第7話
自分のデスクへ戻る間隙にノアへ指示をあたえた。その内容は、『交通課で事情聴取を受けている今朝のドライバーへ面会ができないか?』といったものである。ぼくらは交通課と別のベクトルで事件に対しメスを入れる必要があると考えたからだ。
ぼくの要請は二十分後に受理された。交通課から内線で連絡があって面会が可能になる。
『あくまでも事情聴取ではないですから調書は作成できません。それから質問内容にも留意してください。よろしいですね?』
そうやって取調室に入る前に注意されたのが五分前のことになる。現在ではノアを従えながら全面ミラーガラスの取調室の真ん中で目的の長距離運送ドライバーと対面していた。
「宮本浪さんですね? ぼくは刑事課強行犯係の坂上正義と申します。今朝に発生した交通事故に関して、お話を聞かせていただきたいのです」
そんな感じである。だが、ぼくが刑事であることを告げたら運転手の表情がくもった。
「さっき交通課の姉ちゃんに今回の事故では人死がないから罪には問わないっていわれたんだけれども、なにかあるってのかい?」そう警戒の表情で訊くものだから、
「いいえ。今回は別件です。それに任意捜査です。内容はあなたではなく今朝の事故で追突した際、サイボーグが不審な点を取っていたかいなかったかということです。二、三質問に答えていただいてレコーダーの記録を刑事課でも証拠物件として押収できるように許可していただきたいのです」
だから、そう告げなければならなかった。ノアがタッチデバイスをもって隣に立った。
「警察は信用ならない。いつだったかな。スピード違反で捕まったときに、しこたまワイロを要求してきやがった」
そしてそんなこともいわれるのだ。「現在は、そういったことはありません」と答える。
だから、「あんた本当に逮捕しない?」その念押しに、われわれはいたしません、と確約するほかなかったのである。
そうして説得を続行したら、「まったく、めんどくせぇなぁ」とドライバーは同意してノアのもっていたタッチデバイスにスラスラとサインをしてくれた。ぼくは交通課との手続きを全部ノアに任せて目の前の男に集中する。
「ところで衝突した瞬間なにかみませんでしたか? どこか義体の様子がおかしかったとか、なにか外部から操作されている感じがしたとか。そういった直感的なことでいいのですが」
「おれたちの仕事は車の計器を眺めることだからね。ステアリングを握るのも駐車のときだけだし。だから、ぶつかる寸前まで寝ていて、なにもみてない。覚えているのは、警報音で目が覚めて大きな音がしたと思ったらトレーラーが自動的に路肩に停まったくらいだ」
わるいね、刑事さん、とドライバーはいった。
「わかりました。では質問を変えます。あなたは今朝、受理台へ通報したときに女性をはねたとおっしゃっていたと思いますが、それは、どのようにして判断なされたのですか?」
「そりゃ間近で死体をみちまったからね。わたしのトレーラーが停まった目の前に転がっていたんだから、よく覚えている」
ぼくは、「そうですか……」と嘆息するしかない。なにか一つでも、義体が動いている時点の証言があれば御の字だったが、ないとなればレコーダーの記録を調べるほかにない。
「質問は以上です。ご協力、ありがとうございました」
そうして立ち上がれば、「刑事さんも大変だね」と返ってきた。ぼくは交通課の女性警察官に後を頼んで取調室から出た。ノアがいる。すでに証拠物件押収の作業は終わっていた。
「レコーダーの記録は刑事課のデータベースに転送済みです。それから現場を撮影していたIRカメラの情報も追加で転送可能ですが、どうしますか?」
そういうノアの回答に、「それもよろしく」と返答した。だが更なる問題が待っていた。
「そして最後に交通課長が坂上刑事にお話があるとのことでした。内容は定かではありませんが、あちらでお待ちになっています。お早く」
そんなことをいってくるのだ。今回の面談を強引にセットしたことで、小言をいわれるかもしれないと思ったが、どうして課長が出てくるのかな? と首をひねるしかなかった。
「坂上巡査長、参りました」
だから、ぼくは刑事課とは違って小ぎれいな課長室に入っていくしかないかった。そこには蒲田課長とは異なる歳のいった風貌で頭がツルツルの交通課長がデスクに座っていた。
「坂上巡査長。いや坂上刑事。きみは、なぜわたしに呼ばれたのかわかっているかね?」
いいえ、と姿勢を正して口にした。交通課長のゆで卵みたいな頭が、だんだん赤くなる。
「坂上刑事。きみが着任してから新島署の裏門に一台の大型二輪が停められるようになったのは承知のことだと思っている。今回は、その大型二輪についての話だ」
ぼくのバイクの話か、と初めに思った。
「貴職の所有する大型二輪が停まっている場所は駐禁だ。駐禁。わかるか? 駐禁だ。駐車禁止だ。貴職は、われわれが四日間、毎日毎日毎日毎日、切符を切っとるのがわからんのか! その上で、今日も停めておる! 今日という今日は罰金を払うまで返さんぞ!」
そうやって怒鳴られるのだった。
たしかに、そういえば、そうだったと思った。ぼくが忘れていた訳のでない。ただ、記憶になかったのである。ただ、
「すみません!」と、ぼくが不遜に姿勢を正していったのがわるかったのかもしれない。
「その態度はなんだ! なめとるのか! だいたい貴様はガミガミガミガミガミガミ!」
そうやって課長はひとしきり怒鳴った挙句に、ぼくの認証をつかって給料から天引きしながら罰金を回収するまで小言をいってきたのだった!
