第34話




 ぼくらが現場に到着したらノアから出迎えられて現状を説明された。対象に銃対課による配置は完了している。黒く威圧的な出動服に身を包んだ一個中隊二個小隊が六個分隊にわかれアパートの周辺を固めていた。当番中隊長は銃対課第一中隊長の横田警部補、そして課長の敷根警部は中隊指揮車で指揮を取っていた。

 ブリーフィングは車内ですませてきたから問題ない。小山善の部屋は二回三号室。階段を上げって右に進み三つ目の部屋。そう覚えている。それから隣の部屋、各所通路、通気口、非常階段、全部の位置が頭に入っている。

 ぼくが中隊指揮車に顔を出せば敷根課長から一小隊の後方に続いて突入する役をおおせつかった。最終の打ち合わせを済ませて配置に着く。一小隊と合流した。現場にいたのは初顔の隊員らだった。

 誰にも生死をともにする信用はない。だからなのか、そうじゃないかは定かではないけれども全員から当直の刑事が遅い、といった視線を頂だいすることになる。だが昼間に刑事課が被った被害を知らない人間がいるはずもなし同情半分、緊迫半分といった様子で黙って自分の仕事に集中しているみたいにみえた。

 ぼくは活動開始の直前に拳銃を抜き蔵本さんが下命した弾込めの合図で初弾を薬室へ送った。敷根課長から活動開始の命令が下った。横田隊長が指揮を取って目下の一小隊が動きはじめる。散弾銃を持った隊員が先頭だ。その後ろに八人の短機関銃・自動小銃を構えた隊員が続いている。刑事課は最後尾だ。

 慎重かつ大胆に先頭集団が階段を昇って建物内にはいったら全速力で走って止まる、ふたたび全速力で走って止まる。ぼくらからしたら超短距離でシャトルランをしているみたいにみえるのだが、あらゆる遮蔽物や死角(いわゆる角)を検索する必要から、そんな特殊な動きになるのである。ぼくが昼にやった素人の室内突入とは比べものにならないくらい芸術的な行動だ。

 いくつかの角をまがって目標の二階三番目の部屋にきた。『二〇三』そのプレートに記された数字は間違いない。最後尾で五メートルほど離れて刑事課は待機する。そして横田隊長の下命で先頭の隊員が玄関のロックを解除し室内へ入っていた。よく映画やドラマでみるアレであれる。警察だ! 警察だ! ってやつ。

 怒号が響いて閑静な住宅街が一変した気がした。隣家が飛び出してこないように、ぼくらが出口をおさえておかなければならない。ただ、ぼくら刑事からしたら野蛮で室内の家具や備品をしっちゃかめっちゃかにしてくれるから、やってほしくはないのだが、わがままをいって油断すれば返り討ちにされるのでぜいたくはいえなかった。そんな風に二、三回、隣家の方々に説明を繰り返したところで横田隊長から通信が入った。室内にはいる。

「誰もいない」

 いったのは横田隊長だった。一小隊の面々も困惑した様子で待機している。ぼくらがみたところクローゼットや天井、押し入れといった隠れる場所がくまなく検索され室内で閉ざされた場所がないのに姿がないのは不審だった。

 ぼくがブリーフィングでみたIRシステムの映像では、たしかに三時間前、小山善が部屋に入っていく様子が記録されていたはずなのに、まるで水が蒸発するみたいにひと一人消えてしまっていた。不審なてん末に、ぼくは蔵本さんと視線を合わせるほかなかった。

「監視で見落としはありませんか?」

 しかし、そんなアウェイで蔵本さんは口にしなければならないことを明確に発言した。

「監視体制に不足はない。出入口も含め全て部下に見張らせていた。現在も続いている」

 横田隊長はいった。ほかの隊員は聞かなった様子で警戒の糸を切らないように緊張しているらしかった。

「遺留物発見!」隊員の声が聞こえてきたのは、そんなときだった。

 ぼくは、その声を聞いて、あやうく一歩出そうになってしまったのだけれども、蔵本さんが冷静であるのをみて現場に残された遺留物は爆発物であることが多いのを思い出した。

「周辺住民の避難準備、開始しますか?」ぼくが蔵本さんに訊けば、「準備のみ。実行は隊長からの報告を聞いてから」と返ってくる。ぼくは了解、と返して階下の敷根課長に報告した。

