第24話
家宅捜索から戻った帰路、ぼくは公用車のハンドルを握りながらある種の不安を覚えていた。それは現在の捜査に立ちはだかる壁や暗雲を排除して真の被疑者にいたることができるのかといった不安である。
蒲田課長や緒方係長の指導力といった次元の話ではない。ある種の捜査活動に絶大な信用を置いていた蔵本さんが完全に沈黙してしまっていたからだ。いまも助手席で、なにをするでもされるのでもなく黙って座っている。
いや次の一手のために思考を巡らせているとか過去の事件から推測しているなら、ぼくだって不安にならない。いまの蔵本さんは完全に思考のスイッチを切って時の流れに身をゆだねているみたいにみえたからだ。
「川島の件について、ぼくは完全に読み間違えていました。川島は被疑者に利用されていて自分からは犯罪ができない性格だと思っていたのです。けれども大規模な脱税をやらかしていて国税局の取り調べを受けています。はじめから蔵本センパイは川島が黒だと思っていたのですか?」
ぼくの質問に蔵本さんは若干、ほうっておいてみたいな空気をみせたが次第に口がひらいた。
「わたしも真犯人じゃない確信があった。それに、あんなに大きな犯罪ができるとも思っていなかった。おそらく、あれは川島本人の犯罪じゃない。もっと別の者が考えたもの」
そんなことを蔵本さんはいってくるのだ。ぼくは聞きながら、どういうことです? とふたたび訊ねるほかなかった。
「川島の人生の限界点は、もっと低いレベルの場所にあったはずだから。本来、川島はもっとコモノ。超大企業の課長なんかにはなれない。なれたとしても係長くらい。でも、あそこまで出世できたのは、おそらく企業から脱税の件で歯車のひとつとしてスケープゴートにされる予定だったから。日本技研にとっても逮捕されるのは予定調和で、おそらく全部の罪を被せられることになる」
あのオジサンかわいそう、と若干の同情と一緒に蔵本さんは肩をすくめて息を吐いた。
「なら川島は、それをネタされて真犯人から利用されていたってことになるのですか?」
ぼくの問いに蔵本さんは、違う、と明確に否定した。
「直接脅迫されて利用はされたってことはないと思う。むしろ逆。川島自身も気がつかない間に利用されていたって考えた方がいい。たぶん、わたしたちの件で川島を叩いてもなにも出てこない」
そんな風に蔵本さんはいってから、ぼくのホログラにある一つのデータを転送してきた。
「川島が保管していた帳簿のコピーをもらってきた。みてみたら資産・負債・純資産の順番に、なにか不明な文字列が隠されていることがわかった。なにかの暗号かもしれない」
ならカエサルに解読を依頼しましょう、と提案すれば、「じゃあ、そっちは任せた」と返ってくるのだ。
だからこそ、ぼくは蔵本さんの答えに一瞬、はしごを外された感覚になって、「ぼくがやっていいのですか?」とたずねることになったのだ。その問いに蔵本さんは首肯している。
「あなたなら喜ぶと思ったけれども、なにか不満があるの?」
そして蔵本さんは、なにか疑問ある? という様子になるのだ。疑問ならたくさんある。
「いえ不満はないです。ただセンパイがやるものだと思っていたもので驚いたって感じです」
そんな風にいってから、ぼくは隣をみた。蔵本さんに内心を読まれていたら目も当てられないと思っていたのだけれども、しかし当の蔵本さんは手のひらで支える首を窓にあてながら視線を外に向けているものだから、え、と若干ながら、ぼくの胸からでた驚愕がもれてしまった。
「どうかした?」そして蔵本さんは訊いてくる。
「ぼくよりも蔵本センパイの方が戸惑ってみえます。なにか問題でもあったのですか?」
だから、ぼくは素直に蔵本さんにたずねるほかなかったのだ。いまなら蔵本さんの本心が理解できる気がした。
「問題なら山積み。今日の始末書、明日の捜査方針、あなたの教養、記者会見の準備は副署長の仕事か――。だから、わたしだって移動中は少しくらいなら休む権利があると思う」
しかしながら、そんなことをいってくるのである。
「そうではなく蔵本センパイは、なにかひっかかっていることがあるのではないかな、と」
