第19話




 ぼくが卒論を執筆するにあたって協力を要請した淡島俊介は当時情報工学部の大学院生で、ぼくの二つ上のセンパイにあたる人だった。そして学院を卒業してからは、ぼくと同期で警察庁に入庁し科学警察研究所の技官として捜査研究に従事している数少ない恩人でもあり友人だった。

 かれの専門はシステム工学で制御系を得意にしている。ロボット工学の修士号を持っているから警察庁に入庁せず外資系企業からのスカウトを受ける道もあったらしいが、なにを思ったのか全て断って科学警察研究所に採用された過去がある。現在のところ科学警察研究所で超小型無人機の開発を任されていると聞いた。

 科学警察研究所は東京都目黒区にある東京工業大学に併設する形で所在している。科警研の周辺は一種の学園都市の様相を形成し警察官、とくに、ぼくみたいな私服刑事が一番近づきたくない雰囲気が充満していた。

「さきほど連絡した坂上正義巡査長です。識別番号はWA三〇八。用件は淡島技官との面会です」

 駐車場に着くゲートでIDを開示しえ警備のアンドロイドに伝えれば門がひらいた。

「坂上刑事が科学警察研究所に在籍する立派なお知り合いをお持ちだとは驚きました」

 そして駐車場に到着すればノアがいってくる。

「わたしは、もっとおかしなひとが出てくるかもしれないと思っていたから拍子抜けね」

 蔵本さんも信じられないといった表情でいるものだから、ぼくは苦笑いで、「なんだと思っているんですか?」と頭をかくほかなかったのである。それから、ぼくたちは受付でパスをもらい研究室に直行した。

 科学警察研究所は独立した五つの法科学部と犯罪行動科学部、交通科学部の計七セクションにわかれていて研究部棟が七つある。各セクションを研究部棟に閉じ込め利便性やセキュリティーを高度に実現するために柔軟な設計を追及したところ上空からみれば正七角形の異型な構造物に至ったらしい。

 外側からみれば普通のビルにみえるが、なかにはいれば、その異質さというものが一目瞭然だった。

 さながら米国防省のペンタゴンである。しかし、あれは横に長く中心に空洞が設けられているのに科学警察研究所は七回建てで縦に長く中心は連絡通路とエレベーターでふさがれている。たぶん隣に大学関連の施設がなければ、ある種の観光地になっていたかもしれない。

 そして淡島俊作が所属する法科学第五部、第二研究室は七角形の一番北側、その五階にあった。もっているパスが誘導してくれている。

「ところで坂上刑事、プログラム解析はAIを作った企業に依頼しても良かったのでは?」

 そしてエレベーターを降りたところでノアが訊いてくる。それには蔵本さんが答えた。

「被疑者がいるかもしれない企業に解析の依頼は出せない。だから身内で信用のある場所に依頼するのよ」ぼくも補足する。

「そのあとでブレインジャパンを揺さぶってみる。あっちも被害者なら喜んで捜査に協力してくれるはずだし、なにか隠しているのなら捜査線上にブレインジャパン全体が浮かんでくるって寸法だ。そんな風に社会はできている」

 ぼくがいえば、「わかった口を叩かない」と蔵本さんから、お言葉をもらうことになった。

「わたしたち警察官は社会を恨んではいけない。なにがあっても、ね。なぜなら犯罪は人間が起こすもので社会が起こすものじゃないし、わたしたちは社会を守るために仕事をしているから。だから自分が守るものを見誤ってはだめ」

 ぼくは、そういわれて、「すみませんでした」と素直にあやまるほかなかった。

「警察官なら自分が警察官として正しくありたいと思えば一回は通る道よ。だから間違ったと思ったなら正しい場所に戻ればいい。それはハシカみたいなものだって太田さんからいわれなかった?」

