第16話




 ぼくらは部屋に到着してすぐに署からくすねてきたコピー用紙を一面に広げた。最重要資料であるコード一二三一は一番目につく場所に貼った。復元したコードによって前三十分に起きたことを時系列順にながめることができる。

「ホログラがない時代は、いくつもの用紙をならべて同時にみていたらしい。いまじゃ向いた方向にグラフィックモデルが表示されるから特殊な需要以外はなくなっちまったがな」

 そうやっていって冷蔵庫からミネラルウォーターと昼食兼夕食のレトルトカレーを出してきてテーブルについた。それからノアは感心したみたく部屋のなかを見回して意外なことを訊いてくる。

「わたしは思いつきませんでした。はじめて学習する手法です。どこで学ばれたのですか?」

「学んだってほどじゃない。ぼくの父がやっていたんだ。あのひとは自宅に防衛省のファイルを持ってかえってきてならべてながめていたんだ。人民解放軍の動向が台湾に向いているとか消えたロシア連邦軍極東管区戦車大隊の移動先とか、そういうのを予測するために。マネしてみたら高校受験や大学受験でうまくいった。だから、いまでもやっている」

 照れ隠しをするみたく、ぼくは一日の疲労と一緒に水を飲み込んだ。それからノアはあることに気がついた風に若干シリアスな表情になるのだ。

「そうですか。坂上刑事のご両親は今でも坂上刑事のなかで生きていらっしゃるのですね」

 そして、そんなことをいってくるものだから湿っぽくなってしまって、ぼくは肩をすくめて黙るほかなかったのである。ぼくの沈黙に対しノアは口を挟まず静かに見守っていた。

「それじゃ仕事をはじめよう」

 ぼくはいった。そうですね、とノアも首肯した。

「太田係長からもらったコードの解読表。いまから十分以内にダウンロードできるか?」

 ぼくが訊ねたら、「可能です」と返ってきた。ひとしごと終わったぼくは部屋の中央に置いてあるクッションに雪崩込みながら、「なら、やってくれ」とアンドロイドの内部で起きたことはノアにまかせて証拠品目録から外側の要因を探すことにした。

 旭川高校のアンドロイド自殺事件、日本技研工場停止事件、東京シティスカイでの大量落下事故でリストアップされた証拠品の一覧である。百枚ほどある証拠品目録のなかで直感的に気になるものを当たってみる戦略だったのだ。そして、どうやらノアも準備が終わったのか、ぼくが三枚目の用紙をめくるくらいになって、そろそろとノアが立ち上がった。

 壁に貼ったコピー用紙をみつめて自分のなかにあるデータを参照している。ぼくはペラペラと紙をめくる間に、ちらちらノアの様子をうかがっていた。ノアは高速で視線を動かしていた。そして気づかれた。

「坂上刑事は、どうして警察署でするのではなく、ご自宅に仕事をもち込まれたのですか?」

 そしてノアが訊いてきた。

「ぼくが捜査をやるかやらないかは関係なく仕事と生活はわけたい。それに同じ場所にいたら些細な違いに気がつけなくなるだろ? だからバランスのために非番は家に帰るんだ」

 ぼくがいえばノアは感心した面持ちになったが、すぐにマジメな表情に戻った。

「坂上刑事らしいです。そういったところが坂上刑事の合理的ではない合理性なのですね」

 そしてコードの解析をしながら、わかったみたいな表情をして、そんなこといってくるのだ。

「一見合理的でない行動でも人間独特の興味深い要素で創造性ある個性だと思います。わたしたちは、そういった個性というものを持てないので、わたしは憧れる気持ちにもなってきます」

 しかし、ぼくは、そんなノアの言葉を聞いて怪訝な表情を浮かべていたに間違いない。

「蔵本センパイから受けた悪い影響って独特の要素を持っているだろ? 十分個性だ」

 ぼくがアイロニーを込めていえば、「そうですかね」とノアのほほが若干こわばった。

「ただ人間の創造性は、そんなにいいものじゃないと思うぞ。むしろ諸刃の剣だと思う」

「どうして、そう思われたのですか?」

 ぼくがいえばノアがふり返ってきた。ぼくはノアの問いに少し考えてから答えを出した。

「ぼくら人間みたいに人工知能は大きく創造的じゃないが同時に安定した存在として生きている。それは、ある一定の方程式が行動のなかに組み込まれ方程式に従っているからだ」

 そうですね、と内心で首肯したのがノアの視線からわかった。

「だが、ぼくたち人間は方程式に従うことができない。なぜなら自分の信念や正義といった方程式があっても破壊し再三構築してきたのが人間の歴史だからだ。すなわち人間の創造性ってのは秩序の破壊から生まれたもので、それは一つも信用ならない要素だからだ」

 その言葉に、「しかし悪いものが多数ではないのでは?」とノアは反論する。

「いいや、方程式から外れることは悪い方向性の方が多すぎる。ぼくが口にする破壊ってのは犯罪や裏切をやらかすやつ、そういった方程式から外れた存在が社会を破壊することで既存のルールや秩序を破壊し新しい創造物を残す土壌ごと消す退屈な破壊行為のことだ」

 ぼくの話を聞いていたノアは、そうですか? と考える仕草を取った。

「すべては基礎の話なのです。そうした破壊活動があるからこそ世界をゆるがす創造が生まれる苗床が形成されると思うのです。最後に残る創造性といった価値と破壊の価値を比べたら創造性の方が上回ることからもいえます」

