第4話
養成所というのは、いわゆる芸能プロダクションの下部組織であり、新人発掘と育成を目的とした場所である。
アイドルの養成所であれば、見込みのある子に対して歌やダンスを指導してゆくゆくはアイドルデビューさせるのが目的だ。
他にも声優養成所や、毛色は違うというかこっちが本流かもしれないけれど歯科衛生士養成所とか鍼灸養成施設、自動車整備士養成施設みたいな資格を取得することが目的のものもある。
ともかく専門的な業務で働くために必要な技能を学ぶ場所という意味合いだと思うのだけれど。
「アイドルのファン養成所ってなに……? 何を学ぶの?」
「そりゃファンとして、いろいろなことを学ぶんだよー。継ちゃんってば、そんな当たり前じゃん」
私の質問に、悠月は笑顔で答えてくれる。
ただ当たり前と言われても、私は初めて聞いた。もしかしたら世間的にはよく知られているものなのだろうか。
そもそも――。
「……いや、なくない? なに、ファンとして学ぶことって?」
アイドルならわかる。だって学校で習う体育とか、音楽の授業なんかじゃ全然足りないくらいダンスも歌も練習が必要だ。私はスカウトされてアイドルになったので、養成所は通っていないけれど、スクールでみっちり指導された覚えがある。
でも、アイドルのファンになにか必要なことがあるのか。え、あの人達ってなにか専門的なことってしてたの?
「いっぱいあるよー! あとね、えっとこれは自慢っていうか、その継ちゃんのファンとして、わたしとしてはもちろんってつもりなんだけど」
「え、何? あの学ぶことの内容が知りたいんだけど?」
「わたしね、養成所の主席なんだ! 継ちゃんのファンとして恥ずかしくないようにねっ! ばっちり頑張ってるよっ」
「え、いや、だから何を頑張ってるの? テストとかあるわけ? ていうか養成所の主席ってなに? あるの、そんなの?」
胸を張って自慢げな悠月には申し訳ないけれど、なにがすごいのか全くわからない。いろいろと聞いてみたい気はするけれど、深い闇のようで軽はずみに手を突っ込んだら大変なことになりそうだ。本題に入るって言って、全然入っていないし。
こほん、と私はわざとらしく咳を付いてみた。演技は自主的にも練習しているし、プロデューサーやマネージャーに無理言って、仕事もないのにレッスンをたくさんいれてもらっていた。自然と話題を替えて、本題を切りだそう。
「ま、まあ養成所の話はいいか。えっとさ、悠月さん……そろそろ活動復帰しない? 悠月さんが私のファンをしてくれるのは嬉しいんだけど、やっぱり悠月さんがいないと、恒星ウェスタリスはやっていけないよ」
「継ちゃん……話って、そのことだったんだ」
「ね、お願いだよ悠月さん。アイドル復帰して?」
寂しげな表情を浮かべて、悠月にお願いしてみる。さっき私からお願いされたら逆らえないって言ってたし、キメ顔で頼んだら案外直ぐ復帰してくれるんじゃないだろうか。
そんな淡い期待を抱いていたのだけれど。
「ごめん、継ちゃん。……それだけは、それだけは継ちゃんのお願いでも。……ほ、他のことだったら!! ねっ、他のことだったら全然なんでも聞くからっ!! ま、マンションとか買ってあげるよっ!?」
ぐわっと効果音が見えそうなくらい豪快に、悠月がかぶりを振って私に言う。マンションってそんなの貢がれても困るよ。そりゃ一人暮らしだし、家賃も地味につらいけど。
「なんでそんな頑ななの。悠月さん、アイドル楽しそうに見えたんだけど」
私と違ってという言葉は飲み込む。私の悩みを聞いてもらうために来たわけじゃないし。
「……楽しかったけど、でもわたしは、今のほうが楽しいから。継ちゃんのファンとして、全力で応援するのが楽しい!! 養成所のみんなにも負けられないしっ!!」
「ええぇ……いや、楽しんで応援してくれるって言われると私も嬉しいけどさ。……養成所のみんなって、えっとみんなアイドルのファンなんだよね?」
「うん、恒星ウェスタリスのファンの人もいっぱいいるよ」
「負けられないって、ウェスタリスのファンと何して競うの?」
ファン同士でなにか競い合いがあると言うのは、私も少しだけ聞いたことがある。集めたグッズの数とか、観に行ったライブの数とか、そういうのでどっちがよりファン活動できているかってのを競うらしい。
残念ながら、私のファンは争うほど数はいない。多分間違いなく帽子の人、悠月が私の一番のファンだ。ただそれはそれとして、アイドルでありウェスタリスのセンター本人である悠月さん達が、ウェスタリスのファンの人となにをするのか。じゃんけん大会とかか? それ普通にイベントだよね?
