第一章⑤

 小会議室でデスクを囲んでいるのは、署に戻ってきた仁悟と依吹、そして獣対の室長であるヲーレンである。そしてこのたった三人が、六課魔獣対策室のメンバーの全員だった。とはいえ無論、殺人が含まれる今回のような事件においては、彼ら獣対のみで捜査にあたるということはない。あくまでも彼らは魔獣の対策に重点を置いて動き、被害者の身元調査などは六課の他の刑事や捜査員が行っている。

「――それで、鑑識からは?」

 ヲーレンの質問に答えたのは仁悟。

「駐車場で見つかった体毛と同じものが、昼過ぎの公園のトイレでも見つかりました。DNAは一致。死亡推定時刻から、先に殺されたのは公園で発見された男の方です」

「つまり如月の嬢ちゃんの見立て通り、召喚魔法で呼び出された『なにか』が術者を殺し、その後に駐車場で二人目を襲ったってことだな?」

「つーことです。鑑識の報告だと個体識別は難しいものの、毛の種類はやはりゴブリンのものと酷似しているそうです。それと犯行が行われた時間と両現場の距離から考えて、活動範囲はそれほど広くない。これもゴブリンの習性と同じだ」

「そうか。ならまだ近くに潜んでる可能性が高いな」

「非常線の要請、出しますか?」

「いや。被害が出てるとはいえ、さすがにゴブリン1匹じゃ許可が下りんだろう」

「それじゃあ地道に捜していくしかないってことですか……」

「とは言っても目星は付けたいところだ。嬢ちゃんのほうで分かったことはあるか?」

 そうヲーレンに尋ねられ、視線を向けられた依吹は襟を正してせきばらい。

「はい。まず公園のほうの犯人――とは言っても被害者でもあるわけですが、彼の自宅のパソコンから例の記述式を含む200個以上の記述式のデータが見つかりました。クラウドやネットに流した形跡はありません。恐らく犯人はコレクターだったのではないかと」

「魔法陣コレクターか。ニッチだが、まあそれほど珍しい趣味ってわけでもないな」

 仁悟が納得したようにうなずく。

「何年か前にもブームがありましたしね。それで、これも推測ではあるんですが、犯人はあの記述式の効果を調べたかっただけなのではないでしょうか」

 記述式魔法あるいは魔法陣には、じゆもんの構成やその文字自体の美しさに芸術的な価値をいだして集める、いわゆる収集家コレクターがいる。そしてそれには式を考案した人物のストーリーや歴史的背景などもあり、大抵の場合は古いものほど価値が高いとされる。しかしあまりにも古くて「そもそも何の魔法なのか」ということすら不明な場合には、魔法陣であるという事実が認められず、ほとんど価値がなくなってしまう。

「ああ、それはあり得るな。お前が言ってた魔法円問題もそれなら解決する」

「ですよね。あとそれと、記述されていたじゆもんの内容に関してですが、魔法庁の資料の中にあれと同じものが見つかりました。やはりあれは召喚用の特殊記述式――8世紀以上前に存在していた古代魔法です。ただ実際に使われたという記録はなく、あれがどんな魔獣を召喚するものなのか、ということまでは分かりません。ですがロッシュさんなら何かをご存じなのかもしれません」

「そのロッシュってのは、所轄が引っ張ってきたとかいうエルフだな? 今どこにいる?」

「分かりません。ただかなり目立つ方なので、警らの協力があれば見つけられるかと」

「よし。じゃあ嬢ちゃんはそのエルフを捜して、他に情報が無いか訊き出してこい」

 ヲーレンは立ち上がり、安物のレザーコートを無造作に肩に掛ける。

「神島、お前は俺と一緒に魔獣を見つけるぞ」

「了解です。とっとと見つけてブッ倒してやりますよ」


     *


 これといったあてもないまま、建物や車や行き交う人々を観察しながらサジュエルが街をさまよっていると、高いビルに挟まれた一軒の洋服屋を見つけた。

 都心の一等地にひっそりと建つその店はクラシックな店構えで、窓枠にるされた木製の看板にはハサミを持ったようせいの絵が彫ってある。ショーウインドウに飾られたスーツには値札が見当たらず、およそ庶民には縁遠いと思わせる高級な雰囲気を醸し出していた。