 あのひとにとっては、なんでもハシカだけれども、と蔵本さんは苦笑いでいたが――

 だから、ぼくは、「いわれました」神妙にしながら頭をかいたのだ。だいたいからして蔵本さんの話す内容は太田係長に影響されている節があるが、しかし今回も、だいぶ太田係長の影がみえていた。

「わたしは昨日、坂上刑事に一日中つきあってわかりました。坂上刑事はモラルがないみたいに思われるところがありますけれども、案外、しっかりしていらっしゃいます。おそらく坂上刑事が、そんな行動を取るのは悪い子ぶって構ってほしいだからだと思います」

 そしてノアがマジメな表情をして、そんなことをいってくるのだ。ぼくは否定し蔵本さんは驚いた面持ちでクスクスわらっていた。

「あなたも成長してきたわね。そうじゃないかと思ったけれども人間の性格分析ができるなんて、そろそろ事務処理だけではなく司法警察官として任官できるのではないかしら」

 そんな風に蔵本さんは、ぼくの方へ視線を流しながら今度は忠告みたいにいってきた。

「まけないように精進します」いえば蔵本さんは満足したみたいな表情になって、にこやかにノアと会話をはじめるのだった。

 そして第二研究室に到着した。ぼくの体のなかを流れるナノマシンが、ぼくの存在やIDをドアの向こう側にいる人間に開示しているはずだ。ぼくは数回ノックをして待った。

「どーぞー」

 そうドアの内側から聞こえてきてロックが解除された。部屋のなかで、ぼくたちをまっていたのは洗いざらしの白衣で寝ぐせを付けたまま仕事に没頭する淡島俊介の姿だった。

「あと五十秒ほど待って。ようやく計算問題の解法がわかったところだから。その辺に座ってくつろいでいて」

 しかしながら窓際のデスクに座って、いそがしく手計算に追われているのをみたら、どうやら仕事が大変らしいことを理解できた。蔵本さんの耳もとでノアが、たしかに坂上刑事のお知り合いですね、と小声でいっているのが聞えてくる。

「あなたが責任をもって対処しなさい」それから蔵本さんは呆れたみたいに肩をすくめながら応接用のソファーにとんと落ちた。ぼくは白熱している淡島の隣までいき肩を叩いた。

「ぼくが、わざわざやってきてやったってのに計算式に夢中とは、ずいぶん挨拶じゃないか? 淡島」

 そうやっていえば、「いくら坂上くんがきたとはいっても長官に命じられたプロジェクトの方が優先するさ」と難問の回答を既にあきらめたみたいに両手ひらいて視線をあげた。

 そして部屋をみて蔵本さんらがいることに気がついた。

「お連れの方がいらっしゃるじゃないか。きみしかいないと思っていたから失礼なことをしてしまった」それから自分の服や様相をみて、「ちょっとお待ちを」と隣の部屋へ引っ込んでいくのだった。

「おもしろいひとね」だいぶ飽きてきたらしい蔵本さんは無表情な表情でノアをみている。

 再び三十秒ほど待って淡島は、「お待たせしました」と今回こそスーツを着て寝ぐせも直してあらわれたのだった。ひとはみかけで変わるのね、と立ち上がった蔵本さんの心の声が聞こえた気がした。

「わたしは科学警察研究所、法科学第五部、第二研究室所属研究官の淡島です。よろしく」

 それで長ったらしい肩書が聞えてくるのだった。

「あー、蔵本巡査部長にノア事務」ぼくに紹介されて蔵本さんは淡島に軽い敬礼をする。

「すみません。集中の妨げになるのでセキュリティーの通知は切っているのです。ですから、どなたがお越しになったのかわからなくて。それで本日は、どのような要件でいらっしゃったのですか?」

「アンドロイド関連の事件をやっているところなんだがプログラムに不明な点があって」

 ぼくがナノマシンの認証をするべく促してからいえば、「ならば捜査資料をみてみましょう」と淡島は外部用にクリアランスの区分がされた捜査資料をホログラに表示させるのだった。そしてパラパラとページを進めては戻ってを繰り返した。最後にコード一二三一が含まれたデータをみて視線を上げた。

