第35話
日が沈みかけていた。汗で濡れた体が少しだけ肌寒い。
ライブは十八時開園予定だ。あと二時間くらい。まだなんとか間に合うかどうかってところだった。
思い出の場所は、日が沈む前でも十分おしゃれだった。カップルだけじゃなく、子連れも多く、和やかな雰囲気が流れている。向こうには、観覧車が見えた。ここからでも、ゴンドラの色が違っているとわかる。七色にわかれているようだけれど、話によれば一つだけピンクのゴンドラがあるらしい。
いつか、乗ってみたいな。
視線を周囲に戻して、野球帽子を見つけた。悠月だ。今度こそ思い出の野球帽子で、あんなわかりやすいサングラスまでかけているのは彼女しかいない。
私は瀬野さん達にメッセージを送る。彼らが会場からどれくらい離れているかわからないし、直ぐにでも戻らないと間に合わないかも知れない。アイドルだってファンだって、ライブ開始時間には開場にいなくちゃいけないんだ。
「うつむいてたら、私の可愛い顔見えないよ」
悠月の直ぐ近くまで行って、私は声をかけた。
彼女は突然私が現れたことに驚く。
「つ、継ちゃんっ!? ど、どうしてこことに!?」
「だってここ、私の思い出の場所だし」
「……ライブ! ライブはっ!? 今こんなとこいちゃダメだよね!?」
「それは悠月もでしょ。ステージでも観客席でもいいけどさ」
慌てる彼女に、私は笑いかける。
もう戸惑う彼女にも見慣れたもので、サングラス越しでも目が泳いでいるのがわかった。
そんな悠月に、伝えるべき第一声は決めていた。
「悠月、ムッツリだよね」
ありがとうとか、ごめんとか、他にも言いたいことはあった。でもやっぱり私はずっとこれが言いたかった。
「にょえっ!? 継ちゃんいきなり何言うのっ!?」
「何って……私、見ちゃったんだよね。私のグッズが飾ってある下の棚」
「う、嘘!? 継ちゃん、引き出し開けたのっ!?」
「開けました。ついでに言うとDVDも一つ開けたら、あったよね。私の写真……」
私は見てしまったのだ。悠月の部屋にあった私のグッズコーナーの秘密を。私激似の売り文句のアダルトDVD作品達の存在だ。本当なら、黙って忘れてあげるのが優しさだろう。
ただし、私は優しいだけの女ではない。いや、別に優しいことを売りにしたことなど一度もない。じゃあ優しくない女だ。世界一可愛い優しくない女である。
「そ、そんな……継ちゃんにあれを見られたなんて……終わりだ……終わりだよ……もうわたしの人生終わりだ」
人目も気にせず、服が汚れるのも気にせず、悠月はそのままへたり込んでしまった。
「終わりって、なんで?」
「だって、継ちゃんに引かれて……嫌われて……気持ち悪いって……」
「なってないけど?」
「う、嘘だよっ!! だってだって、アレだよっ!? わたしだってファンの主席でありながら、推しに似ているってエッチなもの買いあさって……しかも見ていろいろ……おまけに、継ちゃんの写真も一緒に並べて楽しんで……」
本当に人生が終わりだと思っているのか、聞いていないことまで自白し始めた。このままいろいろ聞き出すのは、それはそれで面白いかもしれないけれど、正気に戻ったあと今度こそ幽体離脱くらいするかもしれない。
「悠月、だから気にしないって。あっ、でもファンとしてはちょっと失格かもね」
「うわぁああっ!! やっぱお終いだぁああっ!!」
「いやだからファンとしてだって。ファン失格だから、ただの悠月として話させてもらうから」
ファンじゃない悠月には必要ないから、帽子とサングラスを外す。座り込んだ彼女は、私に隠れているから人目にはつかないことを祈ろう。抵抗はされなかったが、素顔の彼女は目を真っ赤に泣きはらしていた。
「もう一回言うけど、悠月にそれされても別に気持ち悪いなんて思わないし、嫌じゃないし……」
「引いてない……の?」
「でもごめん、DVDとブルーレイ両方あったのはちょっと引いた。あれどっちかしか見ないでしょ。両方はいらないよね」
「いっ!! いらない……かもだけど……つい」
うん、あれはもう私のファンじゃなくて
「悠月が私をどういう風に見ていて、どういう風に思っているのか……正直ね、まだわからないんだ。だって悠月、全然話してくれないし」
「だ、だってそれは……」
「でもね、悠月に好かれてるってのはわかるよ。私、可愛いもんね。悠月が好きになっちゃうのも普通だし」
あはってわかりやすくキメ顔をしてみたら、
「つ、継ちゃんは世界一可愛いよぉ……」
「ごめん、軽い冗談のつもりで言ったから、そんなイベントのコールみたいなこと涙声で言わないで」
こほん、と話を戻す。
やっぱり見下ろしたまま話すのも気が進まない。人目は気になるけれど、服はどうせもう汗でよごれている。私は彼女の前に腰を下ろした。
「悠月に好かれているの嬉しいんだ。例えそれが、ファンとしてでも、友達としてでも、もっと別のなにかだとしても。だって――」
美人のくせにすっごくはしゃいで無邪気に笑うし、すぐ漬物石みたいに落ち込んで、人気アイドルのくせしてファン養成所とかいうよくわかならないところ通って主席になっちゃう。
いっつも全力な彼女をそばで見ていて、それで好意を向けられていたら、それがどんな意味の好意であったとしても私は。
「月岡悠月のこと、大好きだから」
悠月の気持ちはわからない。でももう、私の気持ちはわかる。もう迷うことなんてなかった。
「うっ――」
嘘だよ、とまた彼女がいつものように否定しようとしたところで、私は彼女の口を塞いだ。
しばらくして、そっと唇を離す。
「ごめんね。でも私の本当の気持ちだから、嘘って疑ってほしくなかったから」
悠月が真っ赤になって固まっている。でも多分私も同じくらい赤いだろう。
「……ちょっと、悠月? そろそろ動いてよ。私の告白も、ファーストキスも無視されたままだとさすがに悲しいんだけど」
「ぬぅえっ!! だ、だってだってっ!!」
騒がしい彼女のせいで、私と悠月のキスが他の人達にも見られていなかったか心配だ。SNSに上がったら、私の人気上がるかな? ――いや、炎上するのかな。わかんないけど、そしたら悠月ごめん。私に襲われたって言っていいからね。
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