 サジュエルはそこのスーツと自分のローブを見比べると、ひとり頷いてから迷わず扉を開けた。

「……いらっしゃいませ」

 店内は外の造りとたがわぬ落ち着いた内装で、心地よいジャズの音色が耳をでるような音量で流れている。店主とおぼしき壮年の男性はサジュエルの不審なかつこうに一瞬だけ戸惑う様子をみせたものの、一流モデルにも勝る彼の容姿と、昔であれば宮廷ですら通用しそうな見事な立ち居振る舞いを見て、すぐにそれが上客であると判断したようだった。

「お客様、どのようなお召し物をお探しでしょうか」

「決まっている。僕に相応ふさわしいものだ」

 悩む素振りも考える隙も見せず、サジュエルはいきなり言ってのける。そして壁際のスーツの中からスリーピースのテーラードジャケットを選び、店の真ん中に並んだたんものからダークグリーンの生地を選んで指差した。

「この生地であの服を作ってくれたまえ」

「かしこまりました。それではご採寸を。――失礼致します」

 店主はポケットからメジャーを取り出し、熟練の手付きで手際よくサジュエルの身体を測っていく。その間サジュエルは黙って店内を見回してから、淡々とメモを取っている店主に尋ねた。

つえはないのか」

「杖、とおつしやいますと、礼装用のステッキでございますか?」

「いや魔法用だ」

「それは……恐れ入りますが、当店ではスポーツ用品の取り扱いはございませんので」

「スポーツ用品? まあ無いなら礼装用でも何でも構わない。サンザシかヒノキを使っているやつがいい」

「それでしたら支柱がこくたん、柄にはパウサンドウッドを用いた物がございますが」

「ではそれだ。あと靴も欲しい」

 採寸が終わり、店主が店の奥から洒落じやれた黒いステッキと、サジュエルの要望に添った真っ白なホールカットの革靴を持ってくる。

「杖と靴はこちらに。背広は3週間ほどで出来上がりますが、ご一緒にお渡しするほうがよろしいでしょうか?」

「一緒で構わないが、随分と遅いな。2日で仕上げてくれたまえ」

「は……? 失礼ですがお客様、さすがに背広の仕立てを2日でというのは――」

「できるはずだ。ブラウニーがいるのであればな。看板に彼らの絵があった」

 サジュエルが言うと、店主は不思議そうな顔で小首を傾げる。

「ブラウニーと申しますと、あの家事妖精のブラウニーでございますか?」

「当たり前だ。それとも他に同じ名の種族がいるのか?」

「いえそれは存じませんが……。ただお恥ずかしながら当店には――」

「では何故ブラウニーの絵を飾っているのだ?」

「何故と申されましても、仕立て屋の看板にブラウニーを描くのは慣習のようなもので

して……。もっとも私のそうの代までは実際にいたとも聞いておりますが、時代とともにどこかへ消え去ってしまったようでございます」

「そうなのか。それは難儀な話だ。ならば僕が呼んであげよう」

「へ……?」

 とんきような声を上げた店主の目の前で、サジュエルは床をつまさきでノックするように軽くたたいた。すると間もなくレジカウンターの物陰でガサゴソと音がして、身長1メートルほどの小人が3匹、腰を丸めておずおずと顔を出した。

 どの小人も茶色の毛むくじゃらで長いわしばな。目は見開いたように丸い。身体にまとったボロ布も毛と同じ色をしていて、その名が示す通り、まさに『茶色い人ブラウニー』だった。それを見た店主は驚きを隠せない。

