第4話




 通称AI基本法、またの名を人工知能運用基本法は世界で三番目に人工知能へ対して人権を認めた法律の名前だ。それは人工知能に対して人間と等しく人権を認めて権利を主張できるといった内容で、ぼくらの社会でも人工知能が人間と同じ扱いを要求できる法根拠だった。いまでは小学校でも習う法律だ。

 そお順番はアメリカ・ドイツ・日本である。アメリカは世界で初めてAI革命が勃発した。ドイツはアンドロイドが人間に比べて三倍多い。日本では治安維持のために合理的で倫理的なアンドロイドの存在が重要になっていた。法案が通った国は、どの国も健全な社会ではない。

 ちなみにAI基本法は大学でのぼくの卒論テーマだった。『AI基本法における世論形成の問題点と矛盾』と題して大反対する教授に投げ捨てた記憶がある。いまとなっては、あれでよく卒業ができたと思わされる記憶だ。

 だから、ぼくは、ほんの少しアンドロイドや人工知能には詳しいということになる。そして、そんなぼくの直感が事件について疑問符を光らせていたのも、たしかな事実だった。

 なにかおかしいのである。どこか変なのだ。アンドロイドの基本構造や人工知能の倫理システムや思考行動理論などは一様に頭にはいっている。

 だから、ぼくは、どんな方程式をもちいても、自分で窓をわって下に飛ぶといった答えを導き出せないことを知っていたし、そんなに人工知能の思考は自由でないことを知っていた。だから、ぼくにとって眼前で横たわるアンドロイドには違和感と疑問しかなかったのである。

 疑問その一。アンドロイドの自殺は人為的なものなのか、自己決定的なものなのか、故障によるものなのかという点。疑問その二。アンドロイドが自殺した理由とは、なにか?

 そんな二つの疑問である。

 ぼくが考えれば考えるほどに謎は深まる。理論上あり得ないとされた現象が起きることはままあるが、それは理論が間違っているか肝心なことを見落としがあるかの二択しかない。

 だが、AIの理論では見落とす隙間などないに等しいのだ。その基礎研究は百年以上前に完了していて、いまや人間の行動と同等の動きが可能である。現代におけるAIの行動理論は完璧に洗練されていて見落としなどがあるはずもない。

 だから、ぼくは疑問その一の仮説として、「アンドロイドの自殺は人為的に引き起こされたもの」として推測して疑問その二については、「なにかしらのコンピュータウイルスに感染した結果ではないか」と見当した。

 けれども、その結果は捜査で明らかになるとは限らなかった。なぜなら、このアンドロイドの自殺は人間が死んだ訳でも外部から攻撃を受けた訳でも人工知能の異常が発見された訳でもなかったからだ。あきらかな事件性がなかったのである。だから、原因不明の暴走として捜査を終わらせなければならない。そして、なにもなかったみたいに記憶から消し去らねばならないのだ。だが、ぼくには、そこに大きな思惑が眠っているようにしか感じられなかった。

 だから、ぼくは自らに眠る違和感や疑問を排することができない運命に悶々として新島署への帰路についた訳なのだけれども、そんな内心を見破ったひとがいた。蔵本さんだ。

「なにかおかしいって表情をしてる」

 あれから署に戻ってきた昼休み。ぼくが休憩室で昼食を取っていたときに、そんなことをいわれたのである。その言葉に、ぼくは、はっとしてわれに返ることになってしまった。

「おかしいと思ってます。どこかに原因があると思います」ぼくは蔵本さんに返した。

 どうもこうも、こうなったのは、いまになってわかったことなのだが、新島署二階にある刑事課の休憩室は蔵本さんの根城だったからだ。

 ――蔵本さんは、そこで絵を描いている。まだキャンパスは下絵の段階で、どんな絵なのか判断がつかないが、どうやら誰かの横顔が書いてあるらしい。新島署にきて新しい作品をつくる気になったといっていた――