「先日あったアンドロイドの自殺事件についてね。警視庁捜査課のアンドロイドがきたものだから、なにごとかと思っていたのだけれども、きみたちの署は、とても予算が恵まれているらしい。ほかの警察署ではみないタイプだ。ボストンロボティクスのオリビアにAIはソニーエンタープライズの桜Ⅱかな?」

 そんな淡島の質問にノアが、「みただけで、よくおわかりになりましたね」と返していた。

「わたしの専門だからね。だいたいのことはわかる。もの持ちがいいのはうらやましい」

 そんな淡島の世辞にノアは漫談で返すことを選択したらしい。

「わたしは蔵本刑事に一課から連れてこられたのです。次の警察署では女の子がいないから、あなたが話し相手になりなさい、といわれました」とノアがいった。そんな冗談に淡島もくつくつとおかしんでいた。それから視線をあげて、

「ではAI解析についての捜査協力といったことでよろしいですか?」

 そう訊いてくる。それで十分だったが、ぼくは淡島の質問に首肯して追加の条件を加えることに決めた。

「ぼくらが協力を要請するのはブラックボックス化されたコード一二三一の発生原因ならび詳細な発生条件、それから、どこの企業がプログラムに混入させたかについての開示請求です。あと以上の事項は早急な解明の必要性が認められることから、とくに優先してもらいたい、ってのが、ぼくのおねがい」

 おねがいね、と淡島はホログラを再びながめていたが、ぼくではなく蔵本さんをみた。

「担当刑事からの要請は訊き入れました。蔵本巡査部長のご意向も、よろしいですか?」

「異存はありません。捜査方針を決めるのは坂上刑事ですから間違っていなければ問題ないと思われます」

 それを聞き淡島は、「了承しました。それでは早急に作業へ取りかかります」と口にした。

 ぼくは安堵の息を吐いたが、ただホログラをながめる淡島の表情は次第に曇っていっているのが気になった。はじめは淡島が現在おこなっている研究を中断することに対して不機嫌になっているのかと思ったけれども、どうやら違っていたらしいことがわかった。なぜなら、こんなことをいうからだ。

「坂上くん。きみにはいつも退屈をまぎらわせてもらっていた。しかし今回は難しい話になるかもしれない。できることなら今のうちに各方面と話をつけていた方がいいと思う」

 そりゃどうして? ぼくは訊くほかなかった。

「コード一二三一。いわゆる周波数一二.三一ギガヘルツで作動する自殺プログラムってのは来年はじめから開始される第十三世代型長距離移動通信システムのために作られたギミックだろうからね。なぜなら、おもしろくないことに13G無線通信がもちいる無線周波数も一二.三一ギガヘルツだから。たぶん本件は殺人事件なんかじゃない。立派なテロリズムさ」

 ぼくは重たい沈黙ってのが今のことをいうのだと確信した。蔵本さんだって驚きの表情で今聞いた言葉を反芻しているようにみえたしノアだって処理に苦労しているみたいだ。

「それは本当か? ちゃんと確実な証拠があるのか?」

 だから、ぼくが沈黙を破って疑問をぶつけても、蔵本さんほかはなにもいわなかった。

「東京シティスカイを建造している日本技研のHPをみてみたらいい。自分の技術力をアピールするために詳細なスペックを細かく記載しているからね。問い合わせるまでもない」

 まさに予想すらしていない事態だった。完全に足をすくわれて、そのことに気がついていないといった状態だった。

「その十三世代型通信ってのは、いつはじまるんだ?」

「来年の一月一日正午。いや試験運用が今年の十二月三十一日午後二三時三〇分からだから、おそらく発動するのは年内いっぱいだと思うけれどもね。しかし自信過剰なのかバカなのか、たぶんコード一二三一ってのは三重の意味があるんだ。発生条件、日付、発生方法。まるで問題を解いてみろといっているみたい」