ぼくの言葉に蔵本さんは動揺をみせなかった。当たり前だ。わざと隠しているのだから。
「今日のせいで、むかしの失敗を思い出してブルーになった。けっきょく同じところをぐるぐる回っているだけだって気がついた」
そして蔵本さんは、どうしたものかと悩んでから、しぶしぶ口をひらきはじめていた。
あなたに気にされるようなら相当ね、とも蔵本さんはかわいたわらいを浮かべていた。
「川島のバックに被疑者がいるのはわかっていた。だから十中八九、被疑者が川島のコンピュータかデバイスにアクセスした記録があると思っていた。けれども調べてみたら、なにもなし。それで、どうしようかなって」
ぼくは蔵本さんも同じことを思い、そして行動に移していたことに対し少し驚いていた。
「ぼくもブルーになっていますよ。いつまでたっても蔵本さんが、ぼくの少し先をいっているんだなって」
今回は自信あったんですけれども、といえば、「あなたに負けるはずないじゃない」と若干むっとした声が聞こえた。そんなことだから、と思ったが、ぼくは表に出さなかった。
「わたしたちが追っている人間は、ずっと先をいっている。わたしたちのとんでもなく先をね。追いつくことは容易じゃない」
そして蔵本さんは、うっとうしい問題に対し苛立ちを隠せない様子で首をふっていた。
「蔵本センパイが、もっとも懸念しているのは、やっぱ十二月三十一日のことですか?」
ぼくが訊けば、「誰だって同じでしょ」と返ってきた。あなただって気にしているじゃない、ともいっていた。
「あと四日、正確にいえば三日と二十三時間しかない。そういうプレッシャーは余計な行動させるに十分なエネルギーを持っている。わたしたちは最短で被疑者にいたらなきゃいけないのに一挙手一投足が正しいのかって、その都度自問自答しなきゃいけないのだから」
賢しい犯人よ、そう蔵本さんは追加で口にした。
「ぼくたちが犯人から劣っているから、そんな罠に引っかかっているってことですか?」
ぼくは訊いた。しかし蔵本さんは不似合いにからからとわらって、「違う」とふたたび否定した。
「できそこないの刑事だったら罠にかかることもできない。だって被疑者は、わたしたちのような存在があらわれることを計画段階で見越して自慢のトリックを仕込んだのだから」
なにが目的なんです? ぼくは怪訝になっていたと思う。
「たぶん犯人は必ず警察が計画を察知してくるのを推測していたんだと思う。だから、すべての捜査員が確実に収束する点がほしかった。今日のがソレ。八王子の件でも東京シティスカイの件でも、どれでも。むしろ犯人からしてみれば遅かったくらいかもしれない」
そういうことか、と内心で独白した。
「そして完全に被疑者につながる糸が切れた。すなわち自分の後を追いかけられる刑事じゃなきゃ引っかからない罠を仕組んで、そして自分の存在を消しにかかったってことね」
だからこそ、ぼくは蔵本さんの言葉を聞きながら自身の成長を実感して頬が上ずるのだ。
「なんだかぼく自信出てきちゃいました」ぼくがいえば、出さないで、そんなもの、と蔵本さんは本気でいやがっているみたいにみえた。
「刑事が自信をつけるのは被疑者を逮捕してから。いま満足しているなら探偵になった方がいい。あなたが得意なのは犯罪者の逮捕じゃなく事件のトリックを解く方みたいだから」
そして案外辛辣ことをいわれるのだ。
すみません、と、ぼくは苦笑いで前を向いたもののやればできるじゃんと内心で調子づくのは止められなかった、と実感するのは、ぼくのゆるんだ表情がフロントガラスに写っているのをみたからだった。
そして自分の表情を透かして目に入ってくる東京の街は既に夜に差し掛かっていた。ちょうど西の縁から太陽が落ちていくタイミングだった。ビルや街頭や車や空に光が灯りはじめている。ぼくは、むかしから、そんな真っ黒な夜と雑多な光が混じる光景が好きだった。
たぶん夜が好きだからではない。むしろ一日で限られた間にあらわれるたそがれが好きだったのだ。刹那にして切なく、そんな情緒を気に入っていたのだ。まぶしく光にあふれる日中と暗く静かな闇が支配する夜、その狭間で全てが溶け出す時間が案外と好きだったのかもしれない。
