第3話




 ただ、ぼくが警察官ではなく刑事として初めて事件を担当することになるのは案外、時間はかからなかった。それから五分もしないうちに館内のスピーカーが発報音をならしたのだ。

『警視庁から入電中。警視庁から入電中。管内、新島区旭川高校で女性が三階の窓から飛び降りた模様。繰り返します。管内、新島区旭川高校で女性が三階の窓から飛び降りた模様。担当各位は全員出動――』

 そして刑事課の無線からも同じ内容が流れはじめる。蔵本さんが素早くコートを掴んだ。

 目線で緒方係長に下命を迫っている。「出動」と緒方係長が下命したタイミングで蔵本さんは立ち上がった。それから、ぼくも引っぱられ署内をたったか走ることになったのだ。

「初動の刑事が遅れてどうするの? 早くする!」

 そんなことをいわれるのだ。

 ぼくは完全に小学生扱いだった。昨日まで地域課エースとしてやってきていたが、どうやら刑事課ではルーキーらしい。ぼくは遅れずに公用車にのり込んで蔵本さんの荒すぎる運転に耐えるほかなかった。

 通報のあった旭川高校は新島署から十五分ほどのところにある高校だ。臨海部に建つ高校で校舎の隣が波間になっている。ぼくたちに比べて数分早く先着した地域課の甘木巡査が案内役だった。

「事件の発生は〇八〇七時。発生現場は校舎奥にあるサイエンス部室。被害者の身元は不明。目撃者等の関係者は現在捜索中であります。現場保存の後、規制線を引いています」

「救急車の到着は?」という蔵本さんの質問に、「救急車の要請は必要ないとのことで、していません」と答えたのは甘木である。

「どうして呼んでいないの?」と速足で歩く蔵本さんの足が止まった。

 だいぶ厳しい口調でいった蔵本さんに甘木は困惑している。なにか理由があるらしい。

「いえ、それが――」と初めは言葉を濁していたが、「ガイシャはアンドロイドなのです」

 そして今度は、ぼくらが困惑する方だった。被害者はアンドロイド? 女性って通報だったのだが……。

 甘木の視線の先には現場があった。そこは環境配慮のためホログラムでモザイクが敷かれ規制が掛かっている。そとからはなかの様子がわからない。ぼくは一刻も早くなかの様子がみたい気持ちがはやって、ぼくはガードのアンドロイドに自分のIDを提示して入ってしまった。そして肩をつかまれる。

「規制線のなかには鑑識係が到着するまで近よってはだめ。捜査講習で習わなかった?」

 ぼくは蔵本さんの言葉に、そうでした、と首肯する。

 ぼくの目には髪がみえた。長い黒髪だ。スカートや洋服も着ている。周囲にガラスが飛び散っている。みてくれは、ほどんど人間と変わらない。でもアンドロイドが、ぼくら人間と違っているのは血液――油圧システムや人工筋肉をみたす白色血液と呼ばれるものだ。

 ぼくらの赤い血液とは違って白い血液が地面に混じっている。

「あれ本当にアンドロイドなんですか?」

 ぼくが蔵本さんに訊ねたら、「さきほど確認しましたからアンドロイドで間違いない模様です」と甘木の言葉が返ってきた。ほかにはない? と蔵本さんが甘木に問いかける。

「現在、高校関係者で事情を知っている方を捜索中です。周辺の聞き込みも進行中です」

 そう返ってきた。どうやら初動捜査は進んでいるらしい。

「ご苦労様でした。あとはこちらで対処しますので現場の保存をよろしくお願いします」

 そんな蔵本さんの下命に甘木は、「了解しました」と直属の上司のもとへ戻っていった。

 しずかな現場には、ぼくと蔵本さんの二名が残された。あとは規制線を守るアンドロイドくらいである。そして唐突に「課長がくるわ」と蔵本さんはいった。ぼくは蔵本さんがいった言葉に驚いた。

「課長もいらっしゃるのですか?」ぼくの困惑に、「だって課長も刑事だから。ここは管理職でも現場に出てこなきゃいけないくらいにひとがいないの」そう蔵本さんは困った様子で答えていた。

「それで状況は?」と課長が係長をともにしてあらわれたのは、その五分後くらいだった。

「アンドロイドが自殺したようです。鑑識の到着をまって現場の保存は終了する予定。周辺の聞き込みは続行中。それから課長がいらしたので、われわれも開始したいと思います」

