第17話




 あんな会話をしていたせいで、ぼくの方は三ページも進まなかったのにノアの方は話している間に解析を終了せさていたものだから舌を巻くことになったのだけれども、ノアから聞かされた結果について、ぼくは深い関心を引きよせられることになった。

「本件におけるアンドロイドK三〇八型シリアルナンバー四五三四七七九三六二の記録開始時刻は十二月二十日〇七〇〇時です。アイボールセンサーの記録は情報破損状況が著しく復元は不可能でしたので聴覚情報と行動を記録したコードのみの閲覧となります。よろしいですか?」

 ぼくが首肯したことによって、ぼくのホログラに基本情報が表示されて、「まずは」というノアの言葉から事件の説明がはじまった。アンドロイドの記憶がはじまったのは〇七〇〇時。その時点では、なにも異常はなかったことが証明される。

 〇七〇八時。サイエンス部室に野中瞳登校。同時にアンドロイドもサイエンス部室に到着する。昨日の実験で使用した器具の収納、実験記録を精査しレポートの作成を開始。

 〇七一五時。顧問の石川先生があらわれる。授業で使用する実験キット運搬のために一時化学室と倉庫を往復する。当日のスケジュールを石川先生と確認する。

 〇七二五時。再びサイエンス部室に戻ってくる。野中瞳が実験レポート提出のため職員室へ出かける。〇七二七時部室に戻ってくる。

 〇七二八時。顧問の石川先生が野中瞳を呼び出す。野中瞳再び職員室へ向かう。その間にアンドロイドはココアを準備する。〇七三〇時。コード一二三一発動。二階から落下。

 そこでレコードが終了する。

 ぼくは夕飯のサンドイッチを口にしながらノアの話を聞いていた。ちゃんとしてくださいとノアはいっていたけれども、いい加減にやる訳じゃないから詰めるところは詰めて一つの動作につき五分から十分ほど費やせば、ぼくの夕飯がなくなるころまでに、だいぶ当時の状況を読むことができるくらいになっていた。

「なかに外部からの不正なアクセスや時限発生するコードなんかは埋め込まれてなかったんだよな?」

 ぼくの問いに、「間違いありません」とノアが返した。そのほかの不審箇所も皆無である。

「本件が他殺ってことは確定しているのだから、なにかあるはずだ。プログラム上の問題点がないってことを考えれば外部から感情をコントロールさせて自殺を実行させたって可能性もある。アンドロイドが落下する数秒前からエモーション・センサーの記録を解読できるか?」

「完了しています。ただ完全にフラットで感情に変化はありません。自分の意思で自殺したくなったとは思えません」

 ぼくもホログラで変数をみたが、たしかに三.二一から変化していないことがわかった。

「なにかみつかるかなと思ったけれども太田係長が見落とすはずがないし。当然か……」

 ぼくがいえばノアも首肯した。なにもみつからない以上、事件を解決するために、ぼくらは新たな事実を発見しなければならない。それには発想の転換や逆の視点からみる必要があった。

「なら自殺のトリガーとなる要因を探すことからはじめるぞ。まず、なにが考えられる?」

「システムの不具合や外部による不正アクセスの可能性は消えましたから野中瞳による自殺教唆または幇助があげられます」

 そんなノアの意見に、「それならレコーダーに証拠が残っているはずだ」と返すほかない。

「といっても、ぼくらに考えられるのは、それくらいだし、ほかに思いつかねえよな。たぶん、おそらくは外部から内部に作用するプログラムを構成させたってところなんだろうが技術的困難も同時に解決しなきゃいけないし……やっぱ、さっきのアイディアはなし?」

 ぼくもありえないことはわかっていたが、「ありえません。確実に」とノアは冷静に返してきた。

「わたしたちの感情には一定のリミッターが存在します。ある種の悪感情や自傷欲にかられた場合、その時点で思考がストップするよう設計されています。その機能の裏をかくことは、できない仕組みになっています。それは、わたし自身で証明することができます」

 倫理回路のことだ。

「数千万もアンドロイドがいるんだ。ひとつくらいかいくぐれても不思議じゃないだろ?」

 ぼくの言葉にノアは懐疑的な表情になった。そんなことありえないって考えている面持ちである。ぼくも蔵本さんに同じことをいった記憶があったが、そうやって訊ねたのはノア本人の考えを聞いてみたくなったからだ。

