第6話




 その日の刑事課は慌ただしかった。なぜなら、それは、ぼくが出勤して一時間も立たない間に通報が舞い込んできたからだった。場所は首都高湾岸線。本牧と大黒ふ頭を結ぶ東京湾アクアラインである。

 その内容は、『道を歩いていた女性をはねちまった』だった。

 日本の中枢部。それも大企業の本社や政府中央が、ひしめくように所在するシティ東京のおひざもとの首都高湾岸線である。その流れは血流のごとくといわれて毎秒五十台、時速百四十キロで無限の自動車を巡らせている大環状高速線で起きた事故、しかも人身事故だ。高速道路で人身事故が起こるはずもない。どうやら、なにかおかしいことがおこっているらしいと、そんなことを思わなければ、いっぱしの警察官としてやっていくのは不可能だ。

 だから相当に事件性が認められ交通課からの要請で刑事課が召集された時点で、ぼくらの頭蓋骨の内側には違和感が転がっていたし現場に到着してから、もっと大きくなった。

「司法解剖の結果――いえ司法解剖といえるか不明ですが、事故にあったのは女性型の義体でした。いわゆるサイボーグってやつです。で高速道路上での事故でしたから全身がバラバラで特定するのには時間を要しましたが、しかし問題なのは、そのサイボーグに脳がなかったってことで……」

 ぼくは昼の会議で口にしながら課長が、ひどく混乱しているらしいことを感じ取った。

「脳がない? 事故の衝撃でサイボーグの頭部が、どこかへ飛んでいってしまったのか?」

「いいえ。違います」それには蔵本さんが答えた。

「サイボーグの頭部はみつかっています。しかし、そこには、もともと頭脳が入っていなかったということです。はじめから脳が入っていない『カラ』のサイボーグで、それが一人で首都高アクアラインまで歩き最後には車にひかれてしまった、ということになります」

 いって監察医務局からもらってきたデータをわたしている。どうして首都高に? と緒方係長が不思議な表情をしていた。

「わかりません。しかし、どこの義体だったかは判明しました。サイバーエレクトロのACX。三日前に工場からいなくなったという通報があって記録からも確認が取れました」

 ぼくはサイバーエレクトロ日本本社から転送されたデータをホログラに表示させる。機体の形式・型番・スペックが映し出された。

「ただ義体の動作は、すべて人間の脳で動かしているという訳ではなく、指先や視線、表情筋の変化など無意識下に起きる些細な動作にはコンピュータ制御による補正が必要になるのです。そのため人間の脳から出た信号を補正するコンピュータが搭載されていて、専門家の話では今回のように一人で行動することも理論上は可能となっているらしいのです」

 専門家? 誰それ? と課長が訊いた。

「サイバーエレクトロの工場長さんです。監察局にいらしていたので、お話を聞きました」

 ぼくの報告に、「今日もロボットか……」と課長は表情を濁す。ほかの誰も口には出さないが、アンドロイドに、なにか重大な欠陥が生じているのではないか? といった疑念が渦巻いているのがわかる。

「課長。先日の一件と類似性がある以上、できることなら本件も、ぼくを担当にしていただきたいのですが、だめですか?」

 新島署の刑事課に適任者は少ない。アンドロイド関連の捜査を得意にできるのは、ぼくか蔵本さんくらいなものだ。だから、ぼくは訊いた。いや、ぼくが訊くしかなかったのだ。

「やる気は充分に結構。けれども、きみは先日の事件の担当になっているじゃない。だから今回は蔵本くんに任せてくれないか?」そして、そうやって返ってくるのだった。課長の判断は、ぼくの予想とは、まったく違ったものだったらしい。

 ぼくは落胆し蔵本さんは澄ました面持ちをしている。あとはたのむからね、と管理職面々が、そんな表情でいるものだから、なんだか気合いが入らない。ぼくは会議室から出ながら蔵本さんに訊ねた。

「蔵本センパイ、ぼくも聞き込みとかに加えてもらいたいのですけれども、いいですか?」

 だが、それを聞いた蔵本さんは嘆息していた。

「でも今のあなたは前の事件に引っぱられ過ぎているわ。あなたが事情聴取にいっても冷静な判断ができるのか疑問符が残る。できるなら自重してほしいところなのだけれども」

 たしかに蔵本さんの意見は、これ以上なく正しかった。

「ぼく自身、その傾向があることは承知しています。しかし確実にできると考えています」

 ウソ、と蔵本さんは断言した。ぼくは一瞬だが、眉をひそめそうになってしまった。

「そうやって信じたいだけね。あなたは自分のことすらみえていない。そんな状態で事件の筋が読めるとは思えないわ。だから今回は係長といってくる。あなたは鑑識にいって新平さんと打ち合わせをしておいて。居残りも大切な仕事よ」

