第28話
もし本当に
ソララに言われたとおり、逃げるべきか。ただ私は悠月をどう思っているのか。逃げるほど嫌な相手なのか? いや、それはもちろんそういうことを無理矢理されるのは嫌だけど。
――って、ないよ。悠月だよ。さすがに、私ことをそんな風に見ているとは思えない。
私は頑張って仮定してみたけれど、やっぱりソララの言った話が、相手を悠月って当てはめると想像できなかった。
それが、単に人気アイドルの悠月が自分に対してそういうことをすると思えないという話なのか、私は悠月にそういうことをされても逃げるほど嫌ではないという話なのか。どっちかはわからなかった。
答えが見つかる前に、シャワーから悠月が出てきたのだ。
「あっ、悠月。大丈夫だった? ちょっと長かったから、お風呂場で倒れてないか心配だったんだけど」
足音に気づいて慌てて振り返ると、頬をほてらしてしっとりと濡れた黒髪の悠月が立っていた。すごく色っぽい。なぜか、ごくりとつばを飲んでしまった。
「う、うん。ごめんね。わたし、酔ってたみたいで。記憶はあるんだけど……その、まさか継ちゃんを家に招待しちゃうなんて」
悠月が赤い顔で、気恥ずかしそうに言う。
「ううん、悠月が酔っているってわかって、ありがたいからって無理についてきたの私だから、むしろごめん」
「……つ、継ちゃんもシャワー浴びる? あっ、変な意味じゃなくてね!?」
「う、うん。えっと……変な意味って?」
「な、なんでもないっ! タオルとか、えっと使ってない下着とか出しておくから……その好きに使って」
私は感謝して、お風呂場へ行った。
熱いシャワーを浴びて、私も少し頭を整理する。
映画だと知り合ったばかりの行きずりの二人が、直ぐ仲良くなってそのまま一晩を過ごすなんてよくある展開だ。だけど自分のことだと思うと、てんでピンと来ない。恋愛経験がない私は、自分の気持ちがわからなかった。
心が揺れ動くのは、いつだってスクリーンの向こう側だった。流れる水が、私の髪の毛と絡んで消えていく。悠月の長い黒髪が一本だけ、お風呂場の床に落ちている。弾いた水滴が、ガラスに当たってそのまま下へと這っていく。曇っていた鏡面が、線を引いて私が映る。
いつも無駄に自信だけはある世界一可愛い私の顔は、初めて見るみたいに不安そうに見えた。
考えはまとまらなかったけれど、いつまでもお風呂場で籠城するわけにもいかない。洗面所には、悠月が用意してくれたであろうタオルや着替えが置かれていた。私は濡れた体を拭いて着替える。
服を着てから、洗濯カゴに悠月の野球帽子とサングラスが置いてあるのに気づいた。そっと野球帽子を手に取る。いつからのものなのだろうか、年季が入っているように見える。デザインは間違いなく私の思い出の帽子と同じものだった。
私の中で来いと言えるようなものがあるとすれば、子供の頃に私を助けてくれた野球帽子を被った男の子だろう。
ふと彼がどんな顔で、どんな声をしていたか思い出そうとしてみる。だけど、全然思い出せない。もうずっと前のことだ。子供の頃の記憶なんてどんどん薄れてしまうから仕方がないのかもしれない。それだけならいいんだれけど、どうしてか野球帽子の男の子を思い出そうとしているのに、悠月の顔ばかりが浮かんでしまった。
野球帽子にサングラス姿の悠月が、私のところへ来る。目の前まで迫ってから、サングラスを外すとにっこり笑った。
初恋かも知れない彼より、私の中にいるのは悠月みたいだ。
「悠月……あれどうしたの?」
部屋へ戻ると、悠月が床でうずくまっていた。
「継ちゃんに……わたしの継ちゃんグッズが見られたって思ったら……恥ずかしくて……」
「ああ」
そのままむき出しになっている私のグッズ達を、本人に見られたことを言っているようだ。ただその下の棚の中まで私は見てしまっているから、もうグッズどうこうに思うこともない。
