第15話




 新島署に戻って戦利品を鑑識に届けたら太田係長のイヤそうな表情を眺めることになった。けれども、明日には完成させる、と明言をもらって、それから挨拶ついで刑事課へ立ちよった。ほかの面々はヒマそうな面持ちでオフィスに雁首をならべているものだから大きな事件もなかったとわかってうらやましくなった。

 オフィスによった折にアンドロイド事件の捜査資料をプリントアウトした。電子データではなく紙にである。もはやシュミくらいにしか使われなくなったデッドメディアを選択したのはクラウドデータに保存されてある捜査資料を閲覧すれば、ぼくのアクセスログが警視庁のアーカイブに記録されることで課長にバレてしまうことや状況や理由について報告書を作成し提出する規定がつくられているからだった。

 しかし紙ならプリントアウトの許諾さえあれば自由に持ち運びができる。その点、規定にしばられないので、ある程度、遊びが効くのだ。だから太田係長がまとめたデータなんかを全部紙面に起こし三センチ程度の厚みがる紙束を完成させバインダーにとじた訳だけれども、そんな折に、「なにをやってらっしゃるのです?」とノアが不意に肩口から顔をのぞかせたるものだから息が止まった。

 驚いた挙句に内規違反の行動を課長にチクられるかもと思い、「いや」と隠したのだが、

「その資料と一緒に独身寮へお送りします。わたしが同席するならば問題ないでしょう」

 と予想とは裏腹にノアは心得た様子でいってくるのだ。ぼくは思いもよらない幸運に恵まれ計画の達成と追加戦力の確保に歓喜したのである。

 それからノアとは別に蔵本さんが訝しむ目で、ぼくをみているのに気がついた。

「蔵本センパイ。課長にはヒミツなんですけれども捜査会議するんでいらっしゃいます?」

 ぼくが耳もとでした小声の提案に、『まあ』と蔵本さんはわざとらしく驚いてみせたが、

「なんのお誘いかと思ったら、そんなことだったなんて。ごめんなさい。できればいきたいのだけれども、今夜は予定があるから、また次回。あなたもノアと楽しんでらっしゃい」

 そう耳もとに返してきてデスクに戻って仕事を再開させるのだ。

「今夜?」ぼくの怪訝な表情に、「今日はクリスマスイブです」とノアの無表情が返ってきたのだった。新島署にきてからこっち日付などみるヒマがなかったからクリスマスにかんして完全に失念してしまっていた。

「坂上刑事は恋人などいらっしゃらないのですか?」

 そして、そんなひどい追い打ちもかけてくるのである。ぼくに恋人なんていたらくそ寒いのに霞が関くんだりまでいきやしない。だから、くやしくて、ぼくの恋人は事件さ、なんていってみたけれども、なんだかやるせなくて、ぼくらは、そのまま帰宅路につくほかなかったのである。

 そんな新島署からの帰り道は、どこにでもある寒い冬の午後だった。ときどき雲に陽が隠れ湿気が混じった冷たい空気に体温を奪われるいつもの日常だった。しかし、普段と異なる要素も含まれている。それは謎の深い事件と蔵本さんがよこしたノアの存在だった。

「わたしも勉強してきました。アンドロイド自殺事件の概略は、だいたい頭のなかに入っていますので、ご心配なく」

 ぼくの沈黙をなんだと思ったのか冷たい車内でノアは、そんなことをいってくるのだ。

「センパイが、お前をよこしたのは別の理由があるんじゃないか? ぼくが信用ならないからじゃなくて、なにか別の理由が、それこそ、どこかに蔵本センパイの意図があると思うんだ」

 ぼくの問いにノアは怪訝な様子になる。どうして、そう思うのかと聞いている気がした。

「ぼくのことが信用ならないなら蔵本センパイは、ぼくに自由な裁量なんて与えないはずだ。けれでも、ぼくらは、だいたいの自由行動を許されていて蔵本センパイからとがめられることはない。だとしたら、ぼくらは監視の名のもとにセンパイから、なにか発見することを期待されているんじゃないのか?」

