第15話
午前中も思ったことあったけれど、午後の握手会の練習でもまたファンの人達の熱量は私の想像を超えていた。
単なる握手も、十数秒から長くても数十秒の短い間にこれでもかとアイドルと会話しようとする。
お互いの利害はおそらく一致しているようで一致していない。けれどこの瞬間を、最高のものにしようとしているのは二人とも同じ気持ちのように思えた。
一種の攻防であり、邂逅のようでもある。
私がただただ過ごしていた握手会という光景は、まるで全く別のようなものに見えた。
呼んでほしいニックネームを自己紹介する人もいれば、アイドルにいろいろな質問をぶつける人もいる。自分を知ってもらいたいのか、もっとアイドルを知ろうとするのか。どちらにしても、握手会を練習するだけのことはある。たしかにこれは実際に何度か試して時間配分や会話のペースを確認しないと、本番でも上手くいかないんじゃないだろうか。
実際に握手できる機会は多くない。お金もかかるし、しかも推しの前では緊張もするだろう。上手くできるようになるまで推し相手に練習もできないのだから、そうなればこうやって養成所で練習するのも――。
「
「
「……もう他の生徒さんいないし、
「え? あ、本当だ。ぼーっとしている間にみんな帰ってたんだ」
教室の隅で考え事をしている間に、いろいろ終わっていたらしい。今日が午前と午後に一つずつ講義があるだけと聞いていたから、これで体験入学一日目は終了だ。
もう家へ帰っていいのか。
「あ、あのさ悠月さん。今日……というか、養成所のことだけど、その思ってたより勉強になったっていうか……えっとだからお昼のことだけど」
悠月と別れる前に、一言だけ言いすぎたと謝りたかった。
それで切り出したのだけれど。
「継ちゃんひどいよっ!!」
「ごめん、だから今お昼のことは謝ろうと……」
「そうじゃなくてっ!! なんで結局わたしと握手してくれなかったのっ!?」
「え? 握手……」
私はあのまま、結局最初の一度しか列には並ばなかった。初回に時間が過ぎて握手できないままだったので、悠月とはそのまま指も触れていない。
「あー、最初はなんか気づいたら時間過ぎてて。そのあとはずっと見学してて」
「それは知ってるけどっ!!」
人がいなくなったからか、いつの間にかサングラスを外している悠月は、両腕をぶんぶん振って怒っている。
「継ちゃんと握手できるって楽しみにしてたのにっ……!! しかもいつもとは逆っていうすごい特殊なシチュでっ!!」
「シチュって……」
「絶対絶対良い思い出になるって思ったのにっ! それなのに、継ちゃんわたしの前で他の人とベタベタしだすしっ!! わたしそういう性癖ないんですけどっ!?」
「ベタベタって? もしかしてあの剥がし役のこと?」
私の質問に、悠月は涙を浮かべながら頷いた。
「いやあれは、ベタベタしてたわけじゃなくて。あの人すごい体幹強くて全然離れないから」
「
「なるほど。それでか」
「そうじゃなくてっ!! 継ちゃんひどいよっ……だから、だからわたし……」
剣道女子の体幹の強さに感心していると、悠月の瞳がさらにうるうるしてくる。どういうことだ。そりゃ楽しみにしていたのなら、悪いことをしたとは思うけれど。
「そ、そんな泣かなくても」
「だって期待してたのにっ……ずっと楽しみにして、あと何人で継ちゃんかなって思ってたのに。こんなんなら継ちゃん、瀬野さんと握手してもらえばよかった……」
悠月はうつむいたまま、黙ってしまう。一応泣き止んだみたいだけど。
こんな落ち込むのか。一緒にお昼ご飯食べることすら抵抗していたくせに、握手一つできなかっただけで泣いて悠月が私に対して何を抱いているのかわからない。ファン心理っていうやつなのか。複雑すぎる。
「ほら、握手なら今からでできるし。ね? 手だして?」
「今は違うもん……今は握手するときじゃないもん……プライベートで推しに握手せがむなんて迷惑だからしないもん」
「えええぇ。じゃあどうしたら機嫌直してくれるの」
悠月だって子供じゃないんだから、放って置いても時間が機嫌は直してくれるだろう。
だけどまあ、悠月は私の数少ないファンだし、それに今日のことも私のためにサポートしてくれていたわけだ。実際、私は少しだけなにか自分の中で変わった感覚を覚えている。
「悠月さん、今日ってこの後時間ある?」
「……予定とかはなにもないけど」
「じゃあついてきて!」
強引だと思ったけれど、一緒にどこどこへ行かないかって誘うとまた面倒なやりとりになる。私は悠月がついてくくるのだけ確認して、目的地へ向かう。
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