第12話
その日の夕方になって蔵本さんが戻ってきた。なにごともなかったみたいにデスクについている。ぼくらは子どもじゃないからケンカした翌日までスネて口を利かないなんてマネはしないけれども打ち合わせや申し合わせの間は気まずくなってくる。
だから形式上、さっきはすみませんでした、と謝ったが、しかし蔵本さんも釈然としない構えらしく、『あなたの行動をみて決めるわ』と返ってきた。ぼくは蔵本さんの厳しい追及から当分の間逃れることはできないらしい。
あーあー、なんだかなあ、とため息が出そうな気分だったが、それでも業務を終わらせて定時になった。そして蔵本さんが退署していく。今日は、ぼくが当直だったから緒方係長から要点をまとめたマニュアルをもらって両名を見送った。
だんだんと陽が沈んでいく。東京とシティ東京の夜景が混ざっていく。そして夜になれば、どちらの東京も光の一種に変わるのだ。どちらの東京も姿が目にみえるときは好きじゃないが、どこかピュアなシルエットだけが浮かぶ闇のなかの東京は不思議と好きだった。
そしてノアがきた。
「当直、ご苦労様です。新島署、初当直の坂上刑事のために差し入れを持ってきました」
それからノアは、ぼくの隣にきて持っていた袋から二束、カップラーメンの束を取り出した。隣のコンビニで購入できるカップラーメンだ。いつも蔵本さんが食べているやつだ。
「よりにもよって、なんで、それなんだ?」
だから、ぼくは、あやうく頭を抱えそうになったのだけれども、「ご不満でしたか? さきほど蔵本刑事から、お預かりしたものですが」と返ってきて完全に頭を抱えたのである。
まったく。これじゃあ、まるで、ぼくが子どもみたいじゃないか。ノアにニヤニヤの表情で品をわたしている蔵本さんのわるい顔が脳裏に浮かんでくる気がした。
「蔵本センパイに、お礼をいっておいてくれ。蔵本センパイの厚意に感謝しますってな」
わかりました、とノアは返答した。そして食材を準備しながら、こうもいってくるのだ。
「それから太田係長が、お呼びになっています。要件は先日のアンドロイド自殺事件のことらしいです。オフィスには、わたしが待機しますので交代なさってください。なにか通報があれば、ご連絡します」
ふいにノアからもたらされた歓喜の知らせによって、ぼくのイスがガタッと音を立てたのがわかった。そんな様子をノアが驚いた表情でみている。ぼくが朝から待ちに待っていた復元プログラムの教育が終了したのだ。サンキュー! 助かった! そんな風に、ぼくが刑事課を出ていったのをノアが、どんな風にみていたかなど気にならないくらい心が躍っていた。
だから、ぼくは鑑識のオフィスの目の前で一旦、自分の息を整えてドアをノックすることを忘れないくらいの理性は残っていたのだけれども、いざ現実を目の前にすれば、そんな理性など一瞬のうちに吹き飛んでしまった。
「やっと捜査に入れるって感じだな。別にドアの前で深呼吸しなくても良かったんだぜ?」
そんな太田係長の言葉には苦笑いで頭をかいた。そして部屋をみれば分析台の上にアンドロイドの姿はない。事件の舞台は現実世界から電磁的な記録の世界へ移ったのである。
「それで、どうなっているんです?」
ぼくの質問に太田係長はホログラをひらいて答えた。
「あのアンドロイドの記憶媒体に入っていた過去三十日分の記憶を抽出することに成功した。長期記憶、短期記憶、感覚記憶、コード記憶のすべてだ。時系列順に表示もできる」
そして太田係長はホログラに、ずらっと三種の記憶記号を並べる。前者三つは脳科学的見地によって学術的に作成された記憶記号から表現されている文字列で後者はプログラムコードで表現されているコード列だった。
「オレが話すまでもないが前者三つはオレたち人間の記憶機能と同等の効力を持って機械生命体を人間らしくみせている。そして最後のひとつは機体生命体が持つ独自の記憶機能で全演算記録を記憶している。だから人工知能を搭載する機械生命体は人間と同じ記憶機能を達成することができるようになった、という訳だ」
ちなみにコイツはオレの専攻の分野だった。ほとんど忘れちまったがな、と口にする太田係長の力説に間違いはなかったから、ぼくは完全に舌を巻くことになってしまっていた。
「お前さん、コイツは読めるかい?」そう太田係長が訊いてきた。
「初歩レベルなら」と答えたが、しかし、ぼくはAIが独自に書いたプログラムまで解読できるほど勉強していなかった訳で、なにが書いてあるかはわかったが、その結果、なにをしたのかまではわからなかった。ぼくが大学三年生のころ刑法の勉強をしていたときみたいに全てが暗号にみえる。