 そして蔵本さんは係長を呼び止めるのであった。ぼくは、その背中をながめることしかできない。

 なぜなら、たぶん、それは蔵本さんのいっていた事実が、自分で思ってもみないほど内心を打ち抜いていたからだ。自分ですら隠したかったことを見抜いていたからである。だから渋々従うほかなかったのである。それに蔵本さんが先任だ。初めから拒否権などない。

「置いていかれて腐っているようじゃいいデカにはなれねェよ。自分の置かれた立場を理解して、やっと半人前ってモンだ」

 鑑識係にいって太田係長に面を通せば、そんなことをいわれる。ぼくは苦笑いだった。

「まさか同行できずに置いていかれるとは思いませんでした。案外、お厳しい方です」

 ぼくの言葉に、「お前さんのペア長はお嬢ちゃんだぜ? そこのところを忘れちゃいけねェ」そんな風に返ってくるのである。

 ぼくは、「すみません」と答えるしかない。太田係長は頭をかいた。

「新人は、みんな同じだ。お嬢ちゃんだって、お前さんみたいなころがあった。まあコイツはハシカたいなもんで一回、かかって悩んで学んで、そうやって立派なデカになるんだ」

 そして太田係長はシリアスな表情を崩して、「なんてな」と肩をすくめるのである。

「ムダ話終了。お前さんにとっても、オレたちにとっても時間は大量にあるもんじゃねェからな。手早くやっちまうのが上策って訳だ。早速で悪いが本題に入らせてもらうぞ。まずは今朝の事故の件からだ」

 いって太田係長は監察局から送られてきたデータをコンピュータにぶち込んだ。バーチャルセンサーが読み込み映像としてアップロードさせる。ホログラに詳細な状況が表示され分析台にアンドロイドのグラフィックモデルが映し出される。

「コイツはサイバーエレクトロ社製のACXってやつで事故や病気で全身義体が必要になった患者に提供される典型的な義体だ。脚部は根本から断裂。左肩部損傷。右肩部以下右腕は行方不明。腹部ならびに胸部は圧壊、首部から頭部は分裂。ひどいもんだぜコレは」

 そうですね、とぼくも太田係長の言葉には賛同する。

「今回と前回の事件の共通点はありませんか?」ぼくは訊いた。太田係長は資料をみた。

「両者とも種類から機能まで、まったく異なる。だから共通点といっても、ほとんどないし。まあ、しいていえば全身を強く打って内部の復元もできねェってことくらいなもんだ」

 そういって太田係長は部下に分析をさせている。ぼくは怪訝になる。

「いえ。もう一つあります。外部干渉のない電子脳や補助コンピュータをもったアンドロイドやサイボーグが自らの意思で自らを危険にさらして自分で命を絶ったということです」

 ぼくの言葉に、「そうだったなァ」と太田係長は嘆息する。

「コンピュータのハード面やソフト面なら、なんとかなるが残念ながら、そっちの線はオレたちに読めねェ。悪いが、お前さんたちが必死になってあれこれ考えるしかあるまいて」

 ぼくは太田係長の言葉を正面から受けた。たしかに、それは、ぼくらの仕事である。太田係長の仕事ではない。だが、しかし太田係長や部下の鑑識官たちの仕草には一端の刑事らしいものがあることに、ぼくは気がついていた。

「ところで太田係長。すこし立ち入った質問をしてもよろしいですか?」

 ぼくは訊ねる。なにのことやら、といった風に眉を上げた係長は、「おう」と答えた。

「太田係長はコンピュータやアンドロイド関連の分野に、お詳しいですが、もしかして以前に、なにかコンピュータ関連の捜査をやってらっしゃったのですか?」

 そうしたら、「そんなことかよ」と太田係長の肩がすくんだ。

「昔オレは警察官じゃなかったことがある。それは大学院を出て一回、ロボット関連の企業に就職したころのことだ。そんときゃァがむしゃらに働いたが、ある日、それまでの自分がしていたことの意味がわからなくなった。どうしてオレは、こんなことをやっているのかってな。だからオレには、もっと別のなにかの方が向いているのかもしれないと思いはじめた。それで会社を辞めて警官になった」

 オレが詳しいのは昔取った杵柄って訳だ、と太田係長は苦笑する。

「そうだったんですね。そんなことをやっていらっしゃったなんて、なんだか意外です」

 ぼくたちのなかで民間企業から警察官になったなんてやつは、ほとんどいない。昔の治安が良かったころの特例なのだ。だからこそ目の前にいる太田係長の姿が大きくみえた。

「いまじゃ考えられんがな。お前さんの質問に答えたついでだ。オレも一個、きかせてくれや」

 そして、そういわれるのだ。はい、と首肯するしかない。

「お前さん、どうして警察官になった? お前さんのことだから、理由があるんだろ?」

 たしかに太田係長の問いは、ぼくの問いとは意味のちがった立ち入った質問そのものだった。だから、ぼくは考えなければならなかった。ぼくが警察官になった理由なんて特段のものがなかったから、ぼくが警察官になった理由を探さなければならかなった。