「蔵本刑事、坂上刑事」と新島署に戻ればノアが出迎えた。
どうやらノアも日本技研から戻ってきたところだったらしい。甘木巡査らと別れて、ぼくたちの方へ走ってくる。あっちもあっちで大変だったみたい、と蔵本さんが口にした。
「ご苦労様です。今回はお手柄でしたね」
それから、そんなこともいってくるものだから、お手柄なわけないでしょ? とめずらしく蔵本さんがノアに八つ当たりしていた。そうですか? とノアは困っている様子だ。
「ぼくたち人間には案外苦労があるんだ。ああやって悩む苦労が。いままでなにしてた?」
「わたしたちは川島のデータベースから押収した証拠品を国税局にわたしてきたところです。国税局から許可を取って全部のコピーは取ってありますから、ご覧になりますか?」
それでもノアは自分の任務を完遂することを選んだらしい。けっこうな量のあるデータをもってたずねてきている。
「ぼくのデスクに送っておいてくれ」そしていっている間に蔵本さんは、そそくさといってしまったものだから、「なにかあったのですか?」とノアが不思議な表情をみせていた。
ぼくは、「センパイだって人の子ってことだ」とノアにいって刑事課のオフィスに戻るほかなかった。
それからオフィスでは課長と緒方係長が先着していた。すでに書類に埋もれているみたいにみえる。四方六方八方ホログラで埋まっていることからもいまの状況を理解できる。
「坂上くん。今回の出動報告書、任せたからね。蔵本くんは?」
「どこかにいってしまいました」そうやって首をかしげる緒方係長にノアが答えている。
消えた蔵本さんに緒方係長は、いそがしいのに困るなあ、といっていたけれども、だいだいの行先は予想がついた。たぶん、あそこだ。ぼくが視線を休憩室に向けてみれば寝転ぶ蔵本さんの姿がみえた。
「緒方係長、今日の送迎は?」課長が係長に訊ねている。
「奥さんに任せてきました。最近、息子には飽きられてますからね。いい気分転換です」
そういって書類に埋もれるものだから管理職の苦悩ってやつが感じられた。『緒方係長は毎日、子どもさんを迎えにいっていらっしゃるのですよ』とノアが耳もとでささやいていたが、いまとなっては驚かない。
「蒲田課長、カエサルの使用許可をもらいたいのですが、少し使ってもよろしいですか?」
だから、ぼくはタイミングを見計らって車内でつくった書類をもっていった。ぼろぼろで戻ってきたのに案外、刑事課の雰囲気は悪くないものだから課長は書類の内容を一読して決裁し、「許可する」と思った以上に容易に許可をもらえた。
――ちなみに『カエサル』とは国家統合情報局が運用する暗号解読プログラムのことである。国民一般的に国家統合情報局は内閣府の日本版NSAとして知られシンボルにシーザー暗号がつかわれていることから、そう呼ばれるのだ。警察も警部級の許可があれば使用可能な規定がある――
「なにをはじめるんです?」ぼくがデスクに戻ればノアが訊いてきた。
「蔵本センパイが貸借対照表に、なにか隠されているっていっているんだ。それを調べる」
そしてカエサルに接続すれば、「わたしも手伝います」とノアが隣についた。頼もしい助手である。だが、
「じゃあ、なにか晩飯、買ってきてくれたら助かる。たぶん今日も退署が遅くなるから」
そうやって指示を飛ばせば、「了解です」とノアは立ち上がって、「サンドイッチを買ってきます」といっていた。
その上、ぼくとノアの会話を聞いていたのか緒方係長が、「わたしもひとつおねがいできるかな?」と手を挙げて、「ついでに、わたしもカレーパンよろしく」と蒲田課長も口にしているものだから、「すこしくらいは自分でしてください」とノアも苦笑いになるほかないようだった。
「いってきます」と、ぼくらはいってしまったノアの背中を見送った。まだまだ蒲田課長も緒方係長も士気は落ちてない。たぶん刑事課のみんなが事件解決に向けて自分のできることをやっているようにみえる。そして、ぼくもデータをカエサルにアップロードしたのだった。
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