第23話




 現在、ぼくの体内には、かすかな疲労感とアドレナリンが流れていて、ほかに余計なものはない。シャワーを浴びる間も、たしかにマシになった集中力を少しも切らさずできた。

 だからこそ疑問は晴れない。そして、だんだん深まっていく。

 だが、そんな幻想にとらわれているヒマはなかった。ガサ入れ……の用意が着々と進んでいたからだ。ほどなくして、ぼくらは三班に分散して新島署を出発した。第一班は課長と係長のペア、第二班は蔵本さんとぼくのペア、第三班は日本技研本社へいく甘木巡査の応援でノアがついてきている。

 ぼくらは首都高にのった。いつもなら厳重な検査で十分ほどかかる検問所は通らない。

 捜査活動中の警察車両なら入国審査所くらい厳しい検問所も二秒でスルーできるのだが、いマイたいな特例を大っぴらにしていたら途端に一発で捜査車両だとバレて犯罪グループから写真を取られるのがオチだから今回みたいに緊急でない場合は検問の裏にある専用通路から出ることになっているのだ。

 ぼくは窓の外をみる。今日も不穏で満ちている本土の空、シティ東京とは百八十度違った空気感が流れる街並み、新島署に着任して一週間も経っていないのに、そういったものが遠い世界になってから、ずいぶん経ったみたいに思える。シティ東京にくるまで過去から離れて未来で生きるといったことが、そんなにやさしいことだと思ってもみないことだった。

 ぼくの人生には過去しかなかった。そして今現在は未来がある。

 そんな対比を思いついたとき、ぼくはハっとして気がついた。それはたぶん今回の被疑者にも、そんな瞬間があったんじゃないかって認識することを自分自身で拒否していたということだった。どうしてなのか? といった疑問にもいまなら答えることができる気がした。

 なぜなら、ぼくは警察官だったからだ。それは国家権力そのもの、警視庁の先遣隊、そんなくだらないと思っていたアイデンティを案外、ぼくは大切にしていたってことだったし、そんな取るに足らないアイデンティティにしがみついていた、ということだったのだ。

 社会を憎み国家を軽蔑した自分が自分の精神的支柱として選んだのが、国家や社会を守る存在だったのだからわらいものだ。だが、その本質、いわゆる、どうして、ぼくは警察官になったのかっていう動機は、まだわからなかった。

 ぼくは矛盾しているし狂っている。そんな自分自身と対話することが捜査を進めるなかで多くなったし自自分自身の反社会性という性分をあらためて正面からつきつけられることが多くなった。だから今回の事件を解決するってのは、そういった要素や自分の知らない一面がみえてくるのも覚悟しなきゃいけないってことなのだ。

 ぼくにとって自分のみたくないものをみなくてもよい時期は去った。そして、ぼくは自分自身や犯人自身と対話し事件を解決に導かなければならない使命と任務を負っている。

 だからこそ、ぼくのもつ警察官としての使命は、どれくらい自分との対話に耐えられるのか気になった。いや自分が、どれくらい警察官としての使命に耐えられるのかとった方が正確かもしれない。

 たぶん、ぼくの警察官といった砂の器が、ぼくといった本当の器にとってかわられるのがこわかったのだ。どうしようもなく弱くて脆い器が、ぼくといった器に壊されることがこわかったのだ。

 かつて、ぼくは蔵本さんが演技をしていると思ったことがあった。

 けれども、ぼくだって蔵本さんと同じだった。ぼく自身が普通の人間として、ぬるま湯の世界の気持ちでいたことや、ぬるま湯の世界で育った人間でいることを自分で演技することで本当は、どうしようもなく普通でまともな世界を壊して自分一人で自由にしてしまいたい衝動をなんとかやっとのことで押さえこんでいたのだから、ぼくだってひとのことはいえないのだ。

 だからこそ、ぼくは被疑者の犯人の器ってやつが気になった。ぼくの器とは、どんな違いがあるのか、大きいのか、小さいのか、うつくしいのか? なにを思い感じたのか? どうして犯罪を計画し実行したのか? そんなことを考えることで被疑者の原点ってやつがわかる気がしたのだ。ぼくが被疑者と同じなら、ぼくでも被疑者の持っている器ってやつがわかると思ったのだ。

