第10話
第二章
翌朝、ぼくは夢のない睡眠から目覚める。だらだら出勤してオフィスにいけばデスクにいた課長から呼び止められた。話しの内容は太田係長が呼んでいるとのことだった。だから、ぼくは課長から直々に業務を引き継いで、その足で太田係長がいるオフィスへ早朝から走ることになったのである。
「わかったことがある」開口一番の言葉が、それだったせいで、ぼくの目は完全に覚めた。
「なにがわかったんです?」ぼくが訊けば、
「アンドロイド自殺事件の一部分。正確にいえばAIが出した最後の指令の内容だ。わかったのはコイツが自分で自分を破壊するようにプログラムを組んでいたってことで、コードの名前が『一二三一』ってことだ。だから本件は間違いや事故でなく正真正銘の自殺だったってことになる」太田係長は腕を組んで答えた。ぼくは怪訝になる。
「それはAI自ら自殺するようにプログラムを作成して問題なく倫理回路を通過し現実として実行されたってことですか? 倫理回路って、そういう指示を弾くためにあるんじゃないっスか?」
ぼくは信じられなかった。だが、「そうだ」と太田係長のドスの効いた声が耳に届いて真実なのだと実感した。AIに搭載されている倫理回路の絶対神話が崩れた瞬間であった。
「そのトリガーになった原因は、なんです?」
「原因は特定できなかった。いや正しくは原因がなかった訳だ。突然、全ての事項に最優先して指令が割り込み実行された。問題方程式の回答や、エモーション・センサーの数値やほかの機能についても同等だったのに起こった。あとは別の部位に隠されたコードがあるのかもしれんが、いまだ復元できていない」
だいぶ厄介なァ難問だぞ、と太田係長は口にする。自分に対する景気づけに聞こえた。
「プログラムのバグでしょうか? それとも誰かしらに仕組まれたトロイの木馬――?」
そして、その両方の可能性もあった。蓋然性は際限ない。だから太田係長は安易に発言せず考えをまとめながら思案している風にみえた。
「可能性の話は好きじゃないんだが、それでも考えられるのは、その両者だ。そこで可能性からいえば前者だが、重大インシデントまがいのバグを認可のテクノクラートが見落とすはずがない。オレの勘では後者だな。お前さんは、どう思う?」
そんな太田係長の問いに、「ぼくも同じです」と返した。あとは証明である。
「明日までには復元プログラムが完成するから、その完成を待って全体のコードを解読にかかる訳だ。それで、なにがあったかハッキリする。お前さんが気になっていることも明らかになるってことだ」
だいたいの見通しが立って太田係長は満足半分・不満半分の様子でいた。ぼくだって同じ気持ちだったが、さすがに太田係長は風格のベテランだけあって落ち着き払っていた。
「あとは義体の件だ。サイバー犯係の報告は?」太田係長が訊く。
「社員名簿を転送したときに友好関係をあらって目ぼしい人間がいないか探すっていっていました。個人名義のプロバイダーからたどれば、どこに接続したかわかるらしいんです」
ぼくがいえば、「あっちのことは、あっちに任せるしかまい。オレたちがジタバタしたってはじまらねェよ」と渋めの声が返ってくる。
「なにかほかにできることってないんでしょうか?」ぼくの独白に似た質問に太田係長は、
「オレたちの仕事が終われば、お前さんたちは送検まで休むヒマもないくらいに忙しくなる。だから、いまのうちに、うんとエネルギーを貯めておかなきゃならんのじゃないか?」
そういってくる。それもそうだ、とぼくは思った。
「そういうことだ。いまのところ、お前さんたちにやることはない。お嬢ちゃんを見習って自分の趣味でもやってくれ。結果が出る明日からボロ雑巾みたいに働いてもらうからな」
そんな感じで脅されるのだ。ぼくの苦笑いに太田係長はニヤっと不遜な表情になった。
「オレからの報告は以上だ。なにか質問はあるか?」ぼくは、「ありません。もろもろありがとうございました」とオフィスを後にするのだった。
それから、ぼくは強行犯係のオフィスに戻りながら太田係長との会話内容を反芻する。
アンドロイドが自分で自分を壊す指令を出した。その原因は不明。外部からの不正アクセス、その他電子的な攻撃による結果なのかも不明。要するに、ぼくのカンが当たったってことだ。事故ではなく事件だったってことが証明されたって訳だ。
しかしながら犯人の正体は不明で、しっぽすら捕まえられていない現状である。真相解明のためには膨大な時間と相当の人数が必要になるかもしれない。もし仮に、そうなったら、ぼくの本土復帰が遅れるのみではなく新島署に数年間は釘付状態ってことになる訳だ。
「いやな事件に当たっちまったなァ」
