第5話
蔵本さんがいった、「ぼくに会わせたい人」とは鑑識係のボスである太田新平係長だった。
太田新平係長は今年で五十二歳。ぼくの人生より長い間、警察官をやってきた大ベテランである。まさに百戦錬磨の古ツワモノというオーラが出ている。
そして太田係長は新島署にくる以前、本庁鑑識課で第一班長をしていた人物らしい。鑑識捜査の道に入って二十年近く。腕は超一流で本庁に出向いた際には一課長が直々に出迎えるひとでもあるとのことだ。蔵本さんが話してくれなかったら、ぼくは、ただのコワモテおっちゃんとして認識していたかもしれない。
そんなことであるから蔵本さんが、あのひとは、わたしがお世話になったひとだからきちんとしなさい、と柄になくまじめにいっていたのは当然で、鑑識係のオフィスに足を運べば、どこか厳つい様子のベテランが鎮座していて鋭い眼光をあびることになったのだ。
鑑識キャップが良く合うオヤジって感じだ。
「昨日、刑事課に配属になった坂上正義です。よろしくお願いします」
だから、ぼくは蔵本さんに、『挨拶』と小突かれるまでオーラに気圧されてしまっていた。
「おう。太田だ」ぶっきらぼうに返ってくる。
「忙しいのに無理いって、すみません。昨日の件で気になることがあったのできました」
蔵本さんが口にする。「そこの坊ちゃんが担当になったっていうあれかい?」そう太田係長はいって、ぼくをみた。どうやら話は通っているらしい。
「アンドロイドの状態確認と内部データの復元がされてない件に関して、うかがいました」
だから、ぼくは単刀直入に口を切った。当然ながら太田係長は怪訝な表情になって、
「昨日のうちに、その結果は書類にして提出したが、あれでは足らなかったというのか?」
そう返すのである。ぼくは他意があることを示さねばならなかった。
「いえ。その件については拝見しました。ただ自分の目で、たしかめたいと思ったのです」
きっと変なやつがきたもんだ、と思われたに違いない。太田係長は、ぼくの方をみて蔵本さんの方をみて、それから決めたらしい。
「今どきの若ェヤツは慎みってもんがなくていけねェ。いいぞ。もう見分は終わってる」
ありがとうございます、と蔵本さんが頭を下げている。ぼくもならった。そして奥の部屋に通された。昨日のアンドロイドが分析台の上にのせられていた。
「コイツはミツビシ技研のK三〇八型ってやつだ。重量は九十五キロ。カーボンの外骨格にチタンの補強が施されていて、それから人口革皮に覆われている。内部の超小型スパコンは、オレたち人間でいえば、『胸』にショックアブソーバー付きでガッチリ収められているが、頑丈って訳でもない。外骨格がつぶれりゃあスパコンもつぶれる。だから三階から落とせば、どんな精密機械でもぶっ壊れる。記憶装置も倫理回路もペシャンコ。なかのものは、まったく復元できなかった」
「復元プログラムでも修復できなかったのですか?」
ぼくの質問に太田係長はオブジェクトコードの断片をホログラに表示させながらいう。
「できなかった。なぜならコイツのプログラムは最新のものだったからだ。なかみはマキナAIってやつで、復元する側のAI教育が終わってないプログラムだったってことだ」
そうですか、と首肯するしかない。
分析台に置かれているカラダには大きな亀裂が入っている。ちょうど腹部から肩部にかけてひらいた亀裂だ。そこから内部がみえていた。その不気味にひらいたところにはスパコン回路や基盤や潤滑油の光沢が光っている。
「受信記録はミツビシのサーバーにデータが残っていた。閉鎖空間で使われていたアンドロイドだったから数か月に一回しか外部と接触を持っていない。だから事件発生当日や前夜においても外部との通信をもった記録は残っていなかった。たしかに外部から不正アクセスが不可能なら、その場でウイルスを直接ぶち込めば可能かもしれんが、おいそれ高校生に扱えるものではなし。その可能性は低いだろうな」
そんな風に太田係長はアンドロイドをみている。ぼくは太田係長を信用しはじめていた。
「わかったことはあった?」蔵本さんが訊いていた。「なにもわからないってことが、わかりました」そう答えるしかない。
その返答に、見上げたものだ、と太田係長は面白がっている。
「たしかに、そうだ。わからないことがわかった。いわれてみれば、普通の事故でなら原因が明確にわかるが、今回くらい不明確な状態ってのは、なかなかない。なにかを隠したかったといえば、そういうこともあるかもしれん」
そんなことをいっていた。太田係長の言葉で、ぼくは一種の方向が決まったことになる。
「だいぶ参考になりました。お仕事中にお邪魔しました」
ぼくがいえば、「若ェやつの道楽につき合うのも悪くねェってことだ」太田係長は、そうして手をふって戻っていった。ぼくはアンドロイドをみる。
