第13話




 夜、ぼくは蔵本さんからもらった名簿とにらめっこをすることになった。日本に存在する高度な技術を保有したプログラマーやシステムエンジニアの名簿――である。

 そのなかにはAIを作成するAIの設計をおこなえる認定プログラマー、そしてAI運用・管理がおこなえる高度AI人材、それから各企業でAIの設計変更がおこなえる主任以上の名前が記載されていた。

 その数、四万五千人。AIの作成・運用・管理には社会的な安定と治安維持の名目が掲げられていることから各分野で最難関と呼ばれる試験を合格した人間しかAI技術の最深部には関われないことになっている。そしてAI人材の登用には徹底した身辺調査、精神鑑定、定期的な健康診断が義務付けられていて犯罪を隠れて実行する余地すらない――はずだったのだが現実には明らかに犯罪がおこなわれている。

 被疑者は手ごわい。いくつもある監視の目をかいくぐって痕跡すら残らない犯罪を実行しているのだ。ぼくらが一筋縄で敵う相手でないことは明白である。

 だからなのか、そうやって、もらった名簿を眺めても犯人につながる要素はみつからなかったし、そもそもみなが模範となるような善良な市民にみえてしまって、ぼくのなかにある犯人像が次第にかすむ感触に襲われたのだ。

 だから、直接犯人を特定することはあきらめて別の視点からみる方向性が必要だった。

『コード一二三一の謎、それを仕組める人間、数々の予防措置をかいくぐった方法、そして犯罪の目的――』

 ぼくが解き明かさなければならない謎は数多い。ひとつひとつ地道に、と語った太田係長の言葉が頭をよぎる。ぼくが取れる道は、ひとつひとつの謎を吟味し隠れた細い糸をたぐって被疑者に接触することのほかない。

 ホッブス的な社会において重要になるのは、そうした慎重さや、ときどき垣間みえる大胆さである。ぼくにとって慎重さとは着実な証拠を集めることで大胆さとは証拠から推理してみることだ。その両方をもって業務にあたらなければ犯人を逮捕できないし、よしんば逮捕できても証拠不十分で放免されるのがオチである。

 ぼくが自分の国の司法制度の堕落を愚痴っても仕方がないが、あきらかな証拠という権威がなければ裁判官がビビッて判決を下さないのも、ぼくの経験上たしかなものだった。

 ――ぼくの思考は本当に、ぼくのものなのか? 

 もしくは、ぼくではなくノアだったら? そんな風にかんがえてみても、だがノアの思考も自らの思考と断定できるかといわれたら疑問符を挟まなければならなかった。なぜならノアの思考パターンも製作者によってプログラムされた方向性が眠っているかもしれないし、ほかの人間から継承した思考かもしれないからだ。

 であるからノアの思考の種を自発的なものなのか多発的なものなのか特定することができないように、ぼくもまたノアと同じく自分の思考の源について確信たる自信を持つことができなかった。なぜなら、たしかにノアがいったみたく、ぼくの思考は、ぼくから生まれたものではなく、ほかの人間の言動から生まれたものでないと否定することができなかったからだ。

「坂上刑事の思考ですか? はじめにわたしが、その話題について語るには、そもとも自分の思考とは、どんなものか、といった厳密な定義が必要になってくると考えられます」

「どういうことだ?」

「まず自発的な思考とは純粋に自らが生み出した思考という狭義の意味と自ら考えたものであるという広義の意味があります。そこで今回は前者の説を採用して他人から受けた影響によって生まれる思考、いわゆる一足す一から三が生まれた場合に関して余剰価値である二を作り出す行動を推定すなわち自発的な思考と定義すれば、その行為をおこなうことが坂上刑事にとっての自発的な思考であると考えられます。よって坂上刑事の自発的な思考とは坂上刑事にとっての思考であるともいえますし、いえないこともあるということになります」

 そんな風に返ってくるのである。まさに百点満点。いわゆる模範解答な受け答えだった。

「ならアンドロイドの事件について、どう思う?」

 ぼくは再び訊いた。

「確たる証拠がない以上、わたしが答えることのできる範囲は限られたものになります」

 そんな前置きを置いてノアは渋々といった様子をみせながら自分の考えを述べた。

「はじめに原因の解明が最優先事項であると考えられます。事件の根幹であり全ての証拠品をつなぐハブだからです。しかしながら、その事件における根幹を解き明かすための現実問題として証拠品の過少が挙げられます。そこで今ある証拠品について別の視点から考えることが必要になると推測されます」

