第一章③

 若い警官が廊下に出るとすぐに、濃紺のスーツを着た女性が通りかかった。茶色いショートヘアの前髪をピンでしっかりと留めている。彼女は短時間でどっと疲れた顔の彼を見て声をかけた。

「お疲れ様です、巡査」

「ああ、これはきさらぎ刑事。お疲れ様です」

「何かあったんですか?」

 彼女は大きくつぶらなひとみで男性警官の顔をのぞき込んだ。かすかな幼さは感じられるものの美人とっても差しつかえはない。

「いやあ、さっき『マル魔』の疑いで引いてきたエルフなんですが、どうにも話がみ合わないというか」

「マル魔って言うと魔法行使法違反ですよね。何をしたんですか?」

「無認可魔法陣の使用です。なんでも走行中のトラックを魔法陣で止めたとか」

「トラックを――?」

 それを聞いた女性は苦笑いをしてみせた。

「あはは、それはないですって巡査。定型記述式――つまり一般的な魔法陣にそこまで強力な効果はありませんから。トラックほどの運動質量を魔法で止めるとなると、一級魔法士が何十人も必要になっちゃいますよ」

「まあそうなんでしょうが、しかし結構な数の目撃者がいるようでして」

「え? じゃあ幻惑魔法のたぐいだったのかしら? でもそれなら車には直接作用しないはずだし……、まさか特殊変型記述式――?」

 彼女は少し首を傾げて考え込むと、

「そのエルフの方はまだ署内に?」

「いますよ。そこの端の取調室です。まだ聴取中ですが、あの様子じゃあ当分は終わりそうにありませんね、ははは……」

 苦笑して頭をいてみせる警官に、女性刑事は何かを思い立ったようにいきなり顔を近付ける。

「じゃあ私が引き継いでもいいですか?」

 キラキラ光る瞳に迫られて、男性警官は思わず頰を赤く染めつつあごを引いた。

「あ、いや、そのっ……、自分は構いませんが、如月刑事は別件があるんじゃ――」

「大丈夫です! それに魔法なら私の得意分野ですので!」

「そ、そうですか。じゃあ……お願いします」

「ありがとうございます!」

 女性刑事は彼の横を抜けて威勢よくドアを開けると、一旦足を止めて振り返り、

「巡査。あとで引継書、お願いしますね」

 笑顔で付け足してからドアを閉めた。


「なんだ、この時代にも魔法使いがいるんじゃないか」

 取調室に入るなり先に声をかけたのはサジュエルのほうだった。彼に突如そう言われて女性刑事は目を丸くした。

「君なら少しは話が通じそうだ。名前は?」

「あ、私は……警視庁捜査六課、魔獣対策室の如月ぶきであります」

「それは本名かね?」

「え? もちろんそうですけど……」

 サジュエルのごく自然に横柄な態度にされて、依吹は思わずかしこまって敬礼をしてしまった。直後に立場が逆であることに気が付いて、軽くせきばらいをしてから椅子に座り、

「え、えーっと、それじゃあ聴取を始めますね――」

 先程の警官から受け取った書きかけの調書にざっと目を通す。

「お名前はサジュエル・L・ロッシュさん、でしたよね? 日本語お上手ですね」

「日本語? それが君らの言語か。だがあいにく、僕が話しているのはアールヴ語だ。発声時に魔法で翻訳しているから、君には僕が普通に話しているように感じるだろうが」

「え? 魔法で翻訳って、リアルタイムでそんなこと――」

「そう、そんなことだ。その程度のことは賢者であればできて当然だ」

「賢者? そういえばあなたは、ご自分を『アールヴの賢者』と名乗られたそうですね。このアールヴというのはエルフの古語表現だと思いますが、賢者というのは? 単純に頭脳めいせきうたい文句ですか?」