 刑事課! と横田隊長から呼ばれたのは、ぼくが敷根課長に報告を送った直後だった。

「小山善の義体を発見した。確認してくれ」そして、そういってくるものだから、ぼくらは怪訝な表情にならざるを得なかった。

「義体ですか?」と蔵本さんが質問を返して、「みればわかる」という横田隊長についていけば書斎に案内された。生活感のない書斎には多数の本棚が置かれ、その中心に一切の機材が放置されていた。

 機械生命体の王、小山善の義体である。

 義体の換装とメンテナンスを実行する機材、脳医学を詰め込んだ最新鋭家庭用医療キット群。ぼくらの前にあったのは敗北の文字列と同等で小山善が義体を換装し逃亡しえた可能性を示唆していた。蔵本さんが義体をながめている。あんなことがあったのに、よく真剣にみられるな、と思ったのだけれども、そこにあるのは個人としての蔵本翔ではなく刑事として公の任務にあたる蔵本翔だった。

 蔵本さんが小山善の義体を操作、脳を収める頭頂部を開封すれば頭脳を保護する医療デバイスではなく義体のチタン製内殻を目視することになった。脳が入っていないのである。

「小山は義体を変えて逃走したと思われます。経路は不明ですけれども、おそらく、どこかに部屋の外へ出る通路があるはずです。至急捜索を――」

 そう蔵本さんが冷静に分析していたら目下の隊員が、「うお!」と声を出して床に転んだ。

「どうした!」横田隊長が問えば、「すみません。床がひらいて」そう慌てた隊員から返ってきた。

 床がひらいた――というのはフローリングの床がめくれ上がったからだ。ぼくがのぞいてみれば、なかにあるハシゴや階下の部屋へつながる通路が確認することができた。どうやら隠し通路といったところらしい。どこまでも狡猾な犯罪者がいるものだ、と思わずにいられなかったが被疑者の賢さに感心してもいられない。

 横田隊長は敷根課長に至急報告して敷根課長は無線で本署に緊急配備の要請を出していた。そして横田隊長が階下の部屋の検索を下命すれば慎重に安全検索をおこなった隊員二名が潜っていった。打撃力のある現場において刑事は無力だ、と思わずにいられなかった。

『ノア、小山が部屋に入ってから、わたしたちが突入するまでの間にアパートから出た人間を探して』

 と蔵本さんがノアに指示を出しているのを横目にしながら、ぼくも残された義体をのぞき込む。いわゆる全身義体はアンドロイドと同じく機械で作られているのだが、ぼくは構造上、まったく異なる生産物であること知っている。

 サイボーグ用の義体には人工皮革や運動上重要になる筋肉の類は耐久性が向上するべく耐摩耗性、耐伸縮性にすぐれた組成がつかわれているのだ。たとえばアンドロイドにはない需要を満たすべく、その上、保険は適用されないがオーガニック性向の高いユーザー用に本人のDNAを用い培養されたホンモノの内臓や筋肉を使用する場合もある。サイボーグといっても実際のところ用途は完全に細分化されるのだ。

 けれども、ぼくがみている小山善の義体、笹川文彦の義体は意外なことに流行の培養製品ではなく人工の筋肉や皮ふで覆われていることに気がつく。だからこそ、ぼくはシステムエンジニアで自身両親ともに高給取りであるにもかかわらず義体をアップデートせず標準仕様の義体を使用していることが気になった。

「小山善は、なにを考えているんだ……」そう呟いた瞬間、ぱち、と義体の目がひらいた。

 突然、前触れもなく、『ぱち』である。まるで、ぼくらの動向をみていたみたいに意識をもって、まぶたがひらいたのだ。

 センパイ、と口にする前に危機はやってきた。なぜなら小山の義体が勢いよく跳ね上がったからだ。カンフー映画みたいに無拍子で飛び上がって立ち上がる主人公みたいな感じである。だから一瞬のことにツワモノ揃いの一小隊も反応できなかったみたいだし、ぼくは拳銃も抜けずに蔵本さんの襟首を掴んで緊急回避的に床に組み伏せる以外のことはできなかったのだ。

 ――部屋のなかで虎が跳ねた――

 現場検証時に一小隊連中から出た比喩である。ぼくだって同じ意見だ。のちに回収された義体をみて戦闘用にチューンナップされた義体だ、と太田係長はいっていた。当然である。なぜなら義体が一挙に三メートルを跳んだからであって部屋のなかにいた隊員らを全員、一挙動で薙ぎ倒してしまったからである。

