第17話

 観覧車に乗るのは初めてだった。

 本当なら思い出の場所にある、横浜の観覧車に乗りたかったけれどあっちは移動だけでそこそこ時間がかかってしまう。


「へぇ。思ったより中狭いんだね。天井が低い」

「う、うん……」


 チケット買うと、直ぐに乗ることができた。案内されるまま、ゴンドラの一つに二人で入るとゆっくりと上へと回っていく。

 サングラスを外して伊達眼鏡姿になった月岡悠月つきおか ゆづきは、顔を真っ赤にしたまま端のほうへ座って小さくなっている。


「悠月さん?」

「……はい」

「あれ、もしかして高いとこ苦手とか? ごめん、楽しそうに観覧車の話してたから、そういうのないって思ったけど」

「た、高いところは平気です」


 私の質問に、足早な小さい声が返ってくる。


「私と二人なのがダメなの?」

「……」


 こくり、と頷かれる。これが嫌悪からではないとはわかっていても、私がダメという意思表示なので、少し傷つく。

 私と悠月は向かい合う形に座っているのだけれど、私が反対側の真ん中ら辺に腰を下ろしているのに対して、悠月はギリギリまで端にくっついている。見るからに避けられている。


「ごめん。……悠月さんが観覧車好きだって思って、喜んでくれるかなって連れてきちゃった。えっとね、今日のお昼のこと。ここ来る前も言いかけてたんだけど、養成所のこと必要ないって言ってごめんね」


 計画が上手くいかず、私は大人しく謝ることにした。本当だったら、もう少し悠月の機嫌を持ち直してからにしたかった。でも私が余計なことをしたせいで、さらに悠月がしょぼくれてしまっているのだから仕方ない。


「そ、そんな! 継ちゃんが謝ることじゃないよ……。わたしも強引だったし、もっと上手く説明できてたらよかったんだけど。でもね、継ちゃんがファンの気持ちわかったら、絶対人気出ると思うんだ。だから、養成所の人達と少しでもいたら……その」

「うん、悠月さん。ありがとうね。一日目だけど、少しだけわかった気がするんだ。だから尚更謝りたくて。約束通り、一週間頑張ってみるから」

「……よかった、継ちゃんにそう言ってもらえて安心した。わたしもね、継ちゃんを無理矢理にファン養成所通わせて、内心嫌われているんじゃないかって……でも、嫌われたとしても、継ちゃんには必要なことだって思ったから」

「悠月さん……」


 私に嫌われる覚悟で、あの怪しい養成所に私を通わせようとしていたのか。

 そこまで私にしてくれるのは、何故なんだろうか。私のファンだから?


「継ちゃんは、すごく可愛いし、真面目だし、歌もダンスも下手じゃないし、顔は可愛いのに無表情なとき多いし、アイドル顔なのにアイドルに対するモチベーション低すぎるし、全然媚びないし、メンバーとも積極的に絡もうとしないし、ファンの人にも冷たいってことはないけど役所の受付みたいな対応するときあるし……」

「え? ごめん、悠月さん。褒められるのかフォローされるのかと思ったら、ダメだしされる感じ? 正座とかして聞いてたほうがいいの?」


 最初の一つ二つで油断させておいて、完全に正論のダメ出しが始まってしまい私も戸惑う。千歳さんにも似たようなこと言われていたけれど、アイドルデビューしたての私は「顔が可愛いから大丈夫」みたいな自信にあふれかえっていたこともあって、中々聞き入れられなかった。いや、自分なりには内省して、改善に努めていたつもりなんだけど結果に出なかったんだよ。


「だ、ダメ出しじゃないって! えとその……アイドルとしてはちょっと人気でないかもって思うけど……でもわたしとしては、継ちゃんのそういうところが好きってところでもあって……」

「えええぇ。それってどういうこと? 不人気にな私が好きってこと?」

「そ、そうじゃないって! 継ちゃんは本当に唯一無二なんだよっ!! わたしの一番好きなアイドルで……わたしの一番好きな――」


 なにか言いかけているのかと思って、私は悠月の言葉を待った。だけど悠月は固まったまま動かなくなって、うつむいてしまう。


「ごめん。なんでもない」

「なんでもないって、そんな……。何言われても気にしないからさ、言ってよ」


 一番好きなアイドルで、一番好きな――。

 悠月が何を言おうとしていたのか気になってしまう。文脈を考えるに、アイドルに準ずるなにかが入るはずだ。私を表す単語だろうか。一番好きな……顔がいいだけの女?