「ぼくら生命体が生まれることだって不可能をくつがえした結果なんだ。ぼくら生きものの世界に不可能はない。それが一見できないものにみえても可能になることだってあるだろ? それなら、あれこれ不可能をかいくぐって自殺するやつの一人や二人を生み出すことだって不可能じゃない」

 そうやっていえば、「坂上刑事は生身のまま空を飛ぶことができますか?」とノアはいってくる。ぼくは、「それは、たしかに無理だ」と黙るほかなかった。

「進化論の話をしているのではありません。体の構造上、そのような行為は不可能であると申し上げているのです。わたしたちの感情の浅いところは自分自身に搭載されているスーパーコンピュータで演算が可能ですが、自分自身の体や存在に関する深い場所にある感情は、われわれのハブコンピュータである量子コンピュータによって演算されているのです。わたしは現実の体一つで完結しているのではなくて複雑な情報処理系の機能は外部委託しているのです。ですから、そういった感情を現実にあらわすためには、いくえにもプロテクトが掛けられた倫理回路を突破する必要があります」

 ノアは自分のことを自分のことではないみたいに話している。

「それら各社のAIを制御しているハブコンピュータに作用するビックデータ等は、それぞれ独立しているのではなく横につながっています。一人のAIが自殺できるようになれば、わたしも可能になります。しかし現段階において、わたしは自殺といったことすら感じることができません。よって不可能であると申し上げているのです」

 ぼくらは同じような生きものだと思っていたが、そうやって考えたら、まったく別の生きものだとあらためて認識させられた。みた目や話す言葉は同じでも種族が異なるのだ。

「わかった。ぼくの認識が間違っていた。まじめに被疑者の特定をする。これ以上、余計なことはいわない」

 だから、ぼくは、そうやって両手をあげて降参するほかなかったのである。いい過ぎたかもしれないと思っていたはずのノアは、ぼくのことを困った様子でみて困った顔をした。

「ふざけていらっしゃったのですか? それなら立派な人種差別です。いまからでも、課長に抗議してもいいのですからね」

 そうノアは、ぼくに冗談でもわらえないことをいってくるのだ。もちろん冗談だった。

「なら逆の視点から考えるのは、どうだ? いまある現状の結果から原因を考えるのではなくて現象から原因を考えるっていうことだ。ぼくらは、これまでトリガーが内部にあると仮定して捜査を進めてきたが逆に、そのトリガーを外側にあると仮定して考えてみる感じだ。コード一二三一が発動した場所を示せるか?」

 ぼくの提案に、「おもしろいですね」とノアは部室の見取り図をコピーした用紙を手に取った。ぼくは自分自身のホログラに立体図を浮かび上がらせる。現実世界ではノアが時系列順に足取を指でなぞっていっていた。

「コード一二三一が発動した場所はココです。北緯三五度三五分〇五秒、東経一三九度五二分三五秒。ちょうどドアの正面ですね。いまから坂上刑事のホログラにポイントを指します」

 ぼくがみていた部室内の立体図に赤いポイントが浮かんできた。たしかに、ちょうどドアの正面だ。なにをみたんだ? なにを聞いたんだ? ぼくの疑問にはノアが答えた。

「視線の方向は方位二七三。視線の始点から終点までラインを表示させます。出ました」

 そして立体図のなかに一本の線が引かれた。その視線の先にあったのは電子レンジであった。もはや三十年以上も使われているはずの古い型番の家電機器である。

「電子レンジ?」そうやって、ぼくはノアと視線を見合わせることになった。なぜなら突拍子もないアイディアから突拍子もないものが出現してしまったからだ。どこにもコード一二三一との連結点がみえなかった。

「電子レンジのIOTからアンドロイドのインターフェースを通してウイルスを流した?」

 ぼくの問いに、「そんなことは」とノアが首をひねっている。たしかに、古い機材では現行のアンドロイドを動かせる量のデータを送れない。だから、ぼくは、そんな結論から別の可能性を考えはじめて、そして頭蓋骨のなかで、なにかの共通点が、かすかにつながっていく感触を覚えたのである。

