1章 魔に踏み入る

 ベッドから身を起こす。一日の起点でありながら最も力を消費する作業かもしれない。


 昨夜は案の定眠りが浅く、妙な夢を何度も繰り返したせいで頭の芯が揺れているような不快な疲労感が残っている。もう少し寝ていても文句を言う同居人などいないがうなされそうなのでやめておく。軽く鼻を啜る。下着姿で寝ていたので身体が冷えたらしい。手早く着替えて大きく伸びをすると背中が軋んだ。


「あ」


 ベッド脇の小机に昨日の報酬を出しっぱなしにしていた。一人住まいの自宅で不用心も何もないが金貨五枚は大金だ。クローゼット横に置かれた腰元まである高さの金庫を開けて中に入れる。金庫の中には拳大ほどに膨らんだ皮の袋がいくつも詰められていた。これら全てが金貨。ククナが今まで貯め込んだ財産だ。優に数年は遊んで暮らせるだろう貯蓄は二十半ばの蓄えとしては破格だろう。思わず口の端を歪める。


 まっとうな働き方でこれだけ稼ぐのは難しい。その為の拳闘試合だ。


 ここ王都ワンドンでは大陸内でもっとも栄えた街だ。貴族が住まうため彼らに引き立てられようと魔術師が集まり、旧世界の遺物研究成果で文明は発展。大商会の本拠が複数あり港に面しているため流通が盛んだ。つまり羽振りのいい人間が多く、彼らを狙った商売が人知れず行われているのだ。その一つがククナも出場する拳闘試合だ。男同士の殴り合い。当然、ただ観戦するだけでなく闘士達の勝敗を予想する賭博遊びだ。


 ククナも定期的に参加しているが、普通に戦い勝ったところで貰える金はせいぜい金貨にして一枚程度。だが、賭博の胴元に都合が良い勝敗を作れば数倍の金額が手に入る。周囲の闘士は自身の強さの証明などと考えているがククナにとっては金を稼ぐための手段でしかなかった。


 選んだことに理由はない。単に学がなく、他人より強い身体をもって産まれた自分が稼ぐのには大きな苦労がなかったからそうしているだけだった。殴るのも殴られるのも好きではない。ただ偶々、得意だから利用している身からすれば周囲の熱量は息苦しくもあるが、それがククナの身の立て方だ。


 金庫に向かって薄ら笑いをしていると玄関から戸を叩く音がした。交友関係の狭いククナの元へ尋ねてくる手合いは大抵決まっている。想定する相手に嘆息し金庫を締めてから玄関に向かう。


 のぞき窓に目を寄せると外には真っ白い髪の子供が立っていた。


「どちらさん?」


 真っ白な髪をした子供など記憶のどこにも引っかからない。この大陸で見かける髪色は黒や茶、赤毛に金髪などだ。白髪になった老人ならば見かけるが、戸を挟んでいる相手の顔には皺は一つもなく腰も曲がっていない。


「私はガノ」


 やはり聞き覚えのない名前だ。


「あなたは背が高くて小汚い無精髭を生やした焦げ茶の癖毛男で間違いない?」


 なんだ、その確認は?


確かに特徴は捉えているが不躾な挨拶に困惑する。


「あー、確かに俺は背が高くて小汚い無精髭を生やした焦げ茶の癖毛男で間違いない」


 少し不服だが子供が相手なので呑み込んで返事をする。


「よかった。それじゃ開けてくれるかしら?」


「それじゃ、じゃない。どこの子か知らないけど用事は何だ?」


「魔術について話したいことがあるのよ」


 またか、と思わずうんざりする。せめてあからさまな表情が子供には見えないのが救いだ。


「十日で身につく魔術講座の勧誘なら前に断っただろ。悪いがお嬢ちゃん、さっさと帰ってくれ」


 日当たりや部屋の広さに家賃の安さなどを鑑みると破格の住まいだが、こういった類いの勧誘がよく来るのがこのアパートの欠点だ。『誰でも使える魔術媒体を格安で譲る』『無料で部屋に氷室を作成します』などといったものはかわいい方で、酷いものになると聞いたこともない宗教の教祖を名乗る人物が信徒を連れて聖句を一晩中唱えたこともある。何がそんなに引き寄せるのか分からないが妙な力場でも発生しているのかもしれない。


