第36話

 だってだってと、あたふたしていた悠月ゆづきだったが私はなんとなくそんな彼女も可愛らしいと思ってしばらく眺めていた。

 時間もないけれど彼女を急かすには、私も急にいろいろぶつけすぎたと思う。


 ゆっくりと返事を待つつもりだった。それでも悠月は、「だって、つぐちゃん」と止まった。


「なに、悠月?」

「びっくりして全然理解が追いつかなくて……」

「そこそこ待ったけど、まだかかりそう?」

「そろそろ大丈夫かも」


 まだはだいぶ顔は赤いけれど、彼女は静かになった。

 私の目を何度か見つめて、そらしてを何度か繰り返してから言う。


「……わ、わたしも好きです。全部の意味で、継ちゃんのこと好きですっ」


 悠月は言い終わってまた、指をふにゃふにゃさせて、私の顔をちらちらと見てくる。

 あ、これ私がなにか言うやつか。握手会のとき、どっちがしゃべるタイミングかわからなくなって、数秒沈黙をつくってしまう気分だった。


「ありがとうっ、悠月っ」


 私はとりあえず、悠月に抱きついてみた。でもさすがに人目が厳しいと思う。これ以上ここにいるのは危険だと、不人気アイドルの私でも思う。なんせ目の前にいるのは私と違って人気アイドルだ。先に立ち上がって、腕を引いて悠月も立たせる。サングラスを返してもいいけれど、悠月の顔をもう少し見たかったから、私の伊達眼鏡を貸してあげる。


 周囲を気にしつつ、少しだけ移動した。


「継ちゃん……わたし、継ちゃんのこと好き」

「え? うん、さっきも聞いたけど、ありがとうね?」

「……継ちゃんもわたしのこと好き?」

「うん? 好きだよ? さっき言わなかったっけ?」


 このままライブ会場へ戻るには、どのルートがいいのか。きょろきょろしていると、脇を思い切り悠月にくすぐられた。


「ええっ!? なにするの悠月……」

「な、なんか冷たいっ!! すっごいぞんざいな感じしたっ!!」

「えええぇ……そんなことないって。だけどほら、今はライブ会場戻らないと」


 悠月はチケットをキャンセルしてしまったから、もう客席には戻れない。千歳さん次第で、もしかしたらまだ飛び入りで緊急復帰としてステージにあがれるかもしれないけれど。

 まあそれがダメでも関係者席みたいなところでライブを見られるだろう。


「でもでも! もっと優しくしてほしいよ継ちゃんっ!!」

「優しくって……なんで?」

「だってわたし達、付き合うんだよねっ!? 付き合ってまだ数分だよ!? 倦怠期早いってっ」

「……え?」


 ちょっとよくわからず、真顔で聞き返してしまう。


「……付き合う? 私と悠月が?」

「う、うん。……そうだよね? だって、継ちゃんわたしのこと好きって……わたしも継ちゃんのことが好きで」

「え、いやでもほら、私達アイドルだし。恋人とかはちょっと……」


 ぐらりと隣の悠月が倒れそうになって、私は慌てて支えた。


「う、嘘だよね……? なんだったのさっきの告白はっ!? 付き合う流れだったよね!?」

「え? ……ただ気持ちを伝え合いたかっただけなんだけど」

「気持ちが通じ合ったら、付き合うんだよ継ちゃんっ!! そんなのないよっ!!」


 よくわからないが、そういうものらしい。

 ハリウッド映画とか観ていて、ちゃんと交際するカップルなんてレアだけどな。あの人達、基本恋愛はしても交際はしない。


「うーん。じゃあわかった。アイドル辞めたら付き合おう」

「じゃあこれから、ちーさんに報告して辞めるってこと?」

「悠月、ファンをこれ以上泣かさないで。私も多少いるファンのみんなに申し訳なくてそんなことできないから」

「そ、そんなこと言ったらいつ付き合えるのっ!? ねえねえっ」


 急かされるが、アイドルを辞めるときか。今となってはけっこうやる気もあって直ぐに辞めようという気持ちはなかった。そりゃもちろん、変わらずいつかは女優になりたいと思っている。だから。


「人気アイドルになったらかな。ウェスタリスで一番人気になって、そのあとファンに惜しまれながらの卒業……そこで女優転向かなぁ」

「う、嘘っ!? それっていつなの!? わたし、おばあちゃんになっちゃわない!?」

「……それ、普通にひどいこと言ってない? ……私が一番になれないって思っているでしょ」

「そ、そんなことなよ? 継ちゃん可愛いし……でもほら、正統派受けみたいな感じじゃないから」


 顔は世界一可愛いのに、色物枠カテゴライズされているのはなぜなんだろうか。しかもファン筆頭の悠月に言われるってことは、おそらくだいたいの人からそう思われているということだ。


「とにかくっ! 私がアイドル卒業するまで付き合うのは待ってて。……ファン主席としても、そうするべきだって思うでしょ?」

「で、でも失格って言われちゃったし……」

「悠月の推しとして、あなたを許します。もう一度ファン主席として私を応援してください」


 私は都合良く彼女の失格を取り消すことにした。職権乱用かも知れないが、


「ほ、本当っ!? やったー、まだわたし悠月のファンでいていいんだねっ」


 飛び跳ねて喜んでいるからよしとしよう。

 スマホで検索したところ電車での移動だと間に合わないので、タクシーを探すことにした。ただタクシーがちょうど見当たらない。駅前まで移動してきたのに。


「ううっ……ファン主席としては、推しがアイドル活動中に恋人をつくることは反対すべきだけど……でも付き合えないってなると……つらい……つらすぎる。今まで推しがいるだけであんなに輝いて見えた世界が、なぜか急に狭いガラスケースの中へ閉じ込められた気分だよ」


 私が必死にタクシーを探している間も、悠月がうるさい。

 電話でタクシーって呼べるんだったかな。


「付き合ってなくても、そんなに変わらないよね? 普通にさ、友達としていろいろ出かけたり、遊びいったりしようよ。あ、今度は私の家も来る?」

「だ、だってだって!! それは嬉しいよっ嬉しいけどっ……でも付き合えないってことは、キスとかそういうのはできないってことで……しばらくずっとお預けってことで……」

「え? そういうもんなの?」


 言われてみれば、そうなんだろうか。

 ハリウッド映画だと、特に関係なくキスくらいするし、なんだったらもっとすごいこともする。付き合ってなくてもするし、敵同士でもする。


「う、嘘っ!? してもいいの!?」

「……まあ、人目につかないところなら?」

「ど、どこまでしていいのっ!?」

「あーちょっと、もう悠月! 今すぐにでもタクシー見つけてライブ会場行かないとなのに、さっきからなんなの!? 悠月は私のこと好きなの!? それともそういうことしたいだけなの!?」


 切羽詰まっているせいで、さすがに私も怒ってしまった。涙目で悠月が両方です、って言っていたけどもう無視する。


「あーっ! いた二人ともっ!」


 そのとき、駅前のロータリースペースに一台のタクシーが現れて、窓から聞き馴染みのある声がした。


佐倉さくらさんっ!?」


 剣道女子で、ファン養成所でもっともフィジカルが安定していることで評判な佐倉さんだった。


「ほら、二人とも早くタクシー乗ってっ! ライブもうすぐなんでしょ!?」

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