棚の中にあったあれら。悠月は私をどう思っているんだろうか。私の気持ちは私の中にあるけれど、悠月の気持ちは私がいくら考えてもわからない。
悠月の気持ちは、悠月の中にしかないのだから。
「ね、悠月。……私のこと、どれくらい好き?」
「ひょえっ!? い、いきなりどうしたの継ちゃん!? 今そういう状況じゃないよね!?」
「え? ……どういう状況なの?」
「推しが家にいることと、推しに推しのグッズ見られて動転しているところ」
なるほど、そのままだ。
だけど本当にそれだけなんだろうか。
「私が家にいると、どうして動転するの? ……悠月が、私のファンだから?」
「そうだよっ! だって普通、推しているアイドルが自分の家へ来ることなんてないし」
「それだけ? もっとあるんじゃない?」
「も、もっとって……?」
私がじっと悠月を見つめると、いつもみたいにまた直ぐ目をそらされる。だからそのまま彼女に近づいて、顔を寄せてみた。自分の胸が、心音がいつもよりクリアに聞こえる。
このままもっと近くに行けば、私の知りたいことがわかる気がした。私の気持ちも、悠月の気持ちも見えてしまいそうなくらいの距離まで。
「キスしてもいい?」
「ふぇえええっ!? 継ちゃんっ!?」
そっと耳元でささやいたら、大きな奇声をあげて悠月が立ち上がった。そのままベッドの上へ逃げて、私から距離を取るようにして警戒態勢となる。
いっきに、彼女の気持ちがわからなくなった。
「……そんな逃げなくてもいいじゃん」
「だってだって!! 継ちゃんがいきなり変なこと言うからっ!!」
「私が悠月にキスするのって、そんな変なことなの?」
「変だよっ!! そんなことしちゃダメだよっ!!」
夜中だってのに、悠月は大声を上げる。ここの壁、薄くないかな? 隣室の迷惑が心配だ。
「……ダメなんだ。悠月は、私にキスされるの嫌ってこと?」
「嫌なんじゃなくてっ!! だって、アイドルがファンにキスなんてしちゃダメだもんっ!!」
「悠月が私のファンだからキスするわけじゃないって。……私、そんなファンサービスするアイドルじゃないし」
「はい! じゃあキスはしないね? この話おしまい!」
ファンサービスをしないという言葉を、私が悠月へのキスを考え直したと受け取ったのか、ぱんぱんと手を叩いた悠月はベッドからそっと降りた。
「悠月だから、キスしたいんだけど」
もう逃げられないように、降りてきた彼女の体をそっと抱きしめる。立ったままの彼女の腰を抱くようにして。
悠月は、私より背が高い。立ったままの悠月に抱きつくと、彼女の鎖骨あたりに私の顔が埋まる。
「継ちゃん!? ど、どうしたのさっきからっ!?」
「どうって……」
私は自分と悠月の気持ちが知りたいだけだ。けれど、このまま悠月に騒がれて、抵抗されたままだといつまでもわかりそうにない。
「私、悠月のこと好きなのかもって思って」
正直に、自分の気持ちを言葉にしてみる。彼女が逃げようとするなら、私が追い詰めるしかない。
それでもやっぱり、言ったら恥ずかしくて悠月の顔が見られない。しばらく鎖骨に顔を埋めて、悠月の胸大きくて邪魔だな、うらやましいなって思っていたけれど、いっこうに悠月からはなんの反応も返ってこなかった。
「……悠月?」
仕方なく、赤くなっているだろう自分の顔をあまり見られたくなかったけれど、悠月を見る。
彼女は私のちょっと上の場所で、リンゴみたいに赤くなっていた。果物は熟れると柔らかくなるけれど、悠月は石みたいに硬くなっていた。
「悠月、大丈夫? ……意識ある?」
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