第一章⑧
やがて仁悟らが到着したのは改装途中で放置された商業ビルだった。20階建ての建物を見上げれば背後には月が満ちている。
建物の窓に貼られた養生シートは半分近くが
「ここは――数年前に
「ええ。営業中のクラブ内で半グレ同士が集団でかち合ったとか。一般客も巻き込まれて、たしか三人死んでます」
その事件が原因でテナントは次々と退去していき、イメージを
(
「神島。ただのゴブリンじゃあねえんだ、気を抜くなよ」
そう言って車内から小さなアタッシェケースを取り出し、ボンネットに置く。中には白い
「
「こういうのが必要になるかもしれねえってことだぜ」
二人は各々その銃を持ち、小箱から取り出したルーン文字の書かれた弾丸を慣れた手付きで込めてゆく。
「大丈夫なんですか、ナラさん」
「安心しろ、銃の腕ならお前よりはるかに上だ。元軍人を
「いやそうじゃなくて。建物に電気が来てないから、エレベーターは使えないですよ」
「…………」
ヲーレンは建物を改めて見上げてから、「慎重に行くぞ」と念を押した。
「はいはい、慎重にね。階段は両サイドにあるみたいだから、二手に分かれましょう。俺は右から上るんでナラさんは左をお願いします」
「おう。見つけても先走るんじゃねえぞ」
「分かってますよ」
正面のガラス扉は
(
コンクリートが
仁悟は角や物陰にいちいち銃を向け、着実に探索範囲を横から上へと拡げてゆく。やがて収穫のないままいくつかの階層を経てから、片耳に付けた小さなヘッドセットに
「……こちら神島。現在9階」
『随分速いな。ちゃんと調べてるか?』
「大丈夫です。臭いは上から来てますが、まだ遠い」
『了解した、俺は今5階だ。そんなに焦らなくていいぞ』
「おっそ――」
思わず言いかけた仁悟は口をつぐみ、再び探索に集中する。しかしこれといった発見もないまま上層階にまで辿たどり着いたところで、彼の表情が険しくなった。
(いる……)
部屋に入るなり彼の鼻にまとわりつく血の臭い。仁悟は
すると闇の深いところから、ピチャリピチャリと微かに響く湿った音が聞こえてきた。それが配管や雨漏りの
仁悟は互いに相手の存在を認めたと判断してから、奥歯を鳴らして声を発した。
「……クソッたれが」
銃口を向けた先には、闇の中で人間の腕と
「……こちら神島」
『おう。なんか見つけたか?』
「いました。ホラです」
体長は170センチ前後。仁悟より低いとはいえ普通のゴブリンに比べれば
『まだ仕掛けるなよ、神島』
「さあ、そりゃどうですかね……」
『なんだと? 無茶するな、俺が行くまで――』
ヲーレンが言いかけている途中で仁悟はイヤホンをオフにした。仁悟の
「……メスの方がデカいなんてのは魔獣にはよくある話だ。だがさすがに身長が倍以上もあるバケモンじゃあよ、オスのゴブリンに同情したくなっちまうぜ」
ゴブリンが
「おまけに醜悪なツラだ。まあテメェだけ特別ブスだっていうなら話は別だが」
魔獣には言葉など通じない。それは百も承知だった。それでも仁悟は悪態を吐くことで、自分の
ゴブリンはそんな彼から向けられる激しい敵意を感じ取り、くわえていた腕を床に投げ捨ててから、グギッグギッと気味の悪い声を発して威嚇してきた。
「
言いながら仁悟は、ゴブリンの腰に狙いをつけた。どれほど速い生物であっても、身体の中心と重心が重なる
しかし彼が引き金を握り込んだ瞬間、それよりほんの一瞬早く動いたのはゴブリン。
「なにッ!?」
ゴブリンのスピードは、その
(こいつ、射線を読みやがった!)
魔獣は普通の生物よりも遥かに敵意に敏感である。目の前で
舌打ちしてすぐに狙いを定め直す仁悟を
鋭い爪が斜めに振り下ろされ、
「くっ……!
流血と痛みは、しかし彼の戦意を
予想外の突進に面食らっているゴブリンの腹に
「ギャウゥッッ!」
弾丸が肩に命中し悲鳴を上げるゴブリン。しかしそれでは終わらない。
傷の周りの血管が膨れて浮き上がったかと思うと、直後に破裂。鮮血が散る。
仁悟は再び風の速さで間合いを詰めると、柱にもたれて苦しんでいるゴブリンの胸を足で押さえつけて、至近距離で眉間に照準を合わせた。
「ちょこまか逃げやがって。この弾1発いくらすると思っていやがる」
しかし
「!?……っく!」
その液体が銃を構えた手にかかった途端、皮膚を抉るような熱が仁悟を襲った。すえた臭いと煙。見る間に手が焼け
「ぐぅ……テメェ、こんな隠し技を――」
そうして仁悟の足が緩んだ隙に、ゴブリンは一目散に部屋の外へ。
「逃がすか……っ!」
仁悟は痛みに顔を
「ナラさん!?」
仁悟が慌てて廊下に出ると、そこには銃を構えたままのヲーレンがいた。
「馬鹿野郎、神島。先走るなっつっただろうが」
「すみません……、ホラは?」
「上に逃げた。だが弾は当たったはずだ」
ヲーレンが
「追いましょう、ナラさん」
すぐさま走り出そうとする仁悟に、
「待て神島、お前その手――」
「油断しました」
「大丈夫なのか? 顔が
ヲーレンは少し心配そうな表情をみせる。しかし仁悟は痛みを誤魔化すように、ぎこちない笑みを浮かべて
「大丈夫ですよ。月が出てる。でもナラさんは気をつけてください。あの猿野郎、口から酸みたいなものを吐きます」
ヲーレンが「ああ」と
ライカンスロープとは別名で狼男やウェアウルフ、あるいはリュカオーンとも呼ばれる。彼らはある特定の条件下においては、他の亜人を遥かに
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