第33話




 ぼくたちが科研から小山善についてよせられたプロファイリングをみながら潜伏先を特定するためにIRシステムとにらめっこしはじめて一時間が経過した。地域課や生活安全課、交通課、警備課の捜査員たちへ送信する『丸い円(地図上に書く小山の推定潜伏箇所印)』を書く作業も終盤だった。

 ふまじめな蔵本さんは早々に公務を放棄して小山善の壁絵について考えているし隣で淡島は苦悩の声をもらしながらコード一二三一のメカニズム解析をおこなっている。両名をみていたら自分のやっていることがバカらしくなってきた。

 だが捜査をしない訳にはいかない。ぼくが現在おこなっているのは司令部参謀がやる作戦立案で、ぼくの一挙手一投足でシティ東京内の警察官の行動が左右されるので漫然と実行する訳にはいかないのだ。いまでも会議室では課長が署長と毎分十通弱送られてくる報告の集計に忙殺されているのだから。

「だいたい終了しましたから課長へ報告してきます。センパイもまじめにやってください」

 ぼくがいえば、「出動許可を申請する」とくるだから、「そんなもん出ません」と返すほかなかった。よく捜査一課で刑事ができたものだ。

「小山善の潜伏場所の推定は終了しました。応援に参加したいのですが、よろしいですか?」

 だが、ぼくに内心とは裏腹に「待機」を命じられたら、ぼくでもうなだれて戻ってくるほかなかった。外に出たくても課長の許可がなければ出られないのである。さながら、ぼくらは大臣直轄の即応部隊ってところなのだが兵隊気質が抜けないものだから、そわそわして落ち着かなかった。

 だから気散じもかねて、「まだやってんのか?」淡島に問えば、「最後の難関」と返ってくる。ホログラをのぞいてみれば、どうやら量子コンピュータ演算で何重にもかけられているロックの解除はあきらめ様々な回路の組み合わせを一個一個しらみつぶしにしているらしい。システムのシミュレーションを再現して内部の構造を外部からあきらかにする寸法だ。

「さっきの?」と訊いた。「そう」と返ってくる。

「電波が受信されないのにプログラムが発動するってメカニズムがわかればブラックボックスがホワイトボックスになるのだけれども、そもそも電波を受信しないってのが無理」

 ぼくの目の前で頭を抱える淡島をみてみれば、ひどく同情的な気分にならざるを得なかった。

「なにか代替的な受信装置が隠されているんじゃないか?」ぼくが訊けば横に首をふった。

「電波の受信素子になる箇所は脳てっ辺のアンテナと耳なんだけれども、どちらにも回路が通った様子がないんだ。どこか別の場所を経由している形跡もなし。というか、頭脳すら経由していないんだ」

 なにいってんだ? ぼくはたずねていたと思う。淡島が重ねて説明を繰り返していた。

「どこからか受信された電波によってコード一二三一が発動する。それが一連の流れなのだけれども問題は二つある。ひとつめは電波を受信していないことで、ふたつめはコード一二三一が発動しても、アンドロイドの頭脳にまでプログラムが届いていないことなんだよね。だからAIは自分の頭で考えずに自殺したことになる」

 反射的だな、といえば、「そうだね」と返ってきた。反射的、どこからどうみても反射。

「反射?」だが、そこで、ぼくらはひとつの回答を目の前にして二人で顔を見合わせることになったのだ。反射である。

「反射だよ、反射! どうして今まで気がつかなかったんだ! アンドロイドも人間も同じ原理で作られているものだから反射があるんだ! プログラムを仕込めば自殺できる」

 淡島が目にみえて興奮しはじめた。きみはエンジニアリングの才能がある、といいながらバーチャル回路を組み上げる様子をみて、なにごと? とぎょっとした蔵本さんが、ぼくの方をみてきた。ウイルスの仕組みが解けたのです。

「耳や目でみたものをスパコンに通らない。補助コンピュータで処理させたら倫理回路は通らないから反射を応用できる! 電波によってコード一二三一を発動させるのはアンドロイドじゃなくてサイボーグのメカニズムが基礎だったんだ」