「えっとね、いろいろあるんだけど、わたしが一番得意なのは振り付けのコピーとか? ファンのみんなもね、コールだけじゃなくて振り付けのほうも実は密かに練習してて」
「えっいや、悠月さん本人じゃんっ!? コピーじゃなくてオリジナルだよね!?」
ファンの人が私達のダンスを真似て動画なんか投稿しているのは観たことがある。あれ、みんな練習してたのか。というのはさておいて、アイドル本人の悠月が一番得意なのは当たり前だ。というかファンに負けてたら困るよ。
「一番苦手なのは、あれかな。いざってとき警備員の代わりとしてアイドルを守るやつ。列整理とかまでは得意なんだけど、どうしても力がいるやつはなかなか……」
「なにそれっ!? えっ、ファンの人ってそんな練習するの……!? いらないよね?」
いや、いるよ。いる、たまに列整理の手伝いとかしてくれる人。警備員と一緒になって、勢いある他のファンをなだめたり抑えたりする人達も見かけたことあるけど。
「あのさ、それ悠月さんが練習することじゃないって。警備員の代わりと列整理についてはファンの人、全員練習する必要ないし」
「そんなこといないよー! ファンだったら推しのためにできることはなんだってやりたいし、そのためなら練習は必要だって!」
「スタッフさんと警備員さんいるから。下手なことしたら危ないし……」
「うんうん、危なくないようにやっぱり練習だよね」
当然と悠月が頷く。いや、私は同意したわけじゃないよ?
なにか話が通じている感じしない。あんまりファンのいない私は、ファンの人とほとんどまともに会話したことはない。もしかして、ファンの人ってみんなこんななの?
私はわけのわからない話に頭を悩ませながら、上手いことを話を切り替えるきっかけを思いつく。
「えっと、うん。悠月さんが頑張っているのはよくわかったよ。充実したファン活動してくれているいたいで、私も嬉しいよ」
「ううん。継ちゃんのおかげだよ。継ちゃんがいるから、わたし毎日こんなに楽しく頑張れて……」
「それと同じでさ、悠月さんがアイドルして頑張っているおかげで楽しく過ごせている人達いっぱいいるんじゃないかな?」
同じ、なんておこがましい。悠月のファンは多分私の数百万倍くらいいる。だからわけわからないこと言ってないで、さっさとアイドル活動復帰してほしいんだけど。
「……そ、それはわかってるよ。だって今もファンの人からメッセージとか届くし。SNSのフォロワーでも手紙でも」
「へぇ」
私は『○万円で遊ばない!? エッチな写真も送るよ!(狐の絵文字)』みたいなDMくらいしかもらわないけどね。そんな好かれているなら尚更早く復帰して。
「継ちゃん、ごめんっ!! でもアイドル活動だけは復帰したくないのっ!!」
「ええぇ……」
千歳さんが音を上げたのがやっとわかる。
そりゃ推しだからって私が言って簡単に聞くくらいなら、多分千歳さんが大人のあれこれでどうにかしていたはずだ。
ため息をついて、私は最後の手段を使うことに決める。本当なら、この手は使いたくなかった。
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