「い、言えないよっ!! だからなんでもないって!!」

「えぇ……それ前後で矛盾してない? なんでもないなのか、言えない内容なのかどっちなの」

「つ、継ちゃんは……そのっあれだよね、映画好きだよね? あのさ、わたしも映画好きで」


 細かい指摘をしたせいか、悠月が露骨に話題を変えてきた。まあ無理に追求するつもりまではない。


「映画? 悠月さんも観るんだ?」

「うんっ! あ、でも、そんなに詳しいわけじゃなくて……その、有名なやつくらいしか知らなくて」

「……へぇ」


 私がシーンの再現をした往年の映画五作は観ていなかったみたいだけど、あれらを差し置いて有名なやつか。


「あ、えっと、最近のやつっていえばいいのかな。だからその、ちょっと昔のは全然知らなくて。でも継ちゃん、好きなのってどっちかと言えばそっちでしょ?」

「んーまあ、私はなるべくオールタイムオールジャンル観るようにしてるけど、好みで言えば古いの多いかな」

「おーる……? えとね、わたしもちょっとそういう古いのも観てみたいなって」

「もしかして悠月さんも白黒映画に興味とか……あるの?」


 思わず前のめりになりそうだったが、ぐっと堪えた。私は恐る恐る彼女の表情を観察する。話題を変えるためだけに、適当なことを言っているのかも知れない。

 今まで何度となく、友人たちに「えー映画好きなんだーオススメ教えてよー」って言われてそのまま好きな作品を数本教えたところ「ふーん。ありがとー。今度観るね」と言われたきり二度と映画の話題を返してくれなくなった。


「うん。観てみたいんだけど、調べたらいっぱいあって。……どれか観たら入りやすいとかあるのかなって」

「なるほどね。悠月さんは、普段どういう映画観るの? ジャンルとか」

「恋愛ものかなぁ。特に好きなやつは――」


 悠月が上げた映画作品は、何年か前に公開されたタイトルで私も見たことがあるものだった。

 割とネットレビューがよくて、話題にあがっているのをよく見かける洋画だ。多分月額制の動画配信サイトかなんかで観たのだろう。私もよく使っている。ああいうのを使っていると、ちょっと古くても評判のいいものが目のつく位置に出てくるから意外と観る人が増えるようだ。


「んーそれだと……」


 私がいくつかのタイトルをあげると、メモっていい? と悠月に聞かれる。もちろん、と答えるとスマホを引っ張り出して打ち込んでいく。そういえば、以前私からオススメ映画を聞いた友人たちはメモなんてしていなかったな。一つ二つくらい覚えてくれていると思っていたけど、きっとすぐ記憶から離れていったんだろう。


「ありがとー! 絶対観るよ」

「うん、楽しみに待ってる。あ、でも無理しなくていいからね。ちょっと観ても合わなかったり、忙しかったりしたら」

「ううん、今はほら……そんなに忙しくないし……それと、観たら感想言うねっ!! あっ、でも連絡はできないし……養成所の体験入学終わったら……えっと握手会かな?」

「握手会の短い間じゃ話しきれないから無理だし。感想聞いたら私もいろいろ言いたくなっちゃうし」


 もしあの名作の数々を本当に観て来るなら、感想がそんな短い時間にまとまると思えない。まあでも詰まるところ「面白かった!!」というのが感想のすべてになることはある。ただ私は役者の演技とかけっこうじっくり観ちゃうタイプだし? 語ると長くところあるからね。


 あと観てきた本数も多いから、監督の演出意図とか、ハリウッドの脚本テクニック的なところも理解できるし? 正直そこらへんの映画好きなんかより詳しいからな。映画の話とか始まったら数時間くらいぶっ続けで話せる。一回千歳ちとせさんに『三日三晩映画語りませんか?』っていう私のソロ企画を提案したことがあるくらいだ。「三日三晩一人で映画の話している茜原とか怖すぎるだろ。ホラー映像かそれ」って却下されたけど。いや三日三晩は比喩だよ。さすがに一人だと二十時間くらいで喉疲れてくると思う。