「なにいってんだ?」とぼくは困惑した。

「人間にみえない色や音があってもアンドロイドでは知覚できる。なら電波を受信しなくてもコード一二三一が発動した原理もわかってくる。アンドロイドの受信素子は関係なかったんだ。重要だったのはパッシブセンサー、アイボールセンサーやイヤーピースについてだったんだ!」

 淡島がタッチパットを叩いている。蔵本さんが興味津々でイスを転がしながらよってきて隣で落ち着いた。そして、ついにアイボールセンサーで視覚した場合の回路とイヤーピースで聴覚した場合の回路が組み上がった。

「きみは、どっちにする?」と淡島がいってくる。ぼくは考えた。生物は高校のとき以来で記憶に残っているのはランゲルハンス島や裸子植物くらいなものなのだけれども、どうやら、そういったものは関係ないらしく別の視点から考えなければいけないらしい。ぼくは目線を落として思考に集中した。ぼくの手もとで小山善が残した証拠資料一覧がホログラに浮かんでいる。

 ぼくは、そこにヒントがあると思った。ならば答えは一つしかない。目立つものといえば残された壁絵くらいなものだから。ぼくは壁絵の意味を考える。白以外の色が混ぜられて、みえないものを形作られた世界から、なにが浮かんできたのか思い出した。影――である。人間の影。そして、それを形作ったのは光だった。光をみるのは目だ。たぶん蔵本さんも同じ結論にいたったらしい。

「目だ。アイボールセンサーの方か?」ぼくがいえば、「ビンゴ!」と淡島が返してきた。

 淡島が走らせていた二通りのシミュレーションのうち視覚素子で条件付けした方のシミュレーションがプログラムを構築させて残った。聴覚素子の方は途中ではじかれてエラーが検出されていた。

「ちゃんとヒントを残してくれていた。ぼくたちに解いてみろっていっているみたいに」

 淡島がいった。まるで犯人が提示した問題を解き終わった受験生みたいな様子でいる。

 だが、ぼくは、その淡島の言葉に違和感を覚えずにいられなかった。たしかに現在までの犯行は挑戦的だったが、ぼくたちに対する挑戦か、といわれたら、そうではない、と否定される要素が、いくつもあったからだ。

 いや、そうじゃない――と蔵本さんも答えた。

「小山は、わたしたちに挑戦なんかしていない。むしろ、どちらかといえば、わたしたちが小山に挑戦している方。あいつは、わたしたちのことなんか、まるで気にしないはず」

 いいながら蔵本さんは手もとで浮かぶ小山の壁絵をみた。まるで、なにか別の問いが隠されているみたいに。

「被疑者は、ぼくらに自分の犯罪をみてほしかったんじゃないですか? たぶん犯罪を察知する人間を想定していて、だから部屋に犯罪のヒントを隠した絵を残したんだと思います」

「そんなことを知らせないなら絵は描かない。わたしたちにメールや手紙でも送ってくればいい。わざわざ絵を描いたってことは自分と同じ視点や理論を理解できる人間を探すため挑戦じゃなくて探索の意味が強いはず。わたしたちが意味を理解できるのか見極めた」

 そんなことをいってくる。だから、

「どういうことです?」ぼくは悩む蔵本さんに訊いた。

「あの絵が意味するのはウイルスのヒントのみならず自分を理解する人間に対し自分を理解させるための文句が隠されているはずって話。あなたも少しくらいは自分で考えなさい」

「すみません」と蔵本さんの指摘に、ぼくはかくれて首をすくめた。蔵本さんの様子が普通に戻ったらしく安心した。

「お前は、どう思う?」それで、ぼくは話題の震源地になった張本人に訊いてみたのだけれども、「ぼくは門外漢だよ」と淡島は困った表情をしているからあきれるほかなかった。

「だからセンパイは絵に、なにか隠されている、と」

「ぜったいに。それこそ一回、被疑者と話してみたいね。電話ではなくて対面で。もしかしたら思考の疎通ができるかもしれないから。あなたも小山のプロフィールを読んで感じたことがあれば絵に落とし込んでみて」

