕事は九割方、終了したも同然だった。だから緒方係長に仮眠室にいく旨、報告し業務を終了すれば全身から力が抜けてしまったのだった。


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