 わかった、と課長は答えて、「なんだって? ロボット?」もう一回きき返したのだった。

「ロボットが自殺? なにか間違いじゃないの?」

 緒方係長も問い返した。「いえ。本当です」と蔵本さんは素直に答えている。課長と係長がお互いに顔を見合わせているが、「とりあえず現場をご覧になってください」と蔵本さんが案内した。

 そして現場に案内した後、ぼくらは頭に疑問符がコロコロ転がっている課長たちを置いて聞き込みに入った。どうやら第一発見者兼通報者の女子高生の保護に成功したことを甘木から聞かされたので女子高生の方は任せて、さきに、ぼくらは事件が発生したサイエンス部室に向かうことになった。

 問題のサイエンス部室は校舎の二階隅。裏口から階段を上がって、すぐの場所にある教室だ。とびらの前には、だいぶ古いが、『サイエンス部』とかまぼこ板でつくられた表札がある。

「まずは、こっち」と蔵本さんに連れられて、ぼくは規制線で封鎖された部室に入った。

 横幅が狭く縦に長い化学準備室みたいな部室である。なかには望遠鏡やホルマリンづけされたなすび、ほかにも科学史や伝記などいろいろなものがあった。

「ここから落ちたんすね」

 それから奥まで進んで強化ガラスの窓にあいた円状の穴を目にすることになった。円状である。楕円でもなく人型でもない。コンパスで引いたような綺麗な円だったのである。

「調べてみれば一発だけれども、なにかつかって傷をつけて突き破ったのね。最近の強化ガラスは銃弾でも跳ね返るくらいだから」

 蔵本さんが机上にある彫刻刀やピンセットをみながらいっていた。ぼくも同感だった。

「でも、どうして窓をひらかなかったんスかね? わざわざガラスを切らなくても窓をひらいたら一発なのに。ぼくでも死ぬときには窓をひらきますよ」

 ぼくがいえば、「自殺するくらいなのだから、どこかしら、おかしくなっていたんじゃないの?」と返ってきた。ぼくは納得できず、「そんなもんですね」と首をひねることになる。

 そして女子高生の話である。唯一の目撃者の女子高生、彼女はサイエンス部員で事件発生当時、部室の近くにいたらしい。

 甘木巡査からアンドロイドが落ちていくところをみてしまったと聞いた。PTSDの疑いがあるので現在は隣の教室で保護されているのだ。だから、ぼくらが現場の見分を終えて隣の教室をみれば一人で座る女子生徒の姿を目にすることになった。おさげの髪を下にして、うつむいている。その手もとは固く握られていた。

「ほかに誰か目撃者は?」そう蔵本さんが入口を守っている巡査に訊いた。巡査は答える。

「あの生徒以外に直接みた者はいません。カメラも死角になって確認は不可能でした」

 お話きけます? そんな蔵本さんの問いに巡査は、「それが……」と苦い表情になる。

「自殺によるショックが大きくカウンセリングが必要な可能性がありますので難しいでしょう。資格保持者以外の取り調べは内規違反ですし」

 そんなことが返ってきた。いわれなくてもわかってる、と蔵本さんの表情が物語っていて、「わたしは心理二種の資格を保持しています。問題ないはずです」と入っていった。

 ぼくは入口で巡査と顔を見合わせるしかない。

 蔵本さんが入って女子生徒の視線が上がったのがみえた。威圧のない様相で進んでいく。

「びっくりしているところごめんね。わたしは新島署の刑事の蔵本。あなたの名前をきいてもいい?」やさしく蔵本さんは隣に座った。女子生徒が頷いて次第に言葉が出てくる。

「野中瞳です。サイエンス部の高校二年生」ぼくは感心していた。

「野中さんね。教えてくれて、ありがとう。直前まで教室にいたって聞いた。こわかったね。びっくりしたね。でも、わたしたちがきたから、もう大丈夫。だから安心していいよ」

 いまだショックは残っている様子だったが、蔵本さんの言葉に野中さんはコクコクと反応している。そしてポツポツと重たい口がひらいた。

「わたしが最初に発見したんです。部室の小窓からマイさんが落ちているところを――」

 こんなに重苦しい空気は覚えがある。いや本土にいれば日常だった。ひとの命と向き合うことは毎日で、それでも、いくつかの事件において、ひどいものに当たることもある。

 ぼくからしたら今回は比較的軽い方なのだが、本土を知らない若者にとってつらいものがあるに違いない。

「マイっていうのね」そう蔵本さんが口にする。ぼくのメモを取る手は、いつの間にか止まっていて、はっとして、われに返ることになってしまった。みな蔵本さんの空気に飲まれていたのだ。さすがのセンパイ刑事の腕前に感心することになる。