「価値? 価値って、なんだ?」ぼくの質問を聞いたノアは口をつぐみ考えはじめた。

「……わたしたちが価値のあるものだと認識しているか、していないかではないでないでしょうか?」

 それは解答になってない。ゼロ点だ、とぼくはテーブルにコピー用紙を置いて答えた。

「価値ってのは、ある種の基準のもとに生じた上下関係のことだ。そして価値として認識しているってのは、それに対し入手欲や排斥欲があることだ。まったく、両者は別物だ」

 ぼくはいった。だが、ぼくの意見にノアは反論してきて、

「なら創造で生み出した価値や破壊の価値を経済学的見地から数値化すれば――イノベーションならプラスの経済価値が発生しますし物的破壊であればマイナスの経済的価値が生まれます。両者の比較は比べるまでもなくあきらかになるはずです」

 そんな言葉が返ってくるのである。ぼくは尚早過ぎるな、と頭をかくほかなかった。

「イノベーションの話をしたが、イノベーションとは既存の概念を壊すことで、つまるところ破壊だ。同じく破壊で例えたら公害は環境を破壊するが市場規模を拡大させる。だから一見価値があるものでも相殺によって価値が消えることもある。その定義を明確にしなければ比較なんかできない」

 すなわち、とぼくが次いでいえば壁を背にして立つノアは、ふてくされた表情になる。

「ぼくらの行為は価値で測るのが難しい。そこで、その方向性や善意・悪意で測るのが早いってことになる。よって、その方法で考えれば人間の創造性とは善意・悪意によって効果が異なるシロモノという訳で、だから諸刃の剣ってことだ」

 そういうことですか、とノアは嘆息する仕草を取った。

「たしかに行為は価値では測れません。しかし行為のあとに残った結果、いわゆる残存価値に目を向ければ、われわれの社会が発展して高度な文明を構築したことからマイナス効果は相殺されプラスの効果が残ったことを認められるはずです」

 ぼくはノアの反論に、「合格だ」と蔵本さんのマネをしてみた。ノアは肩をすくめていた。

「たしかに、そうやって考えたら破壊よりも創造の方が価値を持つ。でも、人工知能に比べて、ぼくら人間の命はだいぶ短い。そうやって長い目で考えることなんかできないさ」

 ぼくがコピー用紙を再び拾ったらノアも同じように壁を向いて解析作業を再開しはじめたようにみえた。

「どこか功利主義的な話に発展しましたね。社会科学は現実と相性が、とても良いです」

 そしてノアは、そんなことをいってくるのである。当たり前だ、と心のなかで独白した。

「ですから、われわれの社会は個別の価値の計測をあきらめ社会全体の価値を追求する結果になった。そこで効率性というマイナスの要素を排し純利益のみを探求しはじめた、そういうことですか?」

 そんなところじゃねえの? とぼくは再びコピー用紙に目を落とした。

「いくら個別の人間の価値を計測するのが難しいからといっても社会全体のプラスマイナスは簡単に調べられるからな。だから、ぼくらは任意って形で『行動予報』に基づいた行動を取ることを推奨されているんだ。そうしたら、みんなが幸せになれるっていってな」

「いいことではないですか?」とノアはいった。ぼくは、それをいいことだとは、まったく思えなかった。視線をあげる。

「功利主義のわるいところは個人の権利を尊重しないことで、全体が満足すれば個人は踏み台にされても構わないってことだ。犠牲にされる権利の補償に具体的な案もなしにな」

 ぼくの命題にノアは若干考えているようにみえたが、すぐに口をひらいてきた。

「犠牲になっていたとしても生活の大半は効率の良い社会から利益を得ているはずですので、そこで補償はできているはずです。それに任意ですから坂上刑事のように行動を取りたくなければ取らなくてもよいのです」

 たしかにノアのいうことには説得力があった。ただ、それはみかけのものでしかない。

「たしかに任意だ。しかし人間ってのは、それが任意だとしても普段から莫大な利益をもらっていたら、いつしか、そのシステムに依存するしかなくなる。そして、いったんシステムに依存すれば対抗するのは難しく協力するほかに道がなくなる。そして協力していくうちに複雑なからくりに巻き込まれ、やがて自ら積極的にまい進するようになる。システムが強大なときは、とくにそうだ」

 その言葉をノアは反芻している風にみえる。

「しかしシステムが利益をもたらすなら多少の個人の犠牲は、しかたがないと思います」

「ぼくは、そうやって犠牲になる個人の自由を侵害して利益を得た社会は正しいものとはいえないと思うんだ。社会的総利益が同じ八十でも八人の人間に、それぞれ十の利益を供給して二人には、なにも与えない社会と十人の人間に、それぞれ八の利益を分配する社会では雲泥の差があるはず。どちらが良い社会なのかについて議論するまでもないだろ?」

 ぼくの言葉に、「たしかに、そうですが」とノアは答えた。

「それに人間ってのは日ごろから利益を受け取っていてヤバくなったら不利益を受け取らないって決められるほど器用じゃない。いつも最適解を出せるほど頭が良くはないんだ」

 ぼくの言葉を聞いていたノアは、それでも、といった様子で口をひらいた。

「いまのわれわれよりも良い社会を実現するのは困難がつきまといます。実現不可能です」

 そして、そんな言葉が返ってくるのである。それこそ、たしかに、もっともまともな意見であることに間違いなかった。

「それもそうだな。ぼくの意見は机上の空論でしかない。現実には不確定要素が多すぎる」

 ぼくがいいながら苦笑いでほほをかけば、「坂上刑事」とノアが再三ふり返ってきて、

「解析が終了しました。三十分前からの行動をトレースできますが、ご覧になりますか?」

 そんなことを平然としながらいってくるのだ。ぼくは持っていたコピー用紙を放り投げたのだった。


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