第27話




 やっと長い一日が終了して警察署に刑事課にデスクに戻ってきた。課長や緒方係長は帰宅した後だった。今日一日、ぼくらは充分に働いたと思う。けれども、まだ、やるべき仕事が残っていた。川島が持つ笹川文彦暗号化ソフトの回収である。

 被疑者が残した唯一の証拠品を手に入れる千載一遇のチャンスで、またとない機会で最初で最後のブレイクスルーポイントだ。ただ、それ以上に問題なことは隣で蔵本さんが期待の眼差しをもってみていることだ。ゆえに失敗は絶対にできない。

 それに、ぼくらが証拠を手に入れられたら、たぶん特捜本部が設立されことになることも間違いなかった。もし仮に特捜本部が立てば、ようやく四人といった貧弱な捜査体制から解放され本庁の精鋭捜査員やノウハウの洗礼を受けられる。犯人逮捕が確実になるものだからねがってもやまない効果だった。

 だから、ぼくは、今まで以上の慎重さを持って川島の個人用データスペースへアクセスした。といっても川島本人の許可があるのでアクセス権限をオーバーライドでき流れとしては新島署のサーバーから川島の個人用データスペースへ侵入、当該ファイルを検索、Kファイルをひらいた、という感じだった。なにもおかしなことはない。

 だが問題は注意深く静かに進行するもので、はじめに異変を感じ取ったのはノアだった。

「わたしのコンピュータが新島署のサーバーから隔離されました。原因を検索しています」

 それから、「坂上刑事、作業を中止してください」とノアがいった。ぼくはノアからの指示に両手をあげてファイルもそのままにタッチキーから離れたときには、なにが起こっているのか全員が理解していなかった。

「なんでしょうか。わたしのファイアウォールが発動したのは間違いないのですが、新島署のコンピュータはアラートが発令されませんね。もしかしたら、わたしが攻撃を受けているのかも。いまから警視庁の方に確認を取ってみます、そこで問題が発覚すれば、わたしの方に原因があるということです。なければ新島署のサーバーに問題が発生したことになります」

 そんな風に冷静に状況の判断をしていたのも束の間、ぼくらはバタバタという大人が大人数で走りながら移動する足音を聞くことになったのだ。しかも刑事課に近づいてくる。

「坂上巡査長!」と怒号をもってあらわれたのは生活安全課長の川合警部だった。その下にゾロゾロとサイバー犯係の捜査員がつづいている。

 なにごとかと思って、ぼくはデスクから立ち上がった。そして川合課長と目が合う。なんだかもう毘沙門天かなってくらいおっかない表情で、メデューサみたいなおそろしい視線を向けてくるものだから、ひぇって肩がすくんだのだが、ぼくをみた川合課長は意に介さずビシっと指さしてきて、

「あれだ! あれだ! 確保! 確保! 確保!」そう捜査員に対して指示を飛ばすのだ。

 とびかかってきた男たちの動きは、まさに逮捕術の訓練そのものだった。しかも逮捕する側がサイバー犯係の連中(全員上官!)、逮捕される側が、ぼくといった予想もしない事態が発生するものだから今後の展開は誰にも予測できない! 

 おとなしくしろ! とか 抵抗するな! とか、そういったうたい文句に騙されず、ぼくは公権力の不当行使に反抗してみせた。ただまあ日ごろから凶悪犯と渡り合っている堅固な強行犯係の捜査員だったとして、さすがに八対一の人数差は、どうにもならなくて一人二人は背負い投げや巴投げで刺し違えてみたのだけれども、それから五秒後に、ぼくはあえなく確保されてしまったのだった! (その間、蔵本さんたちはデスクに避難してみているだけだった)

「なんすか!」と抗議してみる。「ウイルスだ! ウイルス!」と川合課長から返ってくる。

「新島署のサーバーにマルウェアが侵入した。逆探知し原因を探れば刑事課強行犯係坂上正義巡査長のデスクが発信源だとわかった」

 そんな川合課長の言葉によって、ひゅぅと肺から空気がもれ出た気がした。秘密情報漏洩、職務上注意義務違反、懲戒処分、減俸、左遷、田舎勤務……数コンマ秒のうちに、そんな言葉が頭蓋骨内部を駆け巡って火花を散らしていた。

「わ、ワクチンソフトは?」ぼくの質問に、「現在、対処中」川合課長から短く返ってきた。

「源田係長、坂上刑事から事情聴取。環境保全のため刑事課全員のコンピュータは一時停止! 蒲田課長に非常呼集下命、署長に緊急連絡。手すきの者は挙手、通常業務に戻れ」

 そんな風に指示を飛ばす川合課長の視線には深刻な問題に対処するサイバー犯係の連中がうつっていた。

「きなさい」と源田係長に連れられて、「はいりなさい」と刑事課の取調室に突っ込まれる。

 なんだかんだ捕まった犯罪者の気持ちがよくわかった気がしたが、それ以上に気になるのは、ぼくのミスについてだった。

「現在、被害は、どれくらい出ているのですか?」ぼくが訊けば源田係長は少し考えたが、

「刑事課のスペースは相当だ。ほかは生安のファイアウォールで、なんとかもっている」

 そう答えた。ぼくは調べ官側の席に座らされて源田係長は補助官の席に座った。被疑者側の席に座らされなかったのは源田係長の温情だったかもしれない。源田係長が質問する。

「なにやってた?」

「アンドロイド殺人事件の捜査です。被疑者が残したものと思われる暗号化ソフト回収をおこなっていました。ウイルスチェックもしたので大丈夫だと思っていたのですが……」

 ぼくは自分でも目線があっちこっちにいっている自覚があった。たぶん源田係長からみれば相当に不審だったに違いない。

「先週、われわれも同じウイルスに引っかかった。首都高交通事故事件の捜査途上でだ」

 ただ源田係長が突然、そんなことをいってくるものだから、ぼくは、「え?」と衝撃と驚きに飲まれるほかなかった。

「そんなこと聞いていませんでしたが」ぼくが口をひらけば、「サイバー犯係がクラッキング食らったなんてこと公にできるか? 署長と内々にもみ消した」と真顔で返ってくる。