「その様子じゃチンプンカンプンってところだな。まあいいや。とにかく朝に出たコード一二三一についてだ。やっぱコイツはおかしいってのがオレが出した結論だ。なぜならプログラムのトリガーが発見できねェんだ。コイツの場合に限って。突然、あらわれやがる」
やはり不具合か、なにかでもないんですよね? と問えば首肯が返ってきた。そして太田係長は全てのコードの演算表を出す。
「コイツら機械のなかで実行されるプログラムってのは問題を認識するところからはじまるんだ。だがなコード一二三一に限って問題の認識が対応しない。全てのコードを復元することができたとしても、いや復元したところでコイツに限って出てこなかったって訳だ」
そして太田係長は自分の思考の欠落を探しながら一つの結論に至る。
「オレは本件の根幹に、なにか大きな計画が眠っていると考えている。組織であれ個人であれ日本全体を揺るがす巨大な計画がな。獲物のしっぽが鼻先をかすめても、それはニセモノのしっぽで焦って掴めば手痛いしっぺ返しをもらうかもしれん。お前さん、だいぶ用心してかからにゃ足をすくわれるぞ」
それからシリアスに口にするものだから、「はい。注意します」とイヤでも力が入った。
「現段階で犯人の目ぼしは、どんな風に考えている」
ぼくを見定める口調だったから、どうやら試されているのかと余計なことを勘繰ってしまったが、しかし、それは余計な邪推だったらしく太田係長は純粋に訊ねているらしい。
「いまのところではAI関連企業のエンジニアか、それに類する職業の人間であると考えています」
「システムエンジニアの数は全国でみても星の数ほどいるぞ。どうやって絞り込むんだ?」
たしかに太田係長の問いは至極もっともで、ありきたりなものだったが、ぼくはある種の確信じみた仮説を抱いていた。
「たしかに枝葉のSEを勘定に入れたら一万や二万じゃないかもしれませんが、得体の知れないプログラムを残せるエンジニアは限られると思います。それこそ政府から認可を貰った認定プログラマーなど高度なプログラムを書ける人間ならば日本に数十名しかいないはずです。地道に関係者を洗っていけば割り出せるはずだと考えています」
ぼくの言葉を聞きながら太田係長はヒゲを撫でていたが次第に納得したとして大きく嘆息した。
「地道にな。それが一番の近道だ」
そして太田係長はドカッとソファーに座って、昔ながらのたばこに火をつけた。どうやら自分の仕事は完全に終わったぞ、という合図らしい。
「お前さんをみていたら懐かしいことを思い出した。オレが刑事課にきて初めて事件をもったときのことだ。犯人は、どこにでもいる空き巣ドロだった訳だが、いろいろ壁にぶつかって怒られて失敗して、証拠品踏んづけたりしてな、やっとのことで逮捕した被疑者だった。だから、いまでも忘れられない」
太田係長の面持ちに差す影の深さは、そんな記憶の深さでもあるみたいに感じられた。
「今の事件も、お前さんにとって忘れられない事件になる。みんな同じだ。みな最初にもった事件を胸のポケットにしまって警察官をやっているんだ。だから、お前さんも、そうやって、あとからいい思い出だったと思い出せる事件にしなきゃならん。いっそう気合いをいれて臨むんだぞ」
どうやら、それは太田係長なりの発破であるらしいのだ。最初の難事件に当たった新人刑事に向かってベテランの鑑識官が背中を押す激励だったのだ。だから、ぼくは余計なことを考えずに素直に受け取ることができた。
「蔵本さんに負けないくらい努力します」ぼくがいえば太田係長は愉快にわらっていた。
「お嬢ちゃんへ追いつくには、あと二十年かかる。ちょっとやそっとの努力じゃ敵わんな」
そして、そういわれるのだ。ぼくは脳裏に蔵本さんの勝ち誇った表情が浮かんできて苦笑いで頭をかくしかなかった。
「お嬢ちゃんは天性の才能がある。デカとしてのな。ただ、あの子は得体が知れないし普段から掴みどころのない様子でいるから、そんな風にはみえねェが、やるとなったらとことんやるヤツだ。だから課長さんも一目おいているだろ? いつか、お前さんも、あの子を本気にさせてみろ。それが刑事として一人前になった証だ」
そして太田係長は、それまでくゆらせていた煙を吐き出した。もう全部いいたいことはいった。あとは、お前さんが自分で考える番だ。どこまでやれる? といった感じである。
太田係長は、いってもいいぞ、とたばこで示し、ぼくは軽く会釈をして鑑識係のオフィスを出た。
どうやら、ぼくが待機しなければならないだけの時間は終わったらしい。ぼくには解かなければならない謎がある。はじめには形さえなかった謎だが、その形を太田係長が明らかにしてくれた。ぼくからしたら、ねがってやまない大ヒントである。
ヒントその一、アンドロイドの自殺は自己決定的な自殺といった点。ヒントその二、自殺を決定させたトリガーが記録にあらわれないコード一二三一とは? といった点である。
