第5話

 月岡悠月つきおか ゆづきがアイドル活動を復帰しないと、私のアイドル生命が終わってしまう。アイドルという仕事自体には未練はなかった。けれど、今目の前にある女優への細い道を失ってしまうのだけは避けなくてはならない。


 だから最後の手段を使わざる得ない。


 私のプライドが、こんなことするべきじゃないと言っている。自分を安売りするなと。だけど、今このまま悠月を説得できなければ安いプライドのままで終わってしまうのだ。


「悠月さん、私のファンなんだよね? ……本当なら、普段は私こんなこと絶対しないんだけど。特別にサービスしてあげるね」

「ふぇっ……つぐちゃん? さ、サービスって」

「私、悠月さんのために、本気出すね」

「ま、待ってよ継ちゃん! わたしが、同じアイドルだからってそんなことするのなら……ダメだよ……だって、そんなことされたら、わたしっ」


 悠月が私を止めようとしたが、もう私の覚悟は決まっていた。

 顔を赤らめて慌てる悠月だったが、私が立ち上がると息をのんだように固まる。


 喫茶店の空きスペースへ移動して、ちらりと目のあった寡黙そうなマスターに会釈する。


「さっきから騒がしくて、すみません。それから、ちょっとここ使っていいですか?」


 マスターは黙ったまま閑散とした店内を眺めたあと、どうぞ、と私に手を差し出してくれた。他にお客さんもいないから、多少のことは許してくれるということだろう。

 すぅっと深呼吸して、私は頭の中にいくつかの映像を浮かべる。大好きな映画作品達だ。


「継ちゃん? えっと、あれ? サービスって……? わたしは、どうしたら?」

「悠月さん、やるよ!! 黙って見てて!」

「は、はいっ!」


 おそらく、一般的に言えば私がやることはモノマネだ。

 往年の名作映画での名シーン、女優達の名演技を真似ていく。


 すり切れるくらいに何度も観た私の目と、女優を志して日々鍛錬している演技力によって、自画自賛であるけれどただのモノマネの域ではないはずだ。名シーンの瞬間的再現。ある種芸術的な領域に――。


 五作品から、五人の女優を演じきって見せた。


 本来なら、人に披露するものではない。真似ている最中はちょっとテンションも上がってこれは芸術だって気持ちになっていたけれど、やっぱり冷静になるとモノマネだ。

 誰かの演技をただ真似ただけで、私自身は何一つ生み出していない。けれど、昔から家で何度も何度も練習してきたからクオリティには自信あるんだよね。


 だから悠月もきっと、私の女優名シーン再現五連続に大喜びなはずだ。うん、私のファンなら間違いない。


「どうだった、悠月さんっ!?」

「みゃっ!? ど、どうってその……継ちゃんがこうなんか可愛かったよ?」

「いや、可愛いとかじゃなくて。感動した? もしかして、あんまり似てなかった?」

「あの、ごめん。継ちゃん……今のって、なんだったの?」


 はやる気持ちを頑張って抑えて悠月に感想を聞いたのだけれど、彼女はぽかーんって顔をしている。あれ? 感涙していてもおかしくないはずなんだけど?


「なにって、往年の映画名シーンの再現だけど。私が好きな女優さんの真似……」

「そ、そうだったんだ! 映画の……ごめん、わたし、知らないやつだったかも」

「嘘でしょ!? 真実の口に手が食べられて驚くシーンとかわかるよね!? 私の背景に見えてきたでしょ!? あの古き懐かしいローマがっ!!」

「ごめん……わかんないよ……その映画知らないから、喫茶店しか見えなかったって」


 ショックだった。

 私が今まで誰にも披露したことのなかった密かな芸を見せて全然喜んでもらえなかったこともそうだけど、悠月があの数々の名作を観ていなかったなんて。

 なんでだ。往年の名作なのに。――いや、往年の名作だからか。学校のクラスメイトとか誰一人として白黒映画なんて観てなかったもんな。


「そっか。ううん、私のほうこそなんかごめんね」

「継ちゃんが謝ることじゃないよっ! わたしのためにせっかくやってくれたのに……その、うん、継ちゃん演技上手なんだね? すごく台詞が綺麗で」

「いやでも、元の映画を知らないんでしょ?」

「うん……」


 気まずい。私は伝家の宝刀を抜いたくらいのつもりだったのに。飛んだピエロだよ。アイドルクビになったらピエロやろうかな。この世界一可愛い顔を白く縫ったくって、赤い鼻つけてボールに乗って転がってればいいんだ私なんて。

