第18話




 第三章




 翌日の早朝、ぼくが休憩室のソファーで仮眠を取っていたら蔵本さんがあらわれた。あらわれたといっても、ぼくが起きたころには音もなくキャンパスの前に座っていたものだから、だいぶ驚かされたのだが、それでもギョッとすることなく目覚めたのは、ぼくも蔵本さんに対抗する力がついてきたからだと思っている。

 おはようございます、と挨拶をすれば、おはようございます、と返ってきた。蔵本さんは大人だ。ぼくの方は、なんだかんだいって魚の骨がノドに刺さっている感覚が抜けなかったけれども前回に比べたらマシって感じだった。だが、

「昨日のことはノアから聞いた。はじめてなのに、よくやったと思っている。ご苦労様」

 なんの気もなしに蔵本さんは、そんなことをいってくるものだ。だから、ぼくは先手を取られた感覚がしてしまい少し頭をかいて、「それはノアのお陰です」といって立った。

「蔵本センパイがノアを大切にしている理由が理解できました。あんなにできるAIに出会ったのは久しぶりです」

 ぼくがいえば筆を動かしていた手が止まって、蔵本さんは、ふり返ってくるのである。

「あの子は一課からもらってきた子だから特別に優秀なの。たぶん、わたし以上に優秀よ」

 それから蔵本さんは、そんなことをいってくるのだ。

 たしかに、うつくしい信用といえば語感はシンプルだったが、ぼくはひらいてはならない箱をあけてしまった感覚におそわれた。なぜなら、それは同時にノアが第二の蔵本さんになるかもしれない可能性に気づいてしまったからで、蔵本さんみたいなひとは一人で十分だと確信してしまったからである。

「そろそろシミュレーションが終わるはずだから太田さんのところにいっていなさいな」

 そして蔵本さんは再び筆をもってキャンパスに向かうのである。どこまでお見通しなのか推測することもできなかったし、ほとんど邪推だった。

 だから、ぼくは、「了解です」と答えて鑑識係のオフィスに向うほかなかったのである。

『これじゃ前と変わらない』ぼくは、ところで、そんな内心の独白をギリギリまで口に出さずにすんだのだけれども、それは今回の捜査の進展次第では蔵本さんの手のひらの上からぬけ出せるのではないかという期待を持っていたことや、その目論見が完全に空中分解してしまったことが重なってシンプルに口がひらかなかったことが原因だと自覚するほかなかったのである。

「坂上刑事」とオフィスに到着すればノアがいた。どうやら、そうして退屈そうに壁に背中を預けて待機していたのはオフィスがひらくのを長く待っていたことが原因らしかった。

「坂上刑事がシミュレーションをおこなわせているせいで昨夜から署のコンピュータはフル稼働です。ほかの部署から苦情がこないのが幸いです」

「そんなに時間が必要だとは思わなかったんだ。三時間くらいで終了する予定だったんだ」

 ぼくがいえば、「データの選定に時間が必要みたいです。ひとつひとつのデータを除外したり加えたりして、どれが原因か探っていただいているようです」とノアはいってきた。

「あとで差し入れを持っていかなきゃな」

 だから、ぼくは、そうやって苦い表情になるほかなかったのである。ドアがひらいた。

「揃ってるな。いまから説明するから入ってこい」そして太田係長の声が振ってくるのだ。

 不夜城のオフィスで鑑識係のメンバーは、みんな揃って疲れた目をしていて、もしも結果が出てこなければ、ぼくらは一生オフィスを出禁になるかもしれないといった空気が漂っていた。

「お前さんのいったように電波が原因だった。そいつは一.二三一ギガヘルツの電波だ」

 コード一二三一、ぼくの独白に太田係長は首肯した。だが、その後が問題だった。

「ただ原因がわかってもメカニズムがわからない。それは、どうしてコード一二三一があらわるのか、どこに受信されて、どこに作用し、どこからプログラムが生成されているかということだ。いままで時間が掛かったのはアンドロイド側の受信状況を一個一個変えながら条件を設定する必要があったからだ」

 そして太田係長はソファーに座って疲労や興奮が混じった口調でいってくるのである。

「あの電子レンジから電波がもれていたということですか?」そうやってノアが訊いた。

「過去の記録を調べてみたらコイツの科学部の学生によってマグネトロンがいじってあってあったことがわかった。それから周波数が半分に落とされていることや部品も一部欠落していることもわかった。原理としては部品の欠落から生じた密閉不足が電磁波を漏洩させアンドロイド側で受信しコードが発生したってことだ」