その二つのヒントを得ることに成功した。
ヒントその一から本件は人為的に引き起こされた『他殺』で被疑者の存在が確定した。
ヒントその二から特殊なコードが埋め込まれている可能性が指摘できるので本件の被疑者はAIのコーディング過程において重要な立場をしめる人物である蓋然性が高いと考えられる。
「アンドロイド事件の報告書ですか? わたしは捜査が終わったものと思っていました」
ぼくが刑事課に戻ってきてデスクについたところでノアが、その言葉と一緒に、さきほどのカップラーメンをもってきた。
「第一歩ってところだ。もとい、ようやく第一歩って感じだ。なかなか闇の深い事件だぞ」
そうやっていいながらノアからカップ麺をもらえば感心したみたいに隣に座ってきた。
「蔵本刑事が話していたことはアンドロイド事件のことだったのですね。わたしは首都高義体事故事件と思い込んでいて勘違いしていました」
そしてノアは、ぼくに一つのデータをわたしてくるのだ。
「なにこれ?」とひらいてみたら、なかは経済産業省管轄の公認プログラマー名簿だった。
「先日、サイバーエレクトロ八王子工場へいった折に坂上くんが太田係長のもとからウキウキで戻っていたときにわたしなさい、といわれていましたので、わたしは事故の一件だと考えていました」
なにを考えているのやら、と思わずにはいられなかったけれども、ただ不意にあらわれた事件解決への一ツールに飛びつかない手はなかったから、ぼくは訝しみながら訊いた。
「それのほかに蔵本さんから受け取ったものはないか?」
いいえ、とノアが答えた。だから、ぼくは蔵本さんの行動の意図が読めなくなってくる。
「お前からみたセンパイって、どんな感じだ?」
「蔵本刑事は良い方ですよ。わたしの話し相手になってくださいますしメンテナンスの手伝いもしてくださいます。寮でも良くしてもらっています。なにも悪い印象はありません」
そう口にするノアの言葉を聞いていたら、やっぱ悪魔みたいなひとだ、と内心で独白するしかなかった。
「なあセンパイのやっていることって、ときどき理解できなくならないか?」と訊けば、
「人間のやっていることをみるのは、わたしからしたら、ほとんど意味不明の連続です」
と返ってくるのだ。だから、「ぼくも蔵本センパイと同じってことか」といい淀むことになる。しかしノアは、「いいえ」と否定した。
「わからなくても人間と暮らすことはできますし、わからなくても行動の根幹を推し量ることもできます。むしろわからない方が人間と一緒に暮らしていて楽しいということです」
そしてノアは、ぼくに向き直って、
「逆転の発想が重要です。蔵本刑事のことを理解できないのではなく坂上刑事は、ご自身について理解できていないから蔵本刑事の行動が理解できないのではないでしょうか?」
せんえつながら、とつけ加えながら、ぼくの内心をえぐってくるのだった。たしかにせんえつだし余計なことだったが、はじめに余計な話しをはじめたのは、ぼくの方だった。
「まさかノアから、そんなことをいわれるなんて思ってもみなかった」
だから、あっけに取られチープなコメントで感情をあらわすことしかできなかったのだ。
「ひとの行動は写し鏡といいますから意外なところに答えがあることも、またあります」
そしてノアは一仕事終わったみたいに立ち上がった。ひるがって、ぼくは完全にノックアウトされてしまっていた。だが、
「だからといって全部が全部、そんな風になっている訳じゃないだろ? 大部分が蔵本センパイの自発的な行動のはずだ。そうやって自分に原因があると結論するには尚早すぎるんじゃないか?」
ぼくがいえば、「わたくしはモノの見方の話をしているのです」といった大胆な回答が返ってきて頭をかくことになってしまった。もしかしたらノアの行動も蔵本さんの言動が影響しているのかもしれない。
「お前、だいぶ蔵本センパイから悪い影響を受けているみたいにみえるぞ。ディープラーニングってのはビックデータが必要になるのに警察署みたいな狭い環境で運用してたら肝心のデータ収集が上手く機能しなくて単調な行動になるんじゃないか?」
「いいえ。わたしたちのデータは抽象化され個体個体で共有されています。ですので、わたしたちの成長に必要なデータの分量に問題はありません。わたしは十分に対応できます」
そんな風にわらっていわれたら、なんだか、ぼくの方がアホらしくなってきて、いい返す気にもならずカップ麺から立ちのぼっている湯気を眺めることしかできなかったのだった。
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