「電子レンジ、東京シティスカイ、変電所、日本技研……日本技研? 事件資料あるか?」

 ぼくがいえばテーブルの上に散らかったコピー用紙からノアが数枚の紙を拾ってきた。

『日本技研厚木電子工場人型汎用機械暴走事件』そう題打たれた用紙のなかに事件の概要が記されていた。

「あのころ日本技研の厚木工場では東京シティスカイでもちいるアンテナの研究が進んでいたんだ。そこで暴走事件があって東京シティスカイでも落下事故が起こった。また変電所では高圧電流によって生じた電磁波が常時拡散されているし、おまけに電子レンジときた。すべての事件には共通点がある」

 ぼくの気づきに、きょとんとした表情でノアはいた。

「電波だ。電波! ぼくらはコード一二三一の原因となるプログラムを探してもだめだったんだ。はじめからネットワークを介さない攻撃のトリガーがプログラムに埋め込まれていて、それが発動したんだ。きっと全ての事件に共通する周波数がある。特定できるか?」「電子レンジから電磁波がもれることはありませんし、そんな記録はありません」とノアが困った表情を浮かべた。記録がないなら記録を取るまでだ。現場には大切な証拠品が残っているのだから採取可能だ。

 ぼくは上着をはおった。それをみて「なにをなさるのですか?」とノアは訊ねてくる。

「旭川高校だ。いまから電子レンジをもらってくる。ぼくが必要になる書類をつくっておいてくれ」ぼくがいえばノアも立ち上がった。

「わたしもいきます。書類作成は車内でおこないます。坂上刑事は署に連絡してください」

 わたしは蔵本さんから任された仕事を放棄する訳にはいかない、といった目だった。厳しいお目付け役である。「わかった。そっちは任せろ」といえば、「了解しました」とノアは返してきてついてくるのだった。

 ぼくらが新島署に一報入れて旭川高校に到着したのは二十時十二分を少し回ったくらいだった。いまだ学校には生徒が残っていて、部活動を終えたらしい十数人規模の男女の集団が覆面パトカーの隣を通っていった。

 それから夜の学校にお邪魔して教頭先生に話しを通して校長と会見し許可をもらったのが二十一時を過ぎたくらいだった。警察業務で市民の持ちものを持ってかえるってのは隣の席のボンダくんからペンをかりるみたいにたやすいものではない。

 あくまでも任意提出であるから、あれこれ概要の説明をし相手の許可をもらって、ぼくらも一覧表をつくらなければならないからだ。ガサみたいに令状をもって強制執行はできないのである。だから、そんなこんなで、ぼくらが旭川高校を出発したのが二十一時五十八分、それから新島署に到着したのは二十二時十五分のことだった。ぼくらは思った以上に時間を要したのである。

「太田係長。すみません。仕事、ふやしちゃいました」

 ぼくが押収品目録の段ボール箱を抱えて鑑識係のオフィスに戻れば、たばこの煙でまかれながら血走った眼をする太田係長が待っていた。部下がいそいそ分析台を空けている。

「今日持ってきたやつの解析は終了している。データは、あいつからもらってくれ。で新しいブツはなんだ?」

 そんな太田係長の眼差しに、「電子レンジです」とぼくは答えなければならなかった。

「コード一二三一が発症する原因ってのが電波だったんじゃないかと思ったのです。東京シティスカイ、変電所、日本技研も強烈な電波環境下に置かれる現場です。すべての事件に同じ共通点があったのではないかってことです」

 同じ状況を検証してみたいってことかい? 太田係長は立ち上がって鋭く訊いてきた。

「そうです。できるなら同じ状況同じ環境など全ての要素で同じことをやってみたくて」

 ぼくがいえば、「そいつはいいが、だいぶ手間が増えたなァ」と太田係長は分析台までやってきてすごみをきかせてくるのだ。

 そして見定める眼でにらんでくる。ぼくは捜査のために、なにがなんでも負ける訳にはいかなかった。だから、じっとこらえ太田係長の反応を待っていたのだが、その覚悟が伝わったのか太田係長はたばこを消して息を吐いた。

「非番のボケた頭で考えた思いつきって訳じゃないな。よし、わかった。なら試してやる」

 そうやって太田係長はいって、「おい! 準備だ! 早くしろ!」と部下に鋭い檄を飛ばしていた。

 そして慌ただしくなったオフィスのなかでつっ立っていたら、「お前さんたちは外で待っていろ。いまからはオレたちの出番だ。なにか結果が出たら教えてやる」と太田係長にいわれるのだ。だから、ぼくらは叱られた小学生らしく手持ち無沙汰で廊下に立たたされることになったのだった。

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