「犯罪に関わる仕事がしたからったからです」ぼくは答える。

「どうしてだ?」と太田係長は一呼吸おいて当然ながら訊いてきた。

「ぼくの両親は十年前のテロで死にました。犯罪の結果、ぼくの家族は死にました。だから、ぼくは犯罪をするやつが許せなくて、わるいことをするやつが見逃せなくて、でも自分で犯罪を裁くのは向いてないと思ったので、もっとも犯罪に近い警察官を目指しました」

 それに対して太田係長の反応はシンプルだった。

「わるいことが許せない。わるいやつを見逃せない。そういうやつは、どんなやつであれ警察官に向いている。お前さんにとって天職だってことだ。そういうことがなくってもな」

 そんな感じの返答が返ってくる。ぼくにとって太田係長の反応は、もっと踏み込んでくると思っていたから思いのほか想定外のものだった。

「オレが若いころは今に比べちゃマシだったが、前の戦争の開戦前夜で、みんな浮足立っていた。だから日本中、どこを探しても冷静なやつなんていなかったんじゃないかと思うことがある。オレが警察官になったのは、そんな世界で、どうしたらいいのか、どうしたら正しいのか考えた結果だった。だから、オレは、そのときの判断が今でも正しかったのか、ときどき考えることがある」

「太田係長が、お持ちの長年の間で積み重ねてきた経験やカンは、とても貴重なもので警察に欠かせないものです。それに太田係長がいなければ、いまごろ、ぼくは当てもない捜査のなかで頭をかかえていました。ぼくは太田係長が警察官で良かったと思っています」

 ぼくの言葉に、「若ェやつになぐさめられるようなら、まだまだってことだ」と豪快にわらったのである。

「そんなところでいいか? オレたちみたいな老人や新人が腹を割ったところで苦労話をし合ってもはじまらんし、まずは山のようにあるやらにゃならんことへ集中するべきだ」

「了解しました」と首肯する。

 けれども、なにも得なかった訳ではない。ぼくにとって今の会話は、どの辺まで太田係長をたよることができるのか、といった明確なラインになった。それは、どこまで太田係長は事件に絡んでくることができるのか、といったことである。

 また、ぼくの質問の意味を太田係長もわかっていたのだ。ぼくの質問が、なにを訊いているのか、どんな意味があるのか、そのくらい太田係長は理解していたはずだ。だから太田係長も、あんなことを訊いてきた。自分を試している相手は、どれくらい協力するのにふさわしい相手なのか。ぼくが、どれほど自分にとってふさわしい人間なのか、といったことを太田係長もたしかめたのだ。

「たぶんサイバーエレクトロの方を調べれば一発だが、今回の事件は外部からの不正アクセスってのが濃厚だ。おそらく、なに者がサイバーエレクトロの製造ラインに侵入、そこでつくられていたサイボーグの補助コンピュータに動作プログラムを組み込んだ。そんなところだろ。まずは、お嬢ちゃんの話を聞いた方がいい」

 太田係長の推測に、ぼくも同感だった。たしかに今回は前回の事件と異なる。ただ異なっていながらつながるところもある。そのつながりから、なにかみえないか探していた。

「前回の分析は進みましたか?」

 ぼくは訊いた。ソイツは、ぼちぼちってところだな、と太田係長は返す。

「今のところマキナAIをつかって復元プログラムを教育しているところだ。ただマキナAIは自分でコーディング可能なAIだから、すくなくとも三日は必要な見通しになる」

「やっぱ予想以上に現実って厳しいんですね。できあがったら、ご報告おねがいします」

 ぼくは、「期待して待ってろ」と太田係長にいわれて肩をすくめた。そしてノアがくる。

「どうした? なにか用か?」と太田係長が問うた。

「当分の間ですが、蔵本刑事がいない間、坂上刑事の補助に回れと命令されてきました」

 へえ、と太田係長が、ぼくをみる。「それ誰からの指示だ?」そんなことも訊いていた。

「蔵本刑事からです」ノアは答える。ぼくは苦笑いが出た。

「新手のお目付け役ってことだ。あの子は厳しいぞ。お前さんナメてかかれば痛い目みる」

 そんなことも口にするのだ。だからノアはデフォルトの表情でいて太田係長はニヤっとした面持ちでいた。ぼくは頭をかくしかない。

「アンドロイドからみた視線も重要かもしれません。その面でノアの参加は助かります」

 そういえば太田係長はノアと視線を見合わせている。ぼくがウソはいっていなかった。

「じゃあ、あとは、そっちで、よろしくやってくれや。いまからオレは今朝の事件を調べなきゃならん」そして、ぼくらは太田係長から追い出されるみたく鑑識係のオフィスを出るのだった。


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