第21話




 ブレインジャパンはシンガポールに本拠地を置く企業ブレインの日本法人だ。中南米諸国・EU諸国、北部アフリカ、東アジアに拠点を持ち主にAIのOSプラットフォーム開発を軸として利益を上げている情報関連企業である。

 国内ではミツビシ技研、ソニーエンタープライズにつづく国内第三のシェアを持った大企業であるのみならず多くの会社や組織でOSが導入されているインフラ企業でもあった。

 江戸川河口にある新島署とは真逆のシティ東京南部に本社を構えていてビルからは東京湾の景色がみえている。

 それから東京シティスカもがみえた。高い塔に青い空。ぼくらが追いかける犯人は、あの塔をみて、どんな犯罪や感情を育てていたのだろうか。どんなことを思って、どんな原因があって、いくつの絶望があったのか。そういった疑問が無尽蔵にわき上がってくる気がした。

 しかしながら、それほどまでに謎に包まれた犯人であったとしても、ぼくらにとって理解しなければならない重要な要素すらつかめていないのが現実の厳しさだった。それは被疑者の動機という根本的な事件における要素だ。

 いわゆるテロ行為、すなわち大量破壊活動は政治的大義名分を必要とする事実のことである。古くはカエサル暗殺、冷戦から明けた二十一世紀における各地でのテロリズム、そして昨今の社会を騒がせた十年前の国会議事堂等爆破事件。そういったテロ行為は政治目的を達成するためおこなわれていた。

 だが今回の犯行は、そういった動機の欠片や、そういったテロをやらかす原因がない。なにかしらの悪い澱がたまっている社会ならともかく暴力に訴え自分たちの意見を聞かせる空気が蔓延しているほど悪い社会でもないのである。だからこそ、ぼくは被疑者の動機を完全にはかりかねていた。

 ぼくらは、ぼくらにとって都合のいいように事件を解釈しているのではないか? 大量破壊という言葉の巨大さに隠された事件の本質を見誤ってはないか? 先入観と事件のスジを錯誤していないか? なにか間違ってないか? 

 ぼくの頭蓋骨のなかで数々の疑念や疑問が浮かび消えていって全てを否定することも肯定することもできず虚しい思考の現れとして虚構の犯人像が次第にくすんでいく。顔なしの犯人と対峙する感覚に襲われ胃の上が重たくなる気がしたけれども、だからといって民間人に悟らせる訳にもいかない。ぼくは事件のあらましや概要をブレインジャパン統括部長、井田正武氏へニュースにのった程度で説明する間もビッとしていなければならなかった。

「あなた方が太田くんの紹介でいらっしゃった理由は理解しました。わたくし方の製品ですから捜査にご協力することもやぶさかではありません。ご質問があれば、なんでもお聞かせください」

 しかし、そんな風に気さくにといった様子で話しはじめたものだから、どうやら太田係長の話した言葉を裏切ることなく井田正武氏は気のいいオジサンということになるらしい。

「太田さんとは、どういった関係なのですか?」

 だからか蔵本さんは妙にぎこちない固い空気を壊すため突拍子もない質問を発した。

「太田くんとは同郷でした。中学校から同じ学校で、それから同じ高校に進学し同じ大学に進学し同じ企業に入社しました。もっとも彼は途中でやめてしまったけれども、わたくしは今でもしつこく勤めているということです」

 からからという感じでよくわらうひとだった。ただ、その笑みが蔵本さんと被ってみえたのが気になった。たしかに蔵本さんもよくわらうけれども、それは悪魔の笑みだからだ。

「もしかして、あなたが太田くんのいっていた『いきのいい新人お嬢さん』という方ではないですか?」

 まあ、と蔵本さんは上品に返している。ぼくは、どこか蚊帳の外って感じで困惑した。

「わたしも二年前から太田さんにお世話になっています。もう新人ではありませんけれども、たぶん太田さんから新人みたいなものかもしれません」

 蔵本さんがにこやかにいえば、「それは失礼しました」と井田さんは肩をすくめていた。

「ところで太田さんが、わたしたちを派遣させたのには理由があると思うのですが、なにか心当たりはありませんか?」

 そして蔵本さんは会話が流れにのってきたところで一気に本流に戻してきたのだった。

「ずいぶん前に太田くんへ日本を転覆させるにはコンピュータ産業内部にスパイを一人送り込んでバックドアを作らせればいい。そうしたら、すべてをコントロールできる、といったことが。いまになってから芽が出るとは思いませんでしたけれども、おっと。いまのは、かるいジョークです。わらってください」