 そのとき、ぼくは一瞬のできごとに言葉がみつからず、かたや一小隊の連中も全員ノックアウトされてしまっていたものだから完全に警察力は敗北していたといってよかった。

 ぼくと目が合った、と思ったのは、そんなときである。

 その場にいた全員を床に組み伏せた小山善の義体がふり返ってきたのだ。完全に、ぼくたちに向かって、である。ぼくの目をみて、なにか語るでもなく、しかし、なにか伝えるためにみつめ合って――。

 だが一小隊で意識のあった者が反撃すべく拳銃を抜いたのと同時に視線が外れ拳銃もはたき落とされて隊員も気を失ってしまった。まずいなァ、と思った。完全に孤立無援だった。ぼくの手のなかには蔵本さんの命と自分の命がある。だが、ぼくにとっては選択しなければならないシチュエーションに間違いなかった。なぜなら、その両方を守るのは不可能であったからだ。

 だが束の間、横田隊長が上半身を起こしたのを機に、ぼくらに、なにか伝えたかったみたいにみえた義体は時間の無駄だと考えたらしく一目散に窓を割って空中に飛び込んでしまった。なにを伝えたかったのか、いや伝えるものがあったのか、ぼくにとってはわからなかったけれども蔵本さんが、もう大丈夫、といって起き上がれば現実に引き戻されるほかなかった。部屋のなかでは横田隊長が苦痛にもだえながら、ほかの中隊員に命令を飛ばしていた。被疑者逃亡。武器の使用を許可する――だったはず。

 数秒の後、数発の銃声がして小山の義体が機能を停止したのが確認されたから当たらずとも遠くない言葉であったはずだ。だからこそ、ぼくは銃声を聞いて安心しながら脱力するほかなかったのである。

 のちに回収された小山善の義体は完全に脳ナシで行動していたことがわかっている。だが肝心のメカニズムはわからずしまいだった。なぜなら銃器対策課が放った銃弾(9mm×4 OOB×5 7.62mm×2)によって義体がボコボコにされてしまったからで原型を留めていたのが幸いって感じだったからだ。

 そして室内に爆発物等危険物がないことを確認したのは数時間後のことで鑑識係が入ったのは、その後だった。室内には銃器対策課の足跡と指紋、ひっかき傷や打撲後など証拠といえる証拠が全て破壊され被疑者にも逃亡されるといった捜査課からすればやる気がそがれる現実が待ち構えていたのだけれども、かといって職務放棄する訳にもいかないので慎重に捜査し逃亡後の痕跡を追っていた。

「ちょっといいニュース。小山の入れ替わった人間が割れた」

 ぼくが現場を少し離れ赤色灯が眩しくない場所にある刑事課公用車に戻れば蔵本さんがいった。そして同じくホログラにIRシステムから転送された画像と動画が表示される。

「なんだかパッとしませんね」といったのは、その写真に写っていた人物が著しくつきなみで大犯罪者の隠れ蓑にみえなかったからだ。

「警察の目をかいくぐれるのは、そういった凡人だって知っているでしょ? そんなみてくれの人間にまで職質かけていたら警察官の数が圧倒的に足りない。よく考えられている」

 そういった蔵本さんの隣でノアが肩をすくめている。ぼくは完全に頭をかかえていた。

「氏名は山田太郎。年齢二十五歳、住所は西麻布です。カメラに映っていてもIRシステムには認識されていませんでした」

「IRシステムを避けて通れる道があるのか?」

 ぼくの問いにノアは、「特定個人認識システムの普及率は百パーセントです」と否定した。

「おそらくIRシステムに補足されても認識できない仕組みがあるのかもしれません。複雑なコードを組めるシステムエンジニアですからIRシステムの盲点を発見しているとみるのが妥当でしょう」

 いったノアには、「国家公安委員会が威信をかけて作ったシステムだろ」と返すほかない。

「システムに百パーセントの確証はありません。今回の事件で一番に学ぶべき教訓です」

 そして、そういってくるものだから、ぼくはいいくるめられて返す言葉がみつからなかった。

「センパイも大丈夫そうですね」だからいえば、「おかげさまで」と蔵本さんは首肯する。

 現場の刑事が二度も被疑者にやられたとあっては警察の威信にかかわる問題だからメンツは守れたと思う。そして、ぼくは蔵本さんの無事に安堵しつつ課長に報告をいれた。課長からは署に戻ってくるように命令された。

「もう四時を回ったから一回、寮へ帰る。捜査はシャワーをあびてからでも許されるはず」

 そんな蔵本さんの言葉には、ぼくも同じ意見だった。被疑者との闘いにもリング間の休息が必要だった。


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