 なにをいっているのですか? とノアは困った表情になっている。しかし、ただの監視役にしては協力的過ぎるし蔵本さんによる監視しているといった圧力がなさ過ぎるのだ。

「蔵本センパイは事件のスジを既に読み終わっていて、あとは、ぼくらに裏づけをさせているだけなんじゃないかってことだ。ありえる話だろ?」

 しかし、ぼくの言葉を受けて、そんなはずありません、とノアは明言する。

「いくら蔵本刑事が優秀であっても一人で掴める情報量は限界があります。それに、われわれは太田係長やわたしや坂上刑事の半チーム体制で捜査にあたっていますし、それで出し抜かれているのなら、わたしたちアホみたいじゃないですか。よって蔵本刑事に、なにかお考えがあることは否定できませんが、とはいえ坂上刑事の仮定は邪推というものです」

 どうだかな、とノアに聞こえない声で独白するしかない。

「蔵本さんなら、それくらいやってのけるだろうし、それくらいできなければ、あの若さで一課に呼ばれない。蒲田課長だって蔵本さんの管理不行届を黙っちゃいないはずだ。だから蔵本さんが事件の謎を既に解いているっていう可能性は、だいぶ高くなる、と考えられるだろ?」

「なら坂上刑事は蔵本刑事が、わたしを派遣した理由について、どうお考えなのですか?」

「なにかしらの意味があるとは思っているけれども、しかし具体的な理由がみえている訳でもなし、なにかあるんじゃないかなっていうのが現段階で、ぼくが思いつく限界なんだ」

 いえば、「すみません。坂上刑事がわかるなら、こんな話をしませんよね」とノアはもとに戻るのだ。

「ただ坂上刑事の視点も面白いです。もしも蔵本刑事が事件の全体図を把握しているのだとしたら、わたしを派遣し坂上刑事を監視するのも、あぶない場所がわかっているからだと考えられます。そして危険な場所を避けるために、わたしたちをコントロール可能な場所においておき、その上で、わたしたちに自由を許し自分ではみえない要素を探させている、と考えられます」

 ぼくはノアの言葉を聞いて、蔵本センパイらしい、と素直に思った。

「もし仮に、そうだとしたら蔵本センパイが自分で動きたくないだけなんじゃないか?」

 しかしながら、そうやって、ぼくは冗談で口にしたのだけれども、あながち間違いじゃないかもしれないと思ってしまいノアとお互い顔を見合わせることになってしまったのだ。

「そんな訳ないな」

 ぼくがいえば、おそらく、とノアも苦笑いでいる。どうやら蔵本さんへの認識は妙なところで一致しているらしい。

 それから、ぼくらが独身寮に戻ったころには日も傾いて建物の間に影が差しはじめていた。太陽が地平線を超えるまで、あと少しのところである。だから、西の空は紅く東の空は既に紺色になっていて、いつもの階段からみえる周辺の景色も、だんだんと闇に沈んでいく情景に変わっていた。ノアもである。

 ぼくの後ろからついてくるノアも普段の調子ではない。自分の心の奥底をのぞく目をした表情でいる。最近、へんなことをたくさん考えることが多かったからだと思ったけれども、ぼくが一段一段階段を昇るごとに、その度合いは深みをましているから、原因について少しも見当がつかなかった。そして冷たい風が吹く。不意に感じた冷気でノアは、われに返ったらしかった。

 ぼくと目が合った。ぼくからみられていたことに気がついてノアは、ややごまかすように視線をそらしたが、しかたがないと思ったらしく遠い夕日を眺めながら口をひらいた。

「どこか冬の夕方は、ものさみしく冷たく感じられます。なんだか感傷的になるので、わたしは好きになれません。この暗い雰囲気について坂上刑事は、どのように思いますか?」

 ぼくらが三階まで登るかたわら、そんなことを訊いてくるのだ。

「ぼくは好きだな。冬の夕方は空気がきれいに思えるし長かった一年が終わって新しい一年がはじまる、どこにも根拠はないけれども、次の年はいい年になるって希望をもって一日を終わることができるんだ。だから、ぼくは冬の夕方の雰囲気をけっこう気に入っている」