「それで彼女について、なにか思い出せることはある? 様子がへんだったとか、あなたが教室から出る前まで、おかしかったとか。思い出せないなら無理に答えなくてもいい」

 ぶるぶると野中さんは首を横にふっていた。

 あるはずもない。アンドロイドの中枢であるAIは常に製造企業本社のサーバーに接続されていて自己診断プログラムが常時走っている。プログラムに異常が発見されたら割サーバーから込み処理を実行してアンドロイドやコンピュータの電源を止めることができる。

 はじめから異常など起こらない仕組みになっているのだ。

「そっか。ありがとう」そう蔵本さんは野中さんの背中をやさしく介抱していた。そして、

「じゃあ、これで質問はお終い。でも、これ以外に、なにか不安なことがあったら、いつでも連絡して。ぜったいに警察は相談にのるから。こうみえてね、わたしたち刑事なの」

 そんな風に蔵本さんは、自分の連絡先をわたしていた。ぼくは見守ることしかできない。

 そして視線が、ぼくの方を向く。

「ねえ坂上くん。なにか暖かい飲みものを買ってきてくれない?」ぼくは、そんなことをたのまれた。命令なら従うほかあるまい。「そういえばレンジのなかにココアが……」野中さんも蔵本さんの言葉を聞いて思い出した様子で口にしていた。蔵本さんは首をふった。

「ごめんね。現場のなかにあるものは動かせないの。だから、あのお兄さんが買ってきてくれるからね」

 ココアでいい? と聞いていた。はい……。お願いします、野中さんが首肯する。よろしく、と蔵本さんが声に出さずにいっていた。わたしがいきましょうか? みたいな視線で隣にいる甘木巡査と顔を見合わせることになったが、ぼくは了解するしかなく、「いってきます」と教室を離れるしかなかった。

 ぼくが現場に下ったら鑑識が到着していて警視庁の機動捜査隊の姿もみえた。課長が数人の刑事に状況を説明しているのがみえる。そこから離れたところに緒方係長がいて、校長らしい年齢をした白髪の教師とサイエンス部の顧問と思われる白衣をまとった若い女性教師と話しているのが目に入ってきた。

 そんな様子を他人行儀でながめていたら課長の目ざとい眼光に捕まって呼び止められ、

「はじめての現場は、どうだ?」そんなことを訊かれるのである。

「経験のないことが多いので、いろいろなことが新鮮に感じられます」それは本心だった。

「なら、いいが――」そうやって横たわるアンドロイドをみていた課長は、つかれたみたいに嘆息していた。

「事件発生時に、ほかの生徒が付近にいた形跡はない。学校のネットに侵入された痕跡もない。よって事件性がないことが明白であるから、キソウと鑑識課は本庁に帰るらしい」

 そうやって課長は冬の空気に肩をすくめていた。

「まあ良かったじゃないか。犠牲者もいない。ケガ人もいない。配属初日にいい事件に当たったぞ。本件の担当は、お前さんにするから蔵本くんの下で十分に捜査の基礎を学んだらいい。わたしは係長を連れて署に戻る」ぼくの背中をバシバシ叩いて課長は激励する。

「はい。がんばります」と答えたが、しかし、どうやら課長にとっては内心複雑なものがあるらしかった。課長が口をひらく。

「しかしな、おれの若いころは被疑者も被害者も犠牲者も人間だった。ロボットが自殺するなんて警察官人生三十年で初めてのことだ。ヘンな社会になったしヘンな時代になった」

 そういって課長は白髪が混じった頭をなで渋い面持ちを浮かべていた。

「なにか質問はあるか?」課長は訊いてくる。

「ひとつ不明な点がありまして、それは本件について器物破損か、それとも自殺か、どちらの方向で処理すれば良いのかという点なのですが、どちらにすればよろしいですか?」

 ぼくの質問に課長は嫌な表情になる。

「器物破損? そんなことをしたら人権団体が黙っちゃいないぞ。いまやAI基本法でロボットにも人権が認められる時代になったんだ。われわれ人間と同じく『自殺』で処理しなければ警察が叩かれる」そして課長は当然のことをいった。

 ぼくは、「了解しました」と首肯するしかない。それしか答えることしかできないのだ。

 そして課長は、「緒方係長。署に戻る」と打てば響く声で怒鳴ってズンズン歩いて車の方に進んでいった。


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