 しかし井田さんは蔵本さんの本意など意に介していないように、ぼくらに苦笑いを浮かべさせる。まるで油断できない相手だと思わせるのに足る行動で、ぼくの器量では、どうしようもなかった。なにか口をひらいても、たぶん場を濁す泥にしかならない様相である。

「いまのお話、詳しく聞かせてもらえます?」

 だが蔵本さんは飛びついた。井田さんは驚いたらしく対面のソファーで悩んでいたが、

「たわいもない話でございますが、なにか捜査のお役に立つのでしたらお話いたします」

 そしてポツポツと話しはじめた。

「現在、日本のコンピュータ産業、いわゆる情報関連産業と呼ばれる業界はブレイン系列の企業によって独占状態になっています。われわれブレインジャパン、日本技研、サイバーエレクトロ、以上三社は、それぞれ別会社となっていますが、それぞれの会社がアンドロイドやサイボーグ、またコンピュータでつかわれるAIを作成する際にはブレイン本社で管理されたAIがプログラムを書くのです」

「AIがAIを作るということですか?」ぼくが訊いた。その通りです、と返ってきた。

「日本企業にAIのプログラムを書けるAIは存在しません。日本技研さんは長い間、挑戦していらっしゃいましたが数年前に本社と契約して現在ではビックMプロジェクトに参加していらっしゃいます」

 そういう井田さんの視線が一瞬、ノアに向いた気がした。ノアはソニーエンタープライズ製のAIだから無害なのか? と確認したかったらしい。

「AIにAIを書かせることによって人件費も安く抑えられますし人間と変わらないローコストで増やすこともできます。しかし多様性が減少し単一管理による危険性も増大するのですが……。そして日本国内のシェアは三社で七割を超えます。そこで、わたしは企業内部にスパイを潜り込ませサボタージュを画策しバックドアを作成すれば国内七割のコンピュータを人質に取ったことになるので日本全体をコントロール可能だと申したのです」

 セキュリティーは? と蔵本さんは訊く。

「セキュリティーは厳重です。レベルは米国の原子力潜水艦相当でビックMにアクセスできるのはクリアランスを持った少数のSEのみ。それから、そのSEの存在も秘匿され社内で知っているのは、わたしと代表を含めた取締役三名といった情報統制も厳しくおこなわれています」

 その取締役のお名前って教えていただけませんか? そう言葉を発した時点で反省しても遅かったのは、どうやら目の前に出てきたエサにつられてしまったあとらしかったからだ。蔵本さんの肘鉄が、ぼくの脇腹に刺さって内心で劇痛に悶えることになってしまう。

「企業秘密です」そして井田さんがにこやかに返してきた。

 せっかく蔵本さんの握った話の主導権が完全に向こう側に移ってしまった瞬間だった。

「しかしながら太田くんの紹介でいらっしゃったひとを手ぶらで返したら、なにをいわれるかわかりません。それに、あなた方も収穫のないうちに戻られるのは本意のないことでしょう。そこで問題ありませんので、なにか収穫があるまで社内を見学なさってください」

 そうやって、にこやかな井田さんがにこやかにいって、『やってくれたわ』と表向きの表情を貼った蔵本さんが隣で恨めしい内心をしているのがわかった。

「ほかにございませんのでしたら、わたくしは失礼させていただきます。なにしろ今年の年末は社にとって一番の大勝負ですから。ぎゅぎゅっと力を入れなければならないのです」