ぼくが太田係長風にいえば、そんな感じになる。時間が掛かる事件ならば誰かにまかせて潔く身を引きたいところだったが、ほかの署に、ぼくほどの適任者がいるとも思えなかった。だから本件は自他とも正式に認めることになって、ぼくの事件となった訳である。
「どこにいっていたの?」
ぼくがオフィスに戻ったら出勤した蔵本さんから、そんなことを訊かれることになった。
「先日あったアンドロイド自殺事件の件で太田係長のところにいってきました。アンドロイドが自分で自分を破壊するために指令を出したっていう証拠がみつかって、その確認に」
ぼくの言葉に、「なら自殺だと確定した訳ね」と返ってくる。
「じゃあ追加で捜査の必要があるから、その旨を課長……係長に報告。あなたが担当を継続して、わたしは補助で入るわ」
そんな申し出を蔵本さんがいってくる。「昨日の件は?」とぼくは訊ねるしかなかった。
「昨日の事故の捜査はサイバー犯罪の可能性があるから生活安全課に引き継いできた。だから、わたしは、あなたの新任教養をしなきゃいけない。警察学校の教官みたいにバシバシ鍛えてあげるから覚悟なさい」
蔵本さんが楽しそうな表情を浮かべている。ぼくは内心で、まじか、とため息が出た。
「それで、あとは、どんなことがわかったの?」蔵本さんが訊く。ぼくは全部自供した。
「ほかにはアンドロイドを自殺させるためのコードの名前が『一二三一』ってことです」
「一二三一?」そう蔵本さんが訝しんだ。
ぼくは太田係長からもらったデータを出してきて、追加で説明をすることになった。
「いわゆる算用数字で1231です。さしずめ、『コード一二三一』といったものですかね」
ぼくがいえば、「とりあえず、そのデータもサイバー犯係に回しておいて。捜査協力のときに役に立つはずだから」そう返ってくる。
了解しました、と蔵本さんの認証をもらって、ぼくは新島署にデータベースに転送した。
「ところで昨日、ノアと出かけた件について、なにかわかったことはあったのかしら?」
ぼくは、なぜ知っているのだ、とあぶなく口にしそうになったが目の前にある含んだ表情をみてノアをけしかけたのが蔵本さんであると一瞬でわかった。
「わかったことはありませんでした。むしろ謎が深まったって感じで、こっちがふり回されているんじゃないかなって感じです。記録は収拾したので生活安全課に回しておきます」
蔵本さんにいえば、「ご苦労様。残業の申請は近日中に」と返ってくる。
なんだか淡白というかシンプルな受け答えで、ぼくが夜中のドライブを真っ当したのにふに落ちない。
「だいたい、なんで、ぼくだったんスか? そんなに気になるなら蔵本センパイがいけばよかったじゃないっスか。ぼくは事件が生活安全課に移ったことも知らなかったですし」
だから、ぼくは憎まれ口を叩くほかなかったのである。そして蔵本さんは意外そうな表情をしたかと思えば逆にひらき直るのだ。
「いつからバレてた?」という問いには「ワザとやってますよね?」と頭をかいてみせた。
「なんだか蔵本センパイの手のひらの上で踊らされている気がするんスよね。いえ別に捜査の一環ですから構わないんスけれども、なにを考えてるのかわからないのが不安で――」
ぼくの言葉に蔵本さんは、「五十点」と返ってくる。
「坂上巡査長は、まだまだ修行が足りない様子ね。昨日の時点で気がついていたら七十五点までアップしていたけれども、今日になったのだから二十五点減点が妥当なところよね」
「それで実際のところ理由はなんです?」
「わたしの仕事を減らしたいからに決まっているじゃない。若い者は良く働くべしってね」
そっスか、と蔵本さんは、そんなことをいってくるのだ。だが、その目がわらっていなかった。別の意図があったのだ。ぼくは直感した。
「いいえ。蔵本センパイは別の目的があるはずです。たぶん捜査に新しい要素をいれたくて工場にいかずに先入観にとらわれてない新鮮な感性が必要だったからじゃないですか?」
「七十五点にアップ」蔵本さんの声が返ってくるのだ。
「そして昼間に工場にいかせたくなかったのは、その必要があったから。そうですか?」
「プラス百点。もはや工場内部に犯人がいる可能性は低いから可能性の高い方に回ってもらったってことね」
ただ、そうやって聞かされたら、なんだか、いろいろ苦労した緒方係長が不憫に思えてしまってくる。
「それから、あとは、ぼくが、どれくらいできるか試したかった。そんなところですか?」
「おープラス二十五点」と蔵本さんは手を叩きながら満足した表情になるのだ。
「単純な捜査バカだと思っていたけれども、思いのほかできるじゃん。ちょっと見直した」
「どうして、そんなことしたんスか?」ぼくの言葉に蔵本さんは答える。