交通課から戻っていた廊下で、ぼくは捜査講習でやった突入訓練のことを思い出した。
あのフラッシュバンをつかって狭い室内に突入するアレだ。耳栓をし忘れたせいで一週間、聴力が回復しなかったアレである。
「まったく。警察官ってのは、どうにも犯罪に対してうるさいから、ゆーずーが効かなくて困るよな。だいたい駐禁くらい内々で処理してくれたらいいのに」
だから、そんな冗談を口にするしかないのだ。「汚職です」とノアから丁寧に訂正が入る。
「初日に、ご忠告申し上げましたが、あそこは緊急車両の出入口になっているので駐車禁止となっています。駐車場でしたら近くにコインパーキングがあるので、そちらに停められては、どうですか?」
そんなくそマジメなアドバイスには、「それは金がかかるだろ」とあきれるくらいだった。
「わが国で支払われている警察官の給料は高いです。坂上刑事が対象である公安二等級体系であれば三十五万円程度です。署の契約駐車場ですから月七千円程度で賃借できます」
ぼくは、そーゆー問題じゃないの、といい返すしかない。
「別に生活が苦しいから、お金を払いたくないんじゃなくて、お金を払うのがいやなの」
わかる? とノアにいう。「わかりません」とノアは返す。そりゃそうだよなと思った。
「アンドロイドってシュミとかあるの?」
ぼくは訊いた。それに対しノアは考える様子をみせていたが、そういえばと顔を上げて、
「最近、サボテンを購入しました。サボテンの育成をシュミと定義するならシュミです」
そんな答えが返ってくるのだ。
「かわいらしいシュミじゃない。意外なシュミで良いと思う」と思いのほか驚かされた。
「いいえ。わたしにとっては、むずかしいシュミです。放置することもできず毎秒更新するステータスに合致した育成方法を選択することは現状もっとも困難なことだと考えます」
意外と苦労しているらしい。
「そんなに深く考えなくてもサボテンは育つだろ? あいつらは、もともとほったらかしの環境で生きるように設計されているから、むしろ、そのくらいの方がちょうどいいんだ」
ぼくがいえば、「深く考えるなとは、どういうことですか?」と返ってくる。
ぼくは気にしていなかったがノアには気になるらしい。そしてノアは廊下の真ん中で立ち止まって完全に思考モードへ移行するのだ。
「なまじっか頭がいいってのは大変だな。いいか? ぼくがいったのは、そういうのをやめろってことだ。ぼくらの世の中には解かなくてもいい問題がたくさんあるし解けない問題もたくある。それを考えていたら日がくれちまうだろ? だから、やめろってことだ」
そしてノアは、「わかりました」と渋々の様子で歩きはじめる。
「では、お金を払いたくないということは、そのような解けない問題と同じなのですね」
「選択しないことも重要な選択なんだ。合理的ではない合理性って感じに。だから、そんなところだと思っていた方がいい」ぼくは答えた。そしてノアは満足した様子でいた。だが、ぼくは、それが正しい答えではないことを知っていた。
ぼくが、お金を払いたくないのは人間の性や解けない問題だからではない。お金を払うといった行為――ぼくらの社会に浸透している一種の通貨といった価値基準をもちいて行動することに、ある種の嫌悪感をいだいていたからだ。なにか社会全体で同じ行動をするたびに、たとえば、お金を払うことで、ぼくが社会に取り込まれるような感覚におちいるからである。
「だから細かいことを気にしていたら大変だから、ほどほどに気にすることが重要なんだ」
「坂上刑事は気にしなさすぎです。もっと、みたくないものもみて周囲に気を配らなければ幸福な社会は実現しませんよ」だから決まって、そんなことをいわれるのだ。
ぼくらの幸福な社会。幸せな生活。たのしい世界。うつくしい未来。善き市民像。そんなものいったい誰が決めたんだ? ぼくか? 神か? それとも社会か? はたまたAIなのか?
ぼくにとって、『幸福な社会の実現』とは独裁者が支配する全体主義的な価値観念や前世紀に確立した個人主義的な価値基準が混じったひどい造語にしか思えない。もしくは、ある種の宗教的活動だ。なぜなら、
――そこには『社会幸福』という神がいて、その神のために、みんなが努力し結束し行動するが、『社会幸福』という神のことは誰も知らないし誰もみたことがない、そもそも『社会幸福』といったことが、なにかすらわからない、そんな人間らが『社会幸福』という概念を信じすぎて存在しない『社会幸福』という概念をつくって、ありもしない『ありがたさ』を求めている――
といったようにしかみえなかったからである。ぼくはノアの言葉を反芻して飲み込んだ。
「できればノアと文学部的な会話を楽しみたいところであるが、しかし、あと十年以上くらい待たなきゃいけないかもしれない。自覚がないのなら話すこともできないはずだから」
ぼくがいったら、「なにをいっているのですか?」とノアは困惑の表情をつくってみせた。
ぼくは、そういった意味なのだと自覚する。
現代のようなAIが自らプログラムを書ける時代になっても、AIが自ら思考をつくることはできない。AIが思考をするには誰かしら生きた人間の要素が必要で不可欠なのだ。
だからAIの思考には普通にしていたらわからないが誰かの面影があって誰かの雰囲気が感じられることがある。ぼくたちは、そうやって人間もAIもお互いに依存して生きるしかないのだ。
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