 だから、ぼくにとって完全にアウェイ状態で戦わされることになって、ぼくの内心は蔵本さんが持つ刑事としてのキャリアや感性に絡め取られることになってしまったのである。

「犯人がいる訳でもなし。ましてや原因がわからないっていっても事故の可能性が高い事件で躍起になっても疲れることしかないわ」

 そして蔵本さんは部屋の奥にあるキャンパスに戻っていった。

「しかし、なにかあると思うのです。こんなことをAIが起こすなんて考えられません」

 なるべく冷静に口にすることを意識したけれども、内心の動揺は伝わっていたらしい。

「やけにアンドロイドについてしつこいじゃない。なにかトラウマでもあるのかしら?」

 そう訊かれるのだ。

「別に深い理由はありません。ただ大学で専攻していたので、ちょっと詳しいだけです」

 ぼくを探るような蔵本さんの視線に肩をすくめた。

「あなた、工学部?」ぼくは蔵本さんの質問に、「いえ法学部です。AI基本法の研究をしていたので、その一環としてプログラムにさわったくらいですけれども」と返すしかない。

 ぼくの言葉に、へえ、と蔵本さんは興味なく答えた。だから追加で言葉を探した。

「ただ、それとは別に、なにか引っかかったんです。どこか変で、なにかおかしいのです」

 そういえば蔵本さんが、ふり返ってきた。

「どういうこと?」と今回はシリアスに筆を置いて訊ねてくる。

「アンドロイド――AIは合理的かつ安全な思考が可能です。ぼくたち人間とは違って行動が一時の感情に支配されることはありません。ですからアンドロイドが自殺したというのは、どこかに理由があるはずなんです。それこそ外部からの攻撃や不正アクセス、またはシステムのバグ。そんな原因が、どこかにあるはずなのです」

 しばしの間だったが、ぼくの話を蔵本さんは聞いていた。そして次第に、なにかを考えている様子になってきて、「なにか根拠はあるの?」そんなことを訊いてくるのである。

「いえ。いまだに皆無です。けれども、たぶん調べてみたら、なにか出てくるはずです」

「調べてみればって――」と若干驚いた蔵本さんはあきれたものいいをして困った後輩をみる目になる。蔵本さんからしたら、とんだ新人がやってきたと思わされたに違いない。

「なにか確信があるなら調べてみたらいいわ。警察官として重要な素質に間違いないから」

 そして再びキャンパスに向かった。

「でも勘違いしないで。あなたは刑事課の警察官。わたしたちに求められているのは刑事警察。だから、ほかの部署の管轄に油を売るのは、ほどほどに自分の職務へ集中しなさい」

 そうして蔵本さんは、話は終了。話しかけないで、といった様子で筆を取ったのである。

「了解です」ぼくは蔵本さんの忠言を聞くしかほかはなかったのである。

 そして、ぼくは通常の業務に復帰するのである。あれから係長に話を聞いて鑑識係に分析状況を問い合わせながら書類を作成すれば十分に時間を食って、すべてが終了したら陽が沈んでいた。やっと一日が終わった。

 ぼくが前にいた職場に比べたら何倍にも手順や書類が増えたことで最近、刑事になる警察官が減っているのは本当だな、と思わずにはいられなかった。

 ようやく今朝のアンドロイドの件について捜査をはじめることができる。はじめに、ぼくがやったのは警察庁のデータベースをのぞいて類似の事件がないか調べることだった。

「まだ残っていたの?」そして蔵本さんから、そんなことをいわれるのであった。

「センパイも残っているじゃないっスか」

 ぼくの言葉に、「わたしはシュミだからいいの。でも、あなたは残業代が出るのだから財政上の問題がある」と返すのである。給与問題に関しては、たしかに返答できなかった。

「ぼくのは正当な残業です。ただ目的が、ちょっとシュミの領域に入っているってことをのぞいてはですけれども」

 ぼくの言い訳に蔵本さんは、「それで申請書には、なんて書くの?」と悪い顏をみせる。

「捜査活動の一環って書きます」そうしたら、「へえ、捜査活動の一環ねえ」とぼくのホログラを覗き込んでくるのである。そして首をすくめて、

「そのデータベース、巡査にはみられないはずなのだけれども誰のIDとカギをつかっているのかしらね。今日の出動報告、いまだにもらっていないし日誌も提出されてないし」

 なかなか痛いところを突いてくるのだ。

「現在作成中であります」と苦しまぎれに口にすれば、「今夜中に」と厳しくしかられた。

 それから離れ際に「課長が目をつけたら捜査は中止よ。慎重にやりなさい」と注意されたかと思えば、ずいっとよってきて、『それバレるとマズイから、ひとがいないところでやろうね』と肩を叩かれるのである。どこか手のひらの上で踊らされている気分であった。