 だからこそ、ぼくは絵について取りつかれることになる。蔵本さんの言葉や、あの部屋でみた異様な光景、異質な感覚、そんなものが、ぼくのなかで混じっていっている感覚がした。ぼくにとっては、まさしくあぶない感覚に間違いない。

 いっても信じてくれないかもしれないが、ぼくは今まで、あぶないものには近よらないし近よっても警戒するってのを徹底してきた。ぼくは経験上、無意識下であぶないものには蓋をする習慣がついていた。日常生活でも事件捜査でも同じで被害者の心理状態に引っぱられない、被疑者の残虐性を体にいれない、といった事件の概要を追完して感じるのではなく。いわゆる事実行為として受け取ることで自分のなかへあぶないモノが入るのを防いできた。

 なぜなら、あぶない『モノ』が自分のなかに生まれたら自分もあぶないものに同化してしまうからだ。ぼくが完全に犯罪者と同じになる感じがするからである。ぼくが犯罪者の思考を読めても警察官をやってきたのは犯罪者がもつ犯罪の動機を読まなかったからで警察官としての良心をうしなうことなく保つことができていたからだった。

 職務上の良心を保つには努力がいる。一回、うしなってしまったら取り戻すのに苦労する良心だ。ぼくにとって犯罪者の思考を読んでも犯罪者の感情を読まなかったのは、そんな意識が、ぼくの無意識下にあったからなのだ。

 だから被疑者が残した壁絵は、ぼくにとって被疑者の心と同化するあぶないモノで、ぜったいに踏み込んではならないD線だった。しかも、ぼくは、その事実について、あの部屋のなかに入った瞬間に理解していた。だからこそいまとなっては無駄になったが、ぼくはあの部屋へ入った瞬間に感情のスイッチを切っていたのである。完全に自分自身の感情の感受性をオフにしていたのである。

 だが今回の被疑者は自分の心を読めといってきている。自分の心に入ってきてみろといっている。被疑者の思考は、なん回も潜ったことがあるプールだが、被疑者の感情は未経験の深い沼だ。そこに潜ったら最後、ぼくが無事に生きて戻れるかわからない深い沼である。

「センパイは、どんな感じがしましたか?」だから訊いた。蔵本さんは考えながら答えた。

「わたしも、まだわからない。でも小山は人間に対して興味があって、そこから犯意を発現したかもしれないってのはわかった。だから絵をみて人間に対する好意の感情を覚えた」

 たしかに絵には活き活きとした人間の活動が描かれているものだから、その捉え方は正しい。あなたは? と蔵本さんがいった。

「ぼくは人間に対する疎外感――どこか遠くで人間をみながら観察する感じがしました」

 絵に対する解釈は、それぞれだと思わずにはいられない。だが本質は似通っているみたいに感じられた。

「あるいは普通の人間に対して、なにかの特別な感情を抱いているのではないですか?」

「おそらく正しい。義体が原因なのか、もしくは、もっと別の場所に原因があるのかはわからないけれども、わたしも小山が人間に対して、なにか特別に思うところがあるって点は賛成できる。それこそ単純な好意じゃなくて物的な好意……」

 ただ、そういった瞬間、会議室のドアがひらいて課長があらわれた。どうやら出番がきたらしいのだ。だから、ぼくらは即立ち上がって下命にそなえることになったのである。

「たった今、被疑者の潜伏先が割れた。場所は新島区四丁目のアパート、ときわ荘。銃器対策課とノアくんが臨場しているから、きみたちもいって合流してしろ。以上詳細は現臨中の敷根課長から指示を受けてくれ」

 課長はいった。「了解です」と蔵本さんが答えた。

 ぼくは自分たちのマップを確認しポイントするのも忘れない。口には出せないが、ケガするな、と課長が目線でいっているのがわかった。ぼくは任務を遂行するだけだが課長だって部下を死地に送り出すのは心苦しいはずだ。だから、ぼくらは課長に目礼してから現場へ向かった。

