第11話




 ぼくの動機。ぼくの意思。そんなことをマジメに考えたことは、いまのいままで一回もなかった。なぜなら、ぼくにとって犯人を捕まえることこそが警察官としての使命であって、ぼくにとっての願望だったからで、その犯人を捕まえることに焦点を当て意味を考えたことがなかったからである。いや、ぼくの警察官人生で考える必要がなかったからだ。

 ぼくの動機とは、なにか? どうして、ぼくは警察官になったのか? そしてもう一度、

『あなたの動機って、なんなのかな?』

 ぼくは、そんな風景をみながら蔵本さんの言葉を反芻してみる。

 ぼくの警察業務の根幹にあるもの。ぼくにとっての警察とは? なんだか漠然とし過ぎていて無数に答えが落ちてくる。だからといって、まったくわからない訳ではなく根幹となる答えは、ぼくの心にある、どこか泥のような粘着質の高い場所にある気がしたけれども、どうして、そんなところにあるのかも、なぜ、そこから取り出せないのかも、それすらわからなかった。

 ぼくは警察官になってから、ずっと、いままで警察官として自分が死ぬかもしれないことを自覚していた。そして、ぼくは死が身近にあることを知っている。それに警察業務には『死』というものが予期せず急に降ってくるものだし警察官として死ぬことがあることを理解している。

 しかし、ぼくにとって、それが死を遠ざけていい理由にならなかった。なぜなら警察官は犯罪者を捕まえる職業で被疑者の懐に飛び込まなければならない職業だったからだ。できなければ逆に死ぬ。犯罪者の目の前で止まれば殺されるのをわかっていた。だから、ぼくは経験上、その法則が絶対であることを理解しているし、蔵本さんも理解しているはずだ。でも蔵本さんは警察官が死ぬ可能性を減らすべく行動している。

 ゆえに蔵本さんは警察官でいながら矛盾してみえたし不思議にも思えた。それから、ぼくの頭のなかに、どこか別の理由があるのではないかという発想が浮かんでくることになったのだ。だから、ぼくの興味は、だんだんと次第に蔵本さんへ移動しはじめる。

 どうして蔵本さんは、ぼくを試すのか? なにを望んでいるのか? その根源にある原因や、ぼくの信念が合致する場所を発見しなければ、ぼくにとっての解決策がみつからないと感じることになった。

「緒方係長、蔵本センパイって前なにしていたんですか?」

 だから、ぼくは、そうやってヒマをもてあましている緒方係長に訊ねることになったのである。蔵本くん? と係長は怪訝になったが、次第に不思議な顔になって質問に答えた。

「蔵本くんの前の職場? 彼女は、もともと一課の刑事だからね。本庁の刑事部だよ」

 そうやって返ってくる。そして、ぼくは緒方係長の言葉を聞いて、「一課?」と完全に不意打ちを食らった感触に襲われるのだ。

「一課って蔵本センパイ、どえらいエリートじゃないっスか。どうして場末の新島署へ?」

 ぼくの反応に、「ウチも場末ではないんだけれども」と緒方係長は苦笑いしていたが、

「深い事情は、わたしも知らないからね。その辺は課長か副署長に訊いた方がいいよ」

 そういって仕事のない係長は頬をかいていた。どうやら係長がもつ人事情報は、その辺が限界らしい。

「そうですか……。いえ、驚きました。センパイが、そんなにすごいひとだったなんて」

 あの若さで本庁刑事部捜査一課に登用されて、そして新島署に転属――ぼくは、その意外な転属の裏に、なにかの事情があるのではないか、とそんなことを思ってしまっていた。

「とはいえ蔵本くんの話題は坂上くんにとっては重要な話題に違いないからね。最近、どうだい? 蔵本くんと上手くやれているのかい?」

 そういった緒方係長は完全に仕事の手をとめていた。どうやら仕事は本当にないらしい。

「どうなんですかね。いえ蔵本さんが問題なんじゃなくて、ぼくに適正があるのかわからなくなってしまって。いつか殉職するっていわれてしまいました」

 きみが殉職? と緒方係長は悩ましい不安の種を発見した表情になって、

「きみに殉職してもらっちゃ困るなぁ。刑事課はひとがいないから、きみが抜けてしまったら、またいちから新しい刑事を探さなきゃいけない。せっかくの予定が狂ってしまう」

 そんなことを緒方係長はマジメにいっていくるのである。そして、ぼくの苦笑いに気がついた緒方係長は、いまのはウソ。冗談だから、とマズいことをいった様相で横に首をふっていた。