「アンドロイド事件を単独の事件であるとみればな。ただ推定するってのは別の場所にあるものを試しに当てはめるってのも重要になってくるだろ? つまりは、そういうことだ」

 ぼくがいえば、「どういう意味ですか?」と怪訝な表情が返ってきた。

「アンドロイド事件が起きる前にもアンドロイドによる自殺事件は、いくつか報告されている。だから、その事件と本件が繋がっているかもしれないってことで関連性を調べる必要があるってことだ。要するに確たる証拠が、どこにもないギャンブルみたいな論理の飛躍が重要になることもあるってことだ」

 ぼくの演説じみた語り口調に、「理解しました。では、どうすれば?」そうノアが訊く。

「現在確認されているアンドロイド自殺事件についての情報開示を請求する。電子的データ、時系列で追ったプログラムコードの記録、そしてコード一二三一に関するあらゆる記述だ。たのめるか?」ぼくの下命にノアは首肯する。

「アンドロイド事件に関する電子的データ、プログラムコード記録、コード一二三一に関する記述を収集します」と復唱が返ってきてカチカチとノアのコンピュータが本庁のデータプールにアクセスしているのがわかる。数秒してノアが答えた。

「コード一二三一に関する記述はありませんでした。それからアンドロイド事件の統合記録は本庁の資料倉庫に保管されています。いまから向かえば明朝にお届けできますが?」

 そんな仕事熱心さには舌を巻くしかなかったが、

「ぼくは非番だ。明日はヒマだから自分で取りに行く。ついでに旧友にも会っておきたい」

 そうノアの肩を叩くほかなかったのである。ぼくは自分で捜査すべきだと思ったのだ。

 了解いたしました、とノアも答えた。

「それでは当初の目的を達成しましたので、わたしは帰宅します。当直、ご苦労様です」

 そしてノアは自分の私物をもって帰路についた。ぼくは時計の音もない静かになった刑事課で長い夜を過ごすことになったのだが、ぼくらの警察署では事件が起こることがマレであるから当直についてもヒマでヒマでしょうがなく朝まで退屈した時間を持て余した。

 そして翌朝の蒲田課長の出勤をもって、ぼくの倦怠な時間は終了した。蔵本さんはデスクにつっぷして緊張感のない表情を周囲にまき散らしている。どうやら不機嫌って感じでもないらしい。

 そんなこんなで独身寮に戻って軽く仮眠を取って起きれば昼過ぎだった。警視庁の方には一五時に向かうと連絡を入れておいたから、ちょうどいい時間だった訳で、うまくいったと内心で満足しながら駐車場にいけばノアがいた。ぼくをみて降車し頭を下げている。

「なにやってんだ?」

 そうやって訊けば、「お昼から早退させていただきました」と返ってきた。ウソである。

「本当は蔵本刑事に坂上刑事をお手伝いするようにいわれてきました。ご理解ください」

 だから、ぼくは、まじで信用ないなぁ、とSSのキーを回しながら、なさけない声で頭をかくほかに選択肢はなかったのだ。ノアが助手席をひらいた。

「蔵本刑事は坂上刑事が、ご無理をなさらぬように、わたしを派遣されたのです。あいにく外は寒いですし睡眠不足のまま霞が関へ向かわせる訳にはいけません。のってください」

 ぼくは反抗するのもバカらしく、そのままいわれた通りに車にのり込んだ。なかでは警察無線がやかましくなっている。電源を切った。

「ぼくはなにをやらかすかわからない子どもみたいなやつだってセンパイがいってたろ?」

 そうやって口にすれば、「よくわかりましたね」とノアの感心する声が聞こえて嘆息した。

「蔵本センパイ、どうして、ぼくのことを信用してくれないんだろうな?」

 ぼくがきけば、「蔵本刑事はあやうく感じていらっしゃるのです」とノアが返してくる。

「坂上刑事と蔵本刑事は良く似ていらっしゃいます。ですから蔵本刑事は坂上刑事のことが良くわかるのです。なにを考えて、なにをするのか良くわかるのです。おてんばと呼ばれる坂上刑事のことですから、なにかわかれば非番をよいことに押しかける算段だったのではないですか?」

「おてんば?」とたずね返すしかない。誰がいってんだ? もしかして蔵本センパイか?