「まあ頭脳明晰というのはその通りだ。少なくとも僕が比類なきたいの天才であるということは間違いない」

「は、はあ……。すごい自信ですね……」

「だが種族に関しては違うな。アールヴというのはエルフの始祖のことだ」

「始祖?」と依吹は小首を傾げながらもメモを取り、

「そういえばさっき私が入ってきたとき、何故すぐに私が魔法技能士だと?」

「魔法技能士? ああ魔法使いのことか。ならば手を見れば分かる。君は小指の付け根にがあるだろう。ほうづえを使い込んでいる証拠だ」

「ああ、なるほど」

「それに魔法使いは魔力量が多い」

「へ? まあたしかに魔法技能士の随伴魔素は一般人よりも多いでしょうけど、そもそも魔素というのは目に視えないものだと思いますが……」

「? 何を言っているのだ? まさか君は魔素が視えないのか? 魔法使いなのに?」

 そのサジュエルの問いに依吹はきょとんとして、またしても首を傾げた。

「それはそうですよ。だって魔素は空気みたいなものですから、視えるわけないです」

 依吹がそう返すとサジュエルは呆れた様子で天井を仰ぎ、両手で顔を覆った。

「なんてことだ。魔法使いなのに魔素が視えないだって? 信じられない、どうかしているぞ。僕が眠っている間、この世界に何があったというのだ」

「…………?」

「それによくよく考えてみれば、さっきの衛兵なんて帯剣すらしていなかった。他種族との戦争が無かったとしても不用心すぎる。まったく君らは、そんな状態で復活した魔王とどう戦うつもりなのだ?」

 その台詞せりふに、しばらく黙って聞いていた依吹が不思議そうに尋ねる。

「あの……魔王って、なんのことですか?」

「魔王は魔王だ。勿論まだ復活はしていないだろうが、僕が目覚めた以上その前兆があってしかるべきなのだ。君も衛兵ならばそれぐらい――いやまさか、魔王という存在を知らないわけじゃあないだろうな?」

 強い口調で問いただすサジュエルだったが、しかし依吹の口からは彼が予想していたものとは全く違う回答が返ってきた。

「それは魔王のことはもちろん知ってますけど。ただ――」

「ただ、なんだね?」

「魔王なら40年前に復活して、もう倒されましたけど」

「………………」

 それを聞いたサジュエルは真顔のまま硬直した。そうして取調室にはしばらくの間、時が止まったかのような沈黙が流れ、

「………………はあああ?」

 サジュエルのとんきような声がそれを破った。そして彼は難しい顔をしながら机を指でたたいたり顎をさすったりしながら、しきりに「馬鹿な」だとか「そんなはずは」などとつぶやいている。

 ろうばいを隠し切れない彼の様子を見て、依吹は自分が何かいことを言ってしまったのだろうかと思いつつも尋ねた。

「えっと、あの、魔王がどうかしたんですか?」

 机の上で頭を抱えていたサジュエルがやがて口を開く。

「…………どうやってだ?」

「え?」

「どうやって魔王を倒したのか、という質問をしているのだ。勇者か? 新たな勇者が現れて聖剣を使ったのかね?」

「いえそれは……軍がミサイルで、ですけど」

「ミサイル? それはどんな魔法だ?」

「魔法ではなく科学兵器ですね。もちろん魔法も施されてはいたはずですが」

「……つまり、君らはその科学兵器とやらで魔王を難なく倒したと?」

 依吹はそんな彼に、なんとなく申し訳なさそうな顔で答える。

「一大軍事作戦ですから、難なくとまで言えるレベルではないでしょうけど」

 するとサジュエルは目頭を押さえながら、魂まで抜け出しそうないきを吐いた。

「その作戦とやらが行われたのはいつだ?」

「ええっと、たしか今からちょうど40年前ですね」

「馬鹿な。それじゃあ僕は――アールヴの賢者たる僕が40年もということか? あり得ない。魔王を倒すため眠りについたというのに、魔王が倒された後に目覚めるなんて、こんな馬鹿げた話があるものか」

 きようがくと悲嘆に暮れている彼を見かねて、依吹は恐る恐る声をかける。

「あのー、一体何のお話を? 魔王がいないと何か問題があるんですか?」

「なに……? いや問題はない。そう、問題はないのだ。ただ問題を解決するための手段に問題があっただけで、今はその問題も既に問題なくなった」

「???」

「しかしまさか勇者でも賢者でもない、ただの人間が魔王を倒すとは――」

 そこで突如依吹の携帯が鳴った。彼女は即座にその電話に出る。

「はい、如月です。……はい……はい、了解しました。すぐに向かいます」

 短い会話を終えた依吹はしばらくの間考え込んでからサジュエルの方に向き直り、まだうなだれている彼を見つめると、同情めいた口調で言った。

「ロッシュさん、あなたはもうお帰りいただいて結構です。トラックの件はまゆつばですし、実際には負傷者も被害届も出ていませんから。それに顔色が優れないようですので、おうちで少し休まれたほうが良いですよ」

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