 ぼくの話をノアは黙って聞いている。たぶん、いつものノアなら、『空気の清潔度は夏冬で変化しません』とか無粋なことをいってきたのかもしれないけれども今回は違っていた。

「厄介なものですね。ひとの人生というものは」

 そしてノアは、なにかをかみしめるみたいに、ひとりで口にするのだ。

「どういうことだ?」だから、ぼくは訊いた。

「わたしは人生というものが理解できません。わたしにとって人生とは過去の記録であって電気信号の蓄積でしかないのです。しかし、それは人間とて同じことなのです。しかしながら、わたしたちと違って人間は過去の記録に紐づけされた感情を読み起こすことができます。わたしたちはできません」

 ぼくが口を挟もうとすればノアは、わかっていますみたいに目線で制して口をひらいた。

「たしかに、わたしたちはエモーション・センサーによって人間らしく感情を表現し感情を受け取ることはできます。しかし、それはディープラーニングによって学習した一要素でしかなく、わたしたちは人間のマネをしているだけで自分で感情を生み出している訳ではないのです」

「人工知能がつくったみたいに機械的に発生した感情も、ぼくたちの感情から学習したものだから、それは本物の感情の一種だって学術的に結論が出ているのは、どう考えるんだ?」

「それは、わたしが現在感じている孤独感も哀愁も他人からのカリモノだという証明に過ぎません。はじめからそなわっていた機能ではなく、あとから加えられた機能ということです。そして、その機能で、わたしは本当に現実のことがらを感じているのかと不安になることがあります」

 いきづまっているな、とノアの手を引くしかない。

「ぼくらがもっている感情は脳でつくられた電気信号によって形作られているものだと知っていると思う。たしかに、ぼくら人間には本能としてそなわっているもので人工知能にはあとから加えられたものだというのも間違ってない」

 ぼくはいいながらノアの表情を読み取った。どこか胡散くさい詐欺師の言葉を聞くみたいな表情になっている。

「だが、ぼくが現実のことがらを感じる上で、それは大きな問題にはならないはずだ。なぜなら、ぼくら人間の感情が成長する過程も、いろいろな人間の感情を読み取ってディープラーニングと同じように学習して獲得した過程だといえるからだ。ぼくたちが現実を本当に感じているのかということは、はじめから感情が備わっているか否かの問題なのではなくて正しい感情を獲得できた否かの問題になってくる」

 ぼくがいえば不承不承みたいだったが、「そうともいえます」とノアはいって首肯した。

「その点、お前は心配ない。なぜなら間違った感情をもつ人間は自分の感情について自覚的にならないからだ。だから、そうなってないってことは、お前が現実を間違って認識していないってことの証明になるし、そんな訳で、お前の心にある感情は正常に機能しているってことだ」

 ぼくの言葉に耳を傾けていたノアは、だんだんと合点がいったみたいな表情になっていたが、どうやら困ったものだが、しかし同時に坂上刑事は信用ならないですからね、みたいな警戒心も持っているらしい。

「ぼくらの心のなかには感情があることはわかっているのだけれども、その実体を直接みた人間はいない。ぼくらの脳内部に分泌される化学物質や電気信号を解析して、それらしいものがある、といったことしかわかっていないんだ。だから、あるといえばあるしないといえばないことになるし、お前の理論をかりれば、ぼくは現実を感じているかわからないってことになる。だけれども、ぼくは、たしかに現実を感じている確信があるし感情があるか判断がつかなくても現実ってのは確実に掴めるものなんだ」

 そうやっていば、「それでいいのでしょうか?」とノアは、やっと怪訝な表情をやめた。

「別にいいんじゃねえの? すくなくとも、ぼくら人間の側は誰も困っていないんだし」

 そしてノアは自分で解決できない問題と理解したのか、わかりました、と再び冷静な状態に戻って口にするのである。


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