「話は変わるけれども適正ね。この場合、刑事としての適性ってことなら捜査講習をパスした時点で証明されている訳で心配はいらないはずだから蔵本くんがいいたいのは生き残れるかっていう適正なんだろう」

 そこまでいって緒方係長は考える仕草になった。ぼくは、なんだか親戚のオジサンに説教されている気分になってくる。

「たしかに、きみは、ひとつのモノゴトを前にしたら、それしかみえなくなる性分があるらしい。それはあぶない資質で、わたしにも被疑者追跡中に周囲がみえなくなってしまって一人で突っ走った挙句に死んだ同僚がいる。彼女もきみを無駄に死なせたくないんだ」

 そうやっていっている緒方係長の言葉と蔵本さんのいった言葉には、どこか違ったニュアンスがある気がした。だが言葉にすることは難しい。

 そのニュアンスはお節介みたいなものではなく、もっと別の次元のものでいえば忠告みたいなものだった。緒方係長のいっていることは、なんだか余計なお節介に聞えてくる。

「警察官になってから考えたこともなかったのですが、ぼくたちの命と犯人逮捕って、どっちが大切なのでしょうか?」

「その両者の比較は難しい。われわれの世代では戦争経験者が多かったこともあって犯人逮捕が絶対で任務の達成が最優先って習ってきたけれども、いまどきの人材不足で、そんな贅沢は上層部もいえなくなってきている。わたしたちが子どものころは命をお金で買えたけれども、そんなことは現代の環境じゃいえなくなってしまったしね」

 そして緒方係長は肩をすくめて仕事に戻るのだ。

 ぼくたちの組織の目標は犯罪者を逮捕することで、それに対して往々に、ぼく自身のあり方や存在を天秤にかけられることがある。誰しもが自分自身を危険に投じなければ被疑者を逮捕できない。両手に青龍刀を持った中国系の移民や手りゅう弾、擲弾筒、AKのコピー品などで武装したヤクザの下っ端、はたまた道端でノリンコをもった強盗や反撃に転じたセキュリティーの銃撃戦真っ最中に出くわすこともある。

 ぼくたちにとって、そんなところに突っ込んでいかなければならない場面が、たくさんあるのだ。その原因は、たしかに、ぼくたちの方から積極的に犯罪者へ向かわなければ自分の命があぶないってこともあるが、自分のもとに犯罪者がやってくる前に捕まえなければ命が守れない組織に所属しているからだともいえた。

 自分を守るためには組織の方針に従わねばならず組織の方針に従えば自分の命を危険にさらす。ぼくがいる警察みたいな自己矛盾を抱える組織においては、そんなことがたくさんある。だから、ぼくは気にしたことがなかったけれども、たしかに改めて蔵本さんが話した話題に関して考えてみれば、どうやら蔵本さんのいっていることが正しいように思えてくる。

 ぼくたちが生まれる前まで世間では、「自分の命は自分のもの」といった言葉があったらしい。ぼくが生まれた後の世界では意味をなさなくなったが……。

 なんだかんだいって良く考えてみたら蔵本さんがいった言葉には、そんな意味があるのではないかと思えた。自分の命を大切にすることや自分の命を自分で管理することは、自分の意思で自分の命の使い方を決めるのと同じことで善き市民として、ほかの人間のことを考えて行動することや量子コンピュータで計算された行動予報に基づいて一日を効率よく過さず反社会的な行動を取ることのように思えたのである。

 さながらパラダイムシフトだな、と直感した。ぼくの感じていた昨日のなかに明日の要素が詰まっている。その巧妙に隠された要素は、ふとした契機に発見されて、ぼくらは時間をすすめることができる。

 ぼくの命すら管理される現代では自分の命を管理するなんてことを考えた瞬間などなかった。ぼくの命は治安維持の名目によって政府に管理されているもので、さもなくば裏社会でナノマシンを排出し公的管理から外れ反社会勢力から管理されなければ暮らすことができない。ぼくらの社会では、そうやって治安が維持されている。