 そして太田係長は着座し、「そういったことはわかったんだがなァ」と息を吐いていた。

「ただ受信条件や内部モジュールの作用箇所を変更しても毎回、コード一二三一が発生する。だから原因の特定はできなかった。おそらくプログラムのブラックボックスか、それに類するものがあるはずなんだが、それを特定して開封できない。相当深い場所に埋められているだろうな」

 そうやって太田係長は部下が持ってきた紅茶を手に取って難しい表情を浮かべていた。

「うちのやつらは全力を尽くしてくれたが、オレたちはサイバー犯係でもなし、否サイバー犯係でもAIのプログラムの解体なんてやらない訳でオレたちみたいなド素人が手出しできない仕組みになっていたってことだ」

 そんなに難しいことなんですね、と口をひらけば、「もちろんだ」と渋い声が返ってきた。

「いまの段階がココにある機材と人間の限界で、いま以上のことを確かめたいなら科研にかけ合った方が正確だ。なにせ鑑識は犯罪現場に残った証拠を集めるのが仕事だからな」

「いえ、とても参考になります」

 ぼくがいえば、「そうかねェ」とヒゲをなでながら太田係長は半信半疑の目をしていた。

「しかしながらオレたちの仕事は全部終わった訳だ。なにかあれば明日以降に持ってきてくれ。今日一杯は部下を休ませにゃならん。当直を残して全員休暇を取ることになった」

 たしかに太田係長の言葉通り裏腹にオフィスにいる鑑識官たちは、みなやる気満々にみえたが疲労の色は隠しきれていなかった。

『それからな。マキナAIを作ったブレインジャパンに井田って旧友がいる。気のいいヤツだからオレの紹介っていえば会ってくれるはずだから、そいつを訊ねてみろ。もしかしたらコアな部分についてわかるかもしれん』

 そして太田係長は耳もとにきて、ぼくにのみ聞こえる声で提案し名刺を握らせてくるのだった。話は以上だ、と肩も叩かれた。

「われわれの無理を通していただいて感謝します。ぼくの手で被疑者を必ず逮捕します」

 ぼくがいえば、「仕事だからな」と太田係長は、たばこに火をつけながら口にするのだった。それから太田係長の指示でデータを受領し、ぼくらは強行犯係のオフィスに戻った。

 オフィスでは蔵本さんが蒲田課長と話していた。

 そして、「坂上くん」と課長に呼ばれるのだ。ぼくはノアにデータの整理を任せ課長のデスクに向かった。

「昨日、坂上くんの作成したアンドロイド事件における報告書を読ませてもらった。そこでサイバー犯罪の可能性があることから、その方面を視野にいれ生活安全課に協力を要請したのだが、あっちもあっちで現在のところ首都高事故事件への対応によって手が離せないらしい。断られたよ」

 ようやく捜査が進展してきたと思った矢先だったのにコレである。予想もしてないことが舞い込むのが警察業務の基本とはいえ突然、冷や水をかけられたみたいな気分だった。

「だから当面の間、われわれのみの捜査になることを掌握しておいてくれ。よろしいか?」

 ぼくは、「了解しました」と答えるほかなかったのである。

「むずかしいことじゃない。いつもみたくわたしたちで事件を解決するってことは同じだから。ちょっと変わったのはコンピュータに強い部署の協力がなくなったってことのみ」

 蔵本さんは課長がデスクについてから、そんなことをいってくる。ぼくらは自分のデスクに戻るついで、「だいぶ致命的じゃないですか?」と苦い表情で視線を合わせることになったのだった。

「それで今日は、どうするの?」

「本日の予定としては科研にAIプログラムの解明を依頼してマキナAIの作成もとであるブレインジャパンにいこうと思っています。太田係長のお知り合いがいるらしいんです」

 ぼくがいえば、「科研?」と返してきた。

「大学時代の友人が技官として勤めているんです。そいつなら協力してくれると思って」

 そうしたら、「そういうことね。わかった」と返ってくるものだから、ぼくは、「もしかしてセンパイもいらっしゃるのですか?」と口にするほかなかったのだ。

「担当していた事件もサイバー犯係に移譲してきたし、今日から、あなたの教養をしなきゃいけないでしょ? 当たり前です」

 そして、ようやく自分の思ったことができるみたいな蔵本さんの悪い表情が浮かぶのだ。

「覚悟しておきます」そうやって答えたら、「良い心がけね」とおどけた口調で戻ってきた。

 なんだかなぁ、という内心だったが、ぼくは事件捜査のためにも素直に指導されることに決めて、ぼくは上着を取った。

「あとノアも連れていきます。いまの段階で一番必要なのはノアみたいな存在ですから」

 ぼくが提案すれば、そう。妥当なところね、と蔵本さんはカバンを持った。そして、ぼくらは課長に、科研にプログラムの解析を依頼してきます、といってオフィスを後にしたのだった。


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