「どうしてやったかっていわれたら、あなたが、どれくらいできるのか知る必要があったからに決まっているじゃない。あなたが捜査において、どれくらいできて、どれくらいできないのか、それを知る必要があったから。坂上刑事には、なにか不満があるのかしら?」
ぼくは一瞬、言葉に詰まったが、しかし慌てて首を横にふるほかなかった。
「いえ、不満はないっスけれども。それでセンパイは、どんな風に見立てたんですか?」
ぼくの言葉に蔵本さんは嘆息する。そしてデスクに座って向かい合った。ぼくは気まずい沈黙に押しつぶされるかと思ったが蔵本さんは口をひらいたおかげで助かった。
「あなたの行動の根源には、なにか余計なものが入っている気がする。捜査活動には不要な動機ね。その動機が、なにかわからないけれども、あなたが今後も同じ動機でやっていくのなら、どこかで殉職する覚悟はしていなさい」
そんな風に明確に指導されるのだ。だから、ぼくは、「ぼくが殉職ですか?」 と苦い表情で訊ねるほかなかった。いたって普通といった様子で普通らしく蔵本さんは首肯した。
「あなたは事件捜査に没頭しすぎて、ほかのものがみえなくなるようなあぶない資質を持っている。だから、あなたが警察官を辞めないのなら、自分が死ぬかもしれないことを自覚しておいて」
しかし蔵本さんの話を聞いて、ぼくは怪訝な表情になっていたと思った。なぜなら、ぼくは自分が死ぬことにかんして重大な問題として捉えていなかったからだ。
そもそも、ぼくが死んで誰が気にするのだろうか? A:たぶん誰も気にしない。ぼくは家族がいないし現実が身近な死について鈍感であることも知っている。それから警察官が死を恐れていたら被疑者の懐に飛び込めない。また飛び込めなければ逆に死ぬことや警察官の命が犯人逮捕に比べて安いことも知っていたからだ。
「注意します。でも、ぼくの命なんか被疑者逮捕に比べたら安いもんじゃないですか?」
だから、ぼくは、そうやって口にするしかなかったのだ。だが、その瞬間、それまでコロコロ表情を変えていた蔵本さんの表情が固まったようにみえた。そして、ぼくに気づかれないように表情の変化を自分で隠したみたいにみえた。
そのとき蔵本さんは本当に怒ったのだ。ぼくの言葉を受けて本気で怒ったのだ。蔵本さんは普段から自分が思っていることを表情や仕草の変化で隠している。そんな蔵本さんだったからわかった変化で、ぼくが初めてみるかもしれない蔵本さんの本当の表情だった。
「……………」と重たい沈黙がふってきた。
たぶん蔵本さんは自分のポーカーフェイスでやり過ごせると思ったのかもしれないけれども、ぼくも刑事だ。それくらいのことは見抜いたし、それくらいの分別はついた。だから蔵本さんは観念したみたいに嘆息してデスクの上にある筆記用具を取って、もてあそびはじめる。
「ねえ。あなた撃たれたことはある?」そして、そんなことを蔵本さんは訊いてくるのだ。
なんですって? と突然な質問に、ぼくは戸惑った。
「どこか撃たれたことはあるって訊いているの。銃撃戦に巻き込まれたとか、そんな感じ」
たしかに撃たれたことはない。ただし高校二年生のころ同級生に小型のオートマティックを背中へ押し付けられて裏路地に連れ込まれたことはあった。だから、いい淀んだが、
「いいえ。いまだにないです」そう口にするほかなかった。「そうよね」と返ってくる。
それから、すこしの間、蔵本さんは考えるみたいにトントンとデスクの表面をペンで叩いていたが、だんだんと次第に言葉を口にしはじめる。
「わたしは経験上、警察官は向こうから死がやってくる職業で自分が生き残る努力はしなくてもいい無駄だ、といっている人間から死んでいくのを知っている。それで、そんなやつは自分の死に直面した瞬間、考えが変わるし、そんな瞬間や警察官をなん度もみてきた。」
そしてペンを置いて蔵本さんは、ぼくに視線を移してくる。
「あなたは若いわ。だから、まだ死の本質をわかっていない。自分が死ぬことを本気で考えたことはないはずだし、あなたが、そうならない根拠もない。もしも仮に、あなたが本気で自分が死んでもいいと思っているのなら、わたしは、あなたを刑事課から追い出す」
そう蔵本さんは厳しく追及してくる。ぼくは反論できなかった。
「わたしは自分の命が一番に大切で、その次に職務の遂行がくることが一番に健全だと思っているの。あなたが改心しないなら、わたしは一緒に捜査をすることはできないから」
そう蔵本さんはいって立ち上がった。ぼくは完全に圧力に押されてしまっていた。
「ねえ、あなたの動機って、なんなのかな?」と刑事課から出ていく別れ際に問うてくるのだった。
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