 一日の始まりから鬱陶しい来客だと眉根を寄せる。


 子供には悪いがこれ以上は相手をしない方が良いだろう。放っておけばそのうち帰るはずだ。


 水瓶から水を汲んで一息に飲み干す。寝付きが悪かったからか寝汗を随分かいたらしい。喉を通って身体に染み渡る心地良い感覚で僅かに気持ちが緩む。


「殺風景な部屋ね」


 静かな部屋に響く凜とした声に思わずむせ込んだ。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない」


 声の主は廊下に立っていたはずの少女だった。黒の夜会服を着た少女が白い巻き毛を払って、食卓の椅子に腰掛け平然としていた。


「おい、ど、どう、やって入った」


 咳を抑えこみなんどか言葉を発する。


 玄関の鍵は昨夜から開けていない。もちろん今も開けてなどいない。考えられるのは合鍵だが大家ならともかくとしてこの少女が持ち合わせているとは考えにくい。


 ククナの動転を余所に少女は無言で人差し指を立てると玄関に向けてくるりと回した。すると、いつの間にか開いていた鍵は連動するようにひとりでに閉まった。


「魔術師か」 


 魔術師──


 世界の在り方に欺瞞を施し、自身の中にだけある摂理を具現化する異能者。


 火を操る者、植物を生み出す者、触れずに物を操る者。存在は多岐に渡り、修めた魔術をどう使用するかもそれぞれ違う。火を操って一人で王都一帯を網羅する点灯夫。土地や季節にそぐわない野菜を短期間で大量生産する農家。人手を必要としない荷役。


 彼らに共通して言えるのは他の只人に倍する能力を魔術によってもたらすということだ。


 だが、それは平和的な使用方法に限った話ではない。その火も氷も力も悪意を持って振るえばおよそ攻城兵器も同等だ。


 潤したはずの喉がまた渇いてきた。これまた接点の見つからない魔術師が人の住処に押し入ってきたのだ。脅威度は普通の強盗とは訳が違う。


「命と金のどっちが狙いだ」


 呼吸を落ち着かせて会話を試みる。


 何が起きるか──何を起こせるかわからない相手だ。目線はけして外さず、いつでも動き出せるよう足に力を込める。


 縄張りに入られた獣のように警戒を露わにするククナに少女は小さな溜息を漏らした。


「強盗なんかじゃないからそんなに怖い顔をしないで」


 口調こそ穏やかだがどこか尊大な雰囲気が拭えない。魔術師としての自尊心が滲んでいるのか、はたまたククナの無意識な偏見がそう感じさせているかはわからない。だが、不法侵入をしておきながら言う台詞ではないだろう。


「座って」


 テーブルを挟んで向かいの椅子に促す少女。椅子もまるで見えない誰かに引かれたかのように勝手に動き、ククナの尻を受け入れる態勢だ。


 どうするか迷ったが、たしかに強盗としては態度がおかしい。安心は出来ないものの、それ以上に刺激すべきではないと判断し座ることにする。


「よし」


 家主はこちらのはずだが、後ろめたさの欠片もない表情で少女は頷いた。犬の芸に満足する飼い主のような言葉に若干苛立ったが今は無視する。


「……」


 正面に見据える少女は幼いながらも理知的な印象を抱かせる鋭い目付きをしていた。また、髪色と同じくして見たことのない紫色の瞳はどこか怪しい色香さえ感じさせる。何故か分からないが妙に高そうな夜会服を着ていることも合わさって、子供という表現に違和感をあたえるような大人らしさがあり気圧される。


「お前は誰で何のようだ?」


 何を訊くべきか悩んだが、結局は玄関でしたことを繰り返す。


「私はガノ。あなたの力を貸して欲しくて来たの」


「だとしたら、もう少し礼儀を弁えるべきだろ」


 皮肉が口をついて出てしまうが少女──ガノは気分を害した様子はなく「そうね」と返すだけだった。


「でも頼れる人間があなた以外にいなかったの。だから、拒否されて少々乱暴な手段に出てしまったのね。申し訳ない」


「……そうかよ」


 身体に入れた力を僅かに抜いて椅子の背にもたれる。謝罪を受けて許したわけではないが、先程まで纏っていた尊大さが薄れて人間味が感じられたからか無意識に気が

緩む。


「で?」


「で?」


「で? だよ」


「あなた言葉が不自由なの?」


「なんで来たかを言えっつってんだよ」


 ガノは肩を竦めて口を開いた。


「あなた女神の魔術が使えるわよね?」


「女神の……?」


 聞き覚えのない魔術だ。そもそも魔術の種類は非常に多く細分化されていると聞く。生活に関わってくるような魔術ならともかく、その僅か一系統のことなど魔術師でもない一般人が知るわけない。