「これは――」

「初めて見たかね? 彼らが家事妖精のブラウニーだ。掃除や洗濯や皿洗いもしてくれるが、服の仕立てを最も得意とする。彼らを君に付けよう」

「ブラウニーを3匹も……?」

「ただし気をつけたまえ。彼らに対して面と向かって礼をしてはならない。食事なりの報酬は家の隅に生肉でも置いておくといい。勝手に持っていく」

「な、なるほど。それは聞いたことがあります」

「それと彼らは裸足はだしだが、決して靴を与えるな。ブラウニーに靴を与えるという行為は『この家から出ていけ』という意味になる」

「……承知しました。充分に気をつけます」

 店主は緊張した面持ちでブラウニーたちを見つめている。

「それと仕立ての代金だが――」

 サジュエルが言いかけたところで、店主は慌てて彼に向き直って首を振った。

「め、滅相もございません! こんな希少なものをお呼びいただいた上にお金など――」

「ふむ、そうか。まあ君がそう言うのならば僕としては助かる。ともかくこれで仕立ては間に合うだろう?」

「はい、ありがとうございます。必ず期限までにお作りするとお約束致します」

「ああ頼んだ」

「それとあの……、恐れ入りますがお名前は?」

「サジュエルだ。サジュエル・L・ロッシュ。明後日あさつての朝にまた来るから、それまでに最高の品を用意しておきたまえ」

 サジュエルはそう告げるとさつそうと身をひるがえして店を出た。



     *


 コンビニのドアが開き、パンを口にくわえた仁悟が出てくる。両手には紙コップのコーヒーが二つ。停車中のセダンに彼が近寄ると車窓が下がり、運転席のヲーレンが顔をのぞかせた。

「悪いな、神島」

 仁悟はコーヒーを片方渡してから、回り込んで助手席に乗る。運転席のヲーレンはそのコーヒーに口をつけながら紙の地図を広げた。

「あと何軒残ってんだ?」

「あほいっふぇんふぁへぇふ」

「食いながらしやべるんじゃねえよ」

 ヲーレンにたしなめられて、仁悟は丸のみするようにパンを平らげてから言い直す。

「……あと一軒だけです。ヴァイキングだの海賊だのって名前が付く店は」

「ならそこで情報が得られなけりゃあ、振り出しってことだな」

「やっぱりあんなエルフの情報、当てにならないんですよ。そもそも本人がだと言ってるんですから」

 二人は何の手掛かりもなく無闇やたらに捜し回るよりは、とりあえずサジュエルの残した『ヴァイキングにけ』という台詞せりふに従ってみることにしたのだった。しかしそれらしい店や肩書きを持つ者に聴き込みをして回ったものの有用な情報は無いまま、残った候補はあと1箇所だけとなっていた。

「そうは言ってもお前、早く見つけねえとまた被害者ガイシヤが出るだろ」

「ですよね……エムってるなあ」

「なんだ、その『エムってる』ってのは?」

「あれ、知らないんですかナラさん。エムプーサっているじゃあないですか」

「あの悪夢を見せる魔獣のことか」

「そうそう、それです。そいつからきてるんですよ。だからエムってるってのは『悪夢みたいだ』とか『最悪だ』って意味です」

「なら最初からそう言えばいいじゃねえか」

「いやいやナラさん。若者ってのは、自分たちの文化を作りたがる生き物なんですよ」

「若者っつってもなあ。神島、お前もう30だろ」

「……まだ28ですよ」

 話しながら仁悟が車のナビに住所を打ち込むと、間もなく妙なイントネーションの音声が案内を開始した。それに従い車を走らせていくと、やがて着いた場所はさして珍しくもない、どこにでもある洋風の居酒屋だった。店の扉にはまだ準備中の札が掛かっている。

「『カフェ&バル ヴァイキング』か。何か見つかるといいんですけどね」

 仁悟が店の窓から中を覗いてみると、店内では従業員が慌ただしくテーブルをセットしており、奥の厨ちゆ房うぼうは仕込みの作業に追われている様子だった。

「人はいるみたいだ。入りましょうナラさん」

 そう言って中に入ると、せかせかと奥から店長らしき男が出てきた。仁悟とヲーレンは「お忙しいところすみません」などと月並みの台詞を並べてから、その男に話をくことにした。

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