これは、たぶん氷山の一角でしかない。きっとコイツの下には、もっと大きなナニカがある。誰かによって仕組まれた複雑なカラクリがある。そんな風に感じられてしまった。
「どうするの?」と蔵本さんが訊いてきた。どうしたものか、と思案するしかなかった。
「とりあえず、もろもろ考えてみます。ですから、詳細な分析資料と抽出したコードの断片って、もらえます?」
ぼくは、そうやって返すしかない。現在の手もちから真相を導き出すには材料が足らなすぎるし、そもそも形にすらなっていない。もっと形あるパズルのピースが必要だった。
「それなら書類を書いて提出なさい」と蔵本さんは、あきれたみたいに肩をすくめていた。
それが午前中でのできごとである。
ぼくがシティ東京にきてから、こうして通常業務をほったらかして、ひとつの事件に集中できるのには、いくつかの理由がある。
まず新島署の立地が一つめの理由だ。新島署の設置されているシティ東京は、そこに居住することを許された人間しか住むことのできない管理区画になっている。一定の所得制限、国籍制限、それからID管理。出入口の駅や港や高速道路の料金所では、かならずといっていいほど身分証明の必要が出てきて、それを突破しなければ入れない。
だから犯罪が起きないのだ。要するにヒマなのである。
シティ東京は二十一世紀の楽園を目指してつくられた場所だ。移民であふれる本土のテツを踏まないためにつくられた人工の都市である。まさにシティ東京を建設するにいたった心理的根源は八十五年にはじまった第二次朝鮮・台湾戦争の移民流入による治安悪化が核になっていて、なにがおうでも安住の地をつくるといった覚悟から出てきているに違いない。
――国際法上、戦争移民を受け入れることになった日本は、その数に耐えられる体力もなく八十九年に財政破綻した。それから治安が悪化し一時期は南米カルテルの再来ともいわれるほどにまで無政府状態が深刻化して、世紀末の状態に突入したのである。それが第二次朝鮮・台湾戦争後の数年間だ――
そこからIMFの支援や在日米軍の治安維持法適用、その他もろもろの努力があって現在の形にまで落ち着いてきたのである。だから、そんな日本を再建するべく雇用増大を目標に掲げた大規模政府開発計画が、『シティ東京計画』であって、日本人が、日本人のために平和で安定した暮らしを営める存在としてつくったのが、『シティ東京』であったのだ。
だから、この島は聖域でもあった。
本土とは違って、いたるところにあるカメラで個人を管理されていて、ぼくら体内のナノマシンがローカルネットに接続されるたび常に位置情報を公開し続けていることになる。
そもそも犯罪をする人間が街には入れないし、入ったとしても『ノンID者』として監視がつき犯罪が抑制されることになるのだ。
ただの一日だけでも十件は出動していたと思っていた本土に比べて、昨日は一件のみである。どれほど治安が安定しているかといったことを知ることになった初めの一日だった。
かぎりなく平和な一日だった。
だからなのかシティ東京の平和は欺瞞に満ちていて虚構ようにも思えた。たしかに、ぼくらの世界は数多くの虚構で満ちている。本土にいたころに、シティ東京にあるのは、ただの血マイれの平和であって、本土で暮らす日本人や移民たちの生活を理解していない結果なのかもしれないとも感じられることもあった。しかし、ぼくは気にしていなかった。
でも、ここにきて、ぼくは、ひとつの疑問にぶち当たる。
ぼくが守っている平和とは、なにか? 空虚で虚構に満ちた平和なら、そこに守る意味はあるのか? そこに命を懸けることができるのか?
そんなことを思ってしまっていたのだ。
きっと蔵本さんは見抜いていたに違いない。ぼくがあぶないところを歩いていることすら知っているに違いない。ただ蔵本さんは、そのことを言葉には出さない。ぼくの深い根源に関わることにも気がついているから口にしないのだ。
その日、ぼくは一番に帰宅した。蔵本さんに昨日の書類の決裁をもらって課長に提出して定時になれば警察署から出た。どこか生ぬるい平和な空気につぶされそうになってしまったからだった。ぼくのバイクには駐禁の記録が残っていた。
ぼくは無視して自分の愛車にまたがった。独身寮に帰宅した。ぼくの荷物が届いている。
ぼくらの前線から届いた荷物だ。ぼくの戦友たちがいる場所からもってきた記憶みたいに思えた。
それから、やっとのことで荷ほどきが終わって、ようやく部屋の調子が整ったのは二十時を回ったくらいだった。もはやベッドから体が動かなかった。ばたんきゅーである。完全に徹夜したことを忘れていた。自動的に部屋の灯が暗くなってAIアシスタントがスリープモードに入ったことまではわかったが、それ以降は記憶にない。事件が動いたのは翌日のことだった。
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