「癒やしを与える魔術のことよ。あなた昨日、鳥を治癒してたじゃない」


「見てたのか?」


 気を払ってはいなかったが、こんな目立つ少女がいたら目に付くと思うのだが。


 ククナの問いにガノは首を振り机に手をかざす。


「うお!」


 思わずのけぞって吠えた。


 机にかかった影が手の平に向かって泡のように膨らんだかと思えば、弾けてカラスが飛び出してきたのだ。


「なんだこれ、召喚魔術ってやつか⁉」


「違うけど、その認識で構わないわ」


 カラスは窮屈そうに部屋の中をくるりと舞うと出てきたときと同じようにガノの影の中へと飛び込んで消えてしまった。


「昨夜はこの仔がお世話になったみたいね」


 ガノは机を、いや机に映った影を指ではじいた。


 どうやらこの来客は昨日の気まぐれが招いたものらしい。あの場にガノはいなかったようだがカラスを通じてククナの存在を知ったようだった。カラスがどう伝えたかは気になるところだが、どうせ魔術師が使役する生物だ。そこらで生ゴミを漁っているような普通のカラスとは違うのだろう。


「つまり、お前も怪我を治して欲しいのか?」


「違うわ。あなた女神の魔術については理解している?」


「だから怪我を治す魔術なんだろ」


 ガノは呆れたように目を伏せて眉間を揉んだ。出来の悪い教え子を相手にする教師のような所作だ。


「女神の魔術はおおまかに言ってしまえば肉体を害する事象を取り除く魔術よ」


「つまり怪我だろ」


「それは部分的なものよ。女神の魔術は怪我の治癒や解毒、そしてその神髄は解呪」


 ガノは口を閉じると鍵を閉めたときのように指を一本立てると真横に動かした。すると指の軌跡をなぞるよう宙空に一本の線が描かれ、ガノは線目がけて腕を突っ込んだ。その腕の勢いのせいか線の周囲はまるで水面のように揺れ、おまけに前腕が線を境目に消失している。まったくもって異常。目か脳を患ったのかと錯覚を起こしそうな光景だ。


 これもまた魔術なのだろう。知り合いに魔術師がいるが、こうして間近で何度も見ることなどそうそうない。思わず目を丸くするが慌てて動揺を悟られないように平静を装う。


「私はあなたに解呪を依頼したくてきたのよ」


 ガノはそう続けると線から腕を引き抜き、消えていた前腕と一緒に現れた革袋を机に置いた。重く、多くの金属が重なる音。袋の中は金だろう、それもおそらくは金貨だ。袋の大きさからして優に百枚は越えているはずだ。


 だからこそ心苦しい。いっそ無念だ。


「今の会話で察しはついてるだろうけど、俺は確かに女神の魔術とやらを使えるが禄に使いこなせてない」


 ククナがこの魔術を自覚したのは約十年前。当初は魔術師になるという選択肢も頭にあったが、身体にかかる負担の大きさからあえなく断念した。当時の生活環境の悪さや単純に教えを請える相手がいないと言うのも大きな要因ではあったが、随分と前に魔術を使う生き方は消したのだ。そこからは自身の怪我を治す程度にしか使っていない。


「ちょっとした切り傷や小動物の怪我程度なら治せるが、人間みたいな大きな生き物の骨折やら矢創なんかは無理だ。ましてや毒だ呪いだなんて言われてもな……」


 言いながら肩が重くなるのを感じる。


 この魔術が金貨百枚にも匹敵する力だと知っていれば。十年前に捨ててしまった大きな可能性に思わず奥歯を噛みしめる。少しずつだろうと鍛錬を重ねていれば、今頃殴り合いで金を集める生活なんてしなくて良かったかもしれない。過去に霧散した金色の香りに気分が沈む。


 対してガノは氷の彫像のように表情を崩すことなく、


「そう……」


 とだけ告げて革袋を取り出したときと同じように線の中へしまい、静かに席を立った。そしてスカートの裾を払うと、


「邪魔したわね」


 と残し、迷いない足取りで玄関から出て行った。


振り返る事もしないその背中は微動だにしなかった表情に反して、悲哀の色が滲んでいるように見えた。もちろん気のせいだろうけど。


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