「かれはおてんばだから、あなたがコントロールしなさい、と蔵本刑事がおっしゃっていました。本日のわたしの任務は坂上刑事を本庁まで送り届け無事に帰宅させることです」

「なんだかなあ」と頭を抱えた。蔵本さんは、どんなつもりなのか? ぼくはまったくわからなかったし、わかりたくもなかった。どこかくらくらするのは寝不足だからじゃない。

 そしてノアは車を発進させた。

「それに、ぼくが蔵本センパイに似ているって、どういうことだ? まったく正反対だろ」

 ぼくの隣でノアが驚いた風にみえた。ご自覚なかったのですか? といい出す様子だ。

「わたしは良く似ていらっしゃると思います。目の前の事象に釘付けになることも、ご誠実に職務を遂行なさることも、そして正義を信じていらっしゃることも、どれもこれも似ていると思います」

「買いかぶりすぎだな」とぼくはノアの過大な評価に向かって、そう返すほかなかった。

 しかしながらハンドルを握っているノアは、しずかに、「ご謙遜です」といってくるのだ。

「わたしは人を見抜く目があると思っています。わたしのデータ分析能力や抽象化する能力は、そのためにあると思うのです。ですから、そこで導き出された蔵本刑事と坂上刑事の人間指数は一致しやすく良く似ていらっしゃるといったのです」

 どうやら勘違いしているらしい。

「目の前のモノゴトに釘付けになるのは視野が狭いからだ。マジメに仕事をやっているのは、それくらいしか取り柄がないからで褒められることなんてない。それに、ぼくにとって正義という言葉に特別な意味はない。とくに大そうなものじゃないさ」

 車窓から景色が流れている。ぼくは流動性のある光景をながめることでマジメに話す恥ずかしさを消していたが、どうやら、その辺の企てはノアにとってバレバレだったらしい。

「ガキンチョは評価されることが苦手と聞きましたが、当たっているかもしれませんね」

 そして、そんなことを口にするのだ。だから、ぼくはガキンチョらしくブーたれるほかなかったのである! 

「やっぱ蔵本センパイの影響が出はじめているぞ。それもわるい方の影響が、たくさん」

 ぼくの言葉に反応に困っている。どうやらノアにとって、ぼくがいったことがらについて自覚のないことらしい。

「ディープラーニングで蓄積されたデータは抽象化されて共有されるが、ぼくら人間と同じように狭い範囲でも適応することができるように身近な人間の仕草や言動をまねるモジュールが組み込まれているんだ。いくら抽象化されたとはいえ個人が与える影響は計り知れないだろ? そこから自分のことは自分じゃわからないってことが理解できるはずだ」

 そしてノアは、ぼくをみて、はっとして口をひらいた。

「いま坂上刑事のおっしゃっていたことが理解できました。なにかの基準となる指標が自分のなかにしか存在しない事象において、たしかに間違った評価を下す可能性が高いです」

 それから、そんな論評を下すものだから、「むずかしくいう」と頭をおさえて息を吐くしかない。蔵本さんから守ってくれそうにもないから、ぼくはノアの丸め込みをあきらめた。

「ところで話は変わるが、いまセンパイは、なにやってんだ?」

「先日あった首都高義体事故事件を生活安全課、サイバー犯係を交えて同時並行でやっていらっしゃるようですが、主になさっているのはアンドロイド自殺事件の方です。わたしが出る前は坂上刑事が記録なさった太田係長の報告を熱心に読んでいらっしゃいました」

「センパイもセンパイでマジメに捜査をする気があるのやらないのやら。ちょっとくらいならヒントをくれてもいいのにな」

 ぼくの冗談にノアはわらった。そしてシリアスな表情に戻ってマジメなことを口にする。

「それは坂上刑事が、ご自分で証拠を発見なさるのを待っていらっしゃるのではないですか? むかしのことになりますが、教育の基本は待つことだと聞いたことがあります。それを蔵本刑事は実践していらっしゃるのです」

 ぼくは嘆息するしかなかった。たしかに蔵本さんのやっていることやノアのいっていることは正しい。それは認めるしかない。しかし、だからといって、ぼくが蔵本さんから操られているような感覚は抜けなかったし、むしろ助長されたみたいにも感じられていた。

「ぼくは寝る。だから本庁についたら起こしてくれ」

 そうやっていえば、「了解いたしました」とノアの応答があった。現在のところ車は首都高を走っている。ぼくがシートを倒せば、かすかな振動と共に意識が一緒に遠のいていったのだった。


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