 うわ、と内心いやなことを聞いたと悟ったが、眼前の源田係長が口外すれば、お前の存在も消すみたいにガンたれてくるものだから、ぼくはおとなしく黙って了解するほかなかった。

「まだ市場に出ていないタイプのウイルスだ。AIの目的と行動をランダムに配置するメカニズムで構成されている。感染したコンピュータの復旧には数時間程度必要だ。あいつが引っかからなくてよかったな」そういってノアをみている。

「トロイの木馬っスか?」ぼくが訊ねれば、「古典的だが効く」と源田係長から返ってきた。

 そして源田係長は自分のヒゲをなでて刑事課のオフィスから視線を取調室内に戻した。

「刑事課は誰を追っていた?」

 そんな源田係長からの質問には、「笹川文彦です」と答えた。 ぼくの回答を聞いて源田係長は考えている風にみえたが、やがて秘密にするのもムダという結論に至ったらしく口をひらいた。

「笹川文彦。三十一歳。男性。本籍、北海道釧路市柏木町五番六号。サイバーエレクトロジャパン勤務のエンジニア。在宅勤務で住居は東京都江東区新木場一丁目三番地となっているが、彼のアパートにいってみたら誰もいなかった。いや誰かしらが住んでいる気配すらなかった」

 源田係長は、ぼくにホログラで資料を投げてくる。ぼくは受け取って現場写真をみた。

「コイツです。しかし勤務先とアパート、よくわかりましたね」そうやって、ぼくがいえば、

「課でサイバーエレクトロの社員全員に所在の確認を取った。三日三晩寝ずに。それに比べて署のコンピュータにウイルスばらまいて被疑者の情報をもらえるんだから感謝しろ」

 そして源田係長は、そんな風に睨んでくるものだから、ぼくは頭をかいて、ごまかすほかなかった。

「ナノマシンによる位置情報検索や、IRシステムによる監視には引っかかっていないってのも同じですか?」ぼくの質問には、「同じだ」と源田係長の渋苦い表情が返ってくる。

「どこから笹川に?」

「われわれにブレインジャパンからタレコミがあって日本技研にいる川島があやしいとなった訳です。いえ川島は脱税犯だったのですが、その川島に脱税の証拠を暗号化するソフトをわたしたのが笹川文彦だった、という感じです」

 ぼくがいえば、「いやはや妙なところで繋がったな」と源田課長は怪訝な表情になった。

「そこから調べられると思っていたのですけれども、ぼくの見通しが甘かったみたいです」

 源田係長は、当然だ、という面持ちになったが面と向かって文句を口にするのはやめてくれたらしい。

「前回は対処で手一杯だったが今回は逆探できた。刑事課にも結果がわかれば教えてやる」

 それから源田係長は立ち上がるものだから、「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます」ぼくはいって頭を下げるほかなかった。

「明日、サイバー犯係で不正アクセスの件について調書を取る。明朝〇九〇〇に三階へ出頭しろ。刑事課長には話を通しておく。公務で取り調べされるってのもわるくないだろ」

 源田係長は冗談とは思えない冗談を口にして取調室から出ていった。だが、ぼくは両肩やみぞおちや足を重たい鎖でつながれたみたいな感覚に襲われる。というのも今回、ぼくがやらかしたミスは大きい。刑事課の大切な捜査資料や個人情報の流出可能性、捜査状況の漏洩、警察内部のコンピュータの脆弱性露呈、それにサーバーのクリーンナップに、どれくらい掛かるのかも不明だ。

 ぼくが取調室から出れば蔵本さんが川合課長と話し込んでいるのがみえた。いや話し込んでいるというよりも、ぼくのせいで川合課長に怒られているといった方が正確だった。

 今回のミスについて蔵本さんも関係ないこともないが(いや、ぼくの新任教養担当としておおいに関係している)、ぼくのミスで他人が怒られるのをみるのは、なかなか堪えるものがあった。

「すみませんでした」川合課長が去ってから、ぼくが謝れば、「わたしのミス」と蔵本さんは返してきた。くちもとは固く結ばれているのに表情は明るくみえるのが蔵本さんのこわいところだった。

「新人に責任なんてない。全て、わたしが招いた結果だから。あなたは通常業務に戻って」

 すべてが最悪だった。せっかく川島から聞き出した情報で川島宅でのミスを帳消しにできたと確信していたのに最後の最後で今日一日、最大のトラップが仕掛けられているなんて思いもしなかった。完全なる失敗だった。

 そして課長がやってくる。しかもスーツでだ。たぶん帰宅して間もないのに呼び出されたのだろう。課長からしてみれば、たまったものじゃないはずだ。だからなのかそうじゃないのかさだかじゃないが課長は、どこか、ただならぬ様子でいる。その上で、ぼくと蔵本さんはふたたび取調室に呼び出されるのである。今回は被疑者側の席だった。ぼくは今夜、普段から部下の行動について、とやかくいわない課長からじっくりとしぼられることになったのだった。


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