 だが、いくら考えても、どこになにがあるのかさえわからなかった。どんなものが器なのかさえわからなかった。それは当然といえば当然だ。なぜなら、ぼくにとって犯人の思考を読む要素が決定的に欠落しているし自分で自分を読み解くってのは人間にとって、もっとも難しい作業だったからだ。

 けれども、いつか。かならず。そう思って、ぼくは車を降りた。港区台場三丁目三番地二号。ぼくらの目的地であって事件解決の中間地点である建物に到着したからであった。

「建物のエントランスにつながる通路、非常階段、裏口は湾岸署刑事課がおさえる。われわれの本命は川島正吾の家宅捜索だ」

 そう蒲田課長が気合の入った声で短く下命した。ぼくらは事前に叩き込んだ建物の見取り図をたよって十五階三号までのぼった。インターホンを押す前に、どうやら湾岸署の捜査員がコントロールをおさえたらしく監視カメラの映像と各捜査員の配置がホログラに表示された。

 そしてインターホンを押しセキュリティーの認証をすませた。おそらく部屋の内部にいる人間に、ぼくらのプロフィールが開示されているはずだ。十秒経ってドアがひらいた。

「警視庁新島署刑事課の者です。失礼ですが、川島正吾さんはいらっしゃいますか?」

 課長がIDを提示させ身分を証明する。あらわれたのは四十台半ばの女性でブリーフィングでみた川島の妻だった。ちなみに川島が在宅しているのはIRシステムによるチェックで確認している。

「はい。いますけれども主人が、なにか?」そうなにごとかと女性は訝しむ様子でいたが、

「川島正吾さんに家宅捜索令状が発付されています。容疑は殺人および不正アクセス防止法違反です。立会人は港区役所地域課長立花さん。午後四時二十七分、執行開始します」

 課長は端的に要件を説明し、そして、ぼくらは女性が止めるのも聞かず部屋に入っていったのだった。

「誰だ! きみらは」と書斎からあらわれた川島正吾を制止するのは、ぼくの役割だった。

 新島署の者です、と蔵本さんがIDを提示してイスに大人しく座るように促している。

「川島正吾さん。あなたに殺人および不正アクセス防止法違反の容疑で家宅捜索令状が執行されています。現在から、お持ちのコンピュータを調べますので押収品目録交付書にサインしてください」

 そして捜査講習で習ったみたいに、ぼくは間髪いれずホログラに必要書類を提示させた。

「わたしが殺人? 不正アクセス? そんな覚えはない。現在、きみたちがおこなっているのは不法捜査じゃないのか?」

 ただ川島正吾は落ち着いていた。いまここで体よく暴れてくれたら任意同行ではなく公務執行妨害でしょっぴけたんだけれども、さすがにエリートサラリーマンらしく緻密に計算している。やっぱ一筋縄ではいかないか、と蔵本さんが内心でつぶやいたのが聞こえてきた気がした。

「すみませんね。われわれも仕事なんです。そこで本題ですが、いまからあなたの目の前で、あなたのハブコンピュータのデータを調べます。お手数ですがサインしてください」

 そして緒方係長まで出張ってきたところで、やっと川島正吾は書類にサインを完了した。

「それでは始めます」とハブコンピュータをホログラに表示させる。補助には湾岸署のサイバー犯係が入っている。

「まずコード一二三一とビックMプロジェクトに関連する事項を最優先で調べてください」『コード一二三一、ビックMプロジェクト』ぼくは、そう蔵本さんが飛ばした指示に、ぴーくっと一瞬、川島正吾の目線が動いたのを見逃さなかった。その目線のさきは壁にかかった絵画があった。

「あそこに、なにかあるのですか?」ぼくは訊いた。川島は答えない。

 もう一回、ぼくは訊いたのだけれども、目線すら合わせてくれない。だから、らちがあかないので緒方係長が実力行使する気になったらしく絵画の周囲に、なにも仕込みがないのを確認して壁から外した。そこには金庫が埋められていた。みればみるほど頑丈な金庫である。

