第8話



 夕方、ノアの監視のもとで交通課からもらってきたレコーダー記録を流しながらみていたら蔵本さんたちが戻ってきた。ただ予想に反して日ごろから疲労困憊の緒方係長が、だいぶ疲れたみたいにみえていたから、どうやら思いのほか苦労があったらしい。

「どうでした?」ぼくが訊けば緒方係長は、やつれた様子をしながらデスクについていた。

「サイバーエレクトロ社の本社はシティ東京にあるけれども、その工場は八王子にあるんだね。それを知っていたらいかなかったよ。わたしは空酔いと車酔いでタイヘンだった」

 そして正反対に蔵本さんは気まずそうに頬をかいている。

「ヘリが苦手なんだって。それに工場内ではバスで移動したから、だいぶ疲れたみたい」

 蔵本さんは歯牙にもかけない表情でいて係長は恨み節の一つでもあるのかもしれない。

「次は坂上くんを連れていきなさい」と係長はいっていた。

 ぼくは二人の惨状に苦笑いが隠せず、次は、ぼくですからね、と進言するほかない。

「それで、なにかわかりました?」ぼくが蔵本さんに訊いたら苦い表情で答えてくれた。

「一昨日前に、サイバーエレクトロの八王子工場で完成して保管してあったサイボーグ義体が二体、勝手に動き出したらしいの。警備員が一体は捕まえて保護したらしいのだけれども、一体は逃走。その一体が今朝の事故騒ぎの原因ってことね」

 ぼくがシリアス神妙に聞いているものだから蔵本さんは面白がって、ぼくのデスクに座っていってくる。

「八王子工場のネットワークシステムは本社からつながっている光ファイバーラインのみで、その本社のラインも工場単位で独立しているから、ほかのネットに接続されることはない。だからローカルネットに侵入されていないかサイバー犯係に調べてもらったのだけれども痕跡なし。よって、もしかしたら内部犯の犯行かもしれないってのが今の結論ね」

 ほかには? と当然、ぼくは質問した。

「システムエンジニアとネットワーク関係の仕事をしている社員名簿はもらってきた。でも前歴者リストには該当ナシ。それから友好関係のある人間も前歴者リストには載っていなかった。あとは社外関係の調査ね。これは、あなたが、やってもいいのだけれども?」

 そんなことをいってくるのだ。「社員名簿の人数は?」ぼくは訊くしかない。

「ざっと三百七十二人。だから一人一人、IRシステムで追っていって関係を探して前歴者リストと照合して三日以内に結果が出る算段ね。わたしのカンでは望み薄だけれども」

 そうやって蔵本さんは肩をすくめて、「で、どうするの?」と問いかけてくる。IRシステムで分析しても結果が出るとは限らない。お手上げだった。

「太田係長は外部からの不正アクセス説が濃厚だといっていました。ぼくも同じ意見だったんですが、でも証拠が出ないなら内部犯なんスかね……ただ、そうは思えないんです」

「どうして?」と蔵本さんは訊いてくる。

 ぼくは考えながら自分のなかにある違和感を言葉にしていった。

「なにも目的がないんです。今朝の事件で被害にあったのはサイボーグが一体――いえ正確にいえば二体ですが、あとは今回の事件でサイバーエレクトロの株価が、三ポイント下落したくらいで目立った被害はないのです。もし内部犯であれば、もっと明確な恨みからくる犯罪や外部告発のような大ごとになるはずです」

 ぼくは蔵本さんがまじめに傾聴している様子が新鮮にみえてくる。だから、ぼくは慎重に言葉を選んで続行した。

「しかし今回は、いたずらレベルの事件ですし、それからバレたときの代償が大きすぎます。それにサイバーエレクトロの人間が恐いものみたさで悪ふざけ程度の犯罪を起こすはずがありません。やるなら、もっとデカイ犯罪です。だから外部の人間の犯行である可能性が高い……と考えました」