 そして井田さんは立ち上がった。蔵本さんは、なにもいわない。蔵本さんがもつ手札はすべて尽きてしまっているのだ。

 ――もっとも、その手札をふいにさせたのは、ぼくのミスなのだが――

 しかし、ぼくらの手のなかには切札があった。しかも一発で形成を逆転可能な強力な切札だ。だが蔵本さんは使わなかった。おそらく蔵本さんが使わなかったのは、ぼくに捜査の方針を任せているからだ。そして蔵本さんが、ぼくが切札を自分で使って事件捜査に主体性を持つことを期待しているからだ。だから、ぼくは覚悟を決めて自分で切札を使うことにした。

「あの、まってください。コード一二三一。いわゆるAIを形作るプログラムコードの一種なのですが、なにか、ご存知ありませんか?」

 ぼくの質問に井田さんは表情を変えなかった。たしかに蔵本さんに比べたら、だいぶ上手である。だから、どうして知っているのか? とも返ってこなかったし、それで太田くんが、とも返ってこなかった。ただ、「なんのことでしょか」と白々しいウソの声音が返ってくるのみだった。

「そういった類のご質問は、われわれでもお答えしかねます。おそらく、ほかの会社をあたってみた方がよろしいでしょう。なんでしたら日本技研の友人を紹介しましょうか?」

 おそらく、その答えが一番答えらしい答えであったに違いない。ぼくは、その提案に、

「ぜひ教えてください」そう返した。

「日本技研のシステム開発部門、カワシマ課長です。警察の方なら、すぐに特定できるでしょう」

 そう井田さんは変わらない表情でいってくるのだ。そして、ぼくらは、それでは、と井田さんが会釈をして余裕な足取りで部屋から出ていったのを確認してから緊張の糸が切れたのだった。

 あぶないところだった、と安堵の息がもれたのは、ぼくだけでなかったらしい。ぼくらの後ろで控えているノアですらヘナヘナなのだから予想以上に緊張感のある部屋だったのは間違いない。しかし、ぼくが完全に足を引っ張ってしまった蔵本さんは、だいぶお冠だった。

「余計な口を挟まない。あなたのせいで危うく大切なチャンスをふいにするところだった」

 しかし蔵本さんは思っていた以上に怒らなかった。むしろ、ぼくらと同じく安心した様子でいる。だからギリギリのところで、ぼくは軟着陸できたらしく不合格はまぬがれたようだった。

「ところで、さっきの会話の内容についてなのですけれども、どういうことなんですか?」

 ぼくらがビルを後にして車にのり込んだところでノアが蔵本さんに訊いた。そして蔵本さんは少し迷っていたが、

「日本技研にいるSEがビックMプロジェクトっていう計画にコード一二三一っていうバックドアを作っているみたいだから当たってみたらいい。おそらくカワシマってやつが犯人だから、あなた方で捕まえてくれ。われわれも社運を賭けて事態に対処しているから日本の警察も少しくらい気概をみせろ、ってことでしょ? 蛇の道はヘビ。ブレインジャパンは、とっくの昔に気がついていて、あれこれソフトウェア面での対応策を考えているんじゃない?」

 そうやって素直に答えていた。ただ、それを聞いたノアは目を丸くしてしまっていた。

「そんなことって。そこまでわかっているなら、どうして、われわれ警察に通報してこなかったのですか?」

「わたしら警察は信用ないから。それに大っぴらに公表して大ごとになれば企業イメージも落ちるし株価は暴落するし。当然、秘密裏に対処できるなら対処したいってのが本音ね」

 そう蔵本さんがいったのと同時に車が発進してノアは驚きから表情を安定させるのだ。

「しかし、なら逆にみればワクチンソフト開発の良いあてができたのではないですか?」

 そんなノアの言葉に蔵本さんは、「そんなに余裕そうでもなかったけれども」そう渋い表情を作ることになっていた。

「そのスジは確証がない。あちらで対策ができているなら大手を振って通報してくるはずよ。でも、しなかった。だからブレインジャパンでも効果的な対策ができていないって証拠になる。たぶん、あの調子じゃプログラムを特定できても、わたしたちと同じように中身が、どうなっているのかわからないんじゃない?」