 あらあらあら、と課長が川島に迫っていたが、それでも川島は黙秘を貫く構えらしい。

「われわれも壊してひらくたくはないので、ご協力ねがいます。暗証番号とカギを出してもらえませんかね?」

 蒲田課長が、さらに追及した。川島は自分のプライドにかけて課長とにらみ合っていたが、しばらくして、あきらめたらしく、『四五九八』と口にしデスクからキーを出した。

「国民の権利とプライバシーを侵害する捜査に抗議する。本日中に正式に人権団体から声明文を出し今回あった不法捜査に関して追及する」

 そんな川島のささやかな対抗に関係なく捜査の方は着実に進行していた。緒方係長がダイヤルをセットし蔵本さんがカギをひらいた。そして内側から分厚い髪の資料が出現するのだ。

「課長」と蔵本さんが手わたしていたのをちらっとみた。なかみは数字がずらっとならんだいくつもの数列で一瞬、なにかわからなかったが、それには蔵本さんが答えを出した。

「会計帳簿です。合計すれば数億の金が動いています。もしかして脱税じゃないですか?」

 脱税? と課長は困惑の表情になる。

 たかだか脱税じゃ逮捕できない。いや、むしろ、ぼくらの管轄ではないから国税局に怒られることになるし、それこそ本当に違法捜査として反訴されるのは、ぼくらの方なのだ。

 ううぷす、ではすまされない。だんだんヤバイ、と思いはじめたのは、ぼくらの方だった。けれども、『第一班蒲田課長。第三班ノアです』とリンク通信が入ったのは、そのタイミングだった。

『われわれも今捜査を開始しました。本社にあるコンピュータから、そちらのコンピュータへアクセスされた記録が残っています。いくつかのファイルを転送したようです。われわれが確認できた最新の日付は十二月二十日の一三四〇時。そちらでも確認できますか?』

 そんな通信が入るのである。サイバー犯係の捜査員が削除された当該記録を回復させ転送されたファイルも復元すれば、だんだんなかみが浮かんできた。ウイルスチェック。問題なし。ファイルをひらいた。

「暗号化された数列ですね。解読すれば内容は、そちらの書類と同じものと思われます」

 ぼくは一杯食わされたと直感し蒲田課長の表情が苦いものに変わっていくのが手に取るようにわかってしまった。

「東京国税局に通報。脱税の現行犯だ。われわれは調査官到着まで現場保全につとめる」

 まいったな、と全員が考えていた。そして、なにかほかにないのか、とも考えたはずだった。だから国税局が到着するまでデスクの引きだしや個人用のポートファイル、ベッドの下から屋根裏まで探し回ったのだけれども、ついに、ぼくらの目標を達することはできなかった。

「もう少し今後は慎重に動かなければならないしニュースに取り上げられるのも時間の問題だからね。今回の流れを犯人が計画していたのなら捜査の進捗を止められて逆に捜査状況も察知できる一石二鳥の策にはめられたってことになる」

 そして川島の身柄を国税局に引きわたしたのちに緒方係長が往生際悪く部屋のなかを探索していたタイミングで口にしていた。今回はやられたね、と内心の独白がもれ出ていた。

「すみません。もっとタレコミの裏を取ってから報告するべきでした。今回は、ぼくのミスです」

 だから、もうなんだかいたたまれなくなって、ぼくは緒方係長に謝るほかなかったのだ。

「われわれのミスさ。あせって検証しなかった者、それを命じなかった自分、裁判所ですら令状を発行してしまったのだから責任の一端はある。犯罪者を一人捕まえたのに負けたのは、わたしたちの方だね」

 しかし、それでも進展はなくて、ついに係長は落胆し大きな嘆息をしてイスに座った。

「国税局から帳簿の内容を教えてもらいました。ビックMプロジェクトで余計に計上させた余分な経費を秘密裏にプールしていたらしいのです。もしかしたら数億を超える規模かもとも。日本技研に税務調査がはいるらしいです」

