第一章④
*
連絡を受けて依吹が駆けつけたのは、青山の
依吹がその一枚を丁寧に
「お疲れ様です、神島さん」
「おう、お疲れ。こいつを見てくれないか」
下に向けている仁悟の視線を依吹も目で
「………………」
嫌な予感を抱きつつも依吹がその個室を
「うっ……」
思わずえずいて顔を背ける彼女に、仁悟が平然とした口調で伝える。
「
「うう、殺人ですか……。たしか今朝もあったんですよね」
「青山の駐車場でな。向こうも
仁悟はそう言って、足元に描かれている魔法陣を
「便所の落書きかと思ったが、鑑識の報告じゃ
「なるほど、ちょっと見てみますね。……わ、今どき手書きなんて珍しい」
しゃがみ込んだ依吹は気を張り直した様子で、まじまじとその魔法陣を眺める。
「かなり古い文言ですね。数世紀は前のものかも」
「そりゃ
「恐らくですが、召喚魔法です。だけどおかしいな」
周囲を見回す依吹に対して「何がだ?」と問う仁悟。
「魔法円がどこにも見当たらないんです」
「? それがそうなんじゃないのか?」
「いえ、これは魔法陣なので。私が言ってるのは魔法円のほうです」
「魔法円? 魔法陣と何が違うんだ?」
首を傾げる仁悟に対し、依吹は「ざっくり説明するとですね」と得意げに指を立てる。
「そもそも魔法というのはその効果を
「それぐらいは知ってる。義務教育で習うだろ」
馬鹿にするなと言いたげに口を
「――それで、その宣言を口頭で行うものが詠唱式、文字として書き起こすタイプが記述式です。魔法陣というのは、この記述式と図形を組み合わせてより効率的に表したもののことです。一般的には外枠に円環を用いることが多いので、魔法陣と言えば丸いものを想像しがちですが、実際には
「ああ。そういやたまに見かけるな」
「そして魔法円というのは、特定の範囲に他者を進入させないための結界。実際には円でなくとも構いませんが、原則としては交差しない1本の線に沿って書かれた記述式です。我々に身近なもので言うなら、現場の規制線がまさにそれですね」
「なるほど、魔法陣と魔法円か。ややこしい」
「召喚魔法ではその結界によって、召喚対象から術者自身を守るのが常識なんです」
「だがそれが見当たらない――本来両方あるはずのものが、ここには片方しかないってことか?」
「そういうことです。聖域である魔法円を描かなかったせいで、恐らくこの被害者は自分で呼び出した魔獣に襲われたんじゃないでしょうか」
「召喚したはいいが襲われて、慌ててトイレの個室に逃げ込んだがダメだった、ってワケだ。それで? 呼び出した魔獣の種類は判るのか?」
「そこまではちょっと……。この術式を完全に読み解くのは難しいかもしれません。かなり複雑に組まれてますし、ルーン文字以外の表記も見られます」
「しっかりしてくれよ。国立魔法大卒のエリートなんだろ?」
「古式魔法の解読は難しいんですって。今のような定型文じゃないんですから。言語学とか考古学とか、場合によっては民俗学の知識まで必要になってくるんですよ? まともに全文解析しようとしたら、専門の機関でも何カ月もかかるんです」
「
鼻息を荒くする仁悟に対して依吹は困り顔で溜め息を吐く。だが彼女はぶつぶつと何かを
「……今読める範囲では『
「それはつまり、どういう意味だ?」
「詳細は分かりませんが、かなり危険な文言です。対価を求めるものだと」
「対価?」
「はい。察するにこの魔法は
「それじゃあこの男は、自分が生贄になると知らずに魔獣を召喚したってのか」
「そうなりますね。魔法円を書いていないということは、これが召喚魔法であることすら知らなかった可能性も。つまり魔法に関しては完全な素人で、被疑者であると同時に被害者でもあるということです。そして直近の問題は――」
「何を呼び出したか、だな」
「ええ」
二人は血塗られた床と魔法陣を見つめて黙り込む。刑事としての経験から様々な
しかしそうして二人が考えあぐねていたところで、突如後ろから若い男の声がした。
「随分と懐かしいものがあるじゃないか」
「っ!?」
前触れもなく現れた気配に、仁悟が
「ロッシュさん!?」
「――知り合いか? 如月」
「ええまあ……。というかさっき聴取をしていた人なんですけど」
「聴取?」
仁悟はサジュエルから目を離さず、
「部外者は立ち入り禁止だ。つーかアンタ、どこから入ってきた?」
するとサジュエルはやれやれと首を振り、
「馬鹿なのか君は。入口からに決まっているだろう」
「なに? 誰が――」
「そんなことより。君たちはその魔法陣について調べていたんじゃあないのかね?」
その言葉に依吹がすかさず反応を示した。
「ロッシュさん、これを知ってるんですか?」
「知っているも何も、召喚魔法というのはもともと僕が考案したんだ。その式も何が召喚されたかも知っている。あとついでに教えておくが、そこの文言は『彼の者に』ではなく『彼女に』だ。しっかり読みたまえ」
「え? あ、本当だ……」
依吹がもう一度魔法陣を確認しているうちに、仁悟は彼女とサジュエルの間に割って入った。サングラスの隙間からじろりとサジュエルを
「おいアンタ、どこのエルフ様だか知らないが、部外者がしゃしゃり出てきて捜査に口を挟むんじゃない」
しかし一方サジュエルは、そんな仁悟の姿を見て不思議そうに首を傾げた。
「君は――? その
「ああそうだよ、それがどうした」
「……いや別に。ただライカンスロープの衛兵なんて珍しいものだと思ったのでね」
「衛兵ってなんだよ。俺は刑事だ」
「振る舞いを見た限りでは似たようなものだろう。だが時代が変わったところで
「なんだと……」
白い
「
「っっっ―― ??」
面食らった仁悟は戸惑った。勢いに任せて怒鳴ろうとしたものの、口を動かすことはできても声が出てこないのだ。
「愚者が為すべきは沈黙。賢者は語るべきを語る」
「…… !?…………!!」
「君はそうやって少し黙ることを覚えるといい」
必死に口や
「どど、どうしたんですか? 神島さん!?」と焦る依吹。
「心配する必要はない。しばらく
「! そうです、ロッシュさんは本当にこれをご存じなんですか?」
依吹が真面目な顔で問うと、サジュエルは不敵に笑ってそれに答えた。
「そんなものホラに決まっているだろう」
堂々と言い切る彼に、依吹はきょとんとした表情のまま固まった。
「は?
「しかしまあ、当面の目標がなくなってしまったので
つまらなそうに手をヒラつかせてから
「まだ分からないならヴァイキングにでも
「ヴァイキング?」と依吹。
「それと少し急いだほうがいい。あれは君らの手には負えない可能性がある」
謎めいた言葉を残し、堂々と立ち去るサジュエル。入口のテープは道を譲るように自然と
「――っ! ぷハァ……」
「大丈夫ですか? 神島さん」
「ああ、別になんともない。しかしあのエルフ野郎、偉そうに出てきたかと思えば法螺を吹いて帰るとは。何がしたかったんだ?」
「そういえば署では魔王がどうとか言ってましたけど」
「魔王? 魔王なんかとっくの昔に死んだだろ。頭がどうかしてやがるのか?」
「でも記述式をひと目で読み解くだなんて、普通はできませんよ」
「にしてもだ。エルフにはロクな奴がいないってことは確かだ」
「そういう
「――なら前言撤回、あのエルフはクソ野郎だ」
「余計
これは
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