 なめられたものね、と蔵本さんが口をひらいた。その内心に怒気があるのが感じられた。

「とりあえず課長に報告しましょう。公安部への報告や捜査本部を立てる判断が可能なのは課長だけです」

 ぼくはいった。たぶんノアが現段階の会話を聞いて報告書をまとめているはずだから課長に送付して判断をあおぐことになるだろう。完全に事態は急変の様相を呈していた。しかしながら蔵本さんは、ぼくの熱狂とは違って冷静だった。

「いまはだめ。現段階の状況を報告しても証拠不十分で応援は要請できない。もっと確実な証拠が必要になる。わたしたちは、わたしたちで新たな捜査方法を実行するほかない」

 そんな蔵本さんの心配に淡島は深刻な表情を作っていた。いまの敵は時間だったからだ。

「あと五日。年末までに解決方法をみつけなければ日本中が、どうなるか見当もつきません。日本のネットワークが全滅するかも」

 どこかの悪い冗談だと思いたかった。しかし、そう思えない現実があるのを知っていた。

「なら課長に、いちおう報告書を提出しておいて。わたしも本庁との連携が取れるようにするわ。即応体制を取って応援を受け入れる準備をしているだけでも変わるはずだから」

 よろしくお願いします、と蔵本さんがいった。ぼくも首肯した。たぶんノアは課長に報告する書類を書き終わっている。だから、ぼくらは課長の意見を仰ぐべきだという結論にいたった。

 そして、ぼくらが新島署のクラウドデータサーバーに報告書を添付して送信したのが三十分くらい前のことになる。あれからは、ずっと淡島の研究室で待っていた。なにをしても手がつかない。どうしたらいいのかわからない。ぼくはあきらかに、そんな心境だったのだけれども蔵本さんは、そんなときでも冷静に構えているものだから経験の違いを思いしらされることになった。

『蒲田だ。先程、もらった報告書を読ませてもらった。コレに書いてあることは確実か?』

 十中八九は、と蔵本さんがいった。じれったくなったのか淡島が、その回線に自分の回線をオーバーライドさせて接続させてしまった。

「隣から失礼します。わたくし科学警察研究所所属の淡島と申します。坂上刑事から捜査協力を依頼された研究官です。わたくしの所見では、ほとんど確実といったところです」

 ぼくは慌てながら淡島の回線を切った。

『ちょっと黙っていてください!』と淡島を小声で制止させるのは、ぼくの仕事だった。

『はい?』と回線の向こうで課長も確実に困惑している。はたからみればくそ迷惑な研究者だった。

「課長。すみません。機材の不具合です。しかし科研の研究官がおっしゃるように明らかに大規模な犯罪の可能性があります。本庁の刑事部でも公安部でも動かして、なんとか大規模な捜査できませんか?」ぼくの言葉に返答がないってことは、おそらく課長も通話の反対側で方針について迷っているのだと思った。

『それをするなら、もっと確実な証拠が必要になる。本庁の捜査員と大規模な予算を動かせるほどの大義名分に足る証拠がな。いまのところ可能性がある、では到底かなわんぞ』

 当り前の返答だった。課長も浮足立っていない。

「なら、われわれは捜査を続行します。しかし時間の猶予もありませんので、証拠が揃った場合のために本庁と連絡体制を確立しておいていただけませんか?」

 そう蔵本さんがいった。蔵本さんは捜査も上手だが交渉も上手いらしい。課長にとっても、ぼくらにとっても十分な提案だった。

『わかった。なら、きみらは捜査を続行しろ。わたしは署長に話をする。そこが妥協点だ』

 おねがいします、といって蔵本さんは回線を切った。ぼくらの次の行動は決まっていた。

「つぎはブレインジャパンね」ぼくらは蔵本さんの言葉に従って挨拶も、そこそこで淡島の研究室を後にしたのだった。


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