 そうこうしている内に、観覧車がちょうどてっぺんの位置に来ている。せっかく観覧車に乗っているのに、全然外の景色を見ていなかった。


「へぇ。やっぱり東京の夜って綺麗だね。……私、こっち来たのってアイドルになってからだし、なんかまだこのキラキラ見るだけでけっこうワクワクするなぁ」


 悠月は出身も神奈川で、多分私よりもずっと都会な環境で育っているから共感できないかもしれない。

 田舎トークとかしてもいいんだけど、観覧車の頂上でするようなおしゃれな話でもないしな。


「あっ、あのさ継ちゃん。……継ちゃんも恋愛……れ、恋愛映画って好きなの?」


 私が地元のこと思い返していると、悠月が観覧車に話すのに最適な話題を振ってくれる。恋愛映画がか。さっきは悠月が好きって言うから深く考えずおすすめを教えたけれど、自分が好きかどうか聞かれると難しい問題だった。


「うーん。どのジャンルも好きだけど。んーというか、恋愛ってどんなジャンルでも切り離せない要素だから、そもそも恋愛映画って切り分け自体私はあんまりしっくり来てないところあるっていうか。すべての映画で恋愛要素の有る無しが、飲み物のカフェイン入りかノンカフェインかみたいな区分にしたらいいと思うんだよね。そしたSFで恋愛ありとか、ヒューマンドラマで恋愛なしとか、そういう風にもっと広い視野で映画のジャンルを見られると思って言うか」


 難しい。考えれば考えるほど、恋愛映画とはなにかという定義からわからなくなってくる。


「だからさ、恋愛って物語の演出上の要素としての側面が強いと思うんだよね。ジャンルでくくっちゃうとさ、恋愛だけ主軸に構成した脚本になるわけでしょ? そうなるとさ、どうしても似たような作品も増えると思うんだよね」

「そ、そうかな? どれも面白いけど」

「んー似たような作品がたくさんあること自体は悪いって思わないよ。だって脚本の大筋が一緒ってことは、それだけ他の部分での差が際立つわけだからさ。現に恋愛映画でも、名作って言われるものと、語られることなく歴史から消えていった作品があるわけでしょ。もちろん、リアルタイムで公開される作品は出ている役者人気だけでヒットするかどうかが大きく左右されるこもあるけど、結局何十年後ってどの役者さんもそのとき観る人からしたら誰ってなるし。そうなると、当時の人気じゃなくて、本当に役者の実力勝負ってことになるんじゃないかなって私は思うんだよね」

「えっと、昔の役者さんは……演技上手い人が多いってこと?」

「今でも名前が知られている役者さんはそういう人が多いって思うんだよね。でもきっと演技が上手くても、ヒット作に恵まれなくて無名なままだった人もいるし、脚本の良さとか文化的価値とかそういうもので残っている作品もあるよ。ただ今の人が見ると、どうしてもそういう面って退屈なところあるんだよ。だって当時の歴史背景とか普通に観てるだけじゃわからないし、今のが派手な演出多いし、もちろん昔の映画には昔の映画ならではの演出もあるけど」


 などと話していると、観覧車が地上へ近づいてきていた。


「あっ、ごめん! つい夢中で熱く語っちゃった……しかも途中から恋愛映画の話じゃなかったし……」

「ううん、継ちゃんが楽しそうに話しているの見るの、わたし好きだよ。話も面白かった。わたし、あんまり映画のこと考えて見たことなかったから」

「そ、そう? だったらよかったんだけど」


 つい早口でまくしたててしまったので、悠月から内心ひかれていないか心配になる。

 だけど彼女は優しげに笑っていて、私の中の厄介な映画オタク部分が妙に刺激された。


「私、さもわかっている風にいろいろ言っちゃったけど……恋愛って自分がちゃんとしたことないから、恋愛映画もそこまでしっくり来たことないんだよね。だからどうしても演技とか演出とかのほうに寄って観ちゃって」

「れ、恋愛したことないんだっ! そ、そっか、じゃあ恋人とかもいないんだよね?」

「え? うん、一応アイドルだし……え、まさか悠月さんって……え、休止の理由って? 彼氏とか?」

「いないいないっ!! 彼氏は絶対いないし、恋人もいないって!」


 まさかと思ったが、全力で否定されて一安心する。もし隠れて恋人がいたら、メンバーとしては止めるべきなんだろうか。それとも応援するべきなの?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る