 あちらさんは敵がわかりやすくていいね、と緒方係長は肩をすくめて、ぼくをみてきた。

「われわれの敵は名前すらわからない。どこから攻撃されているのかも、どこにいるのかもわからない。前の戦争で夜中に狙撃手から狙われたことがあったけれども同じ気分だよ」

 そして、そんなことを話してくるものだから、ぼくは、従軍なさってたんですか、と驚ろくほかなかったのだ。

「警察官になる前は自衛官だったからね。それに九州出身だから部隊も前線だった。五島列島防衛戦にも最初期から従事してた。わたしの奥さんとも、その戦いで出会ったんだ」

 ぼくからしてみれば再び、『結婚してたんですか!』とあぶなく口から出るところだったけれども、どうやら表情に出ていたらしくて、もしかして信じてない? と不満な顔をされるのだ。

「写真がある。わたしが退官する際に分隊で撮ったもの、あと三年前に撮った家族写真」

 そして胸のポケットから手帳を出してきて大切に収められた写真をみせてくるのだ。写真なんて小学生以来のシロモノだし手に取っていいものなのか悩んだけれども緒方係長がわたしてくるものだから、しかたなくみるほかなかった。

「五人家族で妻は武雄、長男は力男、次女は晴、三女も春。次女と三女は双子なんだよね」

 しかし、のぞいてみれば奥さんは、めちゃくちゃ綺麗だし子どもさんはかわいらしいしで、なんだかんだ仲睦まじい様子しかなく緒方係長のイメージ通りといえばイメージ通りだった。

「奥様は自衛隊にいらっしゃるのですか?」ぼくは緒方係長の隣で、四人の家族をみながら凛々しくほほえむ長身の女性が陸自の制服を着用しているものだから気になったのだ。

「わたしの妻は幹部だったから今でも現役で自衛官だよ。毎日、市ヶ谷駐屯地へいってる」

 そんな風に話す緒方係長にとって今の話は最大級ののろけ話だったかもしれなかった。

「すごいエリートなんですね」

 ぼくがいえば、「はじめは、そんな風にみえなかったんだけれども」と肩をすくめていた。

「わたしと出会ったときは幹部学校出たてのぺいぺい三尉で、守ってくださいね、なんていわれていたのに、いまじゃぼくが守ってもらう方さ。いやはや、まったくこまったね」

 けれども緒方係長は楽しそうに話しているものだから、どうやらのろけ話は継続されていたらしかった。

「かっこいい方なのですね」ぼくがいえば、「そうだね」と緒方係長は遠い目をしていた。

 そして、「あれは沖縄にいったときだけれども――」と緒方係長は、なにか思い出したみたいに口にするのだが、ぼくの顔をみて、ついにわれに返ったらしく、「ごほん」と咳払いをしてから、いつもの表情に戻った。

「話を戻すけれども狙撃手に狙われたときですら、なんとか状況は打開できたのだから今回もなんとかなるかもって思ってるよ。だから、一回のミスで落ち込んでもいけないね」

 そして緒方係長はパンと膝を叩いて立ち上がるのだ。わるくない話だった。

「そのときは、どうしたんです?」

 ぼくが訊けば緒方係長は少し含んだ表情でふり返ってくる。

「米軍に爆撃を依頼した。翌朝、戦果を確認してみたら山林だった場所が平地になってた」

 ひどい話だった。そんなことをしたから日本が財政破綻することになったのだ。数時間程度で小国レベルの国家予算が消費されていたってうわさもあながち間違いじゃないのかもしれない。

「今回も米軍みたいな神様がいれば楽に戦えるが期待薄だね。自分たちでするしかない」

 そして緒方係長は独白みたいにいってから現場をあとにするのだった。ぼくは一人で現場に残って証拠探索を継続した。十分か二十分たったと思う。なにもみつからず、なにもわからなかった。今回は完全なる失敗だった。それは甘木巡査が課長の伝言をもってきたところで確定した。撤収である。



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