 われらがシティ東京は一丁目から四丁目まで四分割されていて新島署四丁目はシティ東京における南西部の住所だった。一丁目は木更津に近い南東部、二丁目は幕張に近い北東部、三丁目は戸川に近い北西部、そして四丁目がベイブリッジに近い南西部ということになる。夜景がみえる四丁目は、けっこう居住地として人気が高い。

「あなたはひとを撃ったことがある?」

 そう蔵本さんが緊急走行する公用車のなかで訊いてきた。ぼくは、しずかに否定した。

「ありません。新人だったので銃を抜くことはあっても撃鉄を起こす前に現場から離されました」

 ぼくはいった。蔵本さんは、その言葉の意味を反芻し内心を読んでいる風にみえたが、

「わかった。なら今回は覚悟しておいて」そして重く冷たい口調で忠告してくるのである。

 だから、ぼくは蔵本さんのいったことに、なにも返せず自分の腰に吊るした拳銃の重みが倍になった気がしたのだ。

「いつ、どんなときに撃てばいいのでしょうか?」

 ぼくの口から無意識に出た言葉で蔵本さんは薄く嘆息する。慌てて撤回しようとすれば、

「原則はシンプル。切迫した場合、重大犯の逃亡可能性がある場合、ほかに正当な手段がないと信じるに足る理由がある場合、比例原則で妥当な場合。警察学校で習わなかった?」

 習いました、と答えた。

「あなただったら、わかるでしょ? 一回、銃撃戦に巻き込まれているのだから。あれよりもヤバくなったら引き金を引きなさい。つぎは、わたしが突き落とされる前に撃って」

 いった蔵本さんに、「わらえないっスよ」ぼくは苦笑いだったのだが、ぼくの緊張感が顔に出ていたのか蔵本さんは薄く息を吐いていた。

「わたしも初めて凶悪犯罪の現場に臨場したときは緊張した。だから、いまのあなたの気持ちがわかる。現場に臨んでも、どうしたらいいのか、まったくわからなくて、どうしようもないくらいに不安なはず。けれでも、新人のあなたを助けることくらいは、わたしにだって可能だし、わたしはセンパイ刑事だから、あなたを導くことくらいできる。安心してついてきなさい」

 といってしてやったみたいな面持ちになるものだから、「なんだかムカつきます」と返すほかなかったのである。だからなのか蔵本さんは空気も考えずにからからと隣でわらっていた。そして蔵本さんはシリアスになってしずかにいった。

「わたしが警察官になったのは小学校のころ、お巡りさんに助けてもらったから。わたしが川に落ちたときに飛び込んできて助けてもらったから。足もつかない川だったのに弾帯や防弾ベストを着ながらね。かっこいいと思った。すごいと思った。わたしも将来カッコいいひとになるって思った。わたしでも、あなたにとってのお巡りさんになるくらいできるはず」

 その蔵本さんの表情は本当だった。たぶん、いまの言葉は自分の言葉を真っ直ぐ隠すことなく伝えてきたのだ。だから、ぼくは蔵本さんの言葉を信用することができたし、はじめて蔵本さんの真意が読めた気がした。

「ぼくも努力します」そう答えれば蔵本さんは、よろしい、といった。それからは満足したらしく現場までひと言も話さなかった。だから、たぶん蔵本さんは自分とつながっている人間がほしかったのではないかと思った。自分の苦しみを担保できる人間がほしかったのではないか? 

 蔵本さんが抱えているものは誰にでもいえることではない。そして、ぼくの抱えているものも、たぶん誰にでもいえるものではないはずだ。だから蔵本さんは、お互いの苦しみを分ち合って、お互いに秘密を共有できる関係がほしかったのではないか? そう思わずにはいられない。蔵本さんだってひとりで戦っていたのだと思わずにはいられない。ぼくは蔵本さんの絶望を理解した。だが、ぼくは、そのことを口にしなかった。いや、するまでもなかったのだ。なぜなら、ぼくが理解したことを蔵本さんも理解しているからで言葉にする必要がなかったからだった。


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