 私がすべてをあきらめかけたとき、視界にちらいと喫茶店のマスターの姿が映った。


「え。マスターさん?」


 泣いていていた。声も出さずほろりほろりと、眼鏡の奥から涙をこぼして、私に笑顔でサムズアップしてくれている。


「も、もしかして、私の演技ですか!? よかったですか!?」


 マスターは黙ったまま頷いて、ポケットから出したハンカチで目元を拭った。

 よかった。マスターには私の真似が通じたみたいだ。


「ほらっ!! ねっ、悠月さん!! 見てよ、私の演技がマスターには伝わったよっ」

「う、うんっ! よかったね、継ちゃん」

「へへ、特別サービスしちゃったけど、喜んでくれる人がいてくれてよかった」

「……あ、やっぱ今のがサービスだったんだ」


 ほくほくした気持ちで席へと座り直したが、なんだか悠月の顔はあんまり嬉しそうじゃない。どちらかというと、苦笑いを浮かべているようだ。


「悠月さん、今のじゃやっぱ気持ち変わんなかったよね? ……なんか感動して、やっぱりアイドル活動復帰みたいな感じになってない?」

「う、うん。泣きそうになってたのに、マスターの反応見てうきうきになって戻ってくる継ちゃんは、ほっんとう最高に可愛かったけど……あのサービスだとちょっと……」

「そんな……私の最終手段だったのに……」


 為す術なく、私は散った。でも最後にマスターが私の演技を見て泣いてくれた。これでよかったのかもしれない。私の人生、ちょっとは意味があったのかな。

 感慨にふけっていると、悠月が申し訳なさそうに言う。美人の困り顔は、なんだか罪悪感がすごくわく。


「あのさ、継ちゃん。わたしがちょっとサービスって聞いて違うこと想像しちゃったのが悪いんだけど、でもやっぱり……なんていうか、ちょっと継ちゃんは……ううん、ごめん。なんでもないの。わたしはそういう継ちゃんのこと、推してるから」

「……サービスって聞いて違うことって? 悠月さんはどんなサービスだと思ったの?」


 悠月の言いかけたことも気になったけれど、それよりもしかしたら彼女を説得できるサービスが他にあったのかもしれない。私にできることだったらなんでもするつもりだ。聞くだけ聞いてみよう。


「つ、継ちゃんっ!? 聞き返さないでよっ恥ずかしいって……」

「えええぇ!? 恥ずかしいサービスだと思ったってこと? 余計どんなサービスかわかんないんだけど」


 全く想像が付かずオウム返しみたいに、もう一度聞き返してしまった。悠月は顔を真っ赤にしながら、小さな声で。


「あ、あれだよっ!! そのほっぺに……」

「ほっぺに?」

「じゃ、じゃなくて!」

「え。じゃなくて……?」


 ほっぺは違ったらしい。ほっぺにするサービスなんてなにも思いつかないし、なにかの言い間違えだったんだろうか。ほっぺ……? ほっぺに平仮名を書いて当てるクイズするとか? そんなのサービスじゃないよな。あんまり楽しそうでもないし。

 変なことを考えていると、悠月が唇を尖らせながら、


「そ、そのアイスティーを一口くれるとか、かな……?」


 と尻すぼみな声で言う。


「え。紅茶? これ?」


 テーブルの上にのったグラスを指さすと、悠月はこくりと小さく頷いた。彼女に腕をひかれて喫茶店へ入った後、とりあえずと注文したものだ。出てきてから一口だけ飲んだけど、それから手つかずだ。


「これほしいって、悠月さん……喉かわいたの? まだコーヒー残ってそうだけど」


 彼女の前にも、まだかすかに湯気の昇るホットコーヒーが置かれている。中身はまだありそうだ。


「なっ! その、そういう意味じゃなくて……えっと……あれです、冷たいのがちょっとほしいかなって」

「全然いいけど。ほら、全部飲んでもいいよ。お冷やももらったし」

「ふええっ!? い、いいの!? 本当に!?」

「ええぇ……アイスティーくらいで大げさだな。私ってそんなケチなイメージあるの?」


 おかしいな。もしかして、みんなが長期オフのとき旅行してきたってお土産配ってるのに、私は一回もそういうのないからかな。

 違うんだよ、あれお土産買ってないんじゃなくて、私どこにも出かけてないだけで。家で大人しく映画とか観てるんだって。全然近所に売ってる団子とかだったら買ってくるけど、ほしいの!?


「そ、そうじゃなくてね! ……だって、ほら、これがその、普通のファンの人だったら、継ちゃんもあげないでしょ?」

「え? ……うーん、確かに一応飲みかけだし、あんまり知らない人にはあげないかも? でも喉渇いているって言われたら、まああげるかなぁ」

「ぬぅええっ!? 継ちゃん……そんな、誰にでもそんなことしちゃうの……」


 なぜか悠月にすごく驚かれた。もしかして私、人見知りだと思われているのかな。


「だ、誰にでもあげるなら、わたし、やっぱりもらってもいい?」

「うん。だからいいって」


 私がすっとグラスを差し出すと、悠月は賞状でももらうみたいに頭をさげて、両手で受け取った。

 それから彼女の薄い唇が、ストローの端に触れようとするのだが、手がすごく震えている。ストローが唇から逃れるように動いて、あっうっ、と悠月がなまめかしい声を出す。なんでこの人、こんなに飲むの下手なの?


「……その……やっぱりストーロー、今は使わないで持ち帰ってもいいかな?」

「え? なんで?」

「継ちゃんに見られている前だと恥ずかしい。あともったいなくて」


 またよくわからないことを言う。


「あげたものだからどうしてもいいけど」

「本当に!?」

「あっ、グラスは持って帰っちゃダメだと思うけどね。ストローなら別にいいんじゃない」

「グラスは大丈夫。継ちゃんが使ったやつだけど、こっちは手だけだしね」


 そういうと、リュックからジップロックを出して、にこにこしながらストローをしまった。なんでそんな嬉しそうなんだろう。


「もしかして洗ってまた使うの?」

「洗うなんてっ、そんなもったいないこと絶対しませんっ!!」


 悠月がすごい剣幕で大声を出して立ち上がった。ちょっと怖かった。


「ご、ごめん……?」


 なんで私怒られたの。

 それで、悠月が期待していたらしいサービスは叶えたわけだけれど、アイスティーをあげたくらいでアイドル活動復帰なんてしてくれるのだろうか。うーん、一応もう一回頼んでみるか。

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