 たしかにスジは悪くない、と返ってくる。ただ証拠がないのだ。肝心の証拠がない――

「あなたは残して正解だった。もしも一緒にサイバーエレクトロ社へいっていたら、そんな回答は出てこなかったんじゃない?」

 いってデスクから下って立ち上がる。そして蔵本さんはおどけた表情が浮かんできた。

「自分褒めっスか? そんなことするくらいなら、もっと、ぼくの方も褒めてくださいよ」

 だから、そうやって蔵本さんに口にするしかなかった。

「じゃあ、あなたの方は、なにがわかったの?」と当然ながら訊かれた。

「今朝のドライバーに話を聞いてきました。まあ目撃情報はないんですがレコーダーの記録とIRカメラの情報は貰ってきて今みているところです。けれども義体の足取は、あっちこっちで定まらなくて、なにかの意味があるとは思えないですね」

 ぼくがいえば真剣に聞いていた蔵本さんは、

「自分でいっておいて、あなた、なにもわかっていないじゃない」とあきれた表情になる。

「そういうことなんです」と頭をかいた。「まあナマイキなコウハイね」と返ってきた。

「わかったわ。じゃあ次からは、あなたを連れていってあげるから、それまで、その減らず口は閉じておきなさい。それからノアに変なことを教えてはだめ。刑事課は女子が少ないのだから、あの子に変なクセがついたら大変でしょ?」

 そして、そんなことをシリアスにマジトーンでいってくるのだ。

 だから、ぼくは、「はい」と新島署にきて一番まじめな返事をすることになったのである。

「わかったならよろしい。じゃ今朝の事件についての報告書よろしく。お疲れ様でした」

 そして蔵本さんは退庁していくのだった。

 なんだったんだ? そんな感じで、ぼくが呆気に取られていたら、

「あの子はノアくんのことになったら、わがごとのように怒るからね。わたしも初日にロボットといってしまって怒られてしまった。きみもノアくんには注意していた方がいい」

 緒方係長が、そう口にするのだ。ぼくは係長の言葉を聞いて苦笑いになるしかなかった。

「じゃあ、わたしも帰るからね。まだ帰らないなら、あとから課長が当直でいらっしゃるのでコーヒーかなにか準備しておいてください」

 いって緒方係長は引き継ぎの用意をしてから、「お疲れ様でした」としずかに出ていった。

『面白いひとたちだなぁ』ぼくは頭をかいて独白するしかない。なんだかんだいって、ぼくも新島色に染まってきている気がする。けれども、あのひとたちみたいに強烈な色になっているということはないはずだ。

 ぼくの魂は別のところにある。ぼくの心は遠いところにある。ぼくの核となるものはシティ東京ではなく、ぼくがいた街――ぼくの育った世界――そんなところにいたまだった。だから、こうやって異色の空間に身を置くことで違和感はやわらいでいるけれども、それでも、ぼくがもつ心の所在と身体の在処の不一致は日を増すごとに増えていっている気がするし、ぼくの魂がくすんでいる風に思えてしまっていた。

「なにをやっていらっしゃるのですか?」

 そして休憩室で考えごとをしながらたそがれていたらノアがやってきたのがわかった。

「電波塔をみていたんだ。電波塔をな。あの電波塔はいつ開業するのかなって思いながら」

 ぼくがいえば、「九日後の十二月三十一日です」と返ってくる。そしてノアは隣にまでやってきて、こういってくるのだ。

「蒲田刑事課長から外出許可をいただいてきました。わたしと坂上刑事の分です。お暇でしたら、わたしとドライブしませんか? 予定の道順は今朝の義体が通ったルートです」

 どういう風の吹き回しなんだ? ぼくは驚いて訊いた。

「昼間、坂上刑事がいっていたことを考えてみました。そして結論が出ました。わたしたちが、ひとつの問題に拘泥したところで、わたしたちで解決することができる問題はひとつしかないということです。ですから、その問題の根源を解決するのではなく、わたしたちの足もとにあるヒントから問題の根源にいたる道を発見することが重要だと思いました」

 そんなことが返ってくるのだ。

「そういうことをいったんじゃないが……」とあきれたフリをするのもわるくなかったが、

「わかった。捜査のためなら別に構わない。ただし、ぼくのことを蔵本センパイにチクるなよ。あのひとは怖いんだ」そう同意する方がいいと思ったのである。

「それから坂上刑事」とノアは、ぼくに一つのデータをわたしてきて、「現在のように路上駐車を継続し罰則金を取られる場合と指定の駐車場に駐車なさった場合の料金の格差をグラフにしたデータを作成しました。どうぞ、ご覧になった上で明日からお停めになってください」そんなこともいってくるのだ。