 だが、そんなことがあったとしても今夜獲得した収穫は大きかった。

 警察庁の全国データベースに収録されているアンドロイド関連の事件は数百件ある。そのなかで類似の事件を発見することは困難ではない。なぜなら、事件の概要を抽象化し関連する可能性が高い要素から順番に外装していけば、おのずと類似した事件が浮かび上がってくるからだ。

 だから、ぼくは数十まで絞れたところで事件の一つ一つに目を通すことにした。その安全神話が語られるアンドロイドであっても、さながら交通事故のごとく不意の事故が起きることを知っていたからだ。

 ひとつひとつ似たようなものであったとしても、そのデティールや事件が起こった背景を読んでいけば違ったものがみえてくる。その心は小石を隠すなら砂利のなかであった。

 だから、ぼくは事故として処理された事件に隠れた小石を丁寧に探すことにしたのだ。

 そして、みつかった。ぼくの推測が確信に変わった。

 徹夜明けの早朝。蔵本さんに報告書を提出した。蔵本さんはあきれた表情で、ぼくの報告書を読んでいた。最終的に上がったのは三つの事件だった。

 ひとつ目は一年前に発生した東京電力八王子地下変電所で発生したアンドロイド感電事故。事故となっているが、内容は地下変電所施設内を巡回していたアンドロイドが突如暴走、施設内から脱走しようとして送電線に触れ死亡したものである。事故とは到底思えない。

 ふたつ目は半年前に発生した日本技研で起こった工場停止事件である。この事件はニュースにものった事件で、内容は工場内を管理するAIが統合コンピュータをつかって工場のシステムを奪取し設備などを破壊した後、自らも壊れたといったものである。メモリ内部にある記憶データも破壊されていてデータの復元はできていない。

 みっつ目は三か月前に発生した東京スカイでの転落事故。高所作業に従事していたアンドロイドが大量に落下し死亡した事件だ。当該アンドロイドは命綱を着装していたが、なんらかの拍子に切断され落下したと推測される。

 どの事件でも事故のように思えるが、アンドロイドが死を選んだとみることも可能だ。

 すべての事件において、「AIが暴走した」「AIが自ら死を選んだ」「その事件の原因究明が不可能」であることが共通点として挙げられる。

 共通点が三個もあるなら偶然ではない。なにかの事件である可能性が高いとみるべきだ。

「ひとりで良く調べたといいたいところだけれども、これは証拠といえない。漠然とし過ぎているし、お互いの関係性が薄い。それに全部事故としてみることも可能よ。甘いわ」

 ぼくの報告書が投影されていたホログラムが消滅する。蔵本さんの視線が、ぼくを射貫いているのがわかった。

「しかし厳格な制限が掛けられていたAIの思考回路で自らを破壊するといった行動を取ることはできないはずなんです。しかし、その可能性のある事件が頻発しているのも事実です。もし仮に事故であったとしても、『欠陥アリ』として早急に調査を依頼すべきです」

 蔵本さんは考えている。ぼくは真剣だった。

「昨日、わたしも人工知能について調べてみた。難しい数式やプログラムが、たくさんならんでいてわからないことが多かったけれども。でも、ひとつわかったことがある。人工知能は完全じゃないし事故を起こす可能性を含んでいるということよ。あなたは、はじめての事件に、ありもしない幻影をみているのではない?」

 ぼくは、その指摘に反論する材料を持っていた。

「そうはいっても確率的におかしなものがあります。人工知能が事故を起こす確率は自動車事故の百分の一を上限として設計され、その確率は〇.〇〇〇一パーセントです。しかし、直近数か月単位でみれば人工知能が起こした事故は〇.一パーセントにまで跳ね上がります。そこには明確な原因があると考えるべきです」

 そこまでいって、ようやく、ぼくの言葉に蔵本さんは納得したらしかった。

「いい。そこまで自信があるなら協力してあげる。あなたに会わせたい人がいるからついてきて」蔵本さんは、そう口にするのである。ぼくは第一関門を突破することができたのだった。



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