 どこにいくにも自分の情報が政府によって管理されている。カメラやマイクなどの古めかしい外部機材ではなく自分のなかに入っている小さな小さなたんぱく質でつくられた機械たちによって位置情報や会話の内容まで収拾され管理されている。

 ――ぼくらの網膜に映像を投影しVRスクリーンを作成するのもナノマシンたちの役割であるし、インターネットにコネクトするため人体アンテナの役割をもっているのもナノマシンたちで、だから、どこにいって、なにを買って、どんなことをして、といったことは一瞬でわかるし、ぼくが警察官になってからは、ぼくの交友関係も監視対象になってしまったから、ぼくが友達にいった言葉や受け取った思いなんかも政府に保存されることになった訳だ――

 人間はみたいものだけをみてみたくないものはみない。みんなが良いものだと思っているものも、ぼくからしたらみたくないものだし、だからオジサンやオバアチャンたちからしたら政府による管理といった行為は、どうやら余計な管理だと思われているみたいだけれども、その管理のお陰で犯罪者の特定が容易になったから前に比べたて治安は落ち着いてきたし、裏社会や反社会系の活動も前に比べたら穏健なものになってきていることも思案のうちに加えなければならない。だから、ぼくは自分の命を自分で管理するといった言葉のなかに、ふれてはならない独特の巨大な魅力が隠されていると思わずにはいられなかった。

 蔵本さんの絵が取り残されている。休憩室の片隅に、そっと置かれたキャンパスには誰かの肖像画が描かれている。それが誰なのか? ぼくには、いまだ下書きの段階でしかないから明確にわからなかった。なかにいるひとは女のひとみたいにもみえるし男のひとにもみえる。はたまた人間であるのか、それとも人間ではないのか。ぼやっとした輪郭は可能性にあふれていて不思議な感覚に襲われた。

 あのモナリザは男性でも女性でもないんだぜ、と高校のころの友達が、そんな博識を披露していたのを思い出した。そして明確に提示されていない規則にしたがってモナリザをみる人間がモナリザを女性か男性か決める。まあほとんどが女性と判断するのだろうけれども、そんな風に自分でテーマを決定できることは自分で自分の行動を決定できるのと同等の意味があるみたいに感じられた。

 蔵本さんの絵は、ぼくが初めてみた日から筆が進んでいないみたいにみえる。周辺のパレットで色を混ぜて、ちょうどいい感触の色を探っている段階らしい。それは、ぼくからしたら自分で納得ができる色彩を求めて自分が求める現実を完成さる途上のように思えたのだ。

 なんのために蔵本さんは絵を描いているのか? そうやって蔵本さんの絵をみていたら、ぼくは蔵本さんの絵が、ただのシュミの一環とは到底思えなくなってしまった。どこか蔵本さんの絵には表現する意味とは別の意味がのせられているみたいにみえる。外ではない。むしろ逆に内に向かったエネルギーがあるみたいにみえた。自分で自分に問いを発し自分で自分の答えを探している風にみえた。

 本人にいえば、アホくさ、とあしらわれるかもしれないけれども、もしかしたら蔵本さんは絵という別の現実を造る作業を通して自分たちの現実を客観的にみているのかもしれない。まるで、ぼくが、ぼくの世界にいたままで自分といった人間がみえなくなるのと同様に絵を描くことで自分のいる世界で自分といった存在がみえなくなることや、自分の視界にモヤが掛かることを防いでいるのではないかと思わずにはいられなかった。

 だから、ぼくは、ぼくの目の前にある絵をみていたら、わたしはわたしがいる世界を離れて自分がいる世界をみたいから絵を描いているのよ、といって話す蔵本さんが容易に想像できてしまった。

 もしかしたら蔵本さんも自分の生きる意味や、どうして生きるのかといった疑問について考えているのかもしれない。ただ、ぼくは、そうやって考えて、いや、そんなはずはない、と肩をすくめることになった。なぜなら蔵本さんは、そんな非健全な話題について思案を巡らせることよりも、もっと人生を楽しむ方法について考えるために自分のエネルギーを消費するはずだし蔵本さんは人生を楽しんでいるみたいにみえたからだ。

 いわんや、ぼくみたいにみえない疑問の答えを探している感じには、まったく、みえなかったのである。だから、ぼくは蔵本さんの絵を描く理由について、さらに深まる謎みたいに感じていたし、なんだか不思議な生命体を目の前にしているみたいに感じられはじめていたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る