 ぼくは完全にあきれがさきにきて、どうやらノアの提案にのるほかなかったのである。

「では下でお待ちしております。お早めに」とノアは満足して出ていった。ノアですら自分のことは自分で解決することができるのに、ぼくは自らの問題にすら自覚的になっていない。その現実が情けなくて、ぼくはうなだれるしかなかった。

 そしてノアに連れられて出た夜の東京の街は、ぼくの良く知る街だった。ぼくらは東京シティスカイを見上げながらアクアライン、チャイナタウン、横浜スタジアム跡地を経由し旧市街に突入した。そして繁華街を通過しながら奥多摩や国立博物館のポイントをチェックして八王子方面に進んでいった。

 ぼくが数日の間、目にすることになったシティ東京の洗練された風景は、だんだん新島署から離れていくうちに消えていって雑多な要素に変わっていく。ぼくらが本土に近づくたびに淀んだ空気が入り混じってきて、ぼくの感覚は徐々に研ぎ澄まされていっていた。

 ――たくさん兄弟がいるらしい家族の集団。道端でたむろしながら見慣れない将棋か囲碁をやっている老人たち。出店のような屋台や営業許可を取っていない商店。そこからあがる湯気――

 そんな古くから残っているビルや、不法移民たちが自分で作ったバラックの重層構造建築を窓ガラスから透かしてみるたびに、ぼくは自分自身や、ぼくらが育った街の些細な変化について敏感になってくる。

 ぼくが街にいたころには普通で変わりのないものだと思っていたものが数日離れることで違ったものにみえた。ぼくが馴染み親しんできたものが、だんだんと置き換わっていっているのがわかる。ぼくらの街は停滞することなく独自の変化を遂げているのを感じることができた。

 なのに、ぼく自身については、なにもわからなかった。ぼく自らは、どんな風に変わっているのか? それとも変化がないのか? はたまた一部が違うものに置き換わって、いや一部が残ったのか……。そんな風に考えるたびに、なにもわからなくなってきて、ぼくは自分自身の根幹にあるものすらつかめず重苦しい感覚を覚えることになったのである。

「わかったことはありましたか?」

 そうノアが隣でいった。ぼくは答えず首を横にふった。ノアは言葉もなく車をとめる。

 なにもわからなかった。なぜ義体は一人で歩いたのか? どうして、こんなルートを通ったのか? ぼくは義体が考えていることや感じている感触、事件を起こした真犯人の意図など普段なら思い浮かぶものが浮かばずに息を吐いた。

「なにもわからないなんて初めてだ。なにか感じたことあったか?」

 ぼくの言葉にノアは首をふった。ぼくは嘆息しヘッドレストに後頭部を押し付ける。目の前にはサイバーエレクトロ八王子工場がみえていて自分のいる場所が終点であると教えてくれていた。ぼくは車を出て工場をみた。

「今朝の事件で犯人は捜査当局が事件捜査に当たって義体の通ったルートを検証することを想定していたはずだ。だが、ルートにメッセージ性がないってことは本当にイタズラだったってことなのか?」

 ぼくは隣で指示を待つノアをみた。そして改めて別の犯罪の可能性について考えるのだ。

「ぼくらが証拠を見落としていたのかもしれない。署にある証拠品とルート上の要素で合致するものを探し出せるか?」

 いえば、「やっていますが期待できません」と中間報告が、ぼくのもとに送られてきた。

 その内容は今朝の義体の損壊状況から検出したメッセージ性の高い要素と道順上に設置された看板やモニュメントの符号性を検証したもので、かすかな合致はあるものの全てにおいて同等性は二十パーセントを上回っていなかった。

「望み薄か――。いちおう、まだ可能性は捨てきれないから最後までやってくれないか?」

 ぼくの指示に、「あと三十パーセントで完了します」と返ってくる。

 まさに状況は、『どうしたものかなあ』であった。ぼくが新島署に配属になって外部性のないコンピュータ事件がつづいた。にもかかわらず事件の概要や人間関係、犯人の姿や目的が浮かんでこない。同一の犯人なのか、個別の犯罪なのか? ぼくらは完全に捜査の指針を失っていた。

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