 車内の空気は非常に重たかった。なにしろ犯罪のスケールが大きすぎ巨大かつ架空の犯人像を作成しても、それに見合った犯罪としてすべてが成り立ってしまっていたからだ。

「ぼくら警察官は最初に、たしかな証拠から明確な犯罪を立証することが重要だと教えられます。明確性もない証拠から想像を膨らませても、なにもいいことはないと思います」

 そうね、と蔵本さんは自省するみたいに頭を振っていた。

「ただ、わたしたちには個人の生命身体財産の保護、公共の安全と秩序の維持といった任務がある。悠長にしていられない。今回は時間的制約も確実性も克服しなければいけない」

 その言葉からは蔵本さんの苦悩が伝わってくるみたいだった。いや蔵本さん一人ではない。本件に係る警察官の苦労や苦悩が集約されているのだと思った。だから、ぼくや、その中枢で動く自分たちが折れる訳にはいかない、そう蔵本さんが決心していることを自覚する。

 といっても、さすがに、ぼくらが日本技研の本社までずかずか上がり込んでカワシマ課長を任意同行するには悠長で刺激的に過ぎるから周辺の人物関係から調べることにした。

 日本技研システム開発部門のカワシマ課長。IRシステム検索によれば日本技研にカワシマという苗字の人間が三人いた。

 カワシマ・アズマ・ツグミ・ショウゴの三人だ。

 だが誰が、どこの所属まではわからない。しかし学歴から文系理系、購入品目の傾向から趣味嗜好、年齢・性別・交流関係。そんなものを調べていけば、だいたい大まかな性格や性質の判断はつく。だから、ぼくらは、その辺の資料も含めて請求した。

 そんな訳で覆面パトの車内から国民のプライバシーをのぞくって絵面は、さながら管理社会の恐怖ってものだったが二十秒もないうちに第一人について生まれた瞬間から記録された経歴がならぶことになって、ぼくらも恐怖したのだった。

「カワシマ・ツグミ。男性。二十二歳。H高校、N大経済学部出身。彼女の交友関係は学生時代から継続されているもの、それから社内で新たにつくられた数人の友人です。三人経由してみましたが課長相当の年齢、年収等をもった人間にはいき当たりませんでした」

 第一の対象にノアが口にするのを聞いていたら、まず可能性は低いと思わずにはいられなかった。

「カワシマ・アズマ。男性。三十五歳。県立S高校、A大学理学部卒、同大学院修士課程修了理学修士。交流関係はなし……さみしいひとですね。おそらく専門は数年前に同大学院博士課程へ研究員として迎えらえていることから理学――とくに化学だと思われます」

 本件に直接関係はないと思います、いえば蔵本さんは首肯した。

「カワシマ・ショウゴ。男性。四十七歳。国立K高専、T大学工学部卒、同大学院修士課程修了工学修士。交流関係は居住地のある自宅周辺、それから社内幹部数名、そして学生時代からの交流関係、ブレインジャパン、サイバーエレクトロ社員とも数名ある模様。年収は一千万円ほどで高いです。だいたい平均年収の五百万円くらい上、課長級としても妥当な計算になります」

 ぼくも、コイツだ、と内心で感じていたのだからホログラをながめる蔵本さんにも確信があったと思う。あとはSEという証明ができれば御の字だったが推測するほかなかった。

「彼が工学部で専攻していた分野は?」

 ぼくがノアに訊けば、「カワシマ・ショウゴの卒業論文と修士論文は、どちらもロボット工学に関する分野です」と返ってきた。蔵本さんは一つ嘆息をしてから難しい表情になる。

「被疑者の可能性は十分にあるし任意同行で引っぱる価値はあると思う。彼の現在地は?」

「港区台場三丁目三番地二号、エスペランザ一五〇三」

 そんなノアの情報提供に、「わたしたちの管轄外……」と蔵本さんは苦い顔をしていたが、

「一回、署に戻って対応を考える。まだ時間はあるのだから着実に対処しなきゃいけない」

 そして一つ決心がついたみたいに口にするのだ。